2010年の記事一覧

 記事は新しい順にならんでいます。以下のもくじで、日づけおよび記事題名をクリックすると各記事の冒頭に飛びます。

  1. 2010年11月27日 荷おろし抑鬱?
  2. 2010年9月11日 海外出張にそなえて
  3. 2010年7月13日 エール・フランス、お高いざます!
  4. 2010年7月12日 まわる向きをあらわすことはむずかしい
  5. 2010年5月29日 任務完了
  6. 2010年5月18日 ねむれない夜
  7. 2010年4月16日 新年度始業期の憂鬱
  8. 2010年3月25日 ≪生活者≫と≪研究者≫
  9. 2010年3月11日 ぽっぽ町田と脱税宰相
  10. 2010年3月10日 『コミュニケーションと配慮表現』
  11. 2010年1月13日 待ちぼうけ

2010年11月27日
荷おろし抑鬱?

  きのうのはなしをする。きのうは、秋休み期間中、平日唯一の完全オフだった(まえにも愚痴をいったように、ことしは「秋休み」とは言い条、今週は研究会と会議・説明会、来週は推薦入試で費消される)。
 息子は小学校、娘は幼稚園に出かけ、妻は小学校の読み聞かせヴォランティアーの母親仲間と打ち合わせの集まりで出かけたので、独身時代のような感覚になり、ひさしぶりに、紅葉をみながら、となりのとなりのまちまで、ながい散歩をした。
 とちゅうで昼食をとる。せっかくながい散歩をしても、消費カロリーをおぎなってあまりある、こってりとした食事をとってしまったことをすこしばかり後悔する。
 15時ころ、こどもたちより早く帰宅した。いちにちぢゅう歩いたような感覚だったのに、まだこんな時間でしかないのはおどろきだ。ふだん、片道2時間の長距離通勤で、いかに時間を失っているかをあらためて痛感する。

 帰宅してから、夏休み以来断続的につづけてきた原稿書きをすすめる。いままでにない速さですすみ、20時ころ、自分の担当範囲についてはとうとう最後まで到達した。休みさえあれば原稿書きはできるのだ、とこれまた痛感する。
 共著者のメーリングリストに原稿をおくり、お茶をいれて一服。たいへんうれしいと同時に、なにやらこれまでずっと気がかりだったことが、とりあえずはかたづいたことで(もちろん、これから編集の共同作業があるので、すっかりおわったわけではないのだが、わたしだけの責任でしなければならないことはおわったので)、腰がぬけるような脱力感をおぼえる。
 それ自体はたいした仕事ではないのかもしれないが、わたしにとっては、はじめて担当するタイプの仕事だったし、じつはいままで、ほとんど無意識のうちに、重荷を背負っているつもりだったのだと、おわってみてはじめて気づく。
 22時をすぎて、こどもたちが寝しずまると、脱力感は頂点に達し、ほとんどかなしみに近いせつなさになる。「荷おろし抑鬱 Entlastungsdepression」のメカニズムは、こういう感情からはじまるのだろうか、と想像する。

 とはいえ、ひとばん寝てからは、まずまず普通の気分になったつもり。いまは昼食後の休憩だが、もうしばらくしたら、週末の恒例により、息子と外遊びにいこうと思う。

2010年9月11日
海外出張にそなえて

 今週にはいってからも、35度をこえた日があったりして、残暑とさえ形容しがたい炎暑がつづいていたが、一昨日(水曜)、颱風が関東を通過して行ってからは、ようやく、いくらかすずしくなった。

 すずしくなったので、いくらかものをかんがえるようになって、1週間ぶりくらいで体重計にのったら、なんと、この1週間で4キロも増えていた。旅先などで計測不可能なときをのぞけば、生涯最大体重かもしれない。たいへんだ。ここ数か月は微減傾向がつづいていて、よろこんでいたのだが、そのような微減はいっぺんにとりもどしてしまった。
 ここ1週間は、食生活などの点で、けっして無茶なことはしていないのだが、どうしてこんなことになったのだろうか。唯一、9月3日だけは講演会のあと酒宴だったが、そのときは講演者が東京からだったので、帰りがおそくならないよう、ひかえめにしか飲食していない。むしろ8月、軽井沢や妙高高原の宿で鯨飲馬食したときのほうが、おおいに体重増を心配したものだが、そのときはまったく増えなかったことと考えあわせても不可解だ。

