ペットボトル装置 顛末その4
動いたー。などと、大喜びして。
奇妙なもめ事もあったりして。
別なお客の仕事もやったりしながら、過ごしていたら、
いきなりショーだぞ。展示会だぞ。しかも2週続けてだぞ。
あわてて外装カバーを装着。
(アルミ板なのでギンギラギン。)
実験用にいい加減に作った分別箱を塗装。
(ファルカタ材とMDF板を使った木工の箱でしたの。)
(安くて加工しやすいけれど湿気に弱い。梅雨時なので塗装しといた。)
ショーを打ったのはお客様の方だけど、初号機でまだまだ不具合もあるし、
技術説明は当方しか出来ないから、ショーに参加しました。
西日本総合機械展 6月13〜15日(小倉)
九州エコフェア 6月20、21日(福岡)
そして、ショー。
自分自身で撮った装置の写真が新聞に載ったり。
地方局とはいえ、テレビの取材が来たり。
ニュースに映ったり。
HRとか言うローカルアイドルにインタビューされたり。
面白がられたり、感心されたり、驚かれたり。
昔の同僚から激励のメールが来たり。
やっほー。やっほー。
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エコフェア初日 |
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開場する前の様子。
地元のテレビ局のほとんどと
QBCとか言うネット広告社が
取材に来ました。
日に2回ぐらいはキャップが
引っかかったけれど、
大したトラブルは無く安心。
でも、既に、私の心の中では。
しょぼーん。 |
でも。しかし。
展示会場で、私に問いかけてくる、ベージュや、青色の作業服を着た人たち。
1円単位のコストダウンに取り組む真剣に製造業な人たち。
人の作業工数と人件費とそれによって得られる利益を瞬時に概算する
製造業系コンサルタントや商社の人たち。
私と同じ匂いの開発設計者。
純真な学生。
「この規模、この費用の設備で、キャップの色分別なんかして、本当に採算合うの?」
「こんな大電力仕様で、結果の二酸化炭素の排出量は本当に減らせるの?」
「単純に燃料として焼却したほうが、環境負荷は低いんじゃないの?」
(1kWh越えの動力。550whのコンプレッサーの唸り声)
ネットで飛び交う言葉。
「ニュース:小学生がペットボトルのキャップ(1個0.025円)を段ボール4箱分集め寄付。」
※但し(送料により)2070円の赤字。」
「日本は演芸用ポットや玩具の原料とする材料リサイクルを優先。
キャップの色選は再商品化製品の良し悪しにかかわる。
だがもともと商品価値は低く、燃料化であれば色選など関係ない。」
「wikipedia: ○○キャップ運動」
県の技術系職員
「こんな技術を持ちながら、御社、また、あなたは何故こんなものを作る仕事を
するの?もったいない。」
若い人
「和田さんは、もっと社会に役に立つ機械を作りたいんでしょう?」
私自身。会社の人たち。お客様方自身。
「客寄せパンダ。」
私の息子。
「なんで父ちゃんはあんなに夜遅くまでがんばって設計して、
こんな安いリサイクルキャップなんかを処理する装置なんか作るの?
なんか意味あるの?」
そうして、何よりも問いかけに答えられない
私自身。
展示会の会場で、テレビ放送用にこの装置の運転を実演した女性レポーターが
顔をしかめて言いました。
「なんだか、このキャップ、ベタベタする。。。」
確かに、洗浄が行き届いたキャップとは言いがたい。でも、そんなに汚れているかな?
色とりどりのキャップと、この機械装置に、何かがまとわり付いているのだろうか?
