永遠のイスラエル〜エルサレム旧市街
 
Jerusalem Old City
 
 
エルサレム旧市街
 

 
旧市街の門
 


  旧市街を取り囲む城壁には8つの門が設けられています。内部を四分するキリスト教徒地区、イスラム教徒地区、ユダヤ人地区、アルメニア人地区それぞれと外部をつなぐ生命線として、いずれの門も他にはない独特の表情と雰囲気を持っています。  

       
 
黄金門
ユダヤ教では、終末の日に救世主がこの門から神殿に入城するとされています。それを阻もうとイスラム教徒が石と漆喰で門を塗り固めたため、今は通ることができません。
 
ライオン門
イスラム教徒地区の裏口。この門外で聖人ステファノが殉死したというキリスト教の伝承にちなみ、ステファノ門とも呼ばれます。ヴィア・ドロローサはこの奥から始まります。
 
ヘロデ門
イスラム教徒地区第二の門。ダマスカス門と比べると小ぶりで行き交う人も少なくちょっと地味な感じです。玄関に対する勝手口といった位置づけなんでしょうかね。
 

       
 
ダマスカス門
イスラム教徒地区の表玄関。普段はアラブ商人の露店が周辺を埋め尽くし、大変な賑わいだそうですが、この日は紛争の影響で猫の子一匹いない静けさでした。
 
ヤッフォ門
旧市街のメインゲートは何度も歴史の舞台に登場しました。第一次世界大戦後、イギリスのアレンビー将軍はここから入城し、第二次世界大戦後、ここから去っていったのです。
 
シオン門
アルメニア人地区唯一の門は1967年戦争の激戦地。ぼろぼろの壁は朽ちたのではなく、銃弾が撃ち込まれたせいです。歴史と呼ぶにはあまりに生々しい現実です。
 

   
糞門
そして現在、観光客にとってのメインゲートがここ。街の汚物をここから捨てていたことが名前の由来であるように、かつては最も狭く歩行者しか通れませんでした。しかし、ヨルダン統治時代に拡張され、大型バスも通行可能に。嘆きの壁にも近いことから、城壁脇の道路には観光バスがいつも鈴なりです。
   

 
神殿の丘
 


   
原点
ユダヤ民族栄光の第二神殿がローマ帝国によって滅ぼされた後、その至聖所があった丘の上の同じ場所に、イスラム教徒は自らのモスクを建てました。喜びと憎しみ、慈愛と不寛容、祈りと剣。1km四方の中にあらゆるものが同居するエルサレム旧市街の、まさに原点がここなのです。
   

 
ユダヤ教の聖地
旧約聖書によれば、ユダヤ人の始祖アブラハムはこの丘で息子イサクを神に捧げようとしました。その後ダビデ王が都を置き、その子ソロモンの時代には壮麗な神殿が築かれ王国は栄華の絶頂を誇ったとされています。ローマ帝国によって神殿が破壊された後、長い苦難の歴史を乗り越えてイスラエルが建国されましたが、ユダヤの人々の究極の望みは今なおこの丘に神殿を再建することにあるのです。1948年の戦争後はヨルダン領となり、ユダヤ人の立ち入りが禁止されていましたが、1967年の戦争の結果、西の壁はユダヤ人の手に戻りました。
   
イスラム教の聖地
イスラム教の預言者ムハンマドは、大天使ジブリール(ガブリエル)に連れられ、天馬に乗ってこの丘から昇天したと伝えられており、今もムハンマドの足跡が残るという岩が安置されています。。この伝承に基づき、7世紀にエルサレムを征服したウマイヤ朝は、金色に輝くドームとイスラミックブルーのタイルで飾られた、八面体の壁を持つモスクを建設しました。同じ敷地に、対照的な黒いドームを持つエル・アクサ寺院が隣接しています。これらふたつの施設の存在により、今ではメッカ、メディナに次ぐイスラム教第3の聖地となっています。
 

 
嘆きの壁
 


       
 