 きょうは、秋葉原にある筑波大学の拠点で、毎週金曜にひらいている大学院の講座の2学期初回。ひさしぶりで秋葉原のまちをあるき、2時間の授業をしてきた。
 しかし、筑波の大学院生のみなさんは、来週の月・火は IFERI (=Inter Faculty Education & Reserch Initiative) の公開研究会、そして木曜は筑波仏語仏文研究会でたてつづけに研究発表をしなければならず、その準備などであっぷあっぷしているようだったので、きのうの筑波での授業のときに、「今週は秋葉原はお休みしてもいいですよ」と言っておいた。きょうは都内からの参加者のみで、まったりと授業をした。
 行き帰りの電車のなかと、帰宅後も、チュニジアでの研究会での発表内容のことを考えている。しかし、よくよく考えると、研究発表の準備に専念できない事情もある。1週間後にせまったチュニジアへの出発前におわらせておくべき雑務も山づみで、ほとんど手をつけていない。なみだがでそうになる。

 そういえば、同僚のなかには、「海外出張のまえは、しごとを前だおしですませておかなければならないので、いつも2、3回は徹夜をしますよ。出張まえに寝不足になっているおかげで、飛行機のなかで熟睡できるわけです」などとおっしゃる先生もいるが、わたしにはぜっっっっったいにまねできない。

2010年7月13日
エール・フランス、お高いざます!

  きょうの東京は雨がふりつづいて、涼しくなった。昼間もずっと20度台前半で、ひさしぶりに冷房をつかわなかった。

 9月のチュニジア出張の飛行機を予約した。成田からチュニスまで、全行程にわたって毎日就航しているエール・フランスを中心的選択するのはやむを得ないのだが、最近エール・フランスはにわかに値段が高くなっているという話をきいたので、ヨーロッパの他社、あるいはエミレイツなど、いくつかの選択肢を模索した。
 しかし、そもそも出張の時期はすでに空席がたいへんすくない。とくに帰り(9月26日)が絶望的で、そのなかでも、どの航空会社にしても、乗り継ぎ地(ちなみに、日本とチュニジアのあいだには直行便はない)から日本までの便のみが空席ゼロというのがほとんどなので、やはり敬老の日、秋分の日などの休みを前後につなげて旅行し、日曜に日本に帰って来たい日本人がたいへん多いのだろう。
 残席僅少の状況も反映して、どの会社も高い。エール・フランスのほか、ほぼ唯一この日程で残席のあったアリタリアも、値段がほとんど変わらないので、やはり、エール・フランスにした。
 しかし、本体価格22万5500円、税金や燃油加算などの諸費用をくわえると、26万8750円! お高いざます! はずかしながら、過去にわたしが買った航空券で、いちばん高いかもしれない。しかし、研究会の日程が9月22~23日ときまっているので、いかに航空券が高くとも、混雑していても、この時期に行かざるを得ない。
 チュニジアまで行くからといって、ふだんはそんなに高いわけではない。1度目に行ったときは12月という季節もあって、エール・フランスで15万円くらいだった。2度目は7月だったが、そのとしは原油価格がとてもたかく、燃油加算がすごかったので、いちどだけカタール航空を利用したが、遅れがひどく、えらいめにあったので、カタール航空は2度とつかわないとこころにきめている。今回、カタール航空は調べもしなかった(苦笑)。 

