2009年の記事一覧

 記事は新しい順にならんでいます。以下のもくじで、日づけおよび記事題名をクリックすると各記事の冒頭に飛びます。

  1. 2009年11月29日 いろいろなルサンチマン
  2. 2009年11月25日 ルサンチマンは2度傷つく運命にある
  3. 2009年11月4日 「優先接種対象者証明書」
  4. 2009年9月24日 偏屈者の爽涼な窮地
  5. 2009年8月24日 ミザトロ処世術という逆説
  6. 2009年3月22日 言語教育の講演会をきく

2009年11月29日
いろいろなルサンチマン

  25日の話のつづき。一昨日までで終わった来年度国家予算の「事業仕分け」について、おなじく一昨日、石原都知事は「白痴的」「先端技術に2位はない」などと酷評していた。それはそうだが、都立大を廃止したおまえが言うな、という気もする(25日には、旧都立大をうらやむようなことも書いてしまったが、仕分けに抗議していた野依理事長のいる理化学研究所なんて、いまだに旧都立大の比ではない)。
 事業仕分けでいちばんなっとくがいかないのは、最終日、防衛省のPAC3追加配備の予算にかんして、「軍事専門家でないので」といって判断をくださず、にわかに思考停止して逃亡したことだ。これにより、仕分け人たちは、はじめから仕分けをするに必要な知識も能力もなかったことをみずから白状したことになる。どのような結論になろうとも、なんらかの判断をくだしてこそ、当初標榜していた「聖域なき仕分け」というものになるのではなかろうか(仕分けの対象になる案件があらかじめしぼりこまれているという点では、この前提はくずれているのだが、それをべつにしても)。それとも、軍事専門家でないことを理由に逃亡した仕分け人たちは、軍事以外ならばすべてのことの専門家だとでも自称するつもりだろうか。
 というわけで、25日に感じたのとはまたちがった種類のルサンチマンがわきあがってくるのだった。

 もっとも、「事業仕分け」は今回はじめて実現した過程で、これによって本当の浪費が部分的なりとも縮減できる、という基本的な意義については、みとめるにやぶさかではない(<棒読み)。


2009年11月25日
ルサンチマンは2度傷つく運命にある

 来年度国家予算の「事業仕分け」がさかんに報道されている。3つの会場での審議のようすが動画で生中継され、ネットを介してみることができる。むだをなくすというたてまえはうけがよく、たいへん有効なパーフォーマンスだと思う。しかしそもそも、この「仕分け」の場に出される案件そのものがあらかじめ恣意的にしぼり込まれているのだから、切りやすいところを切るという印象は否定できない。
 文部科学省が概算要求している国立大学の運営費交付金も、やはり見直しという結論になった。ここで減らすまでもなく、すでに毎年減らされてきているので、べつにショックはうけない。むしろ、「文科省からの天下りが多いのがむだだ」といってくれたところはありがたくもある。いま、各大学の執行部がお守りのようにかかえこんでいる文科省OBたちは、大学がわとしてもお荷物だろうから。

 それよりも、昨日、7つの旧帝国大学に早稲田、慶應をくわえた9大学での学長が、科学技術予算の削減は世界の潮流に逆行し、さらなる国家の危機を招くとして反対する共同声明を発表したことに注目した。
 しかし、こういってはなんだが、予算面で旧帝大が格段に優遇されていることはあまりにも明らかで、端的な既得権益の牙城に見える。そのように旧帝大だけでかたまって声明を出すこと自体、露骨だと思わないでもない。もともとめぐまれているひとたちが、従来にくらべてすこしばかり不利な状況になっているにすぎないのであって、その背後に、もっと血を流している大多数の研究者が、たいして注目されないままでいることはまぎれもない事実だ。しかしこれをくちにすると、学術振興に反するかのような外観になってしまうだろう。格言的 (gnomique) にいうと、「ルサンチマンは2度傷つく運命にある」のだ。

 2001年ころからおおさわぎになった、都立大廃止問題に連想がおよんだ。都立大仏文科の廃止反対運動にたいして、「わたしが属しているような弱小私立大では、フランス語の課程が全廃されてもだれも連帯などしてくれない。都立大はめぐまれている」とメーリングリストで発言した某先生が袋だたきになっていた。ここでもまた、ルサンチマンは2度傷つく運命にある。

