汝の敵を愛せよ〜Mt. Herzl, Jerusalem
 
汝の敵を愛せよ
〜 Mt. Herzl, Jerusalem
 

   エルサレムでひとつだけ、どうしても行ってみたい場所があった。たとえ銃弾ひしめく最前線になっていようと、そこだけは何があっても見ておきたかった。
 西のはずれ、今ではすっかり珍しくなったレバノン杉がわずかに残る丘。「イスラエル建国の父」と謳われるテオドール・ヘルツェルに始まり、歴代首相や各界のリーダーだった人々が眠る共同墓地。ここにイツハク・ラビンの墓がある。
 例外なく信念と忍耐力に優れていた20世紀のイスラエルの指導者たちの中でもラビンは特筆に価する人物だった。軍人出身の彼は、参謀総長として第三次中東戦争で電撃的な勝利を収めた後、政界に入る。以後、駐米大使、首相、国防相などを歴任し、1992年、再び首相に就任する。再登板に当たり、この国の現在、そして将来を考えに考え抜いたラビンは、パレスチナとの和平というかつて誰も成し得なかった理想の実現に向けて突き進んでいく。困難な交渉を辛抱強く重ねた彼は、長年の仇敵だったPLOのアラファト議長との間でとうとう合意を勝ち取り、同じく交渉に携わったペレス外相と3人でノーベル平和賞を受賞する。クリントン大統領を挟んで堅い握手を交わすラビンとアラファト。二千年の苦難の歴史にようやく終止符が打たれる時が来たと世界中が考えた。
 しかし、神はまだユダヤの民に安息を与えはしなかった。合意文書に調印し和平への具体的な段取りを進めようとしたまさにその直前、ラビンは凶弾に倒れる。撃ったのは皮肉にも同じユダヤの青年だった。未来を担うべき若者の一撃が、逆に未来を壊してしまったのだ。
 エルサレム・ストーンの散歩道が続いていた。木立に陽が降り注いでいる。老人が、家族連れが、若い女性が、思い思いに暖かな一日を楽しんでいる。墓地というより市民公園と呼ぶ方が相応しく思えてくる。
 目指す場所は入口からさほど離れていなかった。バウムクーヘンを真ん中で切ったように並ぶ白と黒のふたつの大きな石。それがラビンの墓だった。横に続いている他の歴代首相のものと比べると明らかに異質な造りをしている。一目瞭然だった。意味するところは明白だった。イスラエル国民にとってラビンは「特別な」首相なのだ。
 未来へのビジョンを示すことが政治であるならば、これほど偉大な政治家を僕は他に知らない。オスロ合意はイスラエルやパレスチナという枠に留まらず、中東全域に、そして世界に、勇気と希望をもたらした。そこには確かに平和へのビジョンがあった。たったひとりの偉大な意志が成し遂げた「奇跡」だった。
 墓の上に小石が積まれていた。ユダヤ流の弔意の示し方だ。線香もロウソクも使わない。手を合わせることもない。ただ静かに石を積むのだ。
 失って初めて気づく価値がある。ラビンの後を継いだ指導者たちもまた、自分なりのやり方で和平を追求してきた。だが今のところ芳しい結果にはつながっていない。むしろ、状況は後退していると言えるだろう。
 何が足りないのか。ラビンとラビン以外でいったい何が違うのか。
 時代。環境。経済。技術。国際情勢。その他もろもろの複雑な絡み合い。確かにそれらを要因として見過ごすことはできない。けれども最も大切な何かが別にあるような気がする。
 アラファトと和平交渉を始める時、全国民に向けてラビンはこう言った。「敵だからこそ、手を握る価値があるのだ」。
 僕たちはかつてどこかで同じ言葉を聞いたことがなかっただろうか。
 そう、「汝の敵を愛せよ」と。
 

   
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