2008年の記事一覧

 記事は新しい順にならんでいます。以下のもくじで、日づけおよび記事題名をクリックすると各記事の冒頭に飛びます。

  1. 2008年11月30日 拙論がリポジトリーに入りました
  2. 2008年11月24日 「しなくてよい」表現の「してはいけない」解釈について
  3. 2008年10月25日 「金髪豚野郎」をめぐって考える
  4. 2008年7月25日 社会性の欠如を自讃する
  5. 2008年4月13日 祖父母の忌日
  6. 2008年2月26日 入試業務

2008年11月30日
拙論がリポジトリーに入りました

  10月末に刊行された拙論、「分岐的時間の表象を用いた時制・モダリティの連関の説明の試み」が、ようやくリポジトリーに入り、こちら(http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M97/M971928/3.pdf)で読めるようになりました。

 わたしは最近だんだんひらきなおりをおぼえまして、以前なら学会や研究会がおわったあとの酒席でしか発言しなかったような生煮えの内容を、ずうずうしくも論文に書き、学会で発表するようになってきました。
 「自分のつたなさを知るためにも書く」というのがおもてむきの見解ですが、それは一見謙虚な態度のようでいて、じつは思いついたことはなんでもアウトプットするという厚顔無恥でもあります(笑)。

 としをとるということは、つらの皮があつくなることなのだなあ、と最近よく思います。これを「熟達」と解するか、それとも「純粋さの喪失」と解するかは、ひとそれぞれ、考えかたによってちがうと思いますが、わたしは断然後者です。
 喪失感はあるけれど、あまりかなしそうにしていないところもまた、純粋さの喪失とべつのことではありません。「\(^o^)/オワタ」って感じ(笑)。あ、それから、ジュリエット・グレコの≪Non monsieur, je n'ai pas vingt ans≫も連想するなあ。

 なお、このつぎに書いた、「フランス語およびロマンス諸語における単純未来形の綜合化・文法化について」と題した論文(「ああ、また大風呂敷だ」と思ってやってください)が、3月に刊行されることが決定しました。
 こちらもお楽しみに、、、ってだれも楽しみにはしていないか。


2008年11月24日
「しなくてよい」表現の「してはいけない」解釈について

 20日からよんでいたTine Van Hecke の2007年の論文、≪La négation de la modalité déontique en français, italien et roumain≫(F. Floriric (dir.) : La négation dans les langues romanes 所収) を、(パソコンでノートをとりながら、かつ世間では3連休なので子どものあいてをしながら、ゆっくりと) きのうの夜までかかってようやくよみおわった。

 フランス語の devoir, falloir, イタリア語の dovere, bisognare, ルーマニア語の a trebui は、拘束的解釈(「せねばならない」)のとき、かつそれらの助動詞に否定がかかったとき、拘束的解釈の否定として論理的に予測される「しなくてよい」の解釈ではなく、「してはいけない」の解釈になるといわれている。
 しかし、実はつねに「してはいけない」の解釈になるわけでもないということ、時制によって劇的に解釈が変わること、さらに言語によっても若干ちがいがあることを示し、各解釈のうまれるメカニズムをさぐる意欲的な論文だ。