途上国にワクチンを送る代金にする運動場合の算定価格でさえ、「0.025円」に
過ぎないとされるキャップの価格。
義援金で水増しされたその算定価格でさえ、製造業の立場から見れば、既に素材費、
加工費、運送費など現実のコストを無視し、ものづくりの現実から乖離した「価格」。
軽いポリプロピレンとポリエチレンの市価に、キロ当たりプラス2千円の重さを加え、
ペットボトルのキャップにまとわり付き、ベタ付かせるのは、
関係する色とりどりのプレーヤーの「思惑」。
キャップのバルク搬送、整列、センシング時間の確保など、主たる技術的課題の、
そのほとんどを機械工学的手段で解決した本装置について、語られる、
「開発しました。」という言葉の主語。
主語をぼかした「開発」という言葉。
「○○らと開発」という言葉。
「共同開発」という都合の良い言葉。
「会社のホームページに装置を載せるの、止めてくれる?」という電話の主の「思惑」と、
著作者所属企業の持つ当然の公表権を放棄する「思惑」。
会社のホームページから装置の記事が消えたその日を前後して、
ネット上、ツイッターに華々しく打ち上げられる
「開発」という言葉。
(「装置を開発」という言葉において。)
(「市場の開発」という場合の交渉による新規取引開始の意味では無く。)
(「土地の開発」という場合の買い上げによる意味では無く。)
よくある話といえば、よくある話。
(長い物に巻かれろ。そうでなければ生きていけない。)
本当の「ものづくり」ではなく、「名誉」や「宣伝」が予算的「価値」を創造する。
ペットボトル色分別装置(ペットボトル色選別装置)は、
その生まれた理由、生まれた出自が「奇妙」だから、
「奇妙」。
銀色の装置の奥では、「思い出」と呼べるほどレガシーな機械要素が回っており、
堅実で、いかにも機械装置臭い構成のこの装置だが、
不思議な主語の「開発」が語られるほどに「奇妙」。
そうして私も、この装置によって、
当社の「出来ること」、自分の「出来ること」を精一杯アピールして、
新たな、気の良いお客さんを待っていた。
「新しい仕事の発注主が現れないかな。(白馬の王子様!)」
「会社の経営が良くなって、暮らし向きが安定しないかな。」
私も浅ましい「思惑」の持ち主。
私は手を引いた。何の役に立った?私は何をしたのか? |
かくして。しかして。そうして。
私は本件の開発設計より手を引いた。
世の中の役に立たない機械なんか設計するもんじゃない。
今回の装置が世間の何に役立ったのだ?
そうだ。
「ペットボトルキャップ色分別装置(選別装置)」は、「ゲージュツ」なのだ。
命じるものと、命じられるものの無限に積み重なる階層を、
思惑が下位の者に、更に下位の者に丸投げされて、
最末端でのみ現実を実装する「命じる者の階梯」の有様を、
製造業を取り巻くマインド、トレンドなど様々な経済学的概念の様相を、
必要なものと不要なものを巧妙にすり替える、奇妙な資金と政治力の流通を、
作った者と、何もしない者の名前がすり替わる、因習的名付けの呪文を、
この奇妙な機械装置によって表現した、「芸術作品」なのだ。
1.5kW超の電力を喰い散らかし、爆音を立てるこの奇妙な「エコ」装置は、
コンセプチュアルアート(概念芸術)の「作品」なのだ。
この重たい装置が掻き回すのは、
純真な、ある意味で深く考えない人たちが集めた
軽いペットボトルのキャップなどではない。
キャップとこの奇妙な装置に、重くべっとりとまとわり付いた、
色様々な粘つく「思惑」こそを掻き回しているのだ。
だからこそ、この装置は、こんな大電力を必要とする。
(装置は単機0.1秒/1個の能力を志向する。生産システム的意味は無くても。)
装置を依り代(よりしろ)に、ネット上では、つぶやきの、奇妙なダンスが続いている。
これら奇妙な運動こそが日本の製造業の縮図であり、
アート(=技術)なのかもしれない。
ならば、私は文化的貢献を果たした。
言葉通りの「アーティスト」=「技術者」の仕業として。
ヴォネガットの言う「炭鉱のカナリア」となって、私は「気絶」するのだ。
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