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用語集


       索引

※ 探したい用語の先頭の文字で選んでください。例えば「軍国主義」の場合、先頭文字は"ぐ"なので「か~こ」をクリックします。


<あ~お>

愛国社

立志社が中心となって1875年に創設された全国の政治結社の連合体。詳しくは2.1.2項(4)を参照。

叡慮(えいりょ)

天子のお考え。天皇・上皇などの御心。聖慮。(広辞苑)

嚶鳴社(おうめいしゃ)

沼間守一らが1874年に開いた法律講習会を前身とする政治結社。1879年から「東京横浜毎日新聞」を機関紙とした。詳しくは2.1.2項(3)を参照。

<か~こ>

華夷秩序

中国には、古来、自身を文明の中心(中華)とし、それ以外の国々を未開の国(夷狄)とする中華思想がある。その中華思想に基づいてそのときの中華帝国が定めた外交システムによる国際関係を華夷秩序とよぶ。詳しくは1.2.3項(1)を参照。

家父長制

家父・家長の支配権を絶対とする家族形態。(広辞苑)

関東軍

大日本帝国の中華民国からの租借地であった関東州(遼東半島先端)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が前身。司令部は当初旅順に置かれたが、満州事変後は満州国の首都である新京に移転した。「関東軍」の名称は警備地の関東州に由来し(関東とは、万里の長城の東端とされた山海関の東側、つまり満州全体を意味する)、日本の関東地方とは関係ない。(Wikipedia)

議院内閣制

議会の多数派が内閣を形成し,政権の座につくことにより立法と行政との間に協力関係が築かれる制度。内閣が議会に対して責任を負い,その存立が議会の信任に依存する。その原型は 19世紀のイギリスで形成された。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕) 政党内閣制と同じ

議奏

鎌倉時代と江戸時代に朝廷に置かれたことのある役職。江戸時代の議奏はつねに天皇に近侍して上奏を取り次ぎ,また勅宣を受けてこれを伝える役職で,しかるべき家柄の公卿の中から4~5人が任じられた。(コトバンク〔改定新版 世界大百科事典〕)

共産主義(英:communism)

私有財産制の否定と共有財産制の実現によって貧富の差をなくそうとする思想・運動。古くはプラトンなどにも見られるが、主としてマルクス・エンゲルスによって体系づけられたものを指す。
プロレタリア革命を通じて実現される、生産手段の社会的所有に立脚する社会体制。その第1段階は社会主義とも呼ばれ、生産力の発達程度があまり高くないため、社会の成員は能力に応じて労働し、労働に応じた分配を受ける。生産力が高度に発展し、各成員が能力に応じて労働し、必要に応じて分配を受ける段階。これが狭義の共産主義。(広辞苑)

協商(仏:entente)

国家間の相互協調関係またはその取り決め。通常、同盟ほど強固でないものをいう。(広辞苑)
国家間の親善関係を規定したもので、条約というよりも非公式な合意による弾力的な関係で、武力的援助義務の規定は持たない。今日ではあまり使用されない。(コトバンク〔百科事典マイペディア〕)

欽定憲法

君主によって制定された憲法。(コトバンク〔デジタル大辞泉〕)

軍国主義(英:militarism)

国の政治・経済・法律・教育などの政策・組織を戦争のために準備し、対外進出で国威を高めようと考える立場。(広辞苑)

戦争を外交の主たる手段と考え,軍事力を最優先する考え方ないしイデオロギー。軍国主義によれば,戦争は避けるべきものではなく,それは神聖な使命であり,人間の精神を高度にするものである。したがって軍国主義は自己犠牲(滅私奉公)や忠誠を美徳とし,勇気や冒険をたたえ,体力の錬磨を唱導する。またシンボルや儀式を創出して,これらの価値の弘布宣伝に努める。そしてこのような軍国主義が支配する国家においては常に軍人が最高の社会的地位を占め,教育,文化,イデオロギー,風俗習慣などが軍国的特徴を帯びるにいたる。さらに社会生活が軍事的に編成され,そのすみずみまでに軍隊の精神やモラルが浸透し,国家全体が兵営のような観を呈する。兵営国家と呼ばれるのは,これである。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

県令(けんれい)

廃藩置県後に、それまでの県知事を改称した。県の長官。86年再び知事と改称。(広辞苑)

