虹の彼方に〜Takht-i-Bahi
 
虹の彼方に
〜 Takht-i-Bahi
 

   昼食時に気になる情報が伝えられた。予定では明日の朝ラホールに飛ぶことになっているが、大幅に遅れる可能性が出てきたという。昨日からの霧による相次ぐフライト便変更で、機体のやりくりがつかないのだ。
 添乗員の動きが慌ただしい。日本と連絡を取ったりガイドと相談したりしている。場合によっては飛行機や宿泊の手配を変更しなくてはならない。通信事情が悪く、電話やFAXが今ひとつ通じにくいせいもあって、やりとりになおさら時間がかかる。
 雨が降り出していた。レストランの窓越しに見える空がどんよりと曇っている。
「午前中にカイバル峠に行けてよかったね。今だったら、許可が出ていたとしても外を歩けないもんね」
 努めて幸運を強調してみるものの、ツアーメンバーの雰囲気が何となく重苦しい。誰も口には出さないが、このまましばらく足止めになるのだろうかという不安が頭をよぎる。
 そんなわけで、しばらくホテルの部屋で待機した後、タクティバイ遺跡の観光に出かけることになった。当初の予定と比べると午前と午後が入れ替わった形になる。
 ペシャワールの街を外れると田園地帯になった。しかし、道の両側に拡がっているはずの畑は雨に煙ってよく見えない。明日以降のことも気になるが、そもそもこんな雨の中、遺跡観光なんてできるのだろうか。タクティバイは山岳寺院だとガイドブックに書いてあった。傘を差しながら山登りをするのかと思うと気乗りがしない。
「ちょっと砂糖工場に寄っていきましょう」
 畑の真ん中でバスが停まった。小さなバラック小屋がぽつんと建っている。中に入ると、もうもうとした湯気の中で男たちが大きな釜を掻き回していた。
「さとうきびを搾った汁を煮詰めて作ります。ほら、こちらに出来上がったばかりの砂糖がありますよ」
 巨大なフライパンのような鉄皿の上に黒い塊が転がっている。手に取って嘗めてみると、ほんのりとした甘さが口いっぱいに拡がった。もちろん100%無添加なのだろう。どこかほっとする素朴な味だ。
 外に出ると雨が上がっていた。空が明るい。切れ間なく雲に覆われていることに変わりはないが、それでも小屋の藁屋根から滴り落ちる水滴がキラキラと輝いている。
 目の前にはさとうきび畑が拡がっていた。多くは既に刈り取られ、見渡す限り地平線まで続いている。ところどころに小さなサイロがあり、枯れ草の山が積まれている。何の変哲もない田舎の風景だが、かえってそれがいい。
 小屋の隣の一角にさとうきび搾り器があった。幼い頃に見た古い足踏みミシンのようだ。きっと何年も使い込まれてきたのだろう。手垢で磨かれたような渋い光沢を放っている。
「あ、虹だ」
 佇んでいた僕の背後から妻が声をかけてきた。本当だ。直径1mにも満たないミニチュアの虹が、搾り器の向こうに架かっている。
「なんか、いい雰囲気だね」
 思いもかけず寄り道した甲斐があった。工場というにはあまりに原始的かもしれないが、確かにこの雰囲気は悪くない。もやもやとしていた胸のつかえがスーッと消えていく。そういえば忘れていた。予定変更も旅の醍醐味のひとつだったはずじゃないか。
 

   
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岐路のパキスタン
 

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