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イザベラ・バードは本当に大館市白沢で皆既日食を見たのか?




1 はじめに
イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird, 1831-1904)は,19世紀で最も有名な女性冒険旅行家の一人として名声を馳せた英国人女性である.彼女は,米国,カナダ,オーストラリア,ニュージーランド,ハワイ,日本,インド,イラン,チベット,カナダ,コリア,中国,トルコなど世界各国を訪れ,多数の旅行記等を著している.その一つが,東京から蝦夷地(現北海道)まで旅行した時に著した“Unbeaten Tracks in Japan”である.(以上3文は,イザベラ・バード著”Unbeaten Tracks in Japan(普及版)”(1885年発行)(…@)の復刻版(1973年発行)(…A)の序章(Terrence Barrow著)及び,@の翻訳書「日本奥地紀行」(2000年発行)(…B)の解説(高梨健吉著)による.)

A, BのPREFACE(はしがき)によれば,彼女の海外旅行のきっかけは,健康回復の手段として医者から外国旅行を勧められたことであり,1854年に米国とカナダを訪れたのを契機に,以後生涯にわたって旅行人生を歩むようになった.
 
1878年(明治11年),イザベラ・バードは日本を訪れ,東京から蝦夷地(現北海道)にかけての奥地を数ヶ月にわたって旅行した.旅も中盤の7月末,イザベラ・バードは秋田県の現大館市に到達した.彼女は,”Unbeaten Tracks in Japan(訳:日本奥地紀行)”第27信の7月30日付の記述で,大館市北部の白沢で皆既日食がもたらしたとされる暗闇に遭遇したことに触れている.
 
2009年7月22日,皆既日食が,鹿児島県のトカラ列島(十島村),奄美大島などで観測される.国立天文台ホームページの「2009年7月22日皆既日食の情報」(2008年12月9日閲覧)によると,皆既日食が日本国内で見られるのは46年ぶりのことである.このことからも皆既日食はなかなか遭遇できない稀な天文現象であることがわかる.朝日新聞電子版(asahi.com) の2008年11月17日付記事( 「世紀の皆既日食」 鹿児島・十島村,入島制限条例を検討;2008年12月11日閲覧)によると,鹿児島県十島村では,観光客が殺到するのを心配して,入島を制限する条例案を検討しているとされる.
 
イザベラ・バードは本当にこの稀な天文現象を白沢で見ていたのであろうか.本稿では,National Aeronautics and Space Administration(米国航空宇宙局)のNASA Eclipse Web site (http://eclipse.gsfc.nasa.gov)で公開されている”SolarEclipse Explorer"(※1 注釈参照) (以後,「日食エクスプローラー」と記す)を活用して,その真偽を明らかにする.
 
また,日食が大館で見られる頻度についても調査し,次回,大館で皆既日食が見られるのはいつになるのか,その時期についても言及する.

“ Unbeaten Tracks in Japan “  LETTER  XXVII SHIRASAWA 1878年7月30日付関連部分の抜粋  p186
The rain, which began again at eleven last night, fell from five till eight this morning, not in drops, but in
streams, and in the middle of it is a heavy pall of blackness (said to be a total eclipse) enfolded all things
in a lurid gloom.)  

抜粋元:Isabella Lucy Bird, 1885. Unbeaten Tracks in Japan (普及版) . ( Terrence Barrow, reprinted in 1973,  
Unbeaten Tracks in Japan(未踏の大地:東京より蝦夷地), Charles E. Tuttle co., 336pp)



「日本奥地紀行」第27信 白沢にて 1878年7月30日付関連部分の抜粋   (高梨健吉訳) p299  
雨は昨夜11時ごろまた降り始めたが,今朝5時から8時まで降った.粒となって降るのではなく,滝のように流れ落ちた.そ
の中ほどで,真っ黒な夜の帳があらゆるものを包んで,不気味な黒闇となった《 皆既食だといわれる》.
抜粋元:Isabella Lucy Bird, 1885: Unbeaten Tracks in Japan (普及版). ( 高梨健吉訳, 2000: 日本奥地紀行 , 平凡社
, 529pp)



2.調査方法
(1) NASA Eclipse Web Site ( http://eclipse.gsfc.nasa.gov ) にアクセスし,ゴダード宇宙飛行センター(Goddard Space Flight Center) 所属のFred Espenak氏及び Chris O'Byrne氏により開発されたJavaScript Solar Eclipse Explorer”をクリックする.

