2005年の記事一覧

 記事は新しい順にならんでいます。以下のもくじで、日づけおよび記事題名をクリックすると各記事の冒頭に飛びます。

  1. 2005年11月30日 息ぐるしいシラバスと、笑いへの転換
  2. 2005年11月20日 「生きるといふことを知つてゐるだらうか」
  3. 2005年11月10日 サン・ドニ、連想
  4. 2005年10月23日 打ち聞き
  5. 2005年9月22日 するどい/あかるい
  6. 2005年9月19日 ものうい連休
  7. 2005年9月2日 パラントの選挙論
  8. 2005年8月29日 良寛のうた
  9. 2005年6月11日 ふたつの郷愁
  10. 2005年5月31日 ドラギチェスコによる学校論
  11. 2005年5月8日 「社会人」というおぞましいことばをめぐって
  12. 2005年2月24日 健康診断

2005年11月30日
息ぐるしいシラバスと、笑いへの転換

 ことしは最初歩の全学対象の教養科目の語学の授業をひさしぶりに担当しているのですが、以前同様の科目を担当したときに、課題にした練習問題を当時の学生たちがさっぱりやってこなかったのをおもいだして、わたしは、すべての練習問題を毎回授業のはじめで提出させる、そしてそれを成績に直接反映するという、たいへんに息ぐるしいシラバスを今年は組みました。添削がたいへんですが、ここまで義務づけると、よく勉強してくれているようにおもいます。
 授業外学習のじゅうぶんな量を担保すべしという理由 (づけ) により、玉川大学では3年ほどまえから、シラバスの各回の「テーマ」「内容」にならんで「授業を受けるにあたって」の欄もすべて埋めよとの要請がなされています。シラバスを学生に公開するまえに、各欄をもれなく記入しているかを教務担当教員が全科目についてチェックするという念の入れようです。
 しかたがないので、わたしは、このシラバスでは、15回の授業のすべてに、「練習問題はすべて課題となるので、毎回かなりの時間の授業外学習をしなければならない。提出課題は回収直後に解答例の確認および解説をはじめるため、遅れての提出は受けつけない。」と反復して書くという暴挙に出ました。ほとんどひらきなおりのように、「見ろ、全部の欄を埋めてやったぜ」というさけびが行間から漏れてくるような書きかたをしているわけです。
 そのはなしを、スペイン語学の木村琢也さんの掲示板(http://8049.teacup.com/ktakuya1/bbs)でしたところ、木村さんはたいへん気のきいた返信をしてくださいました。
 霧消させるにはあまりにも惜しいので、以下にコピーして保存しておきます。

全部の欄が埋まってさえいれば

第1回
練習問題はすべて課題となるので、毎回かなりの時間の授業外学習をしなければならない。提出課題は回収直後に解答例の確認および解説をはじめるため、遅れての提出は受けつけない。

第2回
練習問題はすびて課題となるのど、毎回かぬりの時間の授業外学習をしなけらばならのい。提出課題は回収直後で解答例に確認および解説なはじめるため、遅れてと提出が受けつけつない。

第3回
練習問題はすびて課題となるにど、毎回ぬかりね時間の授業外学習なしねければなろのい。提出仮題は回収直列で怪盗例の確認を予備解説なはじめれてめ、遅つてと提出が受けつけつけつ。

第4回
練習門題はすびん課題となろにど、毎口ぬかりね時問の産業外学習なしねけれのころほい。堤出仮題は国賊直列で怪盗列の確忍を予備解脱なはにひぬてめ、置つてと是出が受けつけつけつ。

第5回
練習門題はすびん過大となろにど、母口ぬかりね寺問の産業外子羽なしねけれのころほい。堤出仮頁け国賊直列ご怪盗列の石忍を予備解脱なはにひぬてめ、置つてと是山が愛けつけつけつ。

第6回
糸白門是は十びん過大くなろにど、母口ぬかりね寺問の産業外子羽なしねけれのころほい。堤出仮頁け国賊直列ご怪盗列の石忍を予備解脱なはにひぬてめ、置つてと是山が愛けつけつけつ。

第7回
糸白門是な十びん過大くなろにど、母口ぬかりね寺問の産業外子の羽のしねけれのころほい。提出仮頁け国賊直列ご怪盗列の石忍を予備解脱なはにひぬてめ、置つてと是山が愛愛けつけつけっ。

第8回
糸白門是な十びん過大くなーろにど、母口ぬかりね寺問の産業外子の羽のしねけれのころほい。提出仮頁け国賊直列ご怪盗列の石忍を、予備解脱なはにひぬてめ、置つてと是山が愛愛けつけつけっ。

第9回
受白門是な十びん過大くなーろにど、母口ぬかりね寺問の産業外子の羽のしねけれのころほい。土是出仮頁け国賊直列ご怪盗列の忍を、予備に解脱なはにひぬてめ、つてと是山が愛愛けつけつけっ。