 まあしかし、「ルサンチマンは2度傷つく運命にある」状態のほうが、まだある種の健康を保持しているということでもあるような気もする。
 もともとまったく恵沢に浴していないのだから、自分はこれいじょう落ちることはない、それよりも、自分が苦しいままでも、もともとめぐまれていたひとがひきずりおろされるのをみるほうがよい、というのは、2年ほどまえに話題になった、『「丸山眞男」をひっぱたきたい』でえがき出された、ルサンチマンのなかでも特異な形態だろう。

2009年11月4日
「優先接種対象者証明書」

  晴れ。きのうほどではないが冷涼で、すごしやすい。
 きょうは筑波大学は全学的に曜日振り替え(火曜扱い)のため、わたしは授業をしにいかなくてよい。

 これをさいわいとして、午前中、呼吸器科にぜんそくの診療をうけにいった。
 新型インフルエンザとすでに診断されたり、そのうたがいがあって来たひとたちで、待合室はすわれないほどの超満員。水曜は午前のみの診療なので、よけいに混んでいるのだろう。
 10時30分ころにつき、診てもらったら13時をすぎていた。わたしは定期受診だからよいが、これだけまたされれば、熱をだしてきているひとは、待たされるうちにますます悪化することは必定だろう。待合室内での感染もこわいので、気やすめにマスクをする。
 待合室のソファにすわれてからは、待つことは苦ではなかった。なかば寝ていた。背もたれに身をあずけて目をつぶり、うとうとしながらじっとしていると、なにかに似ているとおもった。ああ、そうだ、日曜に、フランスのブザンソンへの出張から、ニホンにかえってきたときの飛行機のなかだ。こういうことにも慣れがあるのか。

 医師の診察の結果、ぜんそくの経過はよいが、ぜんそくの患者が新型インフルエンザにかかると重症化しやすいので、予防接種をうけたほうがよいということになった。
 しかしわたしが受診している呼吸器科は川崎市にあり、神奈川県はまだ時期や方法がきまっていないらしい。わたしの住む東京都(町田市)ではひとあしさきにはじまっているので、まず市役所にといあわせ、「優先接種対象者証明書」をもらってきて川崎市の呼吸器科で証明をもらってから、市の指定するべつの病院に行って接種をうけてくださいといわれ、しんどいこっちゃ、と思う。しんどいというのは、わたしがしんどいのではなく、こういうシステムを考えつく精神構造がしんどいのだ。ぜんそく患者には(きちんとした検査のすえ)東京都の医療証が交付されているのだから、それを見せればよい、ということになぜしないのか。
 帰宅後に市役所に電話してみたところ、問題の証明書は厚生労働省のホームページからダウンロードできるという。通常は病院側でダウンロードして記入してくれるという。
 わたしのかかっている呼吸器科は、担当医師はおおいに信頼できるが、どうも事務方がろくなしごとをしないようなので、市役所のいう「通常」の病院にはあたらない。このようにおもえる事態は、以前にも起きた。
 いずれにしても、その「通常でない病院」には、じぶんでダウンロードした書類をもってゆくしかない。しかしその「通常でない病院」は、きょうは午後は休みなので、後日行くしかない。まことに、しんどいこっちゃ。


