救世主の故郷、ここに〜Nazareth
 
救世主の故郷、ここに
〜 Nazareth
 

   道がくねった登りに差し掛かると次第に街が見えてきた。コンクリートを固めただけの素っ気ない家々の屋根から、空に向かって鉄筋が何本も飛び出している。家族が増えたときに上階を増築しやすいよう、屋上部分を未完成のままに残してあるのだ。アラブ特有の建築様式。見た目は奇妙だが将来を考えたらこの方が合理的だ。そう、ここはアラブ人の街。そしてイエスの故郷。ナザレだ。
 石大工の息子として生まれたイエスは青年期までをこの街で過ごしたとされている。宗教活動を始めるまでは自らも石大工をしていた。大工というと日本では手先を使う「職人」のイメージがあるが、こちらでは主な建築資材が石であるためバリバリの肉体労働だった。実際、イエスは体格の良い大柄な男だったようだ。宗教指導者のイメージとは程遠い「ごつい」人物だったらしい。
 ナザレの周囲の丘には潅木が散らばるのみで、お世辞にも豊かな土地とは思えない。建物も粗末で住民の身なりも貧しい。そんなうらぶれた田舎に、世界中から巡礼の人々が続々と訪れる。処女マリアが「救世主となるべき幼子を身ごもった」と大天使ガブリエルから告げられた故事に因んで建てられたキリスト教きっての聖地、受胎告知教会があるからだ。
 街の入り口でバスを降り、まっすぐに続く坂道を登っていく。次第に商店が増え始める。クリスマスでもないのに星型につながれた豆電球が通りをまたぐように飾り付けられている。用があるのかないのか、住民がおおぜい路上に出ている。門前町なのだ。出雲や伊勢に似た雰囲気さえ漂っている。前方に見える特徴的な黒い三角屋根。それが目指す建物だった。
 受胎告知教会は新しかった。肌色とピンク色の大きな石を積み上げた外壁は美しく、未だどこも褪せているところがない。造られてからさほど年月が経っていないのか。古めかしく荘厳な建物を期待していたのだが。しかし迫力はなかなかのものだ。正面の外壁には四人の福音書の作者、すなわちマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの堂々とした肖像が刻まれている。前庭が狭いため一層の圧迫感がある。
 狭い扉を入ると礼拝堂だった。正面奥のドームが吹き抜けになっていて、イエスの誕生を祝福する大きな絵が飾られている。それに向かって素朴な造り付けベンチが並ぶ。木製で、どれもみな丁寧に磨き込まれている。高価ではなくとも丹念に手をかけられたベンチ。せっかくなので座ってみることにした。ひんやりとした木目の感触が心地よい。朝からの観光で疲れたからだが癒されていく。
 ぐるりと見渡すと壁にも絵が並んでいた。聖書をモチーフとして描かれた絵画。オーソドックスで、色合いにも奇を衒ったところがない。何て落ち着いた空間なのだろう。教会特有のどこか張りつめた雰囲気も感じられない。
 マリアから妊娠の事実を告げられた時、イエスの父ヨセフは随分悩んだそうだ。当時の社会通念からすれば、未婚のまま懐妊するのは娼婦以外になかった。まだ指一本触れていない愛しき婚約者はひょっとしたらとんでもないあばずれ女なのではないか。自殺も考えるほど苦しんだあげく、それでも彼は結婚を決意する。見栄よりも世間体よりも自らの信じる愛を貫いて。そんなヨセフの真摯で純朴な想いがこの教会には満ちているのかもしれない。
 まるで友人の家の縁側でくつろぐように、僕はしばらく座ったままでいた。心は不思議と安らかだった。理由もなくからだがなじんでいた。ずっと居ていいんだ、そう言われているような気がした。
 

   
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