第10回
受白門是な十ん過大くなーろにど、母口ぬかりねヴァ問の産外子の羽のけれのころほいし。出仮頁け国賊直列ご怪盗の忍を、予備に解脱なはにひよてめ、つてとなら山が愛愛けつけっけっ。

第11回
受白門是な十ん過大くテーろにど、まま母口ぬかりねヴァ問のよ外子のんのこれのころほいし。出仮頁たけ国賊直列極怪盗を、予備に解脱なはひよめ、なら山が愛愛のけつけっけ。

第12回
受白要是な十ん大くテーろにど、まま母口ぬかりねヴァルなのよ子のんのこほいころほいし。出仮たは国賊直列け極怪盗、予備に解脱なはひよなら山が愛愛のけっけっけ。

第13回
授白要是な十んくテーにど、まま母口にかりネヴァルなのよのんのこほいかころほいし。仮たは国賊直列しけ極悪、予備に解脱しなはひよなら愛愛のけっけっけ。

第14回
授白要領なんかテーにど、思いのまま口にカルナヴァルなのよ。のんのこほいかころほいしゃ。あんたは国賊直列しけ極悪、予備に解脱してひよなら愛愛のけっけっけ。

第15回
授業要領なんかテキトーに、思いのままにカルナヴァルなのよ。のんのこほいしゃかころほいしゃ。あんたは国賊あたしは極悪、すぐに解脱してさよならバイバイのけっけっけてなもんだ。

・・・と書いても大丈夫なのでしょうか。


2005年11月20日
「生きるといふことを知つてゐるだらうか」

 一體日本人は生きるといふことを知つてゐるだらうか。小學校の門を潛つてからといふものは、一生懸命にこの學校時代を駈け拔けようとする。その先きには生活があると思ふのである。學校といふものを離れて職業にあり附くと、その職業を爲し遂げてしまはうとする。その先には生活があると思ふのである。そしてその先には生活はないのである。  現在は過去と未來との間に劃した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。 ---------森鴎外『青年』第10章。

 、、、そうであるなら、ほどなく崩壊するかもしれない≪組織≫をはなれ、そのなかでうまく立ちまわったところでいかほどの価値があるやらわかったものでない≪社会生活≫をはなれ、自分をみつめる極私的生活こそがめざされるべき理想ではないか。
 そのことは、なにも鴎外を引くまでもなく自明のことであるとわたしはおもっているが、すくなくともいまのニホン社会においては、むしろ正反対のことがますます常識的な通念になってきているようである。
 たとえば、こんにち、≪ニート≫や≪ひきこもり≫にたいして無自覚に反復されている浅薄な批判は、≪社会≫に統合され、≪社会≫に献身することを無条件でこのましいことであると前提してしまっている。もっといえば、とりわけ、賃労働に従事し、収入を得ることが、あたかも人格的自律と同義であるかのように信憑されている。
 しかし、いまいちど鴎外の『青年』をよむならば、そこには、≪ニート≫や≪ひきこもり≫にたいするうすっぺらい批判を根柢からふきとばすほどの問題があるようにおもう。
 わかものたちを、なにがなんでもじぶんたちの≪社会≫に回収しようとする者は、じぶんたちの想定している規矩からの逸脱をまのあたりにして、その逸脱が、じぶんたちの規矩の無価値性を逆にてらしだすであろうことを恐怖しているだけではないか。

 はぁ、「それならどうすればよいのか」ですって? そのような問いを発するひとこそ、もっとも人格的に自律していないわけであって、≪ニート≫や≪ひきこもり≫を批判する資格はないとおもいますねえ。



2005年11月10日
サン・ドニ、連想

 パリ郊外のサン・ドニ県あたりで暴動、殺人、放火のニュースが出てきて、はじめは例の「荒れる郊外」の問題かと思いきや、一部パリのまちなかや、地方都市にも (あのおだやかなストラスブールにさえ) 暴動は飛び火してきたようだ。
 いまさらながら、「荒れる郊外」はもともと郊外だけの問題ではなかったのであって、フランス社会、ひいては西ヨーロッパ社会の矛盾が端的にあらわれていたのだということを思わないではいられない。
 フランス共和国の「自由・平等・博愛」は、つよい平準化の精神を政治に反映したものではあるが、それは差別の不可視化でもあって、じっさいにはいうまでもなく歴然たる階級社会だ。郊外に、それも条件のわるい郊外に、低所得者、失業者、移民といったひとびとが集中して住んでいることだけをとってみても、そのことはあきらかだ。
 今回の事態は、かかる根ぶかい矛盾が必然的に噴出した結果であるから、それをたんに対処的にしずめるだけでなく、より根本的な解決を目ざすべきである、、、とうったえるのが社会的ディスクールの定石だろうが、そんなことをいってくれるひとはいくらでもいるだろうから、わたしは私的な連想にむかうことにしよう。

