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Essay-2  世界天文年2009-広大な宇宙に想いを馳せる-



2009記

「広大な宇宙に想いをはせたい!」 

2009年はこんな気持ちになった年だった。本当に久しぶりだ。 小中学生時に天体望遠鏡を覗いていたが、それ以来四半世紀ぶりかもしれない。 昨年、世界天文年2009(InternationalYear of Astronomy 2009(略称:IYA2009))に関する情報を入手していくうちに、沸々とそんな感情が高まっていった。

そう。2009年はガリレオ・ガリレイが天体望遠鏡観測を始めてから400年の節目の年なのだ。世界140カ国あまりで、「宇宙 解き明かすのはあなた(THE UNIVERSE : YOURS TODISCOVER)」というスローガンが掲げられ、世界中で夜空を見上げようと天文に関する企画が広く実施された。この年、日本では46年ぶりという皆既日食が起こり、「世界天文年」に「皆既日食ショー」という花が添えられ、国内でも大いに盛り上がった。 

ところで、私たちが何気なく見上げている夜空の星たちは、今時点、そこにあり、そのような姿をしているものではない。 実は、過去にその場所にあったのであり、私たちは過去の姿を見ているのだ。 いくら最新の機器を駆使したところで、遥かかなたの星から地球まで、情報(光)が届くためには、距離に応じた時間がかかる。例えば、北の空を見上げてみよう。緯度とほぼ同じ高さに北極星が浮かんでいる。これは私たちから430光年離れている星なので、今私たちが北極星としてみている光は430年前に北極星から出発した光ということになる。この世の中に光より高速なものは存在しないので、430年前より後(日本でいえば江戸時代以後)に北極星がどうなっているのかは誰にもわからない。私たちは永遠に「今時点」の星の位置や姿を見ることはできないわけだ。

私たちが目で物を見て、例えば「机の上で豆電球が光っている」と認識する行為は、豆電球から出ている光が、時間をかけて私たちの目に到達、入射し、その刺激が脳に伝わってはじめて達成されるものである。 「豆電球」と「目」との間には距離があるため、そこを情報が進むには必ず「時間」を要する。光は、瞬間移動できるような化け物ではなく、1秒間に30万キロメートル進むという決まった速度があるのだ。 日常生活のように、見ている物体と人間の目との距離が短ければ、光の進む速度を意識する必要はないが、夜空の星たちは遥かかなたにある。何百年、何百万年、何十億年もかけて、やっと地球上の私たちの目に到達する。遥かかなたの星の場合、私たちは地球が生まれるよりずっと前の太古の星の姿を今見ていることになる。

このように、広大な宇宙に想いを馳せていると、ただの思いつきであるが、タイムマシン?が作れそうな気がしてくる。過去を見る装置を作りたいのであれば、その物体から目に進んでくる光の経路を何らかの装置で思いっきり長くしてやればよいだけではないかと・・・(笑)。 

さて、世界天文年。世の中では星空を見上げようという機運が高まっており、「さあ、私も・・・」と言いたいところだったが、我が家には乳幼児が2人いる。 夜のんびり星を見上げている余裕はこれっぽちもない。そこで、星空探訪はとりあえずお預けにし、世界天文年の雰囲気醸成の一助にでもなればと思い、地元で子供向けの展示や日食観察会を企画した。 市内外の写真家から借用した天体写真を展示したり、各種展示品を制作したりした。世界天文年日本委員会(国立天文台内)にもデータ提供などで大変お世話になった。20年位前は、市内にも活発に活動していた天体観測同好会があったと記憶しているが、最近はそのような活発なグループも少なく、個人ベースで行っている場合が多いようだ。今回、何とか人づてに7人の写真家(大館、北秋田、鹿角、弘前、八戸在住)から50点ほど借用することができ、天文分野に関心のある近隣市町村の方々とつながりを持つことができた。

2009年は本当に天文に関する話題で盛り上がった1年だった。

今はまだ、子どもたちが小さいので無理だが、そのうち一緒に星空を見上げることが出来る日が来ると思うので、今は観望せずとも、予備知識だけは蓄えて、準備しておきたい。