2010年7月12日
まわる向きをあらわすことはむずかしい

 まわる向き(方向)をことばにするのはむずかしい。それ自体で実体がないので、どこに視点をおくかによって、逆の表現もありうるからだ。
 筑波大学の学内循環バスは、かつて大学が運行していたころは、JR山手線や大阪環状線が採用しているので、多くのひとにとってわかりやすいと思われるいいかた、「内回り」と「外回り」だった。
 これはバス停で車線の位置関係を確認すれば曖昧性がまったくないので、わたしは好きないいかただったが、大学が独立行政法人化してからは、大学がバスを運行する余裕などないということで(「民間にできることは民間に」というのかなあ)、関東鉄道バスが循環バスを運行するようになり、それと同時に、「左回り」と「右回り」に呼びかたがあらためられた。
 しかしわたしは、この「左回り」と「右回り」がいつまでたっても正しく理解できない。ただしい解釈は、軌道を円形と仮定した場合、左にばかりハンドルをきることになるのが「左回り」、右にばかりハンドルを切ることになるのが「右回り」だということだが、可能な解釈はそれだけではない。
 というのも、バスの運行経路は純然たる環状ではなく、つくば駅から大学にむかい、大学病院入り口のところから環状になるという、6の字型の路線なのだ。その、大学病院入り口のわかれ道で左がわの道に進入すれば「左回り」、右がわの道に進入すれば「右回り」という解釈も可能ではなかろうか(じつはわたしはその解釈が最初にうかんだ)。
 こまったことに、前者の解釈と後者の解釈では逆まわりになるのだ。わたしは、なんども逆方向のバスにのっては、わかれ道を通過した瞬間に「しまった」と思うのだ。
 一方、「内回り」と「外回り」も、わかりづらいというひとがいる。わたしの雑駁な印象では、「内回り」と「外回り」がぴんとこないひとには、女性が多い。つまり、車線の内・外と、周回路線全体のトポロジーが、すぐにはあたまにうかばないらしい。
 バスのりばの英語表記では、「左回り」を counterclockwise、「右回り」を clockwise と訳している。反時計回り、時計回りといえば一見曖昧性がないと思うかもしれないが、じつはそうではない。上空から見るか、地底から見るかで反対になるからだ。
 こういう場合、だれにとってもわかりやすいと思われる表記法はただひとつ。新潟市の循環バスがとっている方式、「白山公園先回り」、「朱鷺メッセ先回り」といういいかたである。これにならって、筑波の循環バスも、「大学病院先回り」、「天久保先回り」のようにいえばわかりやすいのではないか。 

 ここでもう少し一般化していうと、「左」「右」という相対的指標と、「内」「外」、あるいは地名をもちいる絶対的指標に関して、ひとによってかなりの得手・不得手があるのではないか。
 わたしは圧倒的に(つまり非常にかたよって)絶対的指標のほうが理解できるニンゲンなので、大方のひとには信じられないかもしれないが、じつは、いまだに、幼稚園児のように、「右」「左」というのが実際の方向にあたまのなかですぐにはむすびつかないことがある。
 しかし、日常生活では、相対的指標を多く使うので、わたしのような欠陥をかかえているとこまることが多い。
 たとえば、視力検査のときにこまる。右か左かいえなければ、見えていないとみなされるからだ。しかたなく、いまだに、小学生のように、指をさしてこたえることさえある。
 また、もうひとつこまることは、外国語で話しているときだ。右か左かと外国語できかれて、まごまごしていると、右・左という外国語に慣れていないのかと思われ、語学能力に疑問符がつくのだが、いや、わたしは、ニホン語でいわれてもすぐにはわからんことがあるのよ、といいわけをしたくなる。

 わたしは大阪生まれなので、土佐とは縁がないが、土佐のひとは、道をきかれたときに、「右左」をつかわず、「東西南北」で教えるという。土佐は圧倒的な太平洋が南をはっきり示しているからではなかろうか。
 また、京都のように、東西の通りと南北の通りが碁盤目になっているまちも、だいたいそうではなかろうか。京都の道案内といえば、「どーんと行かはってお下がりやすと、、、(つきあたりまで行かれて、南に行かれると、、、)」というようなかたちだろう。
 しかし、(ここからは与太話かもしれないが)土佐のひとは、背中をひっかいてもらうときさえ、「もっと左」といわないで、「もっと西」というらしい。これがほんとうだとすると、どこのひともかなわないだろう。それでさえ、わたしにとっては、「右左」よりはわかりやすいかもしれないと思うのだ。こういうひとのことを、方向音痴というのか、いわないのか。