 おなじサン・ドニ県で、ボンディーというまちに、わたしのともだちのエリザベートが住んでいる。元気にしているだろうか。
 ボンディーにいくには、RERではなくて、東駅からでる Grandes Lignes の各停(RERのような敏捷な電車ではなく、うるさい機関車が、なぜか不つりあいに背の低いアルミ二ウムの客車を牽引している)に2駅だけ乗ってゆくところだ。
 (あるいは、ときどきはかえりみちだけ車で Mairie des Lilas まで送ってもらって、そこから地下鉄にのった)
 そして、みょうにつよく印象にのこっているのは、ボンディーで彼女がすんでいた家の面していた通りの名まえが、アジェンデ通り Rue Allende だったことだ。
 ピノチェトによるクーデターで、空軍機から官邸にミサイルをうちこむ手口でころされたチリの大統領アジェンデの名まえ(エリザベートはそれを、フランス人らしく、「アリエンデ」のように発音した)が、なぜパリの郊外のまちの通りの名まえにきざまれているのかは、わからない。
 パリのまちなかとちがい、2階だてくらいの、赤れんがづくりの同じような家がならぶ、素朴な郊外。
 エリザベートをたずねるたびに、わたしはそこを、むしろのどかなまちだとおもってあるきまわったものだ。
 どういうわけか、寒い季節にいくことがおおかった。すぐに日がしずんで、大きなガラス窓が自慢の彼女の家にむかえいれられると、こころが底からあたたまった。
 いまはあのまちも、放火の現場になっているかもしれないとは、わたしにはなかなか信じられない。

#そういえば、アジェンデを暗殺したチリのクーデターも、2001年のニューヨークでのテロ事件とおなじ、9月11日という日づけだった。なにやら、のろわれた日づけのようだ。


2005年10月23日
打ち聞き

 先週末は新潟出張で週末返上だったうえに、今週もまいにち雑務ばかりがいそがしく、かえりがおそくなることが多かった。
 金曜にはぼろぞうきんのようにつかれたので、今週末こそ休もうかとおもったが、きのうの土曜は慶應 (三田) で研究会があり、怠惰なわが身に鞭うって出かけた。

 研究会は盛会で、発表者の先生の大学院のセミネールに出ている院生がおおぜい出ていた。おわったあと、その院生たちがたいへん速く、しかもあたかも隊伍をくむようにして集団で帰途につくのを見て、ふきだしてしまった。わたしが院生だったころは、研究会後の酒宴のほうがたのしみだったものだが (いや、いまもそうだ)。
 研究会がおわったあと、かえりに田町駅の改札にほどちかいアイリッシュパブ≪Statiun≫(いつも前をとおりすぎるだけで、いちどもはいったことがなかった) で、発表者の先生をかこんでギネスをのむ。フィッシュ・アンド・チップスをたべる。
 フィッシュ・アンド・チップスのフィッシュは、ポルトガルや、アンダルシーアでよくたべる、魚の揚げものに似ている。

 ゆうべ、ギネスをのみながらきいた話。
 ノルマンディーのスリジー=ラ=サールで、先月、アントワーヌ・キュリオリをかこむ研究会があったとのこと。
 どこかできいた名まえだとおもったら、デリダらが『ニーチェは、こんにち?』の討論会をした場所で、それ以前も、多くの重要な研究会があったところらしい。
 その会場は村の素朴な宿屋のようなところだそうで、世話人の地元のおばさんが、
 「パリのひとは、いそがしすぎて、いそぎすぎる。1週間は滞在して、ゆったりとした時間をすごして、食事もともにし、ゆっくり話しあえばいいしごとができますよ。それでも最近うけいれる研究会は3日程度でおわりにしてかえってしまう。みんな、時間がなさすぎるのよねえ」
 とおっしゃっていたとのこと。身につまされる話だ。
 「いそいでしごとをする」どころか、その「しごと」さえ、増大する雑務に追いつめられて研究部分は極小化し、どうなってしまうのだろうと思っているわが身には、刺すような現実性をもってせまってくる。

 (ちなみにわたしは、しごとのうち、研究部分と、管理運営の部分とは、トレードオフの関係にあるとおもっている。
 しかるに、管理運営だけにかかりきりになっている教員 (これを、「非研究系教員」とよぶ秀逸な表現がある) にかぎって、「研究は(管理運営とではなく)教育とトレードオフの関係にある」などという妄言を吐く。
 研究しないということは、とりもなおさず、教育の源泉が枯れているということだ、とここでいいかえしておこう)