(2) インデックスページにおいて,Southeast Asia, Australia & Oceanaをクリックして,任意の地点(ここでは大館市役所本庁舎の経緯度,標高)のデータを入力する.都市名は入れても入れなくても構わない.
(入力内容)
     Latitude  (緯度)   40°16'   18" N
     Longitude (経度)  140°33'   51" E 
     Altitude  (標高)    70m
     Time Zone ( タイムゾーン)  09:00 E

(3) 計算結果を出力させたい世紀を選択する.ここでは,西暦元年から2500年までに発生する日食について世紀毎に出力させ,一覧表を作成する.



3.結果
(1) 1878年7月30日の日食について
NASAの 日食エクスプローラーで1878年7月30日の日食について計算したところ,第1表のとおりとなった.最大食分は0.499であり,最大で約半分欠けていることから,イザベラ・バードが白沢で遭遇したものは本当は「部分日食」である.第27信の中に,当日は5時から8時まで雨が降っていたという記述がある.よって,雲が空を覆っている状態で食がはじまり,空が暗くなってきたものと考えられる.これをもって,「真っ黒な夜の帳があらゆるものを包んで,不気味な黒闇となった(訳文)」と記述したものと考えられる.よって,気象条件が悪かったため,本人は日食の一部始終を直接は確認できていなかったものと推定される.
 
”Said to be a total eclipse (皆既日食といわれている)”という記述は,まさに,本人は直接肉眼で確認していないものの,周囲の人々から「この現象は皆既日食であった/に違いない」ということを聞き,記述した結果であると考えられる.


第1表 1878年7月30日大館市における日食
食の開始  時刻(JST)
4時16分
太陽高度(Altitude)
日の出前
食の最大  時刻(JST)
5時05分15秒
太陽高度(Altitude)
太陽方位(Azimuth)
70°
食の終了  時刻(JST)
5時55分00秒
太陽高度(Altitude)
14°
最大食分  
0.499




(2) 大館で皆既日食が見られる頻度
NASAの日食エクスプローラーで計算した結果,大館において日食が見られた回数は,過去2000年間(西暦元年〜2000年)で,皆既日食6回,金冠日食7回,部分日食785回であった.また,今後500年間(西暦2001年〜2500年)では,皆既日食1回,金冠日食1回,部分日食回176回の見込である.
 
よって,皆既日食を大館で見ることができる頻度は1000年で3回程度であり,非常に稀な天文現象であることが明らかとなった.

大館で前回皆既日食が見られた日と次回見られる日を第3表に示した.次回,大館で皆既日食が見られるのは2361年3月8日11時14分23秒〜11時17分18秒の2分55秒間である.
 
もし,あなたが皆既日食を大館で見ようとするならば,それは2009年から数えて352年後のことであるから,余命を相当延ばさなければならない.

2009年に国内のトカラ列島(十島村)等で皆既日食が見られるが,ツアー客の殺到が見込まれている理由が,ここにあると考えられる.