公議政体

幕府および諸侯の合意によって政局を運営する制度。 文久3(1863)年12月から翌年3月まで存在した「参与会議」は初めての公議政体だった。(井上勲「王政復古」、P39・P52)

交詢社(こうじゅんしゃ)

福沢諭吉と慶応義塾出身者により1880年に結成された社交クラブ。詳しくは2.1.2項(3)を参照。

国粋主義

自国の歴史・文化・政治を貫く民族性の優秀さを主張し、民族固有の長所や美質と見なされるものの維持・顕揚をはかる思潮や運動。(広辞苑)

日本における国粋の具体的な内容は論者によって一定しないが,最初は,圧倒的な欧化主義の風潮のなかで伝統的な文化や生活様式を保存することの意義を国民の対外的独立と結びつけて主張していたが,次第に異質な外来の文化や思想に対する排外的な攻撃性や国家の対外的膨張の主張を特色としていった。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

国民国家(英:nation-state)

{ 主として国民の単位にまとめられた民族を基礎として、近代、特に18~19世紀のヨーロッパに典型的に成立した統一国家。国民的一体性の自覚の上に確立。民族国家。}(広辞苑)

{ 国家内部の全住民をひとつのまとまった構成員(=「国民」)として統合することによって成り立つ国家。領域内の住民を国民単位に統合した国家そのものだけではなく、それを主権国家として成立する国家概念やそれを成り立たせるイデオロギーをも指している。ヨーロッパは一般に「国民国家」成立のモデル地域とされており、その先進国とされるのがイギリス、フランスであった。}(Wikipedia「国民国家」)

国民政府(国府)

中華民国における中国国民党による政府のこと。略称は国府。

国家主義

国家を人間社会の中で第一義的に考え、その権威と意思とに絶対の優位を認める立場。全体主義的な傾向をもち、偏狭な民族主義・国粋主義と結びつきやすい。(広辞苑)

一般に国家に至上の価値を認め,国家の秩序や命令,その軍事的栄光を他のすべての価値に優先させる政治的主張をさす。エタティスムともいう。国家を国民の権利を保障するための人為的制度であるとする近代市民社会成立以降の社会契約論に対する反動として生じた国家神格化の保守的イデオロギーで,特に近代化に乗りおくれたドイツや戦前の日本で隆盛をきわめた。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

コミンテンルン(英: Comintern)

共産主義インターナショナル(Communist International)の略称。第3インターナショナル,第3インターとも呼ばれる。1919年3月にモスクワに創設され 1943年5月まで存続した各国共産主義政党の国際統一組織。第1インターナショナル(1864-76)、第2インターナショナル(1889-1914)の崩壊後、レーニンらが30カ国の共産主義諸政党あるいは革命的組織の代表50余名を集めて創設。第2インターナショナルに比べてはるかに強固な国際的団結と規律をもち、ソ連という社会主義国家を支柱とするにいたった。1943年、国内および国際情勢が複雑化し、各国共産党が著しく独立性を強めたために解散した。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

<さ~そ>

冊封体制(さくほうたいせい)

冊封とは、中国の皇帝が、その一族、臣下もしくは周辺諸国の君主に、王・侯などの爵位を与えて、藩国とすることである。周辺諸国が冊封体制に編入されると、その君主と中国皇帝との間には君臣関係が成立し、君主は皇帝に定期的に朝貢すること、要請に応じて出兵すること、などの義務を負い、皇帝はその国を保護することを保証する。冊封された国ではその国の法を施行することが認められ、その国の君主のみが中国の方を遵守する義務を負うことになる。
3世紀には邪馬台国の女王卑弥呼が倭王に封ぜられ、室町幕府の足利義満(在位1369-1395)も明から日本国王に冊封されたが、室町幕府の衰微とともにその関係は消滅した。(コトバンク〔日本大百科全書〕)

輜重(しちょう)

軍隊に付属する糧食・被服・武器・弾薬など軍需品の総称。また、その輸送に任ずる兵科。(広辞苑

支那(しな)

現在の中国に対する地理的な呼称で、秦(しん)が転訛したものといわれている。英語の“China”も語源は同じ。日本では江戸中期以来、第二次大戦末まで用いられた。当初は普通の言葉として使われていたが、列強が中国を侵略した頃から、「支那」は蔑むニュアンスをこめて使われるようになった。支那には「邦を支える」「本邦の支部」という意味があり、これも相手から見ると侮蔑的な意味と理解される要因になっている。1930年に中華民国から“支那”を使わないよう申し入れがあり、公文書では当時から使わないようになっていた。戦後は日本政府から「支那」を使わないよう通達が出ている。(出典:広辞苑及びWikipediaから編集)