 また、学的に重要な研究会がおおくひらかれているスリジー=ラ=サールのその場所が、大学や、大学施設などではなく、素朴な宿屋のようなところだったということにも共感をいだく。
 やはり、「大学」などの制度の水圧をいったん忘却したところからでないと、研究はすすめられないのではないかという気がする。

 ごいっしょにギネスをのんだもうひとりの先生のお話。
 近年義務化された他大学の外部評価のお仕事などもなさっていて、その際に、内部の教員も外部の教員もいいことばかりを書くのではなくて、これを不満解消の好機ととらえてはどうか。
 たとえば、「授業は週に7こま、委員会も10件、義務を4割もうわまわる超過勤務をしていて、研究が満足にできますか」などという発言をなさるとのこと。
 そんなことを外部評価の報告書で書かれたら、大学の上層部も改善につとめざるを得ないのではないかと。
 制度がただにが手なだけで、その制度をうまく利用することなど思いもつかないわたしにとっては、これまた、はっとされられる話だった。

 休めないでつづいた、2週間分のつかれが蓄積したままだったので、今朝はひさしぶりに朝寝をしてしまった。
 10時30分ころ、ようやく起きて階下におりると、妻が洗濯をおえて干すべき洗濯物を待機させていた。申しわけない。


2005年9月22日
するどい/あかるい

 秋学期開講を週あけにひかえて、しごともふえてきたが、きょう、早くもおおきな失敗をしてしまった。
 社会的にこなれていない人間とは自覚しているが、わたしはつくづくだめだ。
 「こんなやつはつかえないから、いまの役職からはずす」といってはもらえないかなあ。
 かつて、「雑用から逃げる方法はね、わたなべさん、おおきな失敗を2度するのですよ。2度ですよ。そうしたら、雑用からはずしてもらえます」とおしえてくれた先生がいた。
 しかし世間では、そんなことをしたら、雑用からはずされるばかりか、つとめぐちそのものをうしなう場合さえあるのではないか。その意味で、大学はまだまだ、甘い世界ではある。
 そんな甘い世界にさえ、わたしは生きてゆくことに困難をかんじる。

 * * * * *

 ところで、くちびるを左右にひいて、くちむろのまえのほうで発せられる音のことを、なんと形容するだろうか。
 「前方の antérieur」とはそのままの客観的な音声学用語だし、「せまい étroit」では事態の一面しかしめしていない (つまり、せまければ後舌でもかまわないことになってしまう)。
 フランス語の教室でよくつかわれることばは、「するどい aigu」という形容詞だ。
これは、つづり字記号の「アクサン・テギュ accent aigu」( ´ ) の名まえとあいまって、つうじやすい。
 élément のはじめのふたつの母音 [e] は「するどい [e]」だから、アクサン・テギュをつけるのですよ、というように。
 しかしもうひとつ、前舌の母音を形容するときにつかわれる形容詞に、「明るい clair」というのがある。
 では、前舌の母音はなせ「明るい」のだろうか。
 それは、音の質としてひびきやすく、とおりやすいので、その聴覚を視覚に転移せしめて (つまり、「共感覚 synesthésie senrosielle」的に)、「明るい」といったのだろう。
 しかしそれにくわえて、またべつの擬似的共感覚がある。
 それは、ひとがわらうときにくちびるをよこにひき、前舌の音をだすことから、そうした音をだすときの精神状態を考えると、印象として「明るい」というつながりだ。

 そのことを感じざるを得ないのは、おさない息子がわたしを「パパ」とよぶ場合、かれがとくべつにいい気分のときや、とくべつに甘えたい気分のとき、「ぺぺー?」のようによぶときだ。
 「ぺぺ」といっては、ことなる音素をもちいてしまっているが (とくに、フランス語だとすると、pépé は「おじいちゃん」だ)、しかしその危険をおかしてもなお、「明るい」音をこの子はせいいっぱいに出しているのか。

 * * * * *

 19日、3連休の最終日になってから連休に気づいたというはなしをしたが、あしたは金曜日、秋分の日で休日なので、あしたからまた3連休だ。
 おなじ週のはじめとおわりに1度ずつ、3連休がある。なかなかぜいたくだが、どうせなら学期中にこれがあったほうがありがたい。
 しかしこんどは、わたしにとっては、連休とは名ばかりで、まんなかの24日にフランス文学会の幹事会があり、午後から夜にかけて、恵比寿まで出かけなければならない。
 子どもと水いらず、というわけにはなかなかゆかない。

 24日の午後から夜にかけて幹事会があることで、幹事会自体の業務的な煩瑣以外に、こまることはすくなくとも3つある。
 フランス語学会の例会とかさなって、親しいSさん、Kくんの発表をききにゆけないこと。
 颱風がまたちかづいてきていて、このまますすむと、24日の夜に東京を直撃するかもしれないこと。
 そして、この日がちょうど子どもの3歳の誕生日にあたるのに、そばにいてあげられないこと。


