幸運の10シェケル〜Sea of Galilee
 
幸運の10シェケル
〜 Sea of Galilee
 

   ガリラヤ湖を中心とした一帯はイエスが宣教を始めた場所、いわばキリスト教揺籃の地だ。豊かな緑と温暖な気候に恵まれたこの土地で、彼は神の愛を説き、医者の真似事をし、時には奇跡をも演じてみせた。その活躍の舞台の多くが史跡となって残っている。
 まずは山上の垂訓の教会に行く。帽子のようなドーム屋根の可愛らしい建物だ。イエスはここで十二使徒を選び、かの有名な説教を行った。「心の貧しい人々は幸いである。天国は彼らのものだからである」。教会の向かいにはフランシスコ会の修道院があり、白装束に身を包んだ修道女たちが静かに暮らしている。湖を見下ろす敷地には色彩とりどりの花が咲き乱れていて、コントラストが美しい。
 近くにはパンと魚の増加の教会もある。たった5切れのパンと2匹の魚で5000人を満腹にさせたという故事に因んで建てられた。その奇跡をモチーフにしたモザイクが教会内部の床に残っている。ガイドブックに載っている写真はみなアップで撮ったものばかりだったので、壁に描かれているのだとばかり思っていた。来てみなければわからないものだ。
 続いてカペナウムに行く。イエスが伝道の拠点とした街だ。ここの目玉は何といっても現存する世界最古のシナゴーグ、すなわちユダヤ教会堂だろう。当時はまだキリスト教は成立していなかったから、イエスは自分をユダヤ教徒だと考えていたはずだ。ここが彼の演壇だったかもしれない。会堂の正面に立って声を出してみる。意外に狭い。こんなところから発せられた言葉がやがて何十億もの人々を動かすことになったのか。自分が世界史の中で将来果たすことになる役割を、彼はその頃どれほど自覚していたのだろう。
 一度ゲノサレまで戻り、朝陽を見た桟橋から今度は船で湖上に出てみることにした。木造の中型船には先客がいた。南米からの巡礼者たちだ。興奮しているのが傍目にもわかる。
 風を切って船は走る。陽光がシャワーのように降り注ぐ。これぞ休日。上機嫌でデッキに手足を投げ出してくつろいでいたところ、突然エンジンが停まった。湖のほぼ中央だ。故障かと思っていると巡礼者たちが集まって口々に何やら祈り始めた。湖上ミサだった。さっきまでの賑やかさが一転し、途端に荘厳な雰囲気になる。静まり返った水面を風だけが通りすぎていく。讃美歌が始まった。素人のアカペラだから上手なわけがない。けれども何か真摯なものが伝わってきた。しみじみと心に響いた。
 ミサが終わり、再びエンジンを響かせた船は湖をぐるりと回ってティベリアの港に入った。桟橋に隣接してレストランがあった。昼食はイエスが弟子のペテロに釣れと命じた魚、ガリラヤ湖名物のセント・ピーターズ・フィッシュだ。席に着くなり鯛に似た小ぶりの魚の姿揚げが運ばれてきた。身をほぐし、日本から用意してきた醤油をかける。白身であっさりとした上品な味。これは日本人の口に合うこと請けあいだ。
 食べながら、隣の皿と魚の形が違うことに気づいた。口のあたりが変形している。ハズレかと思ってよく見ると、そこには金色に輝く10シェケル硬貨が咥えられていた。
「おめでとうございます、お客様。それは幸運の硬貨です。ペテロが釣った魚の口に銀貨が入っていたという新約聖書の話に因んで、当店では10皿に1皿の割合で10シェケル硬貨入りの魚を給仕しているのですよ。どうぞ記念にお持ち帰り下さい。その硬貨は必ずやあなたに幸せをもたらすことでしょう」。
 イスラエルの燭台、メノラーが彫られた幸運の10シェケル硬貨。思いもかけない当たりに、偶然以上の何かを感じずにはいられなかった。この国に、そしてイエスに、やっぱり僕は呼ばれていたのだと思った。
 

   
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