安息日が明けると〜New City, Jerusalem
 
安息日が明けると
〜 New City, Jerusalem
 

   海面下398mの死海から、1200mもの標高差を一気に登っていく。炭坑のボタ山のような形をした丘が道の両側にいくつも連なっている。草木ひとつ見当たらないユダの荒野。羊を連れた遊牧民がときどき谷間を歩いている。
 やがて、ボタ山のところどころにコンクリート剥き出しのアパート群が密集している一角が現れ始める。アラブの海に浮かぶ島のような、ユダヤ人の入植地。丘を登りきったあたりからバスは大きく左に弧を描いて北側から新市街へと入っていく。
 エルサレムは僕にとって長年の憧れだった。いつの頃からか、「世界で最も行ってみたい場所は」と訊かれるたび迷わず「エルサレム」と答えるようになっていた。三大宗教の聖地、パレスチナ紛争の原点、神話と歴史が交錯する永遠の都、理由を挙げればきりがない。だが一方で、けして行くことは出来ないのではないかと心のどこかで感じていた。呼ばれた者でなければその土を踏むことは許されない。そんな気がして仕方がなかった。
 新市街を囲む環状道路に入る。交差点で全身黒尽くめの男たちが信号待ちをしていた。30℃を超える気温だというのに、膝まで届く厚手のコートを着て大きな帽子を被っている。顔一面にひげを生やし、もみあげを肩まで伸ばしている。ユダヤ教超正統派の人々だ。彼らは旧約聖書を最も厳格に解釈する。食事の規定、礼拝の仕方、立ち居振舞い。その日常はすべからく律法の上に成り立っている。
 この日はちょうど安息日に当たっていた。それも三大祝祭のひとつである仮庵の祭りの開始を告げる大安息日だ。安息日には仕事をしてはいけないことになっている。ここで言う「仕事」とは必ずしも職業だけを意味しない。家事労働や車の運転など、からだを動かすあらゆることを含む。だから熱心な信者は一日をベッドで横になって過ごす。もともとは日々の苛酷な労働から肉体を守る生活の知恵だったそうだ。
 新市街の西にホテルはあった。チェック・インをし、他のツアーメンバーが解散していくところで、僕たちだけはガイドに呼び止められた。
「申し訳ないのですが、部屋がまだ使えません。ロビーで待っていていただけませんか。前のお客さんが正統派の方で、安息日が明けるまで中で休んでいるものですから」
 安息日は金曜の日没から始まり土曜の日没まで続く。この間、商店街の多くは扉を閉め、公共交通機関は運行を止める。人通りや車の往来も極端に少なくなる。街全体がかりそめの眠りに入るのだ。
 しばらくして、黒尽くめの男とその家族がエレベーターを降りてきた。きっと彼らなのだろう。子供も小さく、夫婦ともまだ若そうだ。チェック・アウトの後、男は僕たちに気づいたのか、立ち止まると「ソーリー」と言って丁寧に会釈をした。澄んだ瞳が美しかった。
 夕食まではまだ時間があったのでホテルの周辺を散歩してみることにした。ゆっくりと陽が傾いていく。高く晴れ上がった空がオレンジ色に染まっていく。乾いた風が汗とともに昼間の熱気を奪っていく。
 近くにバスターミナルがあった。二台の車両を連結したトロリーのように長いバスが数え切れないほどたくさん停まっている。縦横に規則正しく並び、まるで昆虫の群れのようだ。やがて夕闇の訪れと歩調を合わせるように、ヘッドライトを点灯させ、一台、また一台と、巣から飛び立つようにバスが動き始めた。
 安息日が明けたのだ。
 

   
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