2009年9月24日
偏屈者の爽涼な窮地

  小ざかしいことがきらいだ。多少の不便、いや、かなりの不都合をたえしのんでも、ひとつの原理をつらぬくのが好きだ。
 これはかならずしも、思想的正義を確信し、石心鉄腸の主張をおし立ててつきすすむ、というようなはなしではない。また、採用する方針がいつも「最大限綱領 programme maximaliste」であるというわけでもない。むしろ逆に、アプリオリにはくだらないこととじゅうぶん承知していても、偏屈に最後まで貫徹すること、それ自体に、よろこびをおぼえるのだ。
 たとえば、酒をのむのはなぜか。酔うためだろう。そうであれば、徹底して鯨飲し、かならず酔郷にいたる、というぐあいである。「酒にのまれちゃ、だめですよね」などと、きいたふうなことをいうニンゲンを、「小ざかしい」とおもうのだ。それならはじめから、まったくのまなければよいではないか。
 この性分はたいがい損をするが、まれに似かよった感性のもちぬしがいて、たしかな友だちになれる、という点ではありがたい。
 しかしやはり、全体的にいうと、この性分で不都合が生じることが多いような気がする。きょうも、しごとのうえで、少しばかりの不都合が生じた(詳細をしるすのはさしひかえるが、さいわい、深刻な問題ではない)。もとより、自分で自分を窮地に追いこんでいるのだ。それはそれでいいのだ。自分の方針をつらぬいた結果であってみれば、窮地も爽涼でさえある。
 社会的にこなれた、まともなニンゲンなら、総合的判断により柔軟に方針を修正・変更して、あらたな方途をあみだすことだろう。そうした「臨機応変」さを身につけることが、「経験からまなぶ」ということであり、もっといえば、「成熟」ということなのかもしれない。
 しかし、一般論でいうと、わたしはその方向には行きたくない。「成熟」とは、おうおうにして世知にたけ、ときには権勢におもねることでさえあるではないか。また、「経験からまなぶ」ということは、ある種の感性を消磨させていることにもなるではないか。
 そのようなすこぶる青くさい考えかたをして、はたちをすぎたころから、「成熟」なるものを拒否することをこころにきめていた。「かどのとれたオトナ」がなんぼのもんじゃい、と。その意味で、こどもっぽさには自信がある(笑)。
 
 奇蹟的なのは、このようなわたしにも、14年まえから妻がいて、あきもせず相手をしてくれていることだ。妻でなければ、ながいあいだ、わたしのような変人の相手をすることはできなかっただろう。感謝あるのみだ。
 そして、7年まえからは、こどももいるということだ。このようになってくると、世間的には、ますます「成熟」が要請されることになるらしいが、わたしはいっこうにそのような気にならない。むしろ、こどもたちがこころをなぐさめてくれるおかげで、ますます「変人道」をきわめようという活力がわきあがってくるのである。
 ふたりのこどものうち、きょう7歳の誕生日をむかえた息子のほうは、じつに融通のきかないやつだ。あきらかにわたしとおなじタイプだとひそかに思っている。
 こどもたちには、あまり世間なみの父親でなくて申しわけないという思いはある。しかし息子には、偏屈者の血統をうけついでいるということで、諒としてもらいたい。

2009年8月24日
ミザトロ処世術という逆説

  懸案山積のせいか、この夏やすみは、よく悪夢をみる。わたしをおいかけてくる強迫観念は、夢想の世界でもまた、現実の世界とおなじく、≪学校≫に代表される≪制度的なるもの≫だ。現実世界のなかでも、いやおうなく≪制度的なるもの≫のなかでもがいているわけだが、これが宿敵のようにつきまとってくるのだ。
 ゆうべみた夢は、現実なみに病的なねむ気におさえつけられて、まったく起床できないまま夕方までねむりつづけてしまい、中学だか高校だかの卒業式に出られない、という悪夢だった。そして、おくればせに学校におもむいても、はてしない迷路のような校舎のなかをまよいつづけるばかりで、ついに夜になってしまい、だれもいなくなった校内にとりのこされる、という夢だった。
 かかる≪制度的なるもの≫が悪夢の大道具であるとすると、悪夢のなかに配役としてでてくるのは、きまって、現実世界ではもはや修復のしようもなく断絶した相手だ(わたしはいまも「才は拙、性は剛」だが、はたちのころはもっとひどかった)。いまではその断絶をことのほか惜しんでいるわけでもないのに、夢のなかでだけは、かれらは時間の不可逆性の重みをもってせまってくる。
 過去にひととのかかわりでおかした失敗をふりかえるに、その方面での巧緻性をのぞむべくもないわたしは、(もともと多少はある)ミザントロープ的人格が、いっそ、全面的であればよかったかと思うことがある。実質的なひとづきあいをしていなければ、失敗もないわけだ。逆説的なことだが、ミザトロが、じつは処世術としてはけっこういい線を行っているのではないかと思う。
 休暇のあいだ、もともととぼしい社会性をすっかりうしなって、このようなうわごとをいうようになったか、と思うばかりだが、他日のいましめのためにもこれを書きのこしておこう。そしてまた、山ほどあるしごとのつづきをしよう(歎息)。