 言語間、時制間の相違点もおもしろいのだが、わたしが興味をもったのは、むしろ共通性のほうであって、全般的に、「しなくてよい」解釈から「してはいけない」解釈へと移行するのは、実は思いのほか簡単だということだ。
 たとえば、必然的モダリティ表現の否定が軒並み「してはいけない」解釈なのに対して、「しなくてよい」解釈に特化した代替表現であると一般的にいわれている(わたしも初級フランス語の教室ではそう教えている)、ce n'est pas la peine さえ、実質的に「してはいけない」解釈になる実例は存外多い。
 たとえばつぎのような実例があるという。
 ≪Un peu d'autocritique ne fera pas de mal, mais ce n'est pas la peine que les ennemis de l'islam en profitent. 少しの自己批判なら害はないが、それをイスラムの敵が利用するのは無用だ≫
 ≪Ce n'est pas la peine de fumer, cela vous fait du mal. たばこを吸ってはいけない。それは害をなす≫
 ≪Ce n'est pas la peine de rentrer du Mexique si vous n'avez pas visité Palenque. パレンケを訪れないならメキシコから帰ってはいけない≫
 そういえば日本語でも、「勧誘でしたら結構です(=なくて結構です)、間に合っています」「余計なこと」、「そんなことしなくてもいいじゃないか」などの、字義的には「しなくてよい」ことをあらわす表現 (西日本では、より不必要を明示し「要らんこと」などという。とくにいたずらをした子どもに (笑)) が、実質的には「してはいけないこと」を意味している。
 さらに、英語でも、柏野健次 (2002) 『英語助動詞の語法』によると、通例「しなくてよい」解釈の英語don't have toが、"You don't have to shout" (叫ぶことはないじゃないの) 、"You don't have to snap at me" (そんなにきつく言うことないじゃないの) "You don't have to be sarcastic" (なにも皮肉を言うことはないじゃないの) のように、「してはいけない」解釈をあらわしうるとしている。
 イギリス英語でも、"You haven't got to park on double yellow lines-It'a against low" , "You needn't talk so loud" のような例があるという。

 これはなぜか。結論からいうと、Van Hecke は、Horn et Bayer (1984) ≪Short-circuited implicature : a negative contribution≫ (Linguistics And Philosophy 7,4 所収) に賛意を表し、「しなくてよい」表現から「してはいけない」解釈にいたる推論が慣例化して、なかば規約的な含意 (Horn らの論文の題名にもなっている「短絡化した含意」) となったとする。この説には大筋ではわたしも賛同できる。
 ただ、古典ラテン語から現代フランス語にいたる歴史のなかで、かつては「しなくてよい」をあらわしていたモダリティ表現が、のちに「してはいけない」をあらわすに至ったという事実はあるのか、といえば、必然性をあらわすモダリティ表現の否定形の諸解釈のうち、「しなくてよい」が優勢であったことはおそらく一度もない。
 Orlandini (2001) Grammaire fondamentale du latin によると、「してはいけない」解釈はラテン語の時期にすでに優勢であった。Corpus de la littérature médiévale においても、「してはいけない」解釈のほうが優勢である。たとえば、Chanson de Roland (1090年ころ) に出てくる devoir の否定形には、「しなくてよい」と解釈できるものは皆無である。
 これをどう考えるか。それほどまでに、「しなくてよい」表現はもともと「してはいけない」解釈にたいへんなりやすいのだ、といえば足りるのか。

 いずれにしても、ひさしぶりに心からおもしろいと思える論文を読んだ。反論したいところもあるのだが、それをここに書くとあとでわたしが書く論文のネタばれになるので、これにておしまい。

(後日追記)この問題については、下記の論評的な論文を執筆し、2010年に刊行されました。
「拘束的用法の devoir, falloir の否定の多義性について」( http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M10/M1028458/3.pdf

2008年10月25日
「金髪豚野郎」をめぐって考える

 今週の月曜(20日)、「フランス語学概論」の授業で、ニホン語は直喩的な表現をこのむのにたいして、フランス語は隠喩的な表現をこのむ、というはなしをしました。たとえば、ニホン語では、「バケツをひっくりかえした "ような" 雨」というように、たとえであることを明示するところで、フランス語では、 "Il pleut des cordes (綱がふっている)" と隠喩的にいう。あるいは、罵詈として、日本語では、あだ名として定着しているときをのぞけば、ひとをたんに「豚」というよりは「豚野郎」のようにいうことのほうが自然であるのにたいして、フランス語ではたんに "un cochon" (豚) とだけいうことによって、"un grossier"(低劣なやつ)という意味になる。
 しかし、教室のなかには、例としてだした「豚野郎」という表現に、語感が共有できないといったふんいきがながれました(もちろん、どぎつい表現への困惑もなくはないでしょうが、それ以上に、「『豚』というのは不自然で、それよりは『豚野郎』という」という比較になっとくできないふんいきでした)。その日は自分の語感にすこしばかり自信がもてなくなってかえってきたのですが、いみじくも23日木曜、つぎのような報道がでました。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081023-00000009-nks-ent からの引用:

