けして誰のものでもなく〜Mt. Scopus, Jerusalem
 
けして誰のものでもなく
〜 Mt. Scopus, Jerusalem
 

   当初、エルサレムはフリーでまわるつもりだった。けれどもイスラエルに着いたその日に発生した衝突で事情は一変した。予定していた場所がエリコやベツレヘムのようにいつ封鎖されるかわからない。それどころか、下手に歩いていると流れ弾に当たる恐れさえ出てきた。
「予定では自由行動でしたが、状況が状況なので急遽オプショナルツアーを組みます。余分な料金がかかってしまって申し訳ありませんが、ガイドもドライバーも同じですので」
 ガイドの提案は賢明だった。勇気と無謀は違う。僕たちは一にも二にもなく同意した。
 昨日通ってきた環状道路を今度は東へ向かう。緊張感のせいか、みな無口だ。だが見慣れた仲間がいるというのはそれだけで心強い。お互い、顔にそう書いてある。しばらくすると交差点の脇に公園が見えてきた。
「弾薬の丘。67年の戦争の激戦地ですね」
 イスラエル建国以来、ヨルダンとの国境はエルサレムの真ん中を通っていた。壁と鉄条網と土嚢で真っぷたつに分断された街で、今はのどかな市民公園にしか見えないこの場所は双方が対峙する最前線だった。第三次中東戦争最大の攻防戦。夜が明けるまでの数時間に、イスラエル側だけで200人近い兵士がここで命を落としたという。ミサイルも戦闘機も使われない、文字通りの白兵戦だったそうだ。この戦いに勝利したイスラエルは東エルサレムを手中に収める。そこには長年ヨルダン領の中で飛び地となっていた展望山も含まれていた。
 蛇行する坂道を登り切る。イギリスの委任統治領時代に建てられたヘブライ大学が正面に姿を現わした。これがあったがゆえに展望山はイスラエル領であり続けてきた。エルサレム・ストーンと呼ばれる肌色をした特別な石で仕上げられた建物が、緑豊かな樹々に囲まれ落ち着いた雰囲気を醸し出している。記念すべき最初の講義は1923年。かのアルバート・アインシュタインが相対性理論についてヘブライ語で語ったという。
 バスを降りる。大学の前にエルサレム・ストーンを敷き詰めた広場があった。オリーヴ山と並ぶ眺望の名所だ。人々が思い思いに肌色の壁にもたれ、眼下を見下ろしている。
 空が高かった。旧市街はもう目の前だった。黄金色に輝く岩のドームが、聖墳墓教会が、シオンの丘が、手を伸ばせば届きそうな近さに拡がっていた。現実か、はたまたセットなのか、一瞬わからなくなる。それほどテレビや写真で何度も見てきた風景そのままだった。
 風が吹いた。その時、何かが僕の中で動いた。鈍く揺れ、じわじわと湧き上がってくる。それは次第に集まり、明確な形を取り始める。言葉だった。自分の意志とは無関係にからだの底から生まれてきたのは、意外なことに言葉だった。言葉はこう告げていた。「この土地が欲しい」。
 思わず振り返った。後ろには誰もいない。何だ? これはいったい何だ? 何が起きたのだ? 言葉は本当に僕から出たものか? 僕の願望なのか? 信じられなかった。宗教的背景も民族的背景も何もない人間に、初めてこの土地を見たばかりの人間に、欲しいと思わせるだけの何がそこにあるのだ? そして、一瞬にして氷が溶けるように僕は理解した。ああそうだったのか。そういうことなのか。だから「この街は誰のものにもしてはいけないのだ」と。
 パレスチナ問題はつまるところエルサレムの帰属をめぐる争いだ。ユダヤ人とアラブ人が手にした権利書はどちらも正当なものだった。だとすれば選べる答は共存だけだ。どちらかの主張を通すために血を流すのは不毛でしかない。そんなことはお互いわかっている。わかっていながら戦わずにはいられない。けれども、そんな彼らを責めることは僕にはもうできない。僕自身が彼らと同じようにこの街を独占したいと思ってしまった以上。
 

   
Back ←
→ Next
 


 
永遠のイスラエル
 

  (C)1995 K.Chiba & N.Yanata All Rights Reserved