2005年9月19日
ものうい連休

 いつのとしからか、敬老の日が移動祝祭日になっていて、きょうまで連休だということに、連休最終日になってから気づいた。
 近隣のグラウンドで、きょうも朝からつづく、つかれを知らない少年サッカーの喧噪が、風にのってきこえてくる。
 おとといまで涼しかったが、ここ2日つづけてすこしずつ温度があがり、きょうは真夏日になりそうだという。
 きのうまで、秋学期の講義科目の教材をつくっていたが、ひととおりできあがったので、読みかえさないで、そのまま大学にメールで送ってしまう。
 ほかにも懸案はおおくあるが、わたしがひとりでできることではなく、ほかのひとから出してもらうのを待たなくてはいけないしごとだったり、いったんべつのひとの手にわたって、もどってくるまで待たなくてはいけないしごとだったりするので、こちらにできることは、ただ気をもむことだけだ。
 雑務ストレス全般によわいわたしは、この待機ストレスにもよわい。
 しごとのできるひとというのは、いわば職業的無感動を身につけていて、なやまず、まよわず、淡々と、しかしたいへんなスピードで、こうした案件を処理してゆくのだろう。
  ニーチェが、『偶像の黄昏』で、高等教育は人間を機械にすることであり、その点で完全なのは国家官僚であるといっているが、その「機械性」は、こんにち、ますますつよくもとめられるものであるらしい。
 わたしはといえば、こうして、詮方のない愚痴をうわごとのようにくりかえすばかりだ。
 『偶像の黄昏』の延長でいうと、まちがいなく、高等教育がそなわっていない部類にはいる。
 なお、皮肉なことに、ニーチェが高等教育の範としているのは、フィロロジーだった。
 わたしの感覚では、フィロロジーの純粋さと豊饒さは、むしろ、雑務とは正反対のような気がするのだが。


2005年9月2日
パラントの選挙論

 我田引水ながら、ジョルジュ・パラントは選挙にかんしてもなかなか示唆的なことをいっている。 まるで、日本の今回の総選挙を論評するために書かれたのではないかと思えるほどである。

 普通選挙は、世論の標準をしめすが、そのなかで、わたしの意見はあたかも埋没し、無化されるかのようである。わたしの政治的自由は、わたしがえらんだのではなく、わたしのあずかり知らない委員会によって押しつけられる候補者のひとりに4年に1度投票するだけのことにされてしまう。しかも、争点はわたしの興味のないことであるかもしれない。わたしの興味をひくであろう問題は、普通選挙では問われないのである。  政党の分類は、すでにできあがったかたちでわたしに押しつけられる。もし、どの政党もわたしの希望にあわなかったら、残念ながら、どうしようもない。まさに、おおくの場合つくりものの、人工的な問題にかんして、畜群 (Pecus) の用に供せられる壮大な目くらましにかんして、有権者を2つか3つの旗のもとへとふりわけるのである。それらの旗は、スウィフトの「大靴党」と「小靴党」をあまりにもありありと想起させる。オストロゴルスキー氏が、政党の体系にかんして、「それがうちたてる形式主義によって、市民の独立性や、かれの意思の強さ、かれの意識の自律をはばむ」 ことをしめしているのは、まったくただしい。 ------パラント『個人と社会の対立関係』拙訳 pp.111-112、一部改変


2005年8月29日
良寛のうた

 良寛のうた、

身をすてて世を救ふ人もますものを草のいほりにひま求むとは

 が、木村荘太の文に引用されており、したがってこれは、おのれの閑居にともなう微量のうしろめたさをうたったものだとばかりおもっていた。
 しかしじっさいには、このうたは相聞歌で、貞心尼にむかって、

わたしがこれだけ求愛しているのに、なんでたずねて来ずに、ひきこもったままなのか

とよびかけているものだということを、最近ようやく知った。何年ものあいだ誤解していた。
 無知とはおそろしいものだ。うっかり閑適をかたる文脈で引用しなくてよかった。
 そして、良寛はつくづく、油断ならない老人だ。隠者でありながら、じつになまなましい。しかもエゴイストだ。


2005年6月11日
ふたつの郷愁

 わたしは大阪にうまれそだった。しかし、両親はともに愛媛の出身で、瀬戸内海にめんしたちいさなまちが、夏には「コンブレー」のようにかえってゆくところだった。
 それなので、わたしにはふたつのことなる郷愁がある。大阪にたいしてと、愛媛にたいして。
 新幹線で新大阪につき、在来線にのりかえて、かならず関東より暑い大阪の空気を感じ、腹から声を出して話す大阪人たちの声をきくと、酔うような熱い気もちになる。
 たとえていえば、ナポレターナの『太陽の国 'O paese d' 'o sole』だ。多弁で、圧倒的な情熱がおもてだっている。