2010年5月29日
任務完了

  くもりで、この時期にしては例外的に涼しい。きょうの東京の最高気温は17.6度だった。冷涼な気候のほうが好きなわたしとしては、まことにありがたい。
 大隈講堂のむかい、早稲田大学の正門をはいったところにある1号館で、朝10時から、フランス語学会のシンポジウム。学会外から特別豪華ゲスト、哲学の野矢茂樹先生、認知言語学の西村義樹先生をおむかえして、そのおふたりとわたしがパネリストという、おそろしい布陣での会となった。ひどく緊張して、冷や汗をかいたが、なんとか3時間ちかく(予定より若干延長された)の大舞台を、おそれていたほどの失敗はなく乗りきったとおもう。シンポジウムというのは、ひどくまじめでかたくるしくなりやすい場面で、去年などは会場がしずまりかえっていたと思うが、ことしは、なんどか会場が沸くように笑いにつつまれることもあるなど、好意的な聴衆にもめぐまれ、会場との議論も活溌だった。なんにんかのかたがたからは、直接におほめのことばをいただき、すこしだけ安堵した。
 おわったあと、関係者といっしょに近所の(かつて早稲田語研があったちかくの)≪金城庵≫にゆき、天ざるをたべながら話す。
 14時から学会会場にまいもどり、別の小さな打ちあわせで1時間半くらい話す。早稲田駅から地下鉄にのると、ようやく開放感がこころにせまってきた。そして、不まじめなわたしとしては信じられないことなのだが、その開放感にともなって、なにほどかはしごとができたという、充実感さえわきおこってきたのだ。おもえば、2004年ころから、学会ではいろいろな委員を順次担当して(担当させられて)きたので、大会のたびに委員会などに忙殺されつづけ、研究のためにはいったはずの学会でいつのまにやら管理・運営ばかりに追われるようになってしまったことに、たいそうフラストレーションをためてきた。きょうは、ひさしぶりに学会大会のときに、純粋に学的なよろこびをおぼえた。
 企画・司会を担当してくださった酒井さん、パネリストの先生がた、コメンテイターとしてごいっしょしてくださった守田さん、会場から発言してくださったかたがた、実施のお手伝いをしてくださったかたがた、この場を共有してくださったみなさまに感謝いたします。わたしらしくないメッセージですが、これは、かけねなしです。

#記念に、酒井さんによる宣伝文とともに、シンポジウムのお知らせを引用しておく。

日本フランス語学会シンポジウム「フランス語学と意味の他者」

日時: 2010年5月29日(土) 10:00-12:30
会場: 早稲田大学 (早稲田キャンパス) 1号館4階 401教室
申し込み: 不要 (直接会場にお越しください。)
参加費: 無料
※ 日本フランス語学会の会員でない方の参加も自由です。

パネリスト:
 野矢 茂樹 (東京大学) 哲学
 西村 義樹 (東京大学) 認知言語学
 渡邊 淳也 (筑波大学) フランス語学
コメンテーター:
 守田 貴弘 (東京大学グローバルCOE特任研究員) 対照言語学
企画・司会:
 酒井 智宏 (慶應義塾大学非常勤) 言語学

趣旨:
 [...] なんの変テツもない仲間内に引きこもっちゃ、だめだ。変なものに、変なことに、変なひとに、出会う。そのときにこそ、それを「変だ」と感じる自分自身とはじめて出会える。そこに、考えるという場が開かれる。[1]

 フランス語学と野矢茂樹。フランス語学と西村義樹。企画した人間が言うのも気が引けるが、なにやらお刺身の上にあんこやチョコレートを載せたようである。現在のフランス語学はこの二人の変な他者を理解するための論理空間を持ち合わせていない。「そんなものは食べられない」と醒めた態度を取る人もいるかもしれない。しかし私には、この二人の変な他者は「私に意味を与えてみよ」[2] という「謎として、挑戦として、そして誘惑として」[3] 我々の前に現れているように見える。それを「刺身の上のあんこやチョコレート」といった、既知のものの組み合わせで理解しようとする態度自体が間違っている。「意味の他者を理解するとは、自分自身が、その論理空間が、変容すること」[4] なのである。
 フランス語学の論理空間の変容に「内側から」立ち会うのは渡邊淳也さんである。野矢茂樹、西村義樹、渡邊淳也の三氏を結びつけるものは何だろうか。それは冠詞論でもなければ時制論でもない。取り組むべき問いの同一性はそこにはない。三氏を結びつけるのはまさに「意味の他者」に対する態度であり、新たな問いを問おうとする態度である。それぞれの意味の他者を前にして、新たな問いを問い、答えを求めて日々格闘する。そしてその格闘を本気で面白いと感じる。その態度を共有しているのである。私にはその態度こそが「幸福に生きよ!」[5] の実践として映る。格闘している本人が本気で面白いと思っている格闘がどれほど魅力的であり、どれほど人を幸福にするか。それを肌で感じ取ってもらいたい。「揺さぶられて、考えるようになる」[6] 喜びを味わってもらいたい。
 外からの揺さぶりに、フランス語学はどう答えるのか。あるいは答えられないのか。「そんなものはフランス語学ではない」と言って思考停止に陥るのではなく、揺さぶられながら考える喜びを共有する聴衆が一人でも二人でも、できればたくさん現れれば、このシンポジウムは成功である。

