戦車を見た〜Jordan Valley
 
戦車を見た
〜 Jordan Valley
 

   紅海からエチオピアを経てアフリカ東部に多くの湖を刻む大地溝帯。この始まりとなっているヨルダン渓谷を一本の細い川が流れている。イエスが洗礼を授かったとされる聖なる河、ヨルダン川だ。ガリラヤ湖の水門から流れ出す一角が白い柵で囲まれていて、現在はそこが洗礼場となっている。岸辺が階段状になっていて、信者は白装束を身に纏い徐々に川へと浸かっていく。最後には頭まで潜る。それを何度か繰り返すのだ。あたりは木々が黒々と生い茂り、水の色が深い。なるほど深遠な雰囲気を漂わせている。
 洗礼場から戻ってみるとガイドが携帯電話で何やら連絡を取っていた。どうやら治安状況が悪化したらしい。僕たちが到着した日に発生したパレスチナ住民との衝突が進展しているのだ。バスのラジオでニュースをやっているが、いかんせんヘブライ語なのでわからない。
 予定では次はエリコの観光だった。エリコはヨルダン渓谷にあるオアシスの街で、一万年前の住居跡が発見されるなど考古学的に価値の高い遺跡がたくさんある。世界最古の都市ではないかとも言われている。
「状況が変わりました。衝突が激化しているようです。軍がエリコを封鎖しました」
 ある程度予想はしていたが、やはりこうなったか。カイザリアやガリラヤ湖では緊迫した気配は微塵も感じられなかったのに。
「仕方ありません。代わりにベイト・シェアンに行きましょう」
 エリコほど古くはないものの、ベイト・シェアンからも先史時代の遺構が発見されている。規模も比較的大きく、ローマ時代の街並が良く保存されていた。広い列柱通りや大きな円形劇場など、なかなか見ごたえがある。
 遺跡の入口で日本人の学生に会った。試験休みを利用して来ているのだという。
「ベツレヘムに行こうと思ったら、街の手前で追い返されたんです。仕方なくツアーに参加したけど、ガイドが英語なんで全然わかんないし。何が起こってるんですか」
 ベツレヘムも封鎖されているのか。エリコと同じようにパレスチナ自治区があるからか。簡単に状況を説明し、気をつけてと言って別れた。
 ヨルダン川沿いの一本道。左には延々と鉄条網が張られている。その向こうには今も地雷が眠っている。1967年の第三次中東戦争後、川がヨルダンとの国境になったのだ。
 遠くから砂埃を上げて対向車がやってきた。見慣れない形をしている。外車だろうか。メーカーはどこだろうと考えていた僕はすぐに自分の誤りに気づいた。違う。あれは車ではない。戦車だ。
 とっさにカバンからカメラを取り出し慌てて何枚もシャッターを切った。ピントなどどうでもいい。頼むから写っていてくれ。戦車はもうもうと煙を巻き上げて、僕たちのすぐ傍をすれ違っていく。あっという間の出来事だった。
「実戦投入、のようですね」
 ガイドの言葉が冷たく響いた。あの戦車はこれからエリコを制圧しに行くのだ。
 基本的に投石しか対抗手段のないパレスチナ住民を鎮めるのに、なぜ戦車が必要なのか。何がイスラエルをそこまで駆り立てるのか。それとも目的は別にあるのか。
 戦車を見た。戦場に向かう戦車を見た。手を振れば応えてくれそうなくらい目の前だった。写真を撮っても誰にも咎められない。タブーがタブーでありえるのはそこに平和があるからなのだということに、僕はそのとき初めて気づいた。見てはいけないものなど、ここには何もないのだ。
 

   
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永遠のイスラエル
 

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