第2表  大館で日食が見られる頻度               単位:回
西暦 皆既日食 金冠日食 部分日食 合計
0001-0100

38 38
0101-0200 1
36 37
0201-0300
1 44 45
0301-0400

43 43
0401-0500   1 33 34
0501-0600

42 42
0601-0700

34 34
0701-0800 1 1 42 44
0801-0900 1 1 43 45
0901-1000   1 36 37
1001-1100

42 42
1101-1200 1 1 42 44
1201-1300
1 35 36
1301-1400

40 40
1401-1500 1   41 42
1501-1600

41 41
1601-1700

36 36
1701-1800 1
40 41
1801-1900

39 39
1901-2000     38 38
2001-2100

34 34
2101-2200

35 35
2201-2300
1 39 40
2301-2400 1
33 34
2401-2500   1 35 36
計(0001-2000) 6 7 785 798
計(2001-2500) 1 2 176 179



第3表 大館で皆既日食が見られる日
前回 1742年6月3日
8時58分27秒 〜 9時2分32秒
(4分04秒間)
次回 2361年3月8日
11時14分23秒 〜 11時17分18秒
(2分55秒間)



4.まとめ
イザベラ・バードが白沢で遭遇した現象は,皆既日食ではなく最大食分0.499の部分日食であった.彼女の記述によれば日食発生時の天候は雨であり,空を雲が覆っている可能性が高いことから,彼女は太陽の欠け具合を直接肉眼で確認していない可能性が示唆された.
 
食が進むにつれ全天が暗くなり,日食が起きていることは体感していたと考えられるが,これは皆既日食ではなかった.”Said to be a total eclipse (皆既日食といわれている)”という表現は,まさに,本人は直接肉眼で食を確認していないものの,周囲の人々から「この現象は皆既日食であった/に違いない」ということを聞き,記述したものであると考えられる.
 
大館における皆既日食の出現頻度は,過去2000年間(西暦元年〜2000年)で6回であり,非常に稀な現象でることが明らかとなった.大館で次回皆既日食が見られるのは2361年3月8日11時14分23秒〜11時17分18秒の2分55秒間である.大館でこの天文ショーを見ようとするならば,私たちは,あと352年(起算年を2009年として)長生きしなければならない.


※1 NASA(米国航空宇宙局)GSFC(ゴダード航空宇宙センター)所属のFred Espenak氏及びChris O'Byrne 氏により開発されたジャバスクリプトによるSolar eclipse Explorer.地球上の任意の地点において紀元前1499年から3000年までに見られる日食について計算できる.望遠鏡観測が始まった17世紀以降の日食については,ΔTの精度が高いので精度高く計算できる.16世紀以前については、ΔTの標準誤差(σ)が西暦1000年でσ=54″, 西暦元年でσ=265″と大きくなるが,第2表のような長期間における日食発生の頻度を知る目的であれば、特に問題なく,計算結果を利用できるものと考えられる.


謝辞
地球上の任意の地点における,過去及び未来の日食について計算できる日食エクスプローラー(Solar Eclipse Explorer) を開発されたNASA(米国航空宇宙局)GSFC(ゴダード航空宇宙センター)所属のFred Espenak氏及びChris O'Byrne 氏に感謝申し上げます.
 

引用文献
朝日新聞電子版asahi.com: 「世紀の皆既日食」鹿児島・十島村,入島制限条例を検討. http://www.asahi.com/travel/news/SEB200811170026.html (2008.12.11閲覧)
Isabella Lucy Bird, 1885: Unbeaten Tracks in Japan (普及版). ( 高梨健吉訳, 2000: 日本奥地紀行 , 平凡社, 529pp)
Isabella Lucy Bird, 1885. Unbeaten Tracks in Japan (普及版) .(Terrence Barrow, reprinted in 1973,  Unbeaten Tracks in Japan (未踏の大地:東京より蝦夷地) , Charles E. Tuttle co., 336pp)
国立天文台:  2009年7月22日皆既日食の情報. http://www.nao.ac.jp/phenomena/20090722/index.html (2008.12.9閲覧)
National Aeronautics and Space Administration:  NASA Eclipse Web site.http://eclipse.gsfc.nasa.gov (2008.12.9閲覧).




※上記は、大館郷土博物館研究紀要「火内」第9号(2009年3月)に掲載されたものをWEB用に改変したものです。