祈り
神殿は西の壁だけが2000年の時を超えて現存しています。入口は男女別に分かれ、男性は帽子着用が条件です。ユダヤ教徒に混じり、壁に手を触れてみました。
 
仮庵の祭り
この日は3大祝祭日のひとつ「仮庵の祭り」だったため、特別な祭壇が出ていたり黒帽子に黒服のバリバリのユダヤ教徒がいたりと、貴重な光景を見ることができました。
 
奥の洞窟
男性用の壁の奥には洞窟があります。神殿があった場所により近いため、祈り方も熱心です。でも、異教徒の男性が入れるのに、ユダヤ教徒でも女性は入れません。変なの。
 

 
ヴィア・ドロローサ
 


  嘆きの壁の脇にあるアーケードを抜けてイスラム教徒地区をしばらく行くと、ヴィア・ドロローサ、すなわちイエスが十字架を担いで歩いた道にぶつかります。時のローマ総督ピラトの官邸から、磔にされたゴルゴタの丘(現在の聖墳墓教会)まで続く約1kmの道のりには、新約聖書の伝承に基づいて「ステーション」と呼ばれる14のポイントが設けられており、キリスト教徒にとって最も大切な巡礼の道となっています。  

   
Station 1,2
ライオン門から続く、軒を張り出した石造りの古い建物と、踏みしめられて傾いた石畳。新約聖書の記述を知れば知るほど、くすんだ街並みが無言の圧力で迫ってきます。イエスの苦労を体験しようと実際に十字架を背負って歩くキリスト教徒を目にすることも珍しくありません。
   
Station 3〜8
ステーション第3から第8に至る小路は、十字架の重みに耐えかねたイエスが倒れては立ち上がる、ヴィア・ドロローサのハイライト。いつもは土産物屋が観光客の呼び込みに声をからしているそうですが、この日は紛争の影響で人出はなく、不気味な静けさが漂っていました。
   

       
 
兵士
AM11:00、イスラム教の礼拝の時間。礼拝後は暴動が発生しやすい時間帯だそうで、イスラエル軍の兵士が集中的に巡回中でした。フジテレビのカメラも来ていました。
 
ゴルゴタの丘
意外なことにゴルゴタの丘は聖墳墓教会の内部にあります(みんな知ってた?)。しかも丘というよりは、ただのちっぽけな岩。豪華な祭壇の足元にあるのです。
 
聖墳墓
聖墳墓教会という名に偽りがないよう、一応イエスの墓があり、その内部はこんなふうになっています。でも、当然のことながらここには遺体はありません。念のため。
 

 
ダビデの塔
 


       
 
博物館
ヤッフォ門の南側は城壁と一体化した砦になっています。紀元前から旧市街の要衛でしたが、現在は内部が博物館として公開されています。
 
岩のドーム
博物館ではエルサレムの歴史がスライドや写真、模型などで多角的に紹介されており、なかなか見ごたえがありました。岩のドームの内部もほら、この通り。
 
100年前
オスマントルコ時代の末期、エルサレムは既に国際都市でした。トルコ、ユダヤ、アラブ、アルメニア、イギリス、スペインなど、人形の服装がすべて異なっています。
 

   
展望台
ダビデの塔の屋上は展望台になっていて、旧市街はおろかエルサレムの全貌が見渡せます。ここからは城壁の上に出入りでき、万里の長城のような遊歩道を伝って旧市街をぐるりと一周することもできます。徒歩で約60分。まさにスカイウォーカー。さぞかし爽快な気分でしょうね。
   

 
街角の風景から
 


       
 
ハスモン朝のトンネル
2000年前に建設されたトンネルを観光用に開通させたイスラエル政府にパレスチナ側が激怒。双方で70名を超える死者を出す衝突となりました。
 
立入禁止
衝突から5日目。普段なら観光客が自由に出入りできる神殿の丘は閉鎖。警察官と兵士でゲートを固めていました。「戦争」という声があちこちから聞こえ始めました。
 
ローマ式レストラン
ローマ時代を模したレストランで昼食。コの字型のテーブルは「最後の晩餐」と同じ。ちなみにイエスが座ったのは私の席、隣の妻は裏切り者ユダの席でした(笑)。
 


   

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