2007年の記事一覧

 記事は新しい順にならんでいます。以下のもくじで、日づけおよび記事題名をクリックすると各記事の冒頭に飛びます。

  1. 2007年12月24日 「来た、見た、買うたの喜多商店!」
  2. 2007年12月1日 “ちゃん付け”は「アカハラ」…山梨大教授が減給処分
  3. 2007年11月23日 Plastikwörter
  4. 2007年4月30日 おかしな「大学院改革」
  5. 2007年4月16日 小説『黒い血』、はじめて映像化される
  6. 2007年3月12日 「この授業の成否は、ひとえにみなさんの、、、」
  7. 2007年2月25日 円環

2007年12月24日
「来た、見た、買うたの喜多商店!」

  バンヴェニストの論などを紹介しながら、ものがたりのテクストでは、単純過去が基調で、完了相の事態が継起するということを話し、典型的な、しかもかなりの単純化をこうむった例文として、カエサルの Veni, vidi, vici. (「来た、見た、勝った」) を挙げる。ここまでは、話はまともにすすむ。
 しかし、「来た、見た、勝った」といったとたん、わたしはどうしても、「来た、見た、買うたの喜多商店!」と、30年まえの関西ローカル CM の惹句を、いきおいよくくちにしないではいられない。
 もちろん、30年後の関東の学生がそんなものを知るはずもなく、だれにもウケないことは、いうまえからわかりきっている。
 しかし、それでも、わたしは、「来た、見た、買うたの喜多商店!」にとらわれたごとく、どうしてもそれをいわないではいられない。
 いってしまったら、どんなふうに収拾すればよいのか、わからない。くるしまぎれに、またバンヴェニストにすがりつく。
 バンヴェニストいわく、ものがたりの特質とは、「ここではだれもかたっていない。できごと自身がひとりでにものがたるかのようである (personne ne parle ici ; les événements semblent se raconter eux-mêmes)」ということだ。
 ものがたりにおいては、発話者や対話者といった主体はすがたをけす。ものがたりのかたり手、きき手にできることは、できごとが継起的に立ちあらわれてくるのをともに追体験することだけである。
 そこでは、かたり手といえども主導的な言語主体ではなく、基本的には、すでになんらかの形で存在しているものがたりの媒介者であるにすぎない。
 「来た、見た、買うたの喜多商店!」もまた、わたしにとっては先験的にあたえられており、ひとりでにたちあらわれてくる継起性にほかならない。わたしはそれを媒介しているだけなのだ、と。どうです。うまく収拾したでしょう。どこが?


2007年12月1日
“ちゃん付け”は「アカハラ」…山梨大教授が減給処分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071201-00000083-sph-soci
からの引用:

“ちゃん付け”は「アカハラ」…山梨大教授が減給処分
 女性の下の名前に「ちゃん」を付けると、ハラスメント!? 山梨大(甲府市)は30日までに、女子学生を「ちゃん」付けで呼び、不快に感じさせたのはアカデミックハラスメント(アカハラ)に当たるとして、同大大学院の50代の男性教授を減給の懲戒処分にした。“ちゃん付け”の波紋の大きさに「厳し過ぎる」の声も出ているが…。
 処分されたのは、山梨大大学院医学工学総合研究部の50代の男性教授。アカハラにより、減給1万704円(1回)の懲戒処分となった。
 同大によると、教授は昨年の9月から11月にかけ、指導する研究室に所属していた女子学生に対し、名前に「ちゃん」を付けて呼ぶなどしたため、学生が不快に感じていたという。
 女子学生は大学内に設置されているハラスメント相談室に訴えた。相談室はさらにキャンパスハラスメント防止委員会に上申し、調査委員会が教授らから話を聞いていた。同防止委員会では、性的嫌がらせのセクシュアルハラスメント(セクハラ)、労働環境を悪化させるパワーハラスメント(パワハラ)、教授が学生に対して行うアカデミックハラスメント(アカハラ)という定義があり、今回はアカハラに該当するという。
 日大法科大学院・板倉宏教授は「ハラスメントの判断基準は各大学の委員会によって違うが“ちゃん付け”でハラスメントになった例は聞いたことがない。大学院の学生を軽く子ども扱いするのは問題かもしれないが、懲戒処分は厳しいのでは」と話す。
 同大広報グループでは「本学では基本的に受け手が不利益と感じた場合は、たとえ教授が親しみを込めたつもりでもハラスメントと判断する」といい、教授の地位を利用した嫌がらせと判断した。同大学院の同研究部では05年に女性助教授(当時47歳)が助手にパワハラを行ったとして諭旨解雇処分を受けるなど、これまでもハラスメントには厳しい姿勢を貫いてきた。
 「やはり女性には『さん』、男性には『くん』がふさわしい」(同大)。うかうか「ちゃん付け」してしまうと痛い目に遭いそうだ。