資本主義(英:capitalism)

封建制下に現れ、産業革命によって確立した生産様式。商品生産が支配的な生産形態となっており、生産手段を所有する資本家階級が、自己の労働力以外に売るものをもたない労働者階級から労働力を商品として買い、それを使用して生産した剰余価値を利潤として手に入れる経済体制。(広辞苑)

社会主義(英:socialism)

資本主義の矛盾を批判し,これを克服して,新たな社会を建設しようとする思想と運動の総称。この思想は,資本主義とほぼ同時に生れたといえる。(中略) 資本主義が産業資本主義段階に入ると,サン=シモン,R.オーウェンらが出て,資本主義の矛盾が私有財産制にあることを指摘し,それを廃した平等社会を主張した。その後,19世紀なかばになると,マルクス,エンゲルスが出て,資本主義も過去の社会と同じように一歴史社会であり,労働者階級の力を媒介にして,社会主義に取って代られる社会であることを,唯物史観のもとに明らかにした。マルクスの『資本論』は,その経済学的根拠を証明しようとしたものである。なおマルクス主義において,社会主義という用語は狭義には生産手段の共有がみられるものの,なおも一定の社会的不平等の残存する段階をさして,共産主義の前段階を社会主義と位置づけることもある。その後,社会主義は,マルクス主義を主流に展開したが,ロシア革命以後,基本的にはレーニン主義と社会民主主義に分裂,現在にいたっている。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

主権(英:sovereignty)

①その国家自身の意思によるほか、他国の支配に服さない統治権力。国家構成の要素で、最高・独立・絶対の権力。統治権。②国家の政治のあり方を最終的に決める権利。(広辞苑)

元来「至高性」をさす観念で,フランス国王の権力が,一方ではローマ皇帝および教皇に対し,他方では封建領主に対し独立最高の存在であることを示すものとして登場した。… 今日、主権観念として重要と思われるのは次の3つである。 ① 国権ないし統治権自体の意味での主権。… ここでは国民および国土を支配する権利というほどの意味である。 ② 国権の属性としての最高独立性の意味での主権。 ③ 国家統治のあり方を終局的に決定しうる権威ないし力の意味での主権。国民主権とか君主主権とかいわれる場合の主権観念がそれである。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕「主権」<要約>)

現在の日本国憲法では、第1条で「…主権の存する日本国民 …」と「主権」を使っているが、明治憲法では、同様の意味で「統治権」という用語を使っていた。

主権国家(英:sovereign nation)

他国に従属せず、自らの国内・国際問題を独立して決定できる国。国際法の基本主体。(広辞苑)
主権国家とは、明確な国境でその支配領域を囲い込み、外部に対しては君主が国家を代表し、自らより上位の権力の存在を認めない主体である。(羽田正「東インド会社とアジアの海」,P367)

侵略

国際法上「国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使」と定義されている。(大沼保昭:「歴史認識とは何か」、P95)

なお、広辞苑では「他国に侵入してその領土や財物を奪いとること」、となっている。

ジンゴイズム(英: Jingoism)

好戦的愛国主義,狂信的対外強硬主義などと呼ばれ,フランス語のショービニスムに近いが,ジンゴイズムのほうが過激で,短期的一過性の傾向をさす。 … ある社会集団内に存在する他の社会集団に対する敵対的,自己中心的心理状態が,外交関係の緊張したときに,がむしゃらで強硬な主戦論の主張になる場合がジンゴイズムである。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

政党内閣

「立憲政体のもとで、主に首相が政党の首班で、閣僚の全部または大多数の政党員で組織し、かつ指導勢力が政党にある内閣」(広辞苑)
日本で最初の政党内閣は1898年の第1次大隈重信内閣で、本格的な政党内閣は原敬内閣(1918/9/29~1921/11/13)と言われており、以降断続的に政党内閣が続くが犬養毅内閣(1931/12/13~1932/5/16)が戦前最後の政党内閣になる。(コトバンク〔百科事典マイペディア〕) 政党内閣制=議院内閣制

摂家(=摂関家)