 「金髪豚野郎」泰葉ブログがパンクで休止
 歌手泰葉(47)のブログにアクセスが殺到し、サーバーがパンク状態になったことが22日、分かった。泰葉のブログは過激で、離婚した元夫の春風亭小朝(53)を「金髪豚野郎」「おまえは国営放送でもっともらしいことが言える人間ではない」などとつづり、ちょっとした人気を集めていた。さらに、今月18日には、上野音楽祭への出演をキャンセル。その理由が谷村新司の事務所社長とのトラブルだったことが報じられ、さらにブログが注目された。関係者によると、これまでのアクセスは1日あたり3000~4000件だったのが、ここ数日は数万件にまではね上がり、運営会社側から「対応できない」と通告されたという。泰葉も「ブログの内容が独り歩きしてしまった」と反省しており、この機会にブログを休止する意向だという。

 いうまでもなく、わたしはこの記事の標題にあらわれた「金髪豚野郎」ということばに目をとめました。ほらね、やっぱり、たんに「豚」といったのではすわりがわるくて、それよりは「豚野郎」というのがニホン語の特質ですよ。
 そのようなわけで、泰葉が春風亭小朝をくちをきわめてののしったことや、それによってブログが休止に追いこまれたといったことはわたしにとってはほとんど興味がなくて、「豚野郎」という直喩的表現をもちいたことを興味深く思うのです。これはまあ、言語学にたずさわるものの宿命的な性質ではないでしょうか。

2008年7月25日
社会性の欠如を自讃する

  休みにはいって(筑波は7月初旬の大学院入試のしごとをおわらせれば夏休みだ)、ふだん職業的要請からしたかなくとっている特異な態度を解除し、ついでに社会性をも脱ぎすててしまうと、とても気分がよい。
 わたしはもともと社会性にとぼしく、できることなら隠遁して文事に打ち込みたいとのぞむものだが、荷風のように恒産があるわけではないので、そういうわけにはいかない。身過ぎ世過ぎとしてやむをえず、教員稼業をしている。
 このような態度は≪聖職≫(!) をけがすものだといわれるかもしれないが、こんにち問題になっている汚職教員のありようは、むしろ過度の社会性がひきおこす問題であって、みょうな立ちまわりかたも知らない (そもそも、合法的にさえ「立ちまわろう」としない) 隠者型のほうがましだともいえる。
 Georges Palante : La Sensibilité individualiste のなかで、ご親切にも社会の害毒からおのれの精神の独立性をまもるための処方箋が明示されているので、以下に引用してみよう。

