兜山の岩場より甲府盆地越しに望む達沢山(大きな双耳峰の右)、京戸山(同じく左)。右端奥は三ツ峠山、左端奥はお坊山山塊で、お坊山の右に丸く頭を出すのが笹子雁ヶ腹摺山

達沢山、京戸山(ナットウ箱山)、大洞山

笹子峠の北東側、笹子雁ヶ腹摺山やお坊山はわりと楽に周遊コースを設定することができるが、南西側の達沢山、大洞山、大沢山と並ぶ山域は一般的な登路が少なく、稜線を歩こうとするとかなり時間がかかる。最近ようやくガイドマップに朱線が引かれるようになってきたものの、近隣の山々の賑わいをよそにまだまだ静かな山域のままでいることだろう。このあたりはすべて訪れたことがなく、まずはブルーガイドハイカー『中央沿線の山々』 に従って達沢山から笹子峠へのルートを年が初春のころに歩いてみた。甲府駅前に前泊して朝一番のバスに乗って登山口最寄りの達沢バス停に向かったのだが、笹子峠にくだったときは夕暮れ時で、笹子駅までまだ半時もある国道20号線に出たときはすっかり夜になっていた。


兜山を訪れた昨日の日中は甲府盆地の上に薄靄が漂っていたが、今日は朝から全天が気持ちよく晴れ渡り、甲府駅前のホテルの窓から甲斐駒の白い三角錐が彼方にはっきりと見える。達沢山のあたりはどうだろうと思うものの、駅前のバスセンターに出てみてもビル群が邪魔して山は見えない。自分も乗る河口湖行きバス停は湖に遊びに行くらしい女の子グループでにぎやかだった。男子高校生の一団もいて御坂スキー場へはどのバスかと聞いてくる。地元の者でないのでわからないと言うと「オレたち地元だけどわからない」…。
朝8時10分発の河口湖行きバスは停留所の賑やかさをそのままに発車した。左右に山々を遠望しながら走る。達沢山も抜けるような青空の下に重々しく控えている。走り出して45分、車内がようやく静まったころに達沢バス停に着き、一人下車して一段低まった集落へと下る。正面の採石場を当面の目印に林道を歩いていくと途中に軽自動車のバンやトラックが3、4台停まっており、オレンジのビブスを付けた人々が数名談笑していた。トラックの荷台は空だ。植林の見回りでもするのだろうかと訝しみつつ山あいに入っていく。
登山口に向かう林道は緩やかとはいえ傾斜があって、ときおりジグザグを切るように山腹を上がる。どうも昨日たどった兜山から深草観音の疲労が抜けてないようだ。終始右手に沢を見下ろし心地よい水音が続くのが慰めだが、かなり眠い。目が半分くらいしかあかない。登ったらどこかで寝よう。


何度か採石場脇で見た軽トラックやバンに抜かれたが、歩いていくと停まっているのに追いつく。その一台の運転席から声をかけられて話をするうち、皆がみな猪狩りに出てきたことがわかった。こちらは地味な格好をしているので、稜線を外さず、妙なところに踏み込まないようにしなければならないだろう。
沢沿いの林道が車で入れる終点に着いてみると沢の奥に堰堤が見える。周囲はその造成のために切り開いたらしく、しきりにそこここの崖から石が落ちる。細くうねった山道を上がっていき、いったん平坦になってまた急になると、達沢山と京戸山の鞍部だった。ここは雑木林で、それまでの植林のなかから出て明るい。
達沢山へは左へ向かう。着いた山頂は南側は植林、一角が切れて御坂黒岳を前にして富士山が仰げる。北側は雑木林だが、葉が落ちているので枝越しに甲府盆地がほぼ見渡せる。南アルプスの甲斐駒ヶ岳鳳凰三山白根三山、塩見岳、荒川三山等々。八ヶ岳に奥秩父の長々とした稜線。奥秩父にあって金峰山のみ山頂部が顕著に白いのはこの山だけアルペン的だからだろう。あまりの眺望の佳さにすっかり眼が醒めてしまった。
甲府盆地の上に八ヶ岳
達沢山頂から、甲府盆地の上に八ヶ岳
白根三山
達沢山頂から、白根三山
お茶休憩していると猟犬の吠え声とともに猪狩りの人たちが上がってくる。「引っ張ってくれりゃいいのに戻ろうとする」とか不満を言う声も聞かれておかしい。この人たちは自分とは逆に甲府盆地側へ進むとのことだが、自分が向かう方向にも別な猟の人たちがいるという。無線でそのチームに連絡をとり、登山者一名がそちらに向かうと連絡を入れてくれた。