摂政と関白に任ぜられる家柄。古代・中世を通じて、藤原一族中の北家、特に初代摂政の良房の子孫に限られ、鎌倉初期には近衛・九条・二条・一条・鷹司(たかつかさ)の5摂家に分かれた。(広辞苑)

絶対王政

16~18世紀,封建制国家から近代国家への過渡期にヨーロッパに現れた政治形態。国王は中央集権的統治のための官僚と直属の常備軍を支柱とし,弱体化した貴族階級と資本の本源的蓄積期にあるため未発達な市民階級とを押さえ,無制約の権力を振るった。多くの場合,王権神授説を援用して王権を強化し,重商主義を経済理論とした。 (コトバンク〔百科事典マイペディア〕)

漸進

段階を追って次第に進むこと。(広辞苑)

践祚(せんそ)

皇嗣が天皇の位を承け継ぐこと。先帝の死去あるいは譲位の直後に行われる。もと即位と同義であったが、桓武天皇の時より別の日に行うことが常例となる。(広辞苑)

全体主義

個人に対する全体(国家・民族)の絶対的優位の主張のもとに諸集団を一元的に組み替え、諸個人を全体の目標に総動員する思想および体制。(広辞苑)

全体があるから個が存在するという論理によって国家利益を優先させる権力思想、国家体制、またそうした体制を実現しようとする運動の総称。歴史的には、とくに1920年代から1940年代中葉にかけて、イタリア、ドイツ、日本などに登場したファシズムの思想をさす。(コトバンク〔ニッポニカ〕)

<た~と>

太平洋戦争

「太平洋戦争(The Pacific War)」は、第2次世界大戦の連合軍側が使用した呼称で、日本では「大東亜戦争」と呼んでいた。(名称を決める際、海軍は「太平洋戦争」を提案している) 戦後、GHQの指示により「大東亜戦争」は使用禁止となり、日本政府は公式には「今次戦争」などと呼んでいるが、外務省では「太平洋戦争」という呼称も使用しており、日本で最も一般的な呼称なので本レポートでもこれを使用する。なお、現在でも「大東亜戦争」と呼ぶ人たちもあり、呼び方により戦争の見方が異なるようである。

地租改正

収穫量に応じた生産物(米など)による物納だったのを、土地価格に応じた金銭での納付に改定した。(1873(明治4)年公布)

秩禄処分(ちつろくしょぶん)

秩禄とは公家や武士に与えられていた給与であり、廃藩置県によりその支払い義務は新政府に移行した。新政府はその負担の重さに耐えかね、期限を限った公債を渡し、それをもとに事業を興したり、転業したりすることを迫った。(1876(明治9)年8月)

中央集権

一般に組織された社会集団において,その統制力が組織の中央部に集中している原理をいうが,通常は近代統一国家における中央政府と地方団体の関係について用いられ,中央政府が地方団体の政治,行政,財政面の自治に干渉するほど強力な統制権を保有する状態をさす。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

朝貢(ちょうこう)

諸侯や外国の使いが来朝して、朝廷に貢物(みつぎもの)をさし出すこと。(コトバンク〔精選版 日本国語大辞典〕)

徴発(ちょうはつ)

「軍需物資などを人民などから集める際に見られる行為で、行政的な執行権が伴う場合もある。供出や略奪と異なり、徴発においては対価が支払われる。対価は軍票などによることが多い。国際法(ハーグ陸戦条約)でも認められている」(Wikipedia) なお、一般的には「他人から物を強制的に取り立てること」(広辞苑)となっている。

勅書(ちょくしょ)

天皇の大命を布告する公文書。詔書が改元など臨時の大事に用いられたのに対して、勅書は臨時尋常の小事、例えば皇子賜姓(しせい)の場合などに用いられた。明治憲法下の公式令では、詔書と異なって一般に宣布されないもので、単に皇室の内部において発せられた文書的勅旨をいう。(広辞苑)

(ちん)

中国で、①北魏の頃、大軍を駐屯させた要地の称、②宋代以降、県に所属する小都市の称、③一地域を鎮安する軍隊またはその将。(広辞苑) 英語ではtownあるいはsmall cityと訳される。(Wikipedia)

帝国(英:empire)