プログラム
※ 外からの声に揺さぶられてまったくこの通りには進まないかもしれません。あらかじめご了承ください。
※ フロアとの討論はこのプログラムと並行して行われます。
10:00-10:10 趣旨説明 (酒井 智宏)
10:10-10:40 外からの声1 「メタファーによる世界の制作」 (野矢 茂樹)
10:40-10:55 外からの声1に答える 「フランス語の語彙意味論とメタファー・メトニミー(1)」 (渡邊 淳也)
10:55-11:25 外からの声2-野矢vs. 渡邊へのコメントを兼ねて 「文法と比喩」 (西村 義樹)
11:30-11:45 外からの声2に答える 「フランス語の語彙意味論とメタファー・メトニミー(2)」 (渡邊 淳也)
11:45-12:00 外からの声1’-西村 vs. 渡邊へのコメント (野矢 茂樹)
12:00-12:30 コメント-意味の他者に揺さぶられた後で (守田 貴弘)


1 野矢茂樹 (2004)『はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内』 PHP文庫、pp.206-208.
2 野矢茂樹 (2005)『他者の声・実在の声』産業図書、p.104.
3 同.
4 同書p.106.
5 Wittgenstein, Ludwig. (1961) Notebooks 1914-1916, Basil Blackwell, 奥雅博(訳)「草稿1914-1916」『ウィトゲンシュタイン全集1』大修館書店、1916年7月8日.
6 野矢茂樹 (2004)『はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内』PHP文庫、p.206.

2010年5月18日
ねむれない夜

  いったん就床したのだけれど、なぜかねむれなくて、またおきてきた。こんなことをしていると、あしたのしごとはつらいにちがいないのだが、輾転反側するよりも、いったんおきだして、わざとつかれてからのほうがねむれるだろう、という希望的観測。
 ねむれない夜だから、ねむる話をしよう。あおむけにねるひとは帝王的な性格だという俗説があるらしい。わたしはまったくそうではない。断然横向き派だ。
 おさないころから、右わきを下にして寝るくせがついている。これは、こどものころ、わたしが寝ていた部屋が、枕を上とすると左が入り口で、右が壁(と窓)だったので、壁にむかってみずからを閉ざす感覚でねむりやすかったからだろう。
 ねむりにおちるまえは、当時のわたしの部屋で、いつも右がわの壁とにらめっこしていた。土壁で、ところどころに雲母がちらばっていて、豆球にすると、それが満天の星のようにきらめいて、夜の星空をながめるような気もちでながめていた。それから、反対がわの壁には、「福寿海堂」と書かれ、額装された書がかかっていた。祖父の友人の野間尚三というひと(どんなひとだったかは、まったく知らない)が揮毫したらしく、「為渡邊君 野間尚三」という署名が小筆でそえられていた。瀬戸内海のほとりに住む祖父の家にそのような名まえをつけたのだろう、と想像する。なぜその書が大阪の実家にもってこられたかはわからない。
 わたしが19歳まで住んでいた実家は、わたしが大学院生のころとりこわされ、建てなおされたので、いまはのこっていない。
 わたしはこの「福寿海堂」ということばも、野間氏の書も、たいそう気にいっていたのだが、実家をたてかえるときに捨ててしまったらしい。もちろん、たいして価値があるものではなかったのだろうが、思い出が捨てられたようなものだった。
 さて、雲母の星たちと、「福寿海堂」の書に見まもられていた、おさないころのねむりをおもいおこして、こんどこそ寝ます。おやすみなさい。