鞍部に戻る。行く手の左に切れ込んだ谷を隔ててそそり立つピークがある。急な登りをひとしきりで着く山頂は木々で囲まれているものの冬場なので明るい。二つ立つ標識がここはナットウ箱山だと教えている。ところで達沢山で会った猟の人たちに「これから京戸山のほうに行く」と言ったら、盆地側の低い山が京戸山だと言われた。「ナットウ箱山」と言うと分かってもらえたので、小林経雄氏の『甲斐の山山』にあるとおり、「京戸山とは本来、京戸川の原流域一帯を呼ぶ」ということなのだろう。
ナットウ箱山頂
ナットウ箱山頂
ナットウ箱山から間もなく着く京戸山山系最高点はほとんど通路途上の一点に過ぎなかった。木の幹に取り付けられた”京戸山”を示す標識がなければまったく気づかず通り過ぎたにちがいない。印象に残らないピークより遠望する眺めの方が思い出に残る。ナットウ箱のあたりからルートは東に向かうようになり、左手下の枝越しに初鹿野あたりの町並みが見下ろされる。南大菩薩の山並みも梢越しに望見できる。滝子山が尖塔のようだ。
梢越しに滝子山(右端)
梢越しに滝子山(右)
いつしか足下の道のりは平坦な頂稜の上に出ている。左手の東側は雑木、西側はカラマツ林の落ち着いた場所で、正面には御坂黒岳を前面に従えた富士山が大きく見える。なにも考えないでこれらの眺めを眺めて歩くと直進してしまい、最終的には御坂峠に向かう車道に出てしまう。このあたりは標識もなにもなく、笹子峠方面に向かうには頂稜の途中から東へ、進行方向の左へと進む踏み跡に入らなくてはならず、踏み跡と地図とを照合しつつ慎重に進む。
正しい道のりに入ったことは、ガイドにあるようにガレ場が出てくることでわかった。右手の御坂側に開けているので黒岳と富士山がよく眺められる。右手前方には梢越しに三ツ峠山、本社ヶ丸から鶴ヶ鳥屋山への稜線が透かし見える。ガイドにある本コース最高点のピークらしきところに登ると行く手の尾根が広がるように見える。尾根が左右に分かれるからであり、右手へ、急な斜面を下っていくと岩混じりのヤセ尾根に達した。
ここは右手の御坂側がよく眺められる。御坂黒岳の裾に真っ白な広い斜面があり、これが甲府バスセンターで高校生達が訊いてきたみさかスキー場だろう。いまごろは5,6本は滑ったものだろうか。ヤセ尾根部分を過ぎると足下に矮性のササが目につくようになった。ヤセ尾根の右手はガレになっており、ササはこのガレを越えられないのだろう。左前方には木々の合間に滝子山が相変わらず高い。その手前には今歩いている稜線から派生して下る尾根があり、笹子峠に向かうものと思われる。


ガレ場を見送って少々でカヤノキビラの頭に着く。ここは稜線が三方から集中するので三境とも呼ばれるらしい。すでに時間も遅いのでただちに笹子峠へと下って行かなくてはならないのだが、峠とは反対側に大洞山がゆったりとした魅力的な背中を見せている。これに寄らずに山を下るのは悔いが残る気がして仕方がない。なにせこのあたりの山は日帰りするには時間がかかりすぎて簡単に再訪するような場所ではなく、今日寄らなければきっと長いこと訪れないだろう。大洞山は遠くなく往復にはそう時間がかからないはずだ。明るいうちに峠に下りられればよく、それであれば日の光があるうちに十分山行を終わることができると踏んだ。
とすれば行動を急ごう。重たいザックを標識の脇にあるベンチの下にデポし、カメラと貴重品ばかりを身につけて大洞山への踏み跡をたどり出す。三境から少し下がると広くて歩きやすい平らな道のりとなってじつに快適だ。これがヤセ尾根となって登り返すと雑木林がほどよく広がる平坦な山頂に着く。ここは一目で気に入った。木々の並びが空虚ならず煩雑ならず、こんなところにテントを張って一晩過ごしたいと思えるようなところだ。足を伸ばした甲斐があるというものである。木々の合間を縫って北西方向を遠望すると京戸山系の稜線が大らかに広がっている。
林の広がる大洞山山頂
林の広がる大洞山山頂
大洞山山頂から望む京戸山の稜線
大洞山山頂から望む京戸山系の稜線
いよいよ日の傾きだしたカヤノキビラの頭に戻り、笹子峠を目指して下山を開始した。すぐに出てくる露岩からは右手に本社ヶ丸から鶴ヶ鳥屋山、正面に扇山や秋川・道志の山々、左手に南大菩薩の連嶺と広々とした眺めが得られる。あらためてゆっくりしたいところだがいつまでも休んでいるわけにはいかない。それでも下りつつ振り返れば、右手後方、大洞山の稜線に並ぶ雑木林のシルエットがじつに繊細でこわれ物のように美しく、思わず見とれて立ち止まってしまう。
カヤノキビラの頭北東の露岩帯より本社ヶ丸、鶴ヶ鳥屋山、道志・秋川の山々、扇山
カヤノキビラの頭北東にある露岩からの眺望 (パノラマ合成)
右から左へ、三ツ峠山、大きな本社ヶ丸、一コブ越えて尖塔のような鶴ヶ鳥屋山。奥に小さく丹沢・道志の稜線(写真では混在して潰れているが九鬼山・秋山二十六夜山も見える)、山の中腹に採石場の見える高川山、二コブ並んでいるのは手前が大桑山(高畑山は後ろに隠れている)で奥が倉岳山、手前に御前岩・馬立山・菊花山、桂川の谷を隔てて扇山。
峠までの下山路は屈曲があって時間がかかる。御坂の山々に当たっている日の光は目をやるたびに少なくなっていく。それでもまだ明るいうちに笹子トンネルの前まで下り着くことができた。


笹子峠を越える車道は12月中旬から4月上旬まで閉鎖されていた。おかげで排気ガスやエンジン音に煩わされることなく、広い車道を好きに歩けた。峠からの道のりは長かったが、国道に出るまでは静かなものだったので苦にならなかった。
2008/01/06

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