Ogge stò tanto allero
 きょうはめっちゃうれしい
ca, quase quase me mettesse a chiagnere pe' sta felicità.
 しあわせで ほとんど泣いてまいそうや
Ma è vero o nun è vero ca so' turnato a Napule?
 ほんまにナーポリにかえってきたんやろか
Ma è vero ca sto ccà?
 わしがここにおるのはほんまか
'O treno stava ancora int' 'a stazione
 汽車がまだ駅にとまっとるときから
quanno aggio 'ntiso 'e primme manduline.
 マンドリンがきこえてきよった

Chisto è 'o paese d' 'o sole,
 ここが太陽の国や
chisto è 'o paese d' 'o mare,
 ここが海の国や
chisto è 'o paese addò tutt' 'e pparole,
 ここやったら どんな言葉かて
sò doce o sò amare,
 甘うても 苦うても
sò sempre parole d'ammore.
 なんでも愛の言葉や

 それにたいして、愛媛にゆくと、おだやかな海がすぐそばにあって、それに見あうように、ひとびとものんびりしている。
 これまた、たとえていえば、カルロス・ジョビンの『ジェット機のサンバ Samba do avião』だ(ブラッサンスの地中海ものも近いものがあるが、さきにうかぶのは『ジェット機のサンバ』だ)
  曲も、ボッサ・ノーヴァだけあって、はねあがるようなナポレターナとはちがい、しずかで、しかし潮がみちてくるように徐々に高まってくるよろこびをあらわしているようだ。

Minha alma canta
 ぼくのたましいはうたう
Vejo o Rio de Janeiro
 リオ・デ・ジャネイロがみえる
Estou morrendo de saudade
 ぼくは郷愁で死にそうだ
Rio teu mar praia sem fim
 リオ、おまえの海、果てしない浜
Rio você foi feito pra mim
 リオ、おまえはぼくのためにできている

Cristo Redentor
 キリストの像が
Braços abertos sobre a Guanabara
 グアナバーラ湾にむかって腕をひろげている
Este samba é só porque
 このサンバがあるのは、ただ
Rio, eu gosto de você
 リオ、ぼくはきみがすきだから

 ふたつの郷愁のあいだでまよったあげく、ことしの夏は、息子をはじめて瀬戸内海でおよがせるために、愛媛に行こうときめた。


2005年5月31日
ドラギチェスコによる学校論

 100年ちかくまえに書かれたものをよんでいると、いまではほとんどよまれなくなった文献(わたしが読んでいるものもかなりの程度それにふくまれるのであるが)がさかんに引用されていて、本棚の色あいがいまとはまったくちがったのだということがわかる。逆に、100年よまれつづけたものは、今後もずっと残りつづけるだろうと思う。
  「いまではほとんどよまれなくなった文献」のなかにおそらくはいるのが、ドラギチェスコ Draghicesco の 『社会的決定論における個人 L'individu dans le déterminisme social』だ。ドラギチェスコは、ほかの点ではともかく、学校を論ずるときにはするどいようにおもう。拙訳でお目にかける。

 ひとがまいにち学校にゆくのは、一定のしかたで規定された、論理的といわれる連鎖をもつ、一定の質の観念を模倣するためである。あなたは、本質的なものはなにも変えてはいけない。ただ、こまかな些末だけがあなたの自由になる。もしあなたが、さだまった諸観念の連鎖の精確な前後関係をまもらないならば、不快な結果があなたをまちうけている。逆に、あなたがじゅうぶん注意ぶかく、たとえば歴史の時間などで、諸観念のただしい論理的・時間的前後関係をまもったならば、かなりの満足感がえられるであろう。学校は、学年末試験、入学試験、バカロレアなどにおいて、あなたの精神がどれほど忠実であるかに応じて、あなたのとりあつかいをきめるであろう。あなたに模倣が要求される諸観念は、それら自体のあいだで、それら自体どうしで、たいへんことなっていることもあれば、たいへん似かよっていることもあり、たいへん調和していることもあれば、たいへん対立していることもある。学校はそれらの諸観念を、みずからしらべることではなく、そのまま身につけることをあなたに要求するのである。
 それとおなじくらい重要な、諸観念の連鎖のもうひとつの要素は、反復である...古代からいわれているように、「反復は学問の母である」。注意力が学校の産物であるのと同様である。学校はまた、諸概念の差異にも類似にも依拠しているのではなく、本来的で精確な前後関係に沿って模倣される諸観念をまもらないひとたちにあたえる制裁に依拠しているのである。まさにそのようにして、学校はわれわれの考えの形式をすこしずつ固定してゆくのであり、われわれに、まったく精確にまったく同一のカテゴリーによって考える用意をさせるのである。こんにち学校がはたしているやくわりをかつてはたしていた教会では、信者共同体にむかえいれられるために、まず公教要理を暗誦しなければならないのであるが、忠実な信者をひきとめる方法は学校の方法とちがっておらず、紐帯のありかたはどちらでもたいへん似かよっている。
 

