「見えないってどんなこと」
永田 敏男最近視覚障害者が、ホームから転落する事故のニュースを良く聞きます。足を切断された人、半身不随になった人、最悪では死亡される人など、心が痛むだけではなく、いずれわが身にも降りかかる可能性のある問題です。
私の周りの視覚障害者の友人にも、ホームから転落した経験のある友達はそんなに珍しくはないのです。
晴眼者の人たちが、楽しそうに話しながら通り過ぎていくのを聞いていると、なんと羨ましいことかと思うのは私だけでしょうか。
我々は、パソコンの出現で「読むと書く」のバリアは、100%とはいかないまでも、7・80%くらいは取り除かれたのではないかと思います。
しかし、歩行に関しては、白杖が主流で、モーワットセンサーや、ソニックガイドなど、電子機器も考案されたのですが、特に普及はしないのです。
ということは、どこかに欠点を持っており、使い勝手が良くないということだろうと思います。
歩行の自由が本当に実現できるのでしょうか。
今私は、「見えないってどんなこと」という本の第1巻を読んだところです。
これは、視覚障害者支援総合センターの高橋実理事長が、視覚障害者24人の体験談を収録されたもので、それを「はづき会」が漢点字訳をしてくださったものです。
同センターに勤務する水谷昌史(まさふみ)さんは、全盲の定義を「盲点のやたらに広い状態」と言われ、晴眼者でも後ろは、他の人が避けていってくれるものとして、それに依存している一つの盲点と考えていらっしゃるようです。
白杖歩行をしていて、女の人の足の間に杖が入り、「きゃー」といわれたこともあったそうです。
私ども夫婦で歩いていたとき、左右に振った杖につまずいて転倒した人も見たことがあります。
いずれも「笑う」とか、「恥」とかの問題ではないのです。その体験者を思うとき、我々同じ境遇の者でなければ、はかり知ることのできない心境であろうと思います。
「盲点のやたらに広い状態」である全盲が、全くの自由という訳にはいかなくても、ある程度、希望する目的地に単独で行動できれば、それは素晴らしく我々の世界が広がることになると思います。
それには、障害者を手助けする心を、教育の中で一つの道徳として育んでいったらどうかと思うのです。
こういう思いやりを持つ人が増えれば、犯罪の減少にも役立つでしょうし、もっと住みよい明るい社会の建設も可能でしょうし、歩行のボランティアの方々の負担も軽減できると思います。
私は、今の社会の荒れ果てた状態は、この「助け合いの精神」の教育不足ではないかと思います。
かつて、全盲の方が、オーストラリアに旅行されたとき、「日本では、歩行のボランティアがある」といったら、「どうしてそんなボランティアが必要なんだ。我々は、障害者が必要としたときに、いつでも手を貸しているよ」と言われたそうです。
こういう環境ができれば、我々の歩行障害も7・80%は解消できるのではないかと考えます。
また、広沢里枝子(ひろさわりえこ)さんは、名古屋盲人情報文化センターにも勤めていらっしゃったそうですが、晴眼者の方と結婚され、家事のことから、買い物まで盲導犬を伴って幸せな生活を送っていらっしゃいますが、シチューをこぼして泣いたり、優しい姑であってもやはり自立したいなど、苦労しながら工夫と盲導犬の助けで生活しようとする彼女の積極性が、悲しくもあり、みごとでもある感想を持ちました。
逆に、全盲同士の結婚生活を送っている佐賀典子(さがのりこ)さん夫婦は、二人の子供と4人暮らしで、それでも、公園へでかけたり、娯楽センターへ行ったり、子供の授業参観に出席したり、私には、どうしてこれだけのバイタリティーがあるのか検討もつきません。
我々全盲は、車と同じで、良い運転手に恵まれれば、その能力を十分発揮できると思います。
できれば、パソコンの技術でも良いし、鍼灸の技術でも良いのですが、磨いて知識を蓄え、その能力をアピールして晴眼者の人と人生を送るのが、障害者として障害を克服できる手段ではないかと思います。
それには、なんといっても生活力の問題であろうと思います。
磨いた技術や知識を生かしてまず経済力を付けることでしょう。
「そんなことは、分かりきっている」とおそらく反撃されるでしょう。大きなハンディを持って、しかも晴眼業者の70パーセントを占める中で競争して行くのは並み大抵のことではないですね。
しかし、切実な問題として、晴眼者と競争して少なくともある程度の生活を確保しなければならない。これは、今私が抱えている重大な問題なのです。
私は、できるだけ多くの知識をパソコンに蓄える努力をしています。診断においても技術においても、まず知識です。
今ではインターネットでも疑問が解けますし、同意書の医師への要請も知識を生かし、パソコンで患者さんの状況も添付することが可能です。
そして、今回「よみとも」のバージョンアップで患者さんの保険証もコピーできるようになるようです。
医師との連絡を密にして、パソコンを生かしてなんとかがんばろうと考えています。これで、健康保険の取り扱いレセプトがパソコンで書ければ大変な進歩だと言えるでしょう。
話が長くなりましたが、こうした生き方をしたいなあと、この二人の結婚生活を読んで感じたものでした。
また、川田隆一(かわだりゅういち)さんは、jbs福祉放送局に入られ、今も活躍していらっしゃるのですが、かれは、ラジオ放送に関わりたいという夢を持ち、どこの局も取り合ってくれず、悪戦苦闘をしながら、最終的にjbsに勤務されたようです。
放送という仕事が、情報を伝えるという使命である限り、その情報を点字に訳すか、ピンディスプレーで読み取って放送しなければならないだろうと思いますが、ここでは、最も視覚を要して、上記の方法に持っていかなければならない。
これは、至難の技ではない。私は、一つの提案として、もし、放送に携わりたいなら、次のようにしたらどうだろうか。
1ヶ月くらい前にNHKテレビで、文字放送を実現するために、パソコン入力をするが、そのときに、10個のキーボードに文字を当てはめて、早く入力できるように工夫を重ねているという放送がありました。私は「これだ」と思いました。
我々の使う点字キーは、七つか八つのキーで入力できます。しかも、漢点字を習熟すれば直接に入力できて、かなりの速さで打ち込むことができると思います。
これなら人の眼を借りて読んでもらいながら入力しても、採算が取れるのではないかと思います。
いずれ役立つように、漢点字を十分に身につけ、パソコンの練習も努めて、やがてNHKや、民間放送からも要請されたら対応できるように、盲学校や個人でも励んでおいたら、きっと日の目を見るときが来ると確信します。
この本を読んで、同じ境遇として大きな感動と、これからをどうするかを、私なりに考えたことを書いて見ました。
それにしても、ちゃらんぽらんで、私の言おうとすることが分かってもらえるかどうか、この文章では、まずいことのお手本ですね。