皇帝の統治する国家(広辞苑)
帝国とは、その支配領域が広大であったり、支配圏が拡大傾向を示す政治体である。帝国はその領域内に民族的・文化的に多様な人々を含むが、それを構成する各部分は、互いに平等な関係で結びついているわけではなく、帝国の中心に位置する部分は他の部分に対して支配的な立場に立つ。こうした中心・周縁の存在と、その間の支配・被支配関係が、帝国の基本構造をなす。(木畑洋一「20世紀の歴史」,P17)

帝国主義(英:Imperialism)

軍事上・経済上、他国または後進の民族を征服して大国家を建設しようとする傾向(広辞苑)
一般的にはある国家が権威を背景とし,国境外の人々に対して支配権を及ぼそうとする膨張主義的政策をいう。19世紀後半から使われた用語であるが,歴史的現象としては,古代中国の帝国,… エジプト王朝,アレクサンドロス大王の野望,ローマ帝国などにもその傾向がみられる。15~18世紀の西欧諸国によるアジア、インド、アメリカでの領土獲得や19世紀後半から激化した植民地政策は帝国主義的な支配といえる。しかし理論的には古代から現代にいたるまで多くの学説があり,一致した見解はない。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

<な~の>

内覧

摂政・関白または特に宣旨(せんじ)を受けた大臣が、天皇に奏上すべき公文書を内見し、政務を代行すること。また、摂政関白に準ずる職。(広辞苑)

ナショナリズム(英:nationalism)

民族,国家に対する個人の世俗的忠誠心を内容とする感情もしくはイデオロギー。普通,民族主義と訳されるが,国民主義,国家主義あるいは国粋主義と訳されることもある。しかしこれらの訳語はいずれもナショナリズムの概念を十分に表現しているとはいえない。ナショナリズムの概念が多義的であるのは,ネーション(民族,国民)が、歴史上きわめて多様な形態をたどって生成,発展してきたことに起因している。 <中略> ナショナリズムはこうした諸国の独立をもたらす解放的イデオロギーではあるが,民族紛争と戦争の拡大をもたらす危険も大きい。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

<は~ほ>

ハーグ陸戦条約

1899年にオランダ・ハーグで開かれた第1回万国平和会議において採択された「陸戦の法規慣例に関する条約」ならびに同附属書「陸戦の法規慣例に関する規則」のこと。1907年第2回万国平和会議で改定され今日に至る。ハーグ陸戦協定、ハーグ陸戦法規などとも言われる。
交戦者の定義や、宣戦布告、戦闘員・非戦闘員の定義、捕虜・傷病者の扱い、使用してはならない戦術、降服・休戦などが規定されているが、現在では各分野においてより細かな別の条約にその役割を譲っているものも多い。
日本においては、1911年(明治44年)11月6日批准、1912年(明治45年)1月13日に「陸戰の法規慣例に關する條約」として公布された。(Wikipedia)

ファシズム(英: fascism)

①狭義には、イタリアのファシスト党の運動、並びに同党が権力を握っていた時期の政治的理念およびその体制。

②広義には、①と共通の本質をもつ傾向・運動・支配体制。第一次大戦後、ヨーロッパに始まり世界各地で出現(イタリア・ドイツ・日本・スペイン・南米諸国・東欧諸国など)。全体主義的あるいは権威主義的で、議会政治の否認、一党独裁、市民的・政治的自由の極度の抑圧、対外的には侵略政策をとることを特色とし、合理的な思想体系を持たず、もっぱら感情に訴えて国粋的思想を宣伝する。(広辞苑)

府県会

1878年布告の地方3新法(府県会規則)で定められた地方議会制度。詳しくは2.1.4項(1)を参照。

武家伝奏

朝廷と幕府間の意思疎通をはかるために置かれた公家の役職。 江戸時代を通して定員2名。役料は500俵。多くは大納言の中から,学問・文筆の才があり,弁舌がすぐれ正義を行う者が選任された。(コトバンク〔改訂新版 世界大百科事典〕)

ブルジョア/ブルジョアジー(仏:bourgeois/bourgeoisie)

元来の意味は中世ヨーロッパの都市で主として商工業に従事した市民。近代資本主義社会で、資本家階級に属する人。また、生産手段を有する人。(コトバンク〔精選版 日本語大辞典〕)

