永遠のイスラエル〜オリーヴ山、シオンの丘
 
Mt.of Olives/Mt.Zion
 
 
オリーヴ山、シオンの丘
 

 
展望山
 


  旧市街の北東に位置する展望山からは、その名の通りエルサレムの街並が一望できます。1949年から1967年の間、エルサレムはイスラエル領とヨルダン領に分割されていて、展望山はヨルダン領の中に浮かぶイスラエルの飛び地となっていました。  

       
 
ヘブライ大学
人文系学部が集まるスコープス・キャンパスは1918年定礎。最初の講義は1923年、かのアインシュタインが相対性理論について、ヘブライ語で語ったそうです。
 
展望山
南隣のオリーヴ山と同じく、展望山も眺望の名所です。エルサレムはもともと山脈の尾根に位置する街で丘が多く、名もない坂道からの眺めにハッとすることも珍しくありません。
 
エルサレム全景
正面には城壁に囲まれた旧市街のなだらかな丘が、その彼方には新市街の高層ビル群が、テレビや書籍で見るそのままの姿で拡がっていました。感動でしばらく動けず。
 

 
オリーヴ山
 


  旧市街の東に位置するオリーヴ山は、山というより小高い丘といった感じです。山頂の展望台からはエルサレム市街が一望できるそうですが、私たちが訪れたときは周辺のパレスチナ住民とイスラエル政府との間の緊張が高まっていて、残念ながら立ち入り禁止でした。  

       
 
昇天教会
オリーヴ山の頂上にそびえるロシア正教の高い塔。2000年前、イエスはここから天空に昇っていき、そして世界を救うために同じこの場所に降臨すると伝えられています。
 
ケデロンの谷
オリーヴ山と旧市街の間の谷には、無数のユダヤ人の墓があります。終末の日、メシアがオリーヴ山から黄金門に向かうとき、死者は復活するのだそうです。
 
ゲッセマネの園
万国民の教会の裏にあるこの園のオリーヴの樹は樹齢2000年を超えると言われています。イエスが最後の夜に祈りながら流した涙を知っているのです。
 

   
万国民の教会
できることなら十字架刑から逃れたい。だがそれが神の御心であるのなら、甘んじて受け入れるのが私の務めのはず。それはわかっているのだが…。最後の晩餐の後、残り少ない時間の中で、「人の子」イエスは信仰と現実のはざまに悩み苦しみます。新約聖書のクライマックスの舞台です。
   

       
 
教会銀座
万国民の教会の奥には、タマネギ屋根が特徴的なマグダラのマリヤの教会、さらに主の涙の教会、主の祈りの教会と、徐々にオリーヴ山を登っていきます。
 
検問
ゲッセマネ近くの交差点でイスラエル軍に車を停められました。兵士たちが一台ずつチェック、怪しいとトランクも開けられます。これが検問というものか。
 
インティファーダ
検問の理由は昨夜の衝突。東エルサレムでイスラエル軍に対するパレスチナ民衆の投石があったのです。路上にはまだ大きな石が散乱していました。
 

 
シオンの丘
 


  マッサダ陥落以来、2000年にわたる流浪と迫害の歴史に耐え続けてきたユダヤ人にとって、伝統的にエルサレムやイスラエルを意味する「シオン」という言葉には、特別な感情を呼び起こす響きがあり、「シオニズム」の語源にもなっています。そんな記念すべき名を持つこの丘には、なぜかシナゴーグではなくキリスト教会が多く建っています。  

       
 
鶏鳴教会
弟子のペトロが自己保身のため「私はイエスを知らない」と3度嘘をついたところ、イエスの予言通り鶏が鳴いたといいます。今も昔も人間は弱い生き物なんですね。
 
マリア永眠教会
シオンの丘のシンボルはアルメニア正教。番人兼自称ガイドのヤコブさんがアルメニア人の非業の歴史や1967年の戦争で教会が受けた被害について説明をしてくれました。
 
最後の晩餐の部屋
最後の晩餐はキリスト教のミサの原型になりましたが、その舞台はイスラム教のモスクやユダヤの王ダビデの墓があるなど、宗教複合体というべき造りをしています。
 


   

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