ゲム・ギル・ガン・ゴー・グフォ・ウィータ

 「Gストーンの本当の使い方」を知る者、すなわち真に勇気ある者のみが使う事が出来る、一種の秘儀。それが「真のヘル・アンド・ヘヴン」、ヘル・アンド・ヘヴン・ウィータである。その際、必要とされるキィワードは従来のそれにラテン語で生命を表す、「ウィータ」が加わる。つまり、キィワード総体として「ふたつのちからをひとつにすることで命が生まれる」という意味を汲み取る事が可能になるわけだ。
 これを最も単純で根源的な我々の生命の原理、つまり男女の生殖による生命の誕生と解釈することも出来るが、それに加えて緑の星における独自の世界、あるいは哲学を読み取る事も出来る。
 Gクリスタルに残された仮想人格・マザーは「破壊は新たなゼロへの希望、無限なる可能性への挑戦」と語った。無限の再生能力を有するソール11遊星種を否定した原理がそこにある。つまり、生命は生き続けることで進化していくが、環境の変化などの外的な要因や、進化にともなうあまりに特化された身体機能の蓄積といった内的要因によって、容易に袋小路に陥ってしまう。それを突破するために、破壊、すなわち進化の過程をある種、リセットする事で、更なる進化を可能にする。たとえば恐竜は巨大化と特殊化の果てに、進化の袋小路に入り込みつつあったが、巨大隕石の衝突がそれらを一気に破算させ、哺乳類の台頭を促した。これにより恐竜という種は滅びたかもしれない。しかし生命というシステムそのものは哺乳類、更には人類の登場によって、より高位の段階へと進む事が可能になったのである。これを生命というシステムを守るための犠牲を、肯定し拡大再生産する思想と解釈すれば、これほど乱暴な議論はない。だがこれらの議論の真に意味するところは、破壊と再生は宇宙という自然に組み込まれた不可避のサイクルであり、この循環に逆らわず、しかし力の限り生きる事で新たな生命が誕生し、その中で個々の生命はそれのみで完結する事のない脈々と受け継がれていく永続性を獲得できる、ということなのだ。それはつまり、跡を濁さない生き方、後に続く生命を育てるために生きる、ということであり、破壊と再生のサイクルの中心に生命を置く事で、緑の星は個々の生命を軽視せず、かつ持続的な循環型社会を構築する事が可能になったと考えられる。ヘル・アンド・ヘヴンが攻性と防御、ふたつのエネルギィを融合させる事で、より大きな力を生み出す事は、その科学的原理と同等か、あるいはそれ以上に、かかる哲学によるところがあるのではないかと思われる。「Zマスターの抗体」であり、「生命の宝石」Gストーンの原型ともなった少年・ラティオ天海護が、その左手に癒し(浄解)=再生の力を宿し、右手に攻撃=破壊の力を振るうのは決して偶然ではない。癒しである左手による浄解と、Zマスターに対する抗体的駆除作用、つまり攻撃である右手による浄解を組み合わせたとき、Zマスターという生命にとっての破局を退け、新たな段階へと生命を進化させる、教導者。それが理性の名を冠する少年に与えられた使命なのである(そのイメージはエンディング冒頭の、マモル少年が人々を導く姿に求める事が出来るだろう)。
 破壊の化身である完成勇者王ジェネシックガオガイガーも、その根本はかかる論理に基づいている。ジェネシックガオガイガーは全てを破壊する。しかし闇雲な破壊は決してしない。その牙は後に続く生命を軽視した、自己中心的な社会(環境破壊で生命の活動条件を日々悪化させている我々もそれに含まれよう)を噛み砕き、その爪は新たな生命が芽吹く大地から、旧き時代を引き抜くためにこそ突き立てられるものなのだ。そのときこそ、ジェネシックガオガイガーの唱えるキィワード、ゲム・ギル・ガン・ゴー・グフォ・ウィータ、はジェネシックガオガイガーのみに放つ事を許されるヘル・アンド・ヘヴン・アンリミテッドを発動させ、新たなゼロへの可能性を切り開くことが出来るのである。