日本の歴史認識近代日本の歩み第2章 大日本帝国 / 2.6 大正デモクラシー / 2.6.7 関東大震災

2.6.7 関東大震災

1923(大正12)年9月1日の昼食時間帯に関東地方を襲った大地震は、10万人を超える死者・行方不明者を出しただけでなく、流言蜚語によって朝鮮人などが虐殺されるという惨事を引き起こした。

図表2.16(再掲) 大正デモクラシーの時代

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(1) 大地震発生!註267-1

1923(大正12)年9月1日午前11:58、関東地方を突如、大きな地震が襲った。震源地は相模湾北西部でマグニチュード7.9、震源地に近い小田原では全家屋の8,9割が倒壊し、市内は全焼した。他の地域でもたくさんの建物が倒壊したが、それ以上にその後発生した火災が大きな被害をもたらした。被害は1府6県の約340万人に及び、死者91,344人(うち火災によるものが83%)、重軽症者52,084人、行方不明13,275人であった。

図表2.20 大規模地震の規模

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ちょうど昼食時と重なって火を使っている家が多かったうえ、折からの強風にあおられて、たちまち燃え広がった。狭い道路と木造の橋が被害を増やした。罹災した人々は皇居前広場や日比谷公園などに非難し、そこでテント生活をしたが、落ち着きを取り戻すにつれて、居住していた地に戻り、バラックを建てて住むようになる。

(2) 流言蜚語註267-2

警視庁の記録によれば、地震発生後まもなく「富士山が大爆発した」とか「大津波が来る」などという流言が飛び交い、午後になると「社会主義者及び鮮人の放火多し」、「不逞鮮人が放火、井戸への投毒、放火、強盗、強姦をする」との流言が、各警察から警視庁に届き、警視庁も十分な確認をせずにそれを信じた。例えば、神奈川県で警備のために在郷軍人らが半鐘を乱打したことが世田谷方面での流言となったことが後日判明している。また、「朝鮮人は首領が門や塀に印をつけ、手下がそこに投弾、放火、などをしてまわっている」流言があったが、この印は新聞配達や牛乳配達などが得意先に目印としてつけたものであることが分かった。

流言蜚語は、2日午後までに横浜や東京全域に広まり、警視庁は自動車、ポスター、メガホンなどを使って朝鮮人来襲の報をまきちらした。9月3日からは戒厳令がしかれ、軍隊・警察は保護の名のもとに全国で2万人を超える朝鮮人を「保護」(=検束)し、焼け跡の道路整備に従事させた。

(3) 虐殺された人々註267-3

この騒ぎで殺害された人の数は明らかではない。

{ 内務省警保局の調べによれば、犯人のわかっている被害者数は朝鮮人231人、中国人3人、日本人59人であるが、実際に殺害されたのは、これに十数倍するであろう。}(今井「大正デモクラシー」、P428)

{ のちに吉野作造や金承学が調査を行い、正確な数は不明ながら、虐殺された朝鮮人は6000人を超えると推定されている。}(成田「大正デモクラシー」,P167)

また、無政府主義者の大杉栄らが憲兵隊に殺害された事件や、社会主義者ら10名が亀戸警察署で虐殺されるという事件も起きている。

(4) 復興註267-4

地震の1週間前の8月24日に加藤友三郎首相が病死し、後任の山本権兵衛内閣は地震発生時に組閣の最中であった。震災の応急対策にあたったのは加藤内閣の閣僚たちであったが、復興計画は東京市長を経験し、満洲で都市計画を担ったこともある後藤新平内相が担当した。後藤は徹底的な都市改造をはかり、30億円規模の壮大な構想を立てるが、すぐ政府内の反対にあい、5.7億の計画に縮小された。

後藤が総裁となった帝都復興院には、有能な人材が集められ、道路、公園、橋梁を中核に復興計画が推進された。

1930年3月24日、帝都復興祭が天皇臨席のもと開催され、花電車が走り、音楽会が開催された。震災後、東京の都市化が進み、渋谷・新宿などのターミナルが出現し、宅地開発が進んだ。

(5) 虎の門事件註267-5

1923(大正12)年12月27日、摂政(のちの昭和天皇)が議会の開院式に出席するため虎ノ門にさしかかったとき、ステッキ式の仕込み銃で狙撃されるという事件が起きた。幸い銃弾はそれて摂政は無事だったが、事件の責任をとって山本権兵衛内閣は退陣した。犯人は長州の名家出身の無政府主義者、難波大輔(25才)で、大審院で死刑判決を受け、ただちに執行された。

2.6.7項の主要参考文献

2.6.7項の註釈

註267-1 大地震発生!

成田「大正デモクラシー」,P164-P168 今井「大正デモクラシー」,P412-P414

註267-2 流言蜚語

成田「同上」,P166-P167 今井「同上」,P417-P428

註267-3 虐殺された人々

成田「同上」,P166-P167 今井「同上」,P428-P442 小林「近代日本と軍部」,P360

註267-4 復興

成田「同上」,P168-P171

註267-5 虎の門事件

今井「同上」,P452-P456 坂野「日本近代史」,P330