占領地に朝陽が昇る〜Ginosar
 
占領地に朝陽が昇る
〜 Ginosar
 

   ガリラヤ湖のほとりにある、キブツが運営するホテルに泊まった。木々に囲まれ芝生に覆われた広大な敷地の中に、食堂棟や宿泊棟などが点在している。建物や設備は質素だが、豊かな自然と解放感は申し分ない。まるで林間学校に来たようだ。
 ここゲノサレは数あるキブツの中でも比較的規模が大きい部類に入る。キブツはもともと集団農場からスタートした生産共同体だが、現在では工業やサービス業にまでその領域を拡げている。労働力としての男女は平等で、家事や育児も構成員が分担して行う。食事時は原則として全員が食堂に集まる。「能力に応じて働き、必要に応じて得る」というのがルールだ。一種の原始共産制と言える。理想社会を目指すイスラエル独自のこの取り組みは、外から見るかぎりなかなか成功しているようだ。もっとも、参加しているのは全国民のほんの数パーセントに過ぎないが。
 翌朝、鳥の声で目が覚めた。ぐっすりと眠ったせいか頭がすっきりしている。枕元の時計を見る。まだ5時だ。こんなに早起きしたのは何年ぶりだろう。窓を開けるとすがすがしい空気が部屋いっぱいに入り込んできた。散歩に行こう、と思った。
 木立の中を歩く。足元の名もなき花に目を留める。野鳥のさえずりに耳を傾ける。贅沢な時間だ。
 ほどなく道は湖に出た。深呼吸をひとつして、ゆっくりとあたりを眺め渡す。静かな水面だった。ときどきさざ波が立つくらいで、それ以外は鏡のように動かない。岸から小さな桟橋が突き出していた。何人かの先客が椅子に座って湖を眺めている。朝陽を待っているのだ。
 空は薄く膜がかかったように曖昧模糊としている。どこまでが靄でどこからが雲なのかがわからない。夜が朝に変わりゆく、穏やかなひととき。やがて、対岸の地平線を形作るなだらかな丘の真ん中から、黄昏のような太陽がのっそりと顔をのぞかせた。昼間の突き抜けた晴天からは想像できないくらい、それはそれはぼんやりとした夜明けだった。
 この丘はかつてシリア領だった。1967年、第三次中東戦争。電光石火の攻撃を仕掛けたイスラエル軍はヨルダン川西岸を一気に制圧し、北部ではガリラヤ湖を越えて兵を進めた。戦争が終わっても彼らは引かなかった。以来、この丘は国際政治の中で特別の響きを持って語られる存在となっていく。
 ゴラン高原。新聞やニュースで何度も目にした地名が今、目の前に拡がっている。
 度重なる戦闘や幾度もの和平交渉を経て、ヨルダン川西岸には曲がりなりにもパレスチナ自治区ができた。しかし、イスラエルはこの丘だけは水利上の理由や安全保障上の必要性をたてに頑として手放そうとはしなかった。それどころか、国家を挙げて計画的に入植を進め、アラブ人の土地をユダヤ人のそれに変えていった。
 今、ゴラン高原は一大果樹園地帯になっている。地中海の陽光をたっぷり浴びて甘みを増したリンゴやプルーンがエルサレムやテルアビブの市場へと出荷されていく。だが、だからといってここが占領地であることに変わりはない。国際法上の帰属は今もシリアに属する「不当に占拠された土地」なのだ。
 朝だというのに湖では泳いでいる人がいた。白髪の老婆がにこやかにそれを見つめている。爽やかな風が頬を撫でていく。湖畔には真っ白なデッキチェアーが並んでいた。
 気がつくと太陽は高い位置にあった。風景を綾なす全ての輪郭がはっきりし始める。まばゆい光が水面に反射する。丘を染めるオレンジ色が徐々に濃くなっていく。戦車砲が飛び交い機関銃の音が鳴り止まなかった朝も、きっと湖は今と同じように一日を迎えたのだ。
 

   
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