2010年4月16日
新年度始業期の憂鬱

  きょうは寒くて、ときどきつめたい雨がふった。が、わたしにとっては、暑いよりはましだ。明日もおなじくらい寒くて、しかも雨がほとんどずっとふりつづけの予報だ。

 先週から今週にかけてさみだれ式に提出した科研費関係の書類のうち、枚数で約3分の2にはなんらかの不備があるということで、あちらこちらに付箋がついて、事務方からつきかえされてきた。
 いつもぼやいているように、わたしはもともと書類ごとが全般ににが手で、数勘定はますますにが手なので、このようなことがうまくできるわけがない(笑)。だから社会科学系でもなければ理科系でもなく、人文系の学問にたずさわっているのだ、というとひらきなおりすぎだろうか。
 昨年度の収支決算表なんて、部門別の支出額の合計が補助金の総交付額に合わないという、サイテーな理由でもどってきた。書きこむべきデータは、学内ネットワーク上の会計システムで自動計算されるので、まちがえようがないのだが、ただ提出用書類に書きうつすだけの段階でまちがえてしまった。たまたまおなじ数字が2けたつづくところで、くりかえさないで、1けたにしてしまったのだ。これでは合計があうわけがない。

 ようやく木曜までたどりついた。今週のやま場はのりきったつもり。授業は明日のひとつをのぞいて一巡した。きょうの大学院の授業だけはもう2回目。授業はまあまあ調子がでてきた。しかし書類しごとなど、雑務がまだまだ積もっているままなので、鬱鬱悶悶としている。

2010年3月25日
≪生活者≫と≪研究者≫

  おとといの夜からやすみなく、つめたい雨がふりつづいています。きのうはいちにちぢゅう閉居していました。きょうもおなじようにしていてはさすがに不健康なので、昼まえ、買いものにいってきました。買いものにゆくと、かろうじて生活しているという実感がわきます(笑)。
 生活しているのはあたりまえですが、わたしの場合は、ながいあいだ、それが警戒の対象でした。大学院生のころ、特別研究員のころ、じぶんの生活を安定させようとすると、その分だけ研究時間が減ってしまうということで、≪生活者≫と≪研究者≫とがほとんどトレードオフの関係にありました。生活というのは、かろうじてなりたたせておく程度にして、ぎりぎりのところで折りあっていました。
 いまはどうかというと、≪非生活者≫・≪非研究者≫になりかねない状況です。生活でも研究でもない、雑務が多くの時間を占めるようになりました。組織ではたらいている以上、それが宿命かもしれませんが、組織内部でしか機能しない書類を書くことになんと多くの時間をついやしていることでしょうか。

 そういえば、夕方になってから思い出したのですが、きょう25日は、筑波大学は卒業式をしている日です。卒業なさったみなさま、おめでとうございます。
 でも、わたしは卒業式には出ません。2006年、筑波大学に転職して、いちばんうれしかったことのひとつが、まえの勤務先とちがって、入学式だの卒業式だのというセレモニーに参列する義務から解放されたことです。セレモニーは大のにが手です。
 謝恩会などというセレモニーも、筑波大学にはありません(専攻によっては独自にもよおしているようですが、フランス語学には、もちろん、ありません)。これもクールで大好き(笑)。
 しかし、あまりにクールすぎてもいけないかとおもいなおし、2003年3月にホームページに掲出していた卒業生のみなさまへのごあいさつを以下にコピーしておきます:

 卒業式できかれる公式のあいさつは、往々にして、大学生活が勉学と課外活動の密度にみたされていたことをもって「有意義」であったとするものですが、これには違和感をおぼえます。学生時代が、「ながい夏休み」や、「なまあたたかい寝床」であったとしたら、なにが悪いのでしょうか。ふんだんに時間があり、おちついて考えごとができる。これ以上「有意義」な何がありましょう。わたしはいまだにそれが理想です。
 ともあれ、卒業生のみなさん、おめでとうございます。

2010年3月11日
ぽっぽ町田と脱税宰相

 晴れて、あたたかくなる。

 予定どおり、≪ぽっぽ町田≫にゆき、一昨日記入しておいた所得税の確定申告書を提出してくる。申告書作成会場はいうにおよばず、提出だけの窓口も混んでいて、ひつじの群れのように行列してようやく提出する。数字を書きまちがえて訂正したところが気になったが、問題なく受理してもらえた。

