駒津峰から甲斐駒ヶ岳甲斐駒ヶ岳
 甲斐駒ヶ岳(かいこまがだけ)とはどういう山か?『日本百名山』のなかで、日本で名山を10選べと言われれば必ずこの山を入れるだろう、みたいなことを深田久弥は言っている。日本アルプスでもいちばんきれいな頂上だ、とも、日本アルプスで最も代表的なピラミッドだ、とも言っている。この山を評して「山の団十郎」と言ったのは宇野浩二という作家だそうだが、たしかに中央本線側から見上げるこの山は見栄を切った歌舞伎役者のように姿形が「決まっている」。
 ふたたび深田久弥を引けば、日本アルプスでいちばん辛い登りにこの山の表参道を挙げている。つまり黒戸尾根コースである。かつてこの山が信仰の山として賑わった時代の正面登山口だからこそ表参道と呼ばれもするのだが、そのハードさを表すには、ただ「黒戸尾根」と言った方が実感も湧くし、事実このほうがよく通っている。これは麓の台ヶ原宿から山頂まで標高差が2,400メートルもある登り一辺倒のルートで、車道のどんづまりまで車で行ったとしても、稼げる高度はわずか200メートルのみである。まだ2,200メートルも残っている。この高度差は日本有数だそうだ。かつて甲斐駒の名を知ったとき、黒戸尾根コースの所要時間は9時間(休憩除く)と読んだだけで「到底登れないコースだ」と即座に諦めたものだったが、北沢峠からの登路の賑わいを聞きながら日が経つにつれ、ある程度経験もついてきたことだし、どうせ登るのなら静かなはずの黒戸尾根を、挑戦の意味も含めて登ってやろう、と思い始めた。
 それまでの南アルプスの経験といったら、この甲斐駒の手前の尾根筋にある日向山(ひなたやま)を往復4時間で登り、頂上直下まで車で行けば夏ならサンダルでも登れる入笠山(にゅうがさやま)に上がったくらいである。それがいきなり甲斐駒を黒戸尾根である。しかも時期は10月下旬、仙丈岳には雪が積もっていると言う。だが甲斐駒には雪がないそうだ。ならば大丈夫だ、天気予報もしばらく晴れだと言っている。調子に乗ったか、ついでに仙丈岳も登ることにしてピッケルと12本爪アイゼンまで背負いこんだものだから、テントはないとはいえ荷物は少々重くなってしまった。
 それでも登った登った。朝の6時に登山口を出発して徐々に内心悲鳴を上げつつも、夕方3時に尾根途中の小屋に着き、翌日の朝7時半に小屋を出て10時半に山頂に着いた。休憩を含む延べ時間で12時間。山頂は秋晴れの青空と風化した花崗岩の白砂に陽光がきらめく世界で、登山者が次々と下山していく中、山頂に最後まで残って360度の大展望を眺め渡し、「よくやったなぁ」という感慨に浸ったものである。間近には雪をかぶった仙丈岳白峰三山鳳凰三山、彼方には中央アルプス、御岳、北アルプスの山々、浅間山、八ヶ岳奥秩父の連山、等々....。いい眺めだ。
山頂から中央アルプス
山頂から中央アルプス 右奧は御岳


 山頂へは二日かけて登ったことになるが、出発日の前日に麓の宿に泊まっているので行程としては二泊三日を要している。確かに長い登りだった。
 台ヶ原宿のかつての商人宿で目を覚ましたのが早朝の5時。昨日のうちに予約していたタクシーがもうすぐ来ることになっている。このあたりは標高600メートルだがこの時期すでに朝は寒く、待っているあいだに飲むお茶が熱くておいしい。町中を通る旧甲州街道はまだ眠っており、かつての宿場町の面影が日中よりも濃い。家並みを抜けると、甲斐駒ヶ岳が闇に染まって群青色に屹立している。何度見ても高い。
 登山口は竹宇駒ヶ岳神社の入り口にある駐車場だ。タクシーは鼠色の朝の中をUターンして戻っていく。車とバイクが一台ずつある。昨日登っていった人のものか、今朝もっと早くに到着した人のものか。左手に日本名水百選に入った尾白川を見下ろしながら急速に狭まる谷に沿って進んでいくと、しだいに空が明るくなる。キャンプ場と神社境内を過ぎ、吊り橋を渡れば山道だが、すぐには登り出さずに再度腹ごしらえをすべくいったん尾白川渓谷に下りる。初夏と盛夏に来たことのある河原だが今朝の流れはどこかよそよそしい。水遊びをしただけの今までとは違い、これから沢を離れ、尾根道を行こうとしてるからだろう。
 いつもより早起きしたため目覚めきっていない身体でしばらく雑木林の山道を辿っていくと分岐にさしかかった。左に行くと横手からの道と合流するとあり、水場なしとある。右の道はやや下り気味なので嫌って左に入ったが、こちらは水場のある粥餅石のポイントを通らない道である。分かれた道がしばらくして再度合流すると、足下に笹が優勢になってきて、小さなコブを二つ三つ越えた先に笹の平という小さな平地に着く。もうすっかり明るい。


