戦士の休日〜Qumran
 
戦士の休日
〜 Qumran
 

   20世紀最大の考古学的発見と言われた死海写本。エルサレムのイスラエル博物館では、紀元前2〜3世紀に筆写されたと考えられているその実物を見ることができる。羊皮紙に書かれたヘブライ語の文章は、現在伝えられている旧約聖書の記述とわずか六文字しか違わない。いくらユダヤ人が記憶の民だとはいえ、これは驚異的なことだ。
 発見はまったくの偶然だった。放牧に来ていた羊飼いの少年がたまたま入り込んだ洞窟で不思議な形の壷を見つける。持ち帰って開けると中には古めかしい巻物が入っていた。これが話題となり、研究者から一攫千金を狙う者までがいっせいに押し寄せることになった。そして似たような巻物が近くの洞窟から次々と発見されていった。
 その現場がクムランだ。死海の北西、岸辺を見下ろす岩山の中腹に、洞窟が当時と同じ形で残っている。木の一本も生えていない山肌には太古からの褶曲地層が刻まれている。地殻変動の生きた証拠だ。他には石と砂とワジと呼ばれる涸れ川しかない。「荒野」という表現が相応しい、まさに不毛の地だ。
 洞窟の向かいの丘に遺跡があった。苛酷な環境で修行を続けていたユダヤ教の一派、クムラン教団の共同体跡だ。迷路のように交差する道の両側に岩を積み上げた壁が並んでいる。遺跡はいくつもの小部屋に区切られていた。どれもみなおよそ生活の匂いがしない。彼らはワジを流れる雨水を利用して農地や果樹園を営み、羊や山羊を飼い、信仰に励む共同生活を送っていた。そして死海写本を残した。
 小道の先に人影があった。イスラエル人のカップルだ。ふたりともまだ若い。学生同士だろうか。青年はTシャツと半ズボン、少女の方はラフなワンピース。ときおり短い会話を交わしながら遺跡の中を歩いていく。だが彼らは一ヶ所だけ、普通と違うところがあった。青年の肩に自動小銃が掛けられていたのだ。
 想像すらしたことのない眺めだった。あまりに嵌まり過ぎている。映画以上に映画的だ。演出だったとしても出来過ぎだろう。目の前の状況を、僕はすぐには理解できなかった。
 イスラエルは国民皆兵だ。誰もが若い時期に数年間の兵役を義務付けられている。そして老人になっても予備役として有事に備えている。
 実際、この国ではこれまで10年に一度のペースで大きな戦争が起こってきた。1948年の独立戦争、1956年のスエズ動乱、1967年の六日間戦争、1973年のヨム・キプール戦争、1982年のレバノン侵攻。経験則に従うならば、次なる戦いはいつ始まってもおかしくない。
「非番なんでしょうね」
 ガイドが隣に立っていた。
「非番でも銃を持っているんですか」
「さあ、普段はそんなことないと思いますけど。今は騒乱が起きているので、軍にとっては非常事態なのかもしれません」
 日常と非日常が逆転する。ここでは自動小銃なしにはろくにデートもできない。久し振りの休日だろうに。明日からはまた戦場に立つかもしれないというのに。彼らにとってはいつものひとコマに過ぎないのだろうか。だが平和ボケの国から来た者の目にはあまりに重い。これが現実。そして、これが戦争。
 しばらく彼らから目が離せなかった。照りつける陽射しの強さとは裏腹に、遺跡はどこか寒々しかった。観光客が僕たちしかいないことだけが理由ではない気がした。
 

   
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永遠のイスラエル
 

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