 去年までまいとし、納税のときのキーワードは添田唖禅坊だったが、今回からは、いまの総理大臣が巨額の脱税をしている(発覚したとき7年まえの分までは納めたが、それ以前の分は時効で逃げ切った)ことを想起しないではいられない。とくにわれわれ町田市民は、申告書提出場所が≪ぽっぽ町田≫なので、なおさら、「鳩ぽっぽ⇒鳩山」という連想をするようにしむけられているようなものだ。≪2ちゃんねる≫の秀逸なアスキーアートを引用:


       ノ´⌒`ヽ
        γ⌒´      \   
        // ""´ ⌒\  )  
       .i / ⌒  ⌒   i ) 
        i  (・ )` ´( ・) i,/ 
        l .::⌒(_人_)⌒:: |  おまえら、増税
        \   ヽ_/   /
         7       〈
       , -‐ (_)      i. |
       l_j_j_j と)   .⊂ノ


   (( (ヽ三/)
      (((i )    ノ´⌒`ヽ
     /  γ⌒´      \
    (  .// ""´ ⌒\  )
     |  :i /  ⌒   ⌒  i )   おれ、脱税
     l :i  (・ )` ´( ・) i,/ 
       l    (__人_).  |  (ヽ三/) )) 
       \    |┬|  /   ( i)))
  .      `7  `ー'  〈_  / ̄ 


       ノ´⌒`ヽ
        γ⌒´      \   
        // ""´ ⌒\  )  
       .i / ⌒  ⌒   i ) 
        i  (・ )` ´( ・) i,/ 
        l .::⌒(_人_)⌒:: |  おまえら、有罪
        \   ヽ_/   /
         7       〈
       , -‐ (_)      i. |
       l_j_j_j と)   .⊂ノ


   (( (ヽ三/)
      (((i )    ノ´⌒`ヽ
     /  γ⌒´      \
    (  .// ""´ ⌒\  )
     |  :i /  ⌒   ⌒  i )   おれ、無罪
     l :i  (・ )` ´( ・) i,/ 
       l    (__人_).  |  (ヽ三/) )) 
       \    |┬|  /   ( i)))
  .      `7  `ー'  〈_  / ̄ 

2010年3月10日
『コミュニケーションと配慮表現』

 会議などのために出勤。研究室にいたりついて、さて、とびらをあけようとしたら、いつももちあるいているはずの鍵束がポケットにはいっていない。
 きっと、きのうまできていたコートのポケットから、きょうきているジャケットのポケットにうつすのをわすれていたのだろう(きょうはあたたかくなるという予報だったのでジャケットにかえたが、たいしてあたたかくはなかった)。
 しかし、「じつは鍵束はもちだしていて、とちゅうで落としていた」ならいやなので、妻にメールして、確認してもらう。鍵束はたしかにコートのポケットにはいっているとのことで、ひとまず安心する。
 恥をしのんで、事務室に事情を話し、合い鍵をかりてじぶんの研究室にはいる。

 学年末の成績を学内のネットワークを介して入力したり、いくつか書類を書いて送りかえしたりしたあと、会議に出席する。
 例によって、せちがらい時代になってきたな、というはなしが多い。もうそういうはなしを聞かされることに慣れてしまっている。

 会議がおわったあと、しばらく考えたが、わたしが鍵をもっていないせいで、自宅にはいるとき、中から錠をあけてもらうことで、こどもの寝かせつけが台なしになるおそれがあるので、送別会に出席することは泣く泣く断念して帰宅する。酒宴に参加できなかったことは残念だが、これこそ自業自得というものだ。

