更新2012/08/02ブログ「ことば・言葉・コトバ」

表現よみとは何か?

―すぐれた「朗読」は表現よみへと進化します。―

表現よみとは――
文学作品を声で「表現」する「よみ」です。二つの表現が一体化します。一つは作品の表現、もう一つはよみ手自身の表現です。表現の基礎には作品理解があります。英語でいう「オーラル・インタープリテーション(口頭解釈)」です。文字づらを伝えるのではなく作品の表現です。スローガンは、目でよんで→からだで感じて→声に出す! 「朗読」と「表現よみ」の比較表をご覧ください。
●文体をよみ分ける――
文学作品には文体があります。「語り手」による「語り口」のちがいです。日記や手紙、数人を相手にした物語、講談や落語や演劇、舞台での語りのようなものまでさまざまです。表現よみでは、「語り口」の表現を目指します。夏目漱石の作品なら、「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「こころ」「明暗」と、それぞれ語り口がちがいます。太宰治の作品でも、一作ごとに「語り手」や心情のちがいがあります。さらに、文学作品の文体は部分ごとに変化するものですから、よみも均一の音調によるものではなくなります。
●よみ手自身が理解する――
朗読が聞き手へコトバの(オン)の伝達を重視するのに対して、表現よみの本質は作品の理解を基礎とした表現にあります。作品を声に表現すると同時に内容を理解し、その声に導かれて次の文の理解も深ります。「目でよんで(理解)→からだで感じて(感動)→声に出す(表現)」という過程が一瞬にして行われます。その繰り返しによって、しだいに、よみ手の声が作品の表現へと高まっていくのです。
●よみ手が聞き手になる――
表現よみの基本原理は「聞き手ゼロ」です。「聞き手」に伝えようとする意識をいったん外して、よみ手自身の意識内の「聞き手」のためによむことです。ただし、実在する聞き手の前でよみを発表する場合には、内容を伝えるための技術も必要です。作品理解にもとづいた表現力のあるよみこそ、聞き手にも内容が伝わるよみとなります。このようなよみこそ本来の朗読であるといえるのです。

◎詳しくは、『Web表現よみ入門』を参照。また、「表現よみ図書館」から渡辺知明の表現よみ録音が聴けます。拙著『表現よみとは何か』。表現よみの学習法・指導法は、論文「表現よみ理論入門」をお読みください。インターネット著作『表現よみのすすめ』もあります。