署名の祈り〜Giv’at Ram, Jerusalem
 
署名の祈り
〜 Giv’at Ram, Jerusalem
 

   昼食の場所はユダヤ人地区にあるローマ時代を模したレストランだった。店員がみな古代の服装をしており、二千年前にタイムスリップしたような気分になる。テーブルがコの字型になっていて、これは最後の晩餐のスタイルなのだそうだ。端に座ったつもりでいたら「そこがイエスの席だった」と言われて驚いた。ガリラヤ湖の10シェケルといい、何か縁があるのかもしれない。ちなみに隣に座った妻は「裏切り者ユダの席」だったので、全員爆笑となった。
 食事を終えて出てくると店の前で街頭募金のキャンペーンをやっていた。新市庁舎の建設資金集めだという。エルサレム建都三千年記念事業なのだ。募金をした人のサインとメッセージがそのまま建物の壁に刻まれるという特典付きだ。受付の女性が今まで集まったものを見せてくれた。いろいろな言語で書かれてある。すべて直筆だ。これがこのまま市庁舎の壁を飾るのか。1000シェケル紙幣と引き換えに僕も気持ちを込めて日本語で署名をした。「この街に平和の来らんことを」。
 イスラエル博物館を見学したところで早めの自由解散となった。日没まではまだいくらか時間がある。散歩がてらにブラブラと歩いて帰ることにした。
 博物館からのうねった坂道を下っては登る。左手の視界が開けスタジアムが見えてきた。客席が黒い人影でぎっしりと埋め尽くされている。拡声器を通じてシュプレヒコールが聞こえてくる。宗教政党の集会だった。みんなバリバリのユダヤ教超正統派だ。なかなか近寄り難い。と思っていたら拡声器が突然子供の歌声に変わった。カラオケ大会になったらしい。なんだなんだ。これではまるで村祭りじゃないか。政治集会もファミリー向けのイベントを用意しないと人が集まらないのだろうか。
 坂を登り切ったところに緑豊かな一角があった。ヘブライ大学のギヴアット・ラム・キャンパスだ。文系学部主体の展望山キャンパスに対して、こちらには理系学部が集まっている。せっかくなのでちょっと中をのぞいてみたい。正門は閉まっていた。だが裏に回ってみると通用口のような階段が見つかった。
 建物の中に入ってみる。リノリウム貼りの床、壁の掲示板に張られたメモ、しんと静まり返ってどこか黴臭い匂い。雰囲気は日本の大学と変わらない。それにしても人の気配がない。休校なのだろうか。仮庵の祭りの期間中なので、その可能性は高い。それとも、もともとあまり使われていない建物なのか。二階に上がったり教室をのぞいてみたりしたがよくわからない。そうこうしているうちに、ストラップで留めた本を小脇に抱えた若い女性とすれ違った。ソバージュの髪にジーンズ。学生だろうか。スタイルも颯爽としていて格好良い。
 ガラス張りの扉を開け中庭に出た。ピロティに自動販売機があった。試しにシェケル硬貨を入れてみるとランプが点く。壊れてはいないらしい。ボタンを押すと缶ジュースとともにきちんとお釣も出てきた。なかなかやるじゃないか。日本ではあたりまえのことだけれど。
 芝生の中庭を木立が囲んでいた。石畳の散歩道が敷かれ、木製のベンチが置かれていた。鳩が地面をついばんでいる。杖をついた老人が佇んでいる。その向こうには遠く旧市街が見渡せた。展望山とは正反対の方角に当たるここからもシオンの丘が見える。ヘブライ大学がなぜこれらの場所に建てられたのか、その理由がわかった気がした。
 彼方で城壁が黄金色に輝いていた。まるで燃えているようだ。傾きかけた陽を浴びて輝く旧市街は、燃えるように美しかった。それを眺めながら、新しい市庁舎の壁にいつか刻まれるであろうメッセージを僕は心の中でもう一度呟いた。深く、祈るように。
 

   
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