 ここから30分くらいの登りがけっこうつらく感じる。それまでの道と違って岩が出ていて歩きにくい。ここまでのあいだ、右手に日向山や鞍掛山といった前衛の峰が樹林越しに見え隠れし、これらの頂の高さから自分のいる高度が推測できる。日向山がかなり低く見え、頂上付近に広がる花崗岩砂の斜面(雁が原)を見下ろすようになる。樹木に覆われて黒く見える頂稜のへりにクリーム色の大きな染みが付いているようだ。このころになると登山道のまわりは雑木林が消えて針葉樹ばかりとなる。
 気持ちのよい平坦路をしばらく歩くと、目の前に傾いだ一枚岩が出てきて鎖が渡されている。両側は切り立った崖だ。凝視をふと左手にやると、鳳凰三山が谷底から全身を現している。登ってきたあいだに冠雪した稜線部を樹林のあいまに透かし見てはきたが、ここで初めて全体像を見ることができた。感嘆の声を上げて立ち止まる。
黒戸尾根から見る鳳凰三山
黒戸尾根から見る鳳凰三山
 振り返れば、奥秩父の山並みが甲府盆地の向こうに連なっている。小川山の右に金峰山、その右に国師岳。甲武信岳も頭を出している。佐久の山で目立つのは最高峰の御座山だ。その手前の尾根にある天狗山と男山がよくわかる。だが何と言っても美しいのは目の前に優美な裾野を広げる八ヶ岳だ。最高峰の赤岳がミニエベレストの風情で頭を出している。
 刃渡りと言われる岩の稜線を越えていくと、途中に人が一人座っているのに突如として気がつく。若い男性だ。頭にバンダナを巻き、岩の上に腰掛けて八ヶ岳を見ている。がんばってください、と挨拶してくれる。この日、登山道であった人はこの人を含めて二名、小屋で一緒になった人を入れても三名だった。
 刃渡りを過ぎると刀利天狗という平坦地に着く。黒戸尾根コースは霊神碑が多く、信仰の道であることがよくわかる。ここにも二つの小さな社のまわりに霊神碑が建ち並んでいる。七丈小屋までの行程の三分の二を歩いたので、一安心して樹林に囲まれた一角に腰を下ろし、バーナーを点けてお茶をいれる。


 ここより少々登ってから道はやや平坦になって、五合目小屋に着く。管理人が今年の初夏に亡くなり、主を亡くした小屋は手入れする人もないようで荒れ始めているようだった。室内にはいると、靴を脱いで上がる板の上は細かい穴が一面にあいている。もう朽ち始めているのか、と最初は思ったが、ふと、これはアイゼンの爪でできた傷だと気がついた。ひどいものだ。冬季登山者にマナーのなっていないのが多いということらしい。しばし暗い室内で気が抜けたように休憩する。再び初夏のように明るい戸外に出て小屋の外に回ってみると、大岩があり、真ん中が人が入れるほどの間口で掘り抜かれている。手の込んだ物置だなと思いながら、岩にはめ込まれた先代の管理人を記念するプレートの文面を読むと、この岩窟は駒ヶ岳講の信者を泊めるため、かつて先達のひとりが人力で掘り抜いたものとわかる。信仰の力はおそるべきものだ。
稜線の紅葉
稜線の紅葉
 さて登山道は倒壊寸前で立入禁止の表示のある屏風小屋の脇を抜けて、鎖場と梯子の連続する道に変わっていく。いままで休憩込みとはいえ7時間近く登ってきた身には特にバランスの取りづらい梯子登りがこたえる。本日最大の難所がここ五合目小屋から七丈小屋までの区間だった。急登の連続に朝からの疲労がものをいい始め、ときおり呆然とへたり込んでしまう。登っている途中の梯子段に腰をかけ背を預けて、頭をカラにして八ヶ岳を眺める。景色が頭に浸みてくる。呼吸が常態に戻ると、よっこらしょと立ち上がって次の梯子を登る。
 こうしてたどり着いた七丈小屋は五合目小屋とは大違いの堅牢な作りで、しかもこの季節は無人とばかり思っていたのに反して管理人がいる。無人小屋対応の準備をしてきたので五合目小屋で泊まることもできたのだが、ここまで苦労して来た甲斐があったというものである。今夜はこれですきま風に悩まされることなく、焚かれた火の暖気を感じながら眠れそうだ。
 この七丈小屋、実は11月下旬まで営業しているという(ただし食事提供はなし)。「ヤマケイ」にしても白州町にしても、何度言っても正しい情報を伝えない、と管理人のかたが怒っていた。「ヤマケイ」は雑誌だか何かの編集長が来たときに直接言ったのに、と(最近の情報は修正されているようだ)。しかしきれいな小屋だ。まめな管理人さんらしく、掃除も行き届いている。今年か昨年当たりにできた小屋だと言われても信じてしまいそうだ。この日の泊まりはわたしを含めて二人。三人で雑談に花を咲かせた。そこで聞いた話では、この黒戸尾根はリピーターが多いという。同宿した方も何度目かの登高で、静かで登り甲斐があって、うるさい北沢峠ルートより落ち着くらしい。その意見はよくわかる。だいたい同じくらいの年格好のひとで、翌日山頂を往復して黒戸尾根を下っていった。


 明けた次の日、この日は北沢峠付近の大平山荘に泊まる予定なので早出の必要がなく、太陽電池で動くCDプレイヤーから響くGeorgeWinstonの"Autumn"に送られて7時半ごろ小屋を出た。こちらも堅牢な造りの七丈第二小屋を過ぎ、眺めのいいテント場を横切っていく。八合目にあたる御来迎場でいったん休憩。ここで初めて白峰三山の北岳を早川尾根の向こうに眺めることができた。白く染まった山体を明るい日差しに輝かせている。そこから山頂までがまた岩場の連続。腕力登りを強いられる所もあった。
山頂から白峰三山
山頂から白峰三山:手前は早川尾根
 甲斐駒山頂は12時を過ぎると誰もいなくなった。北沢峠バス停を出るバスが3時くらいに出るので、みなそれに合わせて下山するかららしい。明日仙丈岳に登るため、バス停から歩いて20分くらいの大平山荘に泊まるわたしは余裕綽々で、「みな下りろ下りろ」と念じつつ結果的に山頂を独り占めにした。下山は仙水峠経由のルートを採った。
1999/10/24-26

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