「国歌」の資格〜Lahore
 
「国歌」の資格
〜 Lahore
 

   宿泊先であるパール・コンチネンタルに戻ってきた頃には、時計の針は9時を優に過ぎていた。帰路の車中では大半を寝ていたが、やはりベッドで横になるのとは訳が違う。疲れが取れるどころか全身筋肉痛だ。頭は靄がかかったように働かず、まぶたは半分も開かない。
 そのままレストランに直行し遅い夕食をとる。しかし、お腹は空いているのに食べる元気が出ない。いつもなら皿一杯に盛るバイキングも、スープや果物程度で充分だった。
 早めに食事を終えてしまったので、先にロビーに出て妻を待つことにした。
 ふかふかのソファに身を沈め天井を見上げる。ロビーはただでさえ広いのに、最上階まで吹き抜けにもなっていて、もの凄く開放感がある。頭上の空間をロの字型に取り囲むように各階に客室が配置されており、シースルーのエレベーターが壁際を何台も行き来している。至る所きらびやかな装飾が施され、キラキラと宝石のように眩い。さすがラホールで最高級のホテル。豪華な造りだ。
 少し離れたところでグランドピアノの生演奏をやっていた。ロビーにBGMを流すホテルは多いが生演奏となると珍しい。スピーカー越しに聴くのとは違って、滑らかな音色で耳に心地よい。なかなか洒落た演出だ。
 そういえば、外国人の宿泊客が到着するとウェルカムミュージックとして国歌を演奏してくれるとガイドブックに書いてあった。ということは、昨夜は「君が代」を弾いてくれたのだろうか。飛行機の遅延でそれどころではなかったから気づかなかったが、聞き逃していたとしたらちょっぴり残念だ。
 今はもう夜も更けてチェックインする客はほとんどいないから、スタンダードナンバーが中心の演奏だ。ソファにもたれながら行き交う人を眺めていると、ふと、映画のワンシーンに立ち会っているような錯覚に陥る。優雅な時間が流れていく。
 いつしか曲が変わっていた。ピアノに合わせて無意識のうちに歌詞を口ずさんでいる自分に気づき、初めて演奏されているのが日本の歌であることを知った。
 ウエ、ヲ……ム、イテ……ア、ルコウ……ナミダ、ガ……コボレ……ナイ、ヨウニ……。
 その瞬間、激しく心が揺さぶられた。感動だろうか。疲れ切っているはずのからだの奥底から怒濤のように込み上げてくる。何が起こっているのだろう。ひとつだけ確実に言えるのは、この曲だからだ。この曲だから、僕の胸はこんなにも震えるのだ。
 これって、国歌なんじゃないのか。
 異郷の地にあって、思いもかけず耳にした者の心を無条件に揺さぶる。そんな力を持った歌こそ国歌としての資格があるのではないか。
 1993年、カタールのドーハでサッカー日本代表がイラクと引き分けた時、スタジアムから自然とこの歌が湧き上がったのを思い出した。その時は不思議だったが、今ならわかる気がする。なぜこの歌だったのか。なぜ他の歌ではなかったのか。
 折しも日本では国会の内外で国旗・国歌法案に関する議論が戦わされている。残念ながら僕にはよくわからない。「君が代」反対派の論拠も、賛成派の思想的背景も、およそ不勉強にして知らない。しかし、これだけは言える。縁もゆかりもないパキスタンのホテルで聴いて涙する歌こそ、国歌としてはふさわしい。
 ロビーには他に日本人らしき人影は見当たらなかった。たったひとりのために歓迎の曲を弾いてくれたピアニストに、僕は心の中でお礼を告げた。
 

   
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岐路のパキスタン
 

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