 この基準でこられると、同業者の友人の半数はアウトだ (笑)。

 しかし、処分をくだした山梨大学は、それほど峻厳にするなら、おなじ峻厳さをみずからに適用するべきだろう。
 そうすれば、「やはり女性には『さん』、男性には『くん』がふさわしい」などと、性別によって呼びかたを変えることを推奨する莫迦なコメントを出すのは、≪性差別≫にほかならない、ということがわかる。
 山梨大学は、えらそうに説教をたれたり、処分をくだしたりするまえに、まず自分がなにを言ってしまっているかを考えるべきだろう。

2007年11月23日
Plastikwörter

  多忙にまぎれて、自分の専門に直結する研究書以外をしばらく読んでいないというお寒い事実に気づき、きょう読んだ書物は、最近日本語版の出たペルグゼン『プラスチック・ワード』(糟谷啓介訳、藤原書店)。いや、これとて言語にかかわるという意味では専門に関係してはいるのだが、、、
 原著は Uwe Pörksen : Plastikwörter (Stuttgart, Klett-Cotta, 1988)。ほぼ20年をへての翻訳だが、その後のグローバル化によってますます加速してきた現象をみごとにいいあてている書物でもある。
 標題にもなっている「プラスチック・ワード」とは、レゴのブロックのように容易に交換可能な空虚な抽象語であり、それを部品として形成される言語が知らず知らずのうちに蔓延している。それはあたりまえになりすぎて「紋切り型」とさえ思われない、日常的なマスター・キーのような辞項である。英語などの覇権的言語が少数言語を駆逐するのとおなじように、各言語のらち内でも身体性に根ざした従来の語を駆逐しつつあるという。プラスチック・ワードは、つぎのような本質的特徴をもつ (p.71)。

 A. 科学に源を発し、科学を組み立てる部品に似ている。それはステレオタイプである。
 B. 包括的な使用領域をもつ。それは何にでも効く特効薬である。
 C. 内容が貧弱で切りつめられた概念である。
 D. 歴史を自然として把握する。
 E. コノテーションと機能が優位を占める。[デノテーションとしての明確な指示対象がない]
 F. 欲求と統一性を生みだす。[理念化により、義務的・拘束的な方向づけをおこなう]
 G. ことばを階層化し植民地化する。それによって少数の専門家集団が成立すると、これらの語は「資源」として利用される。
 H. まだかなり新しい国際的コードに属する。
 I. ことばをコンテクストから引きはなし、表現豊かな身振りを締め出す。