2005年5月8日
「社会人」というおぞましいことばをめぐって

 いまさらいいふるされたことではあるが、「社会人」とは、いくえにも不愉快なことばだ。
 あらゆるひとは、どれほどいやでも社会に「強制加入」させられている(ほんとうにつかわれることばとしてある年金の「強制加入」もまた、まさしくその事実の一環としてある)のであるから、「社会人」ということばじたいは、ほんらい「白い雪」とおなじくらい剰語的なはずだ。
 が、その剰語性が、おぞましい解釈に介入する余地をあたえてしまったようだ。たいへん奇妙なことに、じっさいには、賃労働に従事していなければ「社会人」とはよばれない。
 しかし、賃労働がそんなにりっぱなものなのか。企業倫理の堕落や、役所の腐敗ばかりが目立ついま、賃労働に従事することがむしろ、害毒をたれながすことと同義になる局面さえあるではないか。
 それはさておくとしても、「社会人」なるものを、あたかも対概念のように「学生」と対置する範列はいやというほどみせられている。しかし、まさか学生が社会の一角をなしていないなどと言うつもりではなかろう。
  こうした問いへの対処としてあみだされたのかどうかはわからないが、「実社会」というべつの剰語がある。なんの意味があるのか。「実社会」と対置するべき「虚社会」があるとでもいうのか。そんなものがあるのなら示してほしい、わたしはむしろそこで生きたいから。
 かくして、「実社会」とは、経済や政治など、社会の動因とみなされている領域にかかわるもののみをかこいこみ、それへの実利をもたらさないと(じつはたいした根拠もなく)おおかたに断じられたものを排除する仮想団体である。
 大学教員で、しかも言語学という(これまた、じつはたいした根拠もなく)「非=実学」とみなされている学にたずさわっていると、これはもう「実社会」からは遠い、世間ばなれした人間であって、「社会人」であることはいちおうみとめるにしても、かなり周縁的な成員であるとみなされるらしい(ことなる職業をもつひとたちとの遠慮をおかない酒席で、「カタギではない」という素朴で愉快な形容をちょうだいしたことがあった)。
  ここで、「実社会」観念をおぞましいといいながらも、排除を不当だといっているおまえ自身は、「実社会」へ編入されたいのか、されたくないのか、混乱しているのではないかという反問が予想される
  もちろん、されたくない。されたくないから、じっさいに、「実社会」と一般に想定されているものからは遠ざかるようにこころがけ、その仮想団体の外側か、かなり周縁部に棲息しているつもりだ。
 しかしそのようにして質問にこたえること自体がまずいかもしれない。実利的であるとみなされている範囲が、幻影にすぎないのであるとしたら、それにくわわりたいといっても、くわわりたくないといっても、無根拠な前提をともにみとめることになってしまう。
 もっとも、つごうよくじぶんたちの棲息する擬似的空間を表象するために、「実社会」のようなメタファーがあるのだとすれば、うらがわからもそれをつごうよく利用させてもらうこともある。
 たとえば、学生の就職指導を大学教員にもとめられる場合、学的なキャリアーだけをもっている教員は、「実社会」の経験がもっともとぼしい人種であるから、企業就職などを指導するにはもっとも不適当だといって逃げるわけだ。ほんとうは劃定できないものであるからこそ、つごうよくつかわせてもらうこともできる。
  「社会人」「実社会」ということばを、わたしのようにあくまでも反語法的言及をあらわす括弧つきでしかつかえないひとと、当然のようにつかえるひととのメンタリティーのちがいは、たいへん大きいようにおもう。
 「社会人」「実社会」ということばをあたりまえにつかえるひとは、明示的にせよ暗示的にせよ、「実社会」の現働化にちからをかしていることが「生きがい」であり、多かれ少なかれ貴いことであるようにおもっているひとが多いように思う。
 しかし、それが自己過信であることは、しばしば事実によって証明される。 たとえば、企業につとめるひと、とくに男性で、病気や育児休暇などの理由でしばらく休職して、職場に復帰したとき、自分のいない間にも会社がさしつかえなくまわっていたことを知り、自分はいなくてもよかったのかとショックをうけた...という話を、いくつものちがうところで耳にした。
  しかしそんな話は、きいているこちらのほうが、ショックがおおきい。そんなことを本気でおもっているのだろうか。わたしなら、みとめられて休んだのなら、そのあいだのことなど知ったことではないし、かりに責任を感じるとしたら、むしろうまくまわっていたことをよかったと思うほうだ。
  些末な例のようだが、あんがいこんなところに根柢的な考えかたのちがいがあらわれているのではないかとおもう。