 a. Cultiver en soi le scepticisme social, le dilettantisme social et toutes les attitudes de pensées qui ressortissent à l'individualisme.
 b. Se pénétrer du caractère précaire, fictif et, au fond, facultatif du pacte social et de la nécessité pour l'individu de corriger ce que ce pacte a de trop tyrannique par toutes les ressources de la casuistique individualiste la plus tolérante et la plus large :
 c. Méditer et observer ce précepte de Descartes écrivant de Hollande : " Je me promène parmi les hommes comme s'ils étaient des arbres. " S'isoler , se retirer en soi, regarder les hommes autour de soi comme les arbres d'une forêt; voilà une véritable attitude individualiste ;
 d. Méditer et observer ce précepte de Vigny : " Séparer la vie poétique de la vie politique ", ce qui revient à séparer la vie vraie, la vie de la pensée et du sentiment, de la vie extérieure et sociale ;
 e. Pratiquer cette double règle de Fourier : Le Doute absolu (de la civilisation), et l'Ecart absolu (des voies battues et traditionnelles) ;
 f. Méditer et observer ce précepte d'Emerson : " Ne jamais se laisser enchaîner par le passé, soit dans ses actes, soit dans ses pensées " ;
 g. Pour cela, ne pas perdre une occasion de se dérober aux influences sociales habituelles, de fuir la cristallisation sociale. L 'expérience la plus ordinaire atteste la nécessité de ce précepte. Quand nous avons vécu pendant quelque temps dans un milieu étroit qui nous circonvient et nous harcèle de ses mesquineries, de ses petites critiques, de ses petits dangers et de ses petites haines, rien ne nous rend le sentiment de nous-même comme une courte absence, un court voyage. On sent alors combien l'on était, à son insu, comme harnaché et domestiqué par la société. On rentre les yeux dessillés, le cerveau rafraîchi et nettoyé de toute la petite sottise sociale qui l'envahissait. D'autres fois, si l'on ne peut voyager, on peut du moins se mettre à la suite d'un grand voyageur du rêve. Je me souviens d'un ami qui, malade, isolé dans de petites villes méchantes, entouré de petites haines et de ragots imbéciles, se donnait une sensation infinie de joie et de liberté en relisant les Reisebilder. Il s'échappait avec Heine dans le monde enchanté du rêve, et le milieu n'existait plus pour lui.
-----------OEuvres philosophiques, pp.423-424

2008年4月13日
祖父母の忌日

 くもり。祖父母の忌日。祖父は十七回忌という年にあたる。
 1992年4月13日、祖父は亡くなった。このとし、わたしは大学院に入学したが、3月、大学院の合格通知をもって帰省したのが祖父と話したさいごの機会だった。祖父は通知を見て、「ようがんばった」と、「が」だけがきわだたしくたかい愛媛ふうのアクセントでほめてくれた、その声が、いまも耳もとにのこっている。さきも見えず、なにをしようとしているのか自分でもわかっていなかったわたしを、なにもいわずに目をほそめて見まもってくれていた、慈愛にみちた祖父だった。めだかかれいを「めだか」と略してよび、魚市場からもとめてきては、自分で煮魚にこしらえて、じつにおいしそうにたべる、根っからの愛媛人だった。まいばん、ひとしく、わずか100ml ほどの冷酒を、おなじさかづきで計量してのむ、しずかな規則性のあるひとだった。今夜はわたしもひさしぶりに祖父母の霊前にさかづきをかたむけよう。
 ぐうぜん、祖父が亡くなったちょうど3年後の、1995年のおなじ日に祖母が亡くなった。祖母はくも膜下出血でたおれ、意識がないまま半年ちかく病床にあった。それなのに、まるで祖父とおなじ日を待っていたかのように、4月13日に亡くなったのだった。これは、祖父母のあいだにかよっていた愛情によってもたらされた奇蹟だったとわたしは信仰している。おだやかで、なかのよかった祖父母に、あらためていのりをささげる。ヴァレリーがねむるセートの「海辺の墓地 Cimetière marin」によく似た、瀬戸内海にちかい墓のしたにねむる、わが祖父母に、永遠の安謐あれかし。