2009年3月22日
言語教育の講演会をきく

 きょう18時から、わたしが実行委員としてかかわっているスタージュに付随して、しかし公開でもよおされた Henri Besse 先生の講演会が、門外漢のわたしにもおもしろかったので、それを契機として少し書いてみたい。春休み終盤、日曜の夜、雨という悪条件にもかかわらず、聴衆はざっと見わたして60人くらいあつまった(17人のstagiaireも動員されているが)。

 題名が、≪Pourquoi apprend-on encore de nos jours le français en tant que langue étrangère ? (なぜこんにちもなおフランス語を外国語としてまなぶのか?)≫というもので、≪encore de nos jours(こんにちもなお)≫というあたりが挑発的にもおもえる。
 いちばんおもしろかったのは、冒頭に引用された G. Neygrand 氏の、≪Il faut affirmer hautement que le français n’a pas de valeur utilitaire ; sa valeur pour transmettre les données scientifiques, pour organiser les échanges commerciaux ou techniques est aussi quasi nulle. Le français est un objet de luxe [souligné dans le texte]. C’est là un fait, mais c’est aussi une chance. Car ce fait nous oblige à envisager le français sous son angle esthétique. L’étudiant apprend le français parce que le français a une valeur esthétique, et pour aucune autre raison. Il faut qu’il en soit averti et convaincu(たからかに宣言すべきことは、フランス語はなんら実用的価値がないということである。科学的データを伝達するとか、商業的、技術的なやりとりを組み立てるといった価値は、いずれもほとんどゼロである。フランス語は”奢侈品” [強調原文] なのである。それは事実であるが、また好機でもある。というのも、この事実は、フランス語を美的側面から考えることをわれわれに要求するからである。学生はフランス語が美的価値をもつから、ほかの理由がなくてもフランス語をまなぶのである。そのことを意識し、確信せねばならない)≫という、これまたたいへん挑発的な言明である。
 しかしながら、Neygrand 氏はニホンでも教授経験のあるかただそうで(<ほんとうに語学教育には無知なので...)、これは経験をふまえって言っているだけに重要だということになる。
 たしかに、わたし自身も、フランス語をまなびはじめたのは、いかなる≪実用≫も展望せず、ただ誘惑されたからだとしかいいようがない。ただし、フランス語にかんする紋切り型の讃辞としてよくいわれる「音のうつくしさ」という理由ではない(それにまつわり、Neygrand氏の論でいうフランス語の「美的」側面は、フランス語のシニフィアンの美というよりは、むしろかなりの程度その背景となる文化、とりわけ、アート、ファッション、グルメなどなどの美にふみこんでいるのではないか)。
 Besse 先生は、かかるフランス語の美的な魅力を学生が知りたいというのは現実的な要求であり、それを満たさなければならない、ついては、フランス語と不即不離の関係にある(文学をふくむ)文化的な事象を語学の教室に臆せずもちこみ、それによってフランス語学習を活性化させなければならない、といった方向への議論をなさったと理解した(ここにもまた、Neygrand氏とおなじ、「美」の意味の滑走が見えるような気もする)。

 会場からは、それでは単に、「≪教養(文化)≫か、≪実用≫か」というふるい論争で、いったん≪実用≫方向で決着がついたものを、ふたたび≪教養(文化)≫方向にゆりもどし、復古させるだけではないか、という質問がでた。
 それにたいして、Besse 先生のこたえは、わたしの耳にはけっきょく折衷主義というか、ほどほどのところをとろうというようにきこえた。いずれにしても、≪教養(文化)≫か、≪実用≫かという対立軸は保持されているように感じた。

 わたしがふしぎにおもったのは、言語構造そのもの(を知ること)は、≪教養≫/vs/≪実用≫という対立でどこに位置するのか、もっといえば、どこにも場所がないのではないか、ということである。
 ≪教養≫とはなにかいえば、とりわけフランスのような文学偏重の国(cf. E.-R. Curtius : ≪Essai sur la France≫, qui dit : ≪La littérature joue un rôle capital dans la conscience que la France prend d’elle-même et de sa civilisation. Aucune autre nation ne lui accorde une place comparable≫)においては、とりもなおさず文学ということになりがちだし、かといって≪実用≫といえば、とりもなおさず会話などの語学技能ということになる。どちらの文脈でも、言語構造の問題は、はなから忘却されているのである。