 アイデンティティ、リソース、ケア、インフォメーション、役割、センター、サービス、コミュニケーション、セクシュアリティ、モデル、ソリューション、コンタクト、ストラテジー、パートナー、構造、問題、システム、トレンド、福祉、機能、マテリアル、などの語は、プラスチック・ワードの例である (p.76)。
 日本語にするとカタカナが多いが、これはけっして偶然ではなかろう。一旦カタカナ化すれば、もはや内部分析が不可能な意味の原子になる。このことは、本来それぞれにことなる相貌をもつはずの多様な事象を、ひとしなみに回収するために必要な特徴であろう。実際、これらの語は、定義できないまま (定義は「専門家」にゆだねたまま) 用いられるという点で、「専門用語」とは明確にことなる。
 ペルグゼンは、こうした辞項が他を圧して流通するようになっていることが現代の病弊であるとする。それはニーチェが『反時代的考察』で予感した言語の危機であり、スウィフトが『ガリヴァー旅行記』でえがきだし、オーウェルが『1984年』でそれに輪をかけた悪夢である。さらには、訳者があとがきで指摘しているように、フッサールによる「生活世界の数学化」批判、ハーバマスによる「生活世界の植民地化」批判とも結びつけることができる。
 著者は解決策を一切あたえていない。訳者あとがきには「安直な処方箋をあたえていない」と書いてあるが、もっと本質的に解決不能な問題であるとわたしは思う。ディストピアに出口などあろうはずがない。そしてそのディストピアはすでに現出しているのだ。「処方箋」というなら、ジョルジュ・パラント的なペシミズムの貫徹にしか、ディストピアを生きる処方箋はないように思う。
 原書の副題は Die Sprache einer internationalen Diktatur。「独裁 Diktatur, dictature」とは衝撃的なことばだが、「書きとり dictée」と同じく、ラテン語のdicere (言う)、dictum (所言) を語源とする語であり (cf. p.12)、言語を問題にするときにはむしろ適している。プラスチック・ワードによる植民地化を約言すると、やはり Diktatur だろう。


2007年4月30日
おかしな「大学院改革」

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/
20070423k0000m010120000c.html
からの引用:

教育再生会議: 内部進学を3割まで削減 大学院改革
 政府の教育再生会議は22日、大学院の教育・研究活動を充実させる改革の素案をまとめた。同じ大学の学部から大学院へ進む「内部進学」を、現在の約7割から3割程度にまで減らす目標値を定める。また、学部学生のうち大学院への進学希望者に限り、学部を3年で卒業して院進学を認める方針を打ち出す。
 23日午前、首相官邸で開く同会議の第3分科会(高等教育)に、大学院改革の検討組織「プロジェクトX」の素案として提示し、5月の第2次報告に盛り込む。
 「内部進学」は、特に理工系の修士課程で8割超に上る。再生会議では「学部4年生の囲い込み」(中心メンバー)が人材交流の停滞や大学院の国際競争力の低下を招いたとの批判があった。
 このため一時、「内部進学」を2割に制限することを検討。これに対し、東大など大学関係者から「学生の学習権を侵害する」と反対論が出たため、他大学への院進学には奨学金を交付するなどの奨励策も併記し、将来的な目標値として3割程度への抑制を目指すことになった。
 院進学者の学部繰り上げ卒業は、法令で原則4年と決められている学部の修業年限を例外的に3年とし、代わりに修士課程(現行2年)を3年に延長することを認める。現行の「4年(学部)2年(修士)3年(博士)」というコースを、例外的に「3・3・2」とすることを認め、研究者の早期養成を促す。
 また、海外の優秀な学生の招致や奨学金に政府開発援助(ODA)を活用し、個人・法人向けに大学への寄付税制を拡大するよう提唱する。【渡辺創】

 おなじ大学出身の大学院生を3割程度にへらすことをめざすという政策ですが、まるで意味がわかりません。大学院生の出身大学がどこであるかや、大学院進学のときに他大学にうつるかどうかといったことは、「大学院の教育・研究活動の充実」とはなんの関係もないと思いますね。
 わたし自身、ことなる経歴をもつ大学院生と接していますが、まともな文脈では、出身大学のちがいを意識する機会はまったくありません。あえていえば、むかしの筑波大学にかんする冗談をいうときでしょうか。しかしそれとて、ジェネレーションギャップにより、だんだん当の筑波出身者にも理解してもらえなくなりつつあります (笑)。

 それに、どうやって3割程度への抑制を実現しろというのでしょうか。たとえ大学院入試で80点をとっていても同大学出身の受験生なら不合格にして、たとえ60点であっても他大学出身の受験生を合格させろとでもいうのか、あるいは、同大学出身者の出願を門前払いしろとでもいうのか。教育再生会議はそのような不正を強要しようとしているのか。
 このことにかぎらず、最近、教育再生会議の提言には、トンデモ科学や、差別助長が多いですね。「母乳で育てなさい」とか (笑)。