2008年2月26日
入試業務

  24日20時すぎに家を出る。25日、入学試験(二次試験前期日程)の監督のしごとがあるので、勤務先のつくばに前泊する。勤務先が遠いとこういうときに不便だ。おさないこどもが、「あしたにはかえってくる?」と、目をのぞきこんできくので、うしろ髪ひかれる。
 25日9時まえに控室へ。北海道で、大雪と強風で交通機関がすべてとまっており、北海道からくる受験生がきょうはつくばに到達できない見込みだという。来られなかったときは26日再試験を実施するそうだ。わたしの担当教室にも北海道の受験生がいて、また監督をたのまれかねなかったが、さいわいわたしは26日は採点の担当にあたっているので、ことわる理由になる。
 10時まえ、試験教室へ。筑波大学人文学類は、21年まえ、わたし自身が一般入試を受験したので、おなじ場所にたちばをかえてもどってきたような気がする。受験生たちが他人にはみえない。もちろん監督のしごとの範囲を逸脱することはできないが、そのなかでもせいぜい親切にしようとこころがける。
 筑波大学の二次試験は3教科あり、いずれも120分という重量級の試験だ。どの教科も記述・論述式で、とくに地歴公民(世界史、日本史、地理、倫理からひとつ選択)は合計1600字の論述問題だ。受験生も、監督したり採点したりするがわもたいへんだが、こういった形式の試験でなければ確認できない種類の学力もあるだろう。
 3教科の試験時間は10時から12時まで、13時15分から15時15分まで、16時15分から18時15分まで。かつてはふたつめ以降もきりよく13時から15時、16時から18時とすべて正時だったが、昼やすみがながくなった。監督をしてみるとわかるが、ふたつめを13時からはじめると、あいまに回収・確認、そしてつぎの試験のもちだしをしていると昼食をとる時間がなくなってしまうのだ。いや、現状でもなお、昼食は必死で急いでかきこむという感じだ。
 とくに回収はたいへんで、1教科あたり4から5枚の答案用紙をそれぞれ受験番号順に試験教室でとじひもでつづってもちかえらなければならない。多くの枚数の紙の穴にひもを通すのはたいへん手間どる。あせるとよけいに通らない。
 さいわい、大教室にもかかわらず、とくに問題がおきることもなく終わる。しかし長丁場で、つかれた。だいたい、わたしは元来へらへらした人間(愛媛方言でいう「よもだ」)なので、試験教室のはりつめた空気がたえがたい。
 最後の時間がおわったあとは、れいによってすべての回収答案の点検がおわるまで待たされ、19時30分ころ解放される。
 26日も朝から採点なので、つくばにもう1泊してもよかったが、26日は集合時間が前日より1時間おそいし、こどもの顔をみないとおたがいさみしいので、自宅にかえる。電車の接続がわるく、22時ころにかえりつく。とまりがけのしごとからわたしがかえってくると、いつものことだが、わたしが玄関で靴もぬがないうちに、こどもは廊下を全速で走ってわたしの胸にとびこんでくる。こんなにしようもない酔っぱらいでも、この子にとってはただひとりのパパなのだなあ、とめずらしく殊勝なことをかんがえる。

 26日は採点のため7時に出て大学にむかう。9時すぎにつくばに着く。研究室によっていくつか雑用をかたづけたあと、10時に採点会場へ。「外国語」としてまとまった採点会場だが、人員も答案も英語が圧倒的で、ほかの外国語は隅でちいさくなっている。英語での受験者数は3千数百だが、それ以外の外国語はいずれも1けたの人数。わたしはもちろんフランス語の採点担当で、30分くらいでおわる。英語のひとは夕方までかかって、採点者ひとりあたり1000枚くらいはみるという。はやく終わってかえるとき、出口で英語担当の親しい同僚がふたりいて、目があったので、おもわずくちをついて「お先に失礼します」というあいさつをしてしまったが、もしかしてイヤミだったろうか。 ま、いいよね。あちらは超大型の覇権であるがゆえに、いい目もみているのだから(笑)。
 フランス語出題・採点担当の先生がたといっしょに、≪比内地鶏 さむらい≫で昼食。親子丼とラーメンをたべる。どちらも、この店のものは鶏のかおりがとてもさわやかで、おいしい。比内地鶏肉の擬装事件をおこした業者≪比内鶏≫とは無関係。

 今年度も4種類ほどの入試業務を担当したが、めでたくきょうで解放された。