権現山から扇山扇山から望む権現山

2月の末日、中央本線沿線の権現山から扇山へつなげて歩いた。北から南への山歩きだったが、両山とも北側斜面に雪はなく、午前中の降水確率が50%とされていたためか、またはそれぞれの山頂着が遅い時刻だったせいか、山中では誰にも出会わなかった。


権現山は上野原からバスで山塊東方を迂回して初戸という停留所に出て、ここから玄房尾根を登った。ときおり雑木林となり冬枯れの樹間に背後の笹尾根が望まれるものの、ほぼ植林に覆われた尾根で、とくに感銘を受けるものでもなかった。「かつて愛すべき雑木林であった玄房尾根」と小林経雄氏の『甲斐の山山』にあり、往時は心地よい山道だったのだろうが、集落のなかの路地裏様な小道をたどって尾根筋に取り付くのが面白いくらいだった。権現山へは東尾根末端の用竹集落から登ったことがあり、そちらからのほうが好ましく思える。
尾根を登り切って出た先は雨降山で、アンテナ施設が目障りなことは知っていたが、さらに施設が追加されるらしく何らかの工事中だった。しかしこれらの周辺にある草地は背の高い木々に囲まれていて、本日のように日差しはあっても強い風のあるときに休むのにはちょうどよい。適当な場所にグラウンドシートを広げ、昼食休憩としたが、腰を下ろすとシートの下の枯れ草がマットレスとなって暖かい。食後のお茶を飲んだあと、横になって休んでいると、休憩時間は一時間に及んでしまった。
雨降山から権現山への山道
雨降山から権現山への山道
権現山の稜線は長いが全体になだらかで、気持ちよく歩ける。北側稜線直下まで植林帯が迫っているものの稜線には葉を落とした自然林が並び、右手奥多摩方面の眺めがよい。笹尾根の上に大岳山、御前山が浮かび、これらをとりまとめるように三頭山が大きく控える。その左手には奥秩父の山並みがひときわ高いが、本日の稜線はすべて雲のなかだ。行路左手の南側には秋川や道志、御坂の山々が逆光に浮かんでいるが、不穏な雲が垂れ込めている。御正体山や三ツ峠山は流れ上がる雲に今にも呑み込まれそうな風情だ。


権現山は元は大勢籠(オオムレ)山と呼ばれていたそうで、オオムレ権現を祀っていたことからいつ頃からか権現山と呼ばれるようになったらしい。山頂直下には雨降山側に王勢籠(オオムレ)神社がある。その手前には石段があるが、よく見ると岩を敷き詰めて階段状にしたのではなく、埋まっている大きな一枚岩を穿っているのだった。社の内部に入ってみると避難小屋の造りにも見える。奥壁に掲げられた由緒書きを読んでみると、祭神として祀っているのは「日本武命」だとある。修験としての権現が神社としての日本武尊になったのかもしれない。
王勢籠(オオムレ)神社
王勢籠(オオムレ)神社
権現山山頂から奥多摩の三頭山
権現山山頂から奥多摩の三頭山
権現山山頂は神社裏手の急坂を登っていくと達する。そう広くない山頂は奥多摩側の眺めがよい。誰もいない権現山を過ぎてちょっとした急坂を下り、かすかにコブとなっている部分に登り返すと本日の行程の第二ポイントとなる扇山とを結ぶルートへの分岐が現れる。正面には冬枯れの梢越しに扇山が見下ろされる。鞍部の浅川峠を目指す下りは急降下で始まるが、一帯は快適な雑木林で、朝の玄房尾根より開放感が大きい。振り返れば右手後方に小振りながら端正な三角形の頂が目にとまる。権現山稜線にある西端の麻生山だろう。「なぜこちらに登りに来ないんだ」と真面目な顔つきで睨まれている気がした。


右手彼方にはハマイバ丸から滝子山に連なる南大菩薩の稜線が浮かんでいるが、そのやや右手に丸く大きくわだかまっているのは雁ヶ腹摺山で、背後の小金沢連嶺が雲に隠れて見えないため、本日のところは盟主然と構えている。杉の植林が目立つころ浅川峠に近づくが、このころになると雁ヶ腹摺山から東に派生する楢ノ木尾根が目立つようになり、とくに東進する尾根が南東に折れるところに屹立する大峰の三角錐が目を惹く。あれにもいつか行ってみたいものだ。
歩いている尾根道から右手下のほど遠くないところに一群の屋根が見える。おそらく浅川の集落だろう。浅川峠にはその集落からの道が通じている。いくらか赤みを増してきた日の光が回り、郷愁を誘う。東の上野原方面への踏み跡もあるがか細いものだった。
浅川峠付近から浅川集落、大菩薩の山々を望む
浅川峠付近より浅川集落を望む
中景は宮路山(右)とセーメーバン
遠景は滝子山(左端)から始まる南大菩薩の稜線と、雁ヶ腹摺山(右)
峠から扇山への登路は終始雑木林の快適な道のりだった。扇山へは中央本線側からが多くルートが通じているが、裏側に当たるこちらもよく歩かれているらしく、踏み跡は明瞭だった。
本日二度目の山頂もまた誰もおらず、扇山三度目の訪問にして初めて雪のない山頂を見た。中央は大きく窪み、積年の多数のハイカーによる訪れでかなり削れてしまったことがわかる。昨日の寝不足がこたえてきて、日差しがあるなか、夕方近くだというのにベンチに横になってうたたねした。突然冷たい風が吹いてきて目が覚めたが、10分ほど眠ってしまったらしい。
天気は回復傾向にあり、風も穏やかになってきていた。先ほどまで雲にのしかかられていた御正体山三ツ峠山も斜光線のなかにすっきりとしたシルエットを見せている。もう少し扇山を占有していたかったが、4時をかなり回っていたので下ることとした。最も短時間で車道に出られる梨の木平への道を取ったが、壁のような扇山南斜面を植林の暗い影のなかジグザグを切って下っていくのは面白みに欠けた。水呑杉や豊富に溢れる水場、谷間越しに鎮座する富士山を眺めるベンチなど、興趣の涌かないでもないポイントはあったが、それでも良いとは思えない行路だった。


梨の木平から鳥沢駅まで歩いたが、扇山の裾野のかなり高いところまで新興住宅が建ち並んでいるのには驚いた。かつて初めて扇山に登ったときはここを登りに取ったのだが、これほどではなかったと思う。鳥沢駅に着いたのは6時、ホームで上り列車を待つ間もなく日は暮れていった。
2004/2/29

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