ブルジョアジーはブルジョアの集合名詞。ブルジョワ/ブルジョワジーともいう。

フランス史が専門の柴田三千雄氏は、上記コトバンクの定義を肯定した上で、次のように述べている。

{ ブルジョワというのは、イギリスでは「ミドル・クラス」という言い方をしている。18世紀の「ブルジョワ」とは民衆から抜け出して貴族に近づく上昇コースをたどっている中間層、平たく言えば平民のなかの上層部と考えていい。都市ブルジョワは、上層/中流/小ブルジョワに区分することができる。上層には金融業者、国際的な商業をいとなんでいる大商人、中流ブルジョワには国内向けで一定の規模を持つ商工業者、小ブルジョワは手工業の親方とか小売店の店主である。ほかにも、役人、弁護士、医者、教師、ジャーナリスト、などもブルジョワに含まれる。}(柴田「フランス革命」,P42-P48<要約>)

歴史学者には、"ブルジョ"を使う人が多いようだが、事典・辞書などはみな"ブルジョ"となっているので、本レポートでは"ブルジョ"を使用する。(2022/3/12)

封建制(英:feudalism)

封建社会の政治制度。領主が家臣に封土を給与し、代りに軍役の義務を課する主従関係を中核とする。ヨーロッパでは、カロリング朝初期に国家制度となり、11~13世紀が最盛期。国王・貴族・家臣・教会などの領主と、その支配下に入った農奴とを基本的階級とする。日本では、荘園制に胚胎(はいたい)し、鎌倉幕府の創立と共に発展、江戸時代には内容を変えたが外形は完備した。(広辞苑)

暴支膺懲(ぼうしようちょう)

日中戦争時に大本営が利用したスローガン。暴虐な支那(中国)を懲らしめよ、の意味。「膺懲」は、“うちこらすこと。征伐してこらすこと”。(広辞苑)

北平

北京のこと。国民政府が南京に首都を移したあと、旧首都だった北京を北平と呼んだ。

<ま~も>

民撰議院

国民によって直接に選挙された議員で構成し、政治を議する議院。1874(明治7)年、板垣退助・副島種臣らが民撰議院設立建白書を左院に提出し、自由民権運動発展の契機をなした。(広辞苑〕)

<や~よ>

雄藩(ゆうはん)

雄藩とは、独立の政治単位として、幕末の政治社会に動態的な軌跡をえがききった藩である。その存在を重く見ざるをえない藩である。それらの藩は石高が10万石以上で、外様か親藩、家門の藩であり、譜代は雄藩になりえない。譜代の大名には幕府の政策決定機構に参加しうる制度上の保証が与えられており、全国的な政治課題を担おうとの意欲を持つ譜代大名は幕府の役職についてこれを為すことができる。そのため、譜代に雄藩が生まれる可能性はないに等しい。
大政奉還ののち、諸侯上洛令が布達された。諸侯会議を開催するためである。なかで、特に指名され上洛を求められた藩が8ある。尾張名古屋、越前福井、備前岡山、安芸広島、伊予宇和島、土佐高知、肥前佐賀、そして薩摩の8藩。これが幕末の最終段階での雄藩ということになる。これに因幡鳥取、阿波徳島の2藩を加えることができる。長州藩は未だ禁門の変の罪を許されていないが、もとより雄藩である。(井上勲「王政復古」、P65)

<ら~ろ>

落飾(らくしょく)

貴人が髪をそりおとして出家すること。(広辞苑〕)

立憲政体

憲法の下に、統治権を行使するのに権力分立制をしき、一般国民を国政、特に立法にかかわらせる政体。 (広辞苑)

立志社

1874年に板垣退助らが高知で設立した政治団体で自由民権運動の中心となった。詳細は2.1.2項(2)参照

領事

任地国にあって本国と本国民の利益を保護し,通商を促進するなどの任務を行う国家機関。その資格において領事任務を遂行する公務員を領事官といい,その職務を行うための事務・技術職員,役務職員を含めた人的組織を領事機関という。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

領事裁判権

領事が任地国内に居住する自国民にもつ裁判権。実際には領事以外の裁判官や外交官が裁判したり,関係国が裁判官を出しあって設けた混合裁判所で裁判することもあった。この場合,居住国の法律の適用や裁判権が排除されるため治外法権とも呼ばれた。(コトバンク〔世界大百科事典〕

領邦国家

中世末期から近世にかけて、神聖ローマ帝国を構成した小国家群。皇帝権の弱体化に伴って諸侯が事実上独立して形成し、その数は300余に及んだ。(コトバンク〔日本大百科全書〕)

<わ・他>

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