...「公共の利益」、「一般意思」、「全員の幸福」といったイデオロギーも、おなじ幻影の原則、精神を魔法にかけ、社会的法則に従属させる最終的調和の見とおしにもとづく。これらすべてのイデオロギーの根柢に、おなじ詭弁、おなじ循環論法がみられる。すなわち、「真の利益」「真の幸福」は、社会のために役立つことであると証明する際、とわれていることを前提にしてしまっているのである。そこから出発して、さらに、ちがったふうにふるまうあらゆる個人は、「いつわりの幸福」をおいもとめているにすぎず、そのようにして他者にも自分にも害をおよぼすことをやめさせなければならないと宣言するにいたる。「一般意思」、「公共の利益」、「連帯」もまた、同様のイデオロギー的妄想であり、個人を、うたがわしい影でおいまわし、支配するのである。それらの妄想はまた、ルクレティウスのいう「宗教の亡霊」にも似る。

------G. Palante, Les antinomies entre l'individu et la société, p.160. 拙訳。

2005年2月24日
健康診断

 晴れ、といってもいかにも日本の春らしい、かすみのかかった晴れだ。「日本はうっすらと昼である」というロラン・バルトのことばは、ヨーロッパの明晰で分明な晴天にくらべて、このかすみのかかった空気のことをいっていたのだろうか。たぶんそうではないだろうが、このことを連想してしまう。

 べつのことをしていたせいで、予定外に時間をとってしまい、家をでるべき時間をかなりすぎて、もより駅までずっと走ってゆく。 健康診断の時間にぎりぎり間にあう電車がもう入ってきていることに、跨線橋のうえで気づき、駅の階段をかけおりて、その電車にかろうじてとびのる。
 肩で息をしていると、目のまえの座席に芸術学部のK先生がすわっておられ、くすくすわらっておられた。ひどくはずかしい。
 はずかしさをわすれるには、話すしかない。 「どういうわけか、まいとし時間にぎりぎりで、健康診断にかけこんでゆくので、不当に高い血圧が出るんですよ」と申しあげると、ますますわらってくださった。

 健康診断の会場は異常に混雑していた。ことしから外註業者がかわったらしい。順番待ちの行列がたいへん長く、血圧をはかってもらうのに30分、採血してもらうのに30分、心電図の順番を待つのに1時間かかった。全体では2時間をかるく超えた。健康診断でこんなに待ったのははじめてだ。「きょうはもうやめにする」といって帰るひともけっこういた。
 知りあいの先生がたが近くに順番待ちをしておられ、ゆっくり話しながら時間をすごした。 採血や心電図は35歳以上のひとが義務的に受診することになっている。 そこで順番を待っているとき、いちどだけ、おなじ行列のなかにおられたとしうえの先生から、「20代にしかみえませんよ」といわれて、内心よろこんだが、いくら若づくりをしていても20代はちょっときついのではないかとおもいなおす。
 心電図の検査を終えてでてきたひとが、「ああ、心臓がいたい」といって、失笑がもれた。
  体重が去年より3キロもふえてしまい、危険域(BMI 25以上)に突入した。 去年はひさしぶりの体重減少で、よろこんだのもつかの間、こんどは反動がきてしまった。 しかしもう、あまり節制をしようという気にもならない。
  採血のデータに影響するので、昨夜の夕食以降はたべてはいけないといわれていたので、なにもたべないままながい待ち時間をすごし、12時40分ころまでかかった。

 空腹がいちじるしいことと、もう検診はおわったのでむちゃをしてやれという気になったのとで、学園の駅まえの「朱鞠」にゆき、ビールをのみながら山盛りのしょうが焼きをたべる。プリミティフなよろこび。
 「朱鞠」は肉屋の2階で営業していて、おそらく階下の肉屋の肉がふんだんにまわってくるのだろう、という、もっともらしい、しかしなんの根拠もない推測をする。
 ひとにつれられて、「朱鞠」にはじめてきたのは、今月のことだ。玉川に勤務して、この春でまる5年になるが、いちどもきたことがなかった。 満腹し、ほんのすこしだけ酔いごこちになったあと、むかいのカフェにうつり、エスプレッソをのむ。

 そうだ、きょうは妻子がネット上の育児サークルのオフ会で、多摩センターに出かけているのだった。 15時ころ、自宅にもどり、干していたふとんをとりこむ。そして、いま、これを書いている。
  いまからは、ふだんの静謐にまいもどり、翻訳のつづきをするつもりだ。 いまさらながら、ふだんはあまり「日常」らしいことがないのが、わたしのほんらいの「日常」なのだ、と気づく。 「社会的ひきこもり」とでもいおうか。吉本隆明が数年まえ、「ひきこもれ!」と題した文を書いていたことなど、おもいおこす。