 * * * * *

 同僚の小野正樹先生から、共著なさった概説書『コミュニケーションと配慮表現』(明治書院)を献本いただいた。
 副題『日本語語用論入門』が示すように語用論の概説書で、グライスの会話の公準、関連性理論、歩ライトネス理論、言語行為論など、基本的なこともひととおり学べるが、それだけの書物ではない。
 筆頭著者の山岡政紀先生(わたしからみると、筑波大学人文学類、筑波大学大学院 [旧制度の] 文芸言語研究科の両方での先輩にあたるが、ざんねんながら面識はない)が提唱しておられる「発話機能論」の概説、そして、事例研究として、「配慮表現」とよばれる、依頼につきものの対面侵害を緩和するなどの、対話者間の関係を良好にたもつための表現が具体的にあつかわれている。知識の修得のみならず、研究の現場に直接案内するような性格をあわせもつ概説書だ。
 「配慮表現」にかんする研究はこれまで本格的にはなされておらず、概説書でありながら、あたらしい地平をひらく書物でもある。わたし自身の、フランス語の「丁寧の半過去」(imparfait de politesse) などの研究とも接続可能で、個人的にもたいへん有益だ。

2010年1月13日
待ちぼうけ

 まず、きのうのはなしから。きのうは東京では雪がふったらしい。わたしはきのうは、火曜としては例外的に筑波に出勤していた。つくばでは雨がすこしふっただけだった。
 きのうの午後のはやい時間に大学院受験者情報が判明し、午後にそれをうけて少し入試実施委員としての作業をするはずだったが、連絡が来るのが遅れ、予定がくるってしまった。
 入試実施委員長と相談したところ、「今日来るかわからないけれど、一応17時まで待つ」ということになった。しかし結局なにも来ないで、単純計算では4時間くらいの待ちぼうけ。そのあいだ、木曜に公開審査のある卒論・修論を読むなど、いちおうシゴトはしていたが。
 事務方は、受験生からの出願は先週一杯必着でしめきっている。そしてわれわれ教員にも、書類のしめきりなどを厳格に指示してくるのに、自分たちはいつ情報を出せるかの予定さえ言わず、できしだい知らせるということだ。

 きょうは晴れたが寒い。風がつよい。颱風でも通常運転をしていたつくばエクスプレスが、なんと徐行運転をしていた。2006年4月以来通勤でつくばエクスプレスを使っていて、時間に正確なことをありがたくおもっていたが、こんなのははじめてだ。しかし、余裕をもって家を出ていたから、問題なかった。
 きょうも、午前中には受験者情報が出せる、いや午後のはやい時間、いややっぱり夕方、というようにくりかえし延引され、そのたびに事務棟にいったりきたり。きょうはせめて、待つために待つのではなく、ほかにしごとがたくさんあったから、まだましかもしれない。午前中は大学院の人文社会科学研究科長選挙があり、わたしも投票してきた。フランス文学(ランボー研究)の川那部保明先生が研究科長にきまった。ゴクローサマ。
 3限の授業をしたあともまだだめ。会議がひとつあり、そのあと行ったらようやく願書や受付簿がもらえた。それでびっくり。ことしの2月大学院入試は、わたしの属している文芸言語専攻だけで受験者が37人と多く、ここ数年つづいていた減少傾向から反転し、にわかに急増した。仏語仏文については、フランス語学で3人、フランス文学で1人が受験する。みんながんばってほしい。
 仏語仏文はもともとちいさな領域なので、この程度の変動は誤差の範囲だが、われわれのところだけでなく、どのセクションでも、全般に受験生が多くなった。ことしはたいへん不景気で、どうせ就職もないし、ということで、大学院志向が高まっているのだろうか。
 わたしが大学を卒業したころはバブル景気のころで、みんな気らくに就職していて、大学院などにわざわざ行くやつはよほどの物好きということになっていた。いまはまったくそうではなくなった。
 ほとんどの作業量は受験者数に比例するので、人数が多くて事務方は手間どったのだろう。しかし、われわれ教員サイドの入試実施委員としても、おなじようにほとんどの作業量は受験者数に比例するので、事務方が遅れれば遅れたぶんだけこちらの作業時間はむしろ圧縮しなければならない。

 あまつさえ、1月最終週には、(10月にわれわれが行ってむかえてもらったお礼の意味もあり)ブザンソン大学からお招きした先生方との研究会も予定されており、その初日である27日の午前にフランス語で発表をしてほしいという依頼を、きのうの午後(待ちぼうけの時間帯)になってはじめてうけた。2週間でなにを準備できるだろうか。大学院入試の準備を優先せざるを得ないし。
 というわけで、これから2月第1週にかけては、たいへんな苦しみを味わいそうだ。