2007年4月16日
小説『黒い血』、はじめて映像化される

  ルイ・ギユー (Louis Guilloux, 1899-1980) の小説『黒い血』 (Le sang noir, 1935) は、これまではいっさい映像化されたことがなかったのですが、今回はじめてテレヴィドラマ化され、フランスのテレヴィ局 France 3 で一昨日14日、20時50分から放映されたようです。
 ニホンにいて (いや、ニホンでも見る手段はあるのかもしれないけれど、わたしにはなくて)、みられなかったことがたいへんざんねんです。

 小説の主人公はフランスのいなかのリセの哲学教師メルラン Merlin。生徒たちがつけたあだ名がクリピュール Cripure。メルランがよく言及するカントの『純粋理性批判』Critique de la raison pure の略。
 これだけですでに、ジョルジュ・パラントがメルランのモデルになっていることに気づいたひとは、すでになかなかのパラントおたくです。あ、そんなのはわたしだけですね (ちなみに、現実のパラントにおしえ子たちがつけていたあだ名はショーペンハウアーを略したショーペン Schopen でした)。

 サン=ブリユーのリセでパラントのおしえ子だった原作者のギユーは、いささか誇張をまじえながらも、かなりの程度メルランのなかにパラントの生きざまを投影しています。鋭敏でありながらも、社会性のきわめてとぼしい人格で、気むずかしい変わりもの、ついでに風貌も独特の大男としてえがかれています。
 原作はフォリオ版で631ページにおよぶ大作で、わたしははずかしながら、3年まえに買ったにもかかわらず、まだとちゅうまでしか読んでいません。
 原作はとても長いだけでなく、100を超える多数の登場人物がでてくることもあり、ドラマ化しづらいもののはずでしたが、ドラマでは主要な人物、数人に減らすことによって、ひとつの作品にまとめています。

 前線からは遠いにもかかわらず、第1次世界大戦はいなかのまちにも影をおとしていました。メルランの同僚は、好戦的なだけであたまがからっぽの学監バビノー、社交家で教養のある、しかし偽善的な教員ナビュセがいて、メルランとはいつもするどく対立しています。
 メルランのもとのおしえ子でもある、副学監モカは、メルランをたいへん尊敬しており、リセのなかでは唯一の理解者です。かれは叛逆的な詩をかきます。
 メルランは文盲のマイアといっしょにくらしています。そしてへたなニンゲンよりよほどあいしている4匹の犬たちと。
 France 3 のページもふくめて、このテレヴィドラマを紹介するページは、いずれもねたばれをさけて、ほんのさわりしかものがたりを書いていません。それなので、これ以上はどうなるのかわかりません (笑)。

 テレヴィドラマの脚本をかいたのは監督でもあるペテル・カソヴィッツとミシェル・マルタン。かれらは『黒い血』を映像化する構想をなんと1960年代から話しあっていたそうです。
 リュションで2月5日から11日まで開催された国際テレヴィ映画フェスティヴァルは、この作品にふたつの賞をあたえています。主演のリュフュに男優賞、そしてカソヴィッツとマルタンに脚本賞。

2007年3月12日
「この授業の成否は、ひとえにみなさんの、、、」

 義務的にひとこまだけ担当しているいわゆる教養課程のフランス語の授業で、最終回に撮っ (てもらっ) た写真を添付して送るため、なんにんかの学生とメールのやりとりをしました。

 教養科目のフランス語といえば、とかく動機づけがとぼしく、ひどくやりづらいことがすくなくないようで、わたし自身も過去にはずいぶん難渋した経験があるのですが、ことし担当したクラスは、その通り相場を一挙にくつがえす、熱心で優秀な、そしてひとがらもたいへん立派な受講生が集まっていました。
 わたしの累計8年の教員経験でも屈指の、とても雰囲気のよいクラスでした。雰囲気というのは無理に作れるものではなく、だれからともなく醸されてくるものなので、これは貴重なことでした。
 晴れ晴れしくない気分のときでも、授業で学生のみなさんとお目にかかるのは、わたしにとっては救いのひとときでした。

 いただいたメールから、個人情報などの点でさしつかえのない部分のみ引用。

 一年間本当にお世話になりました。
 渡邊先生の授業、とても楽しかったです。
 木曜のフランス語の授業は大好きでした。
 授業として分かりやすいだけではなく、先生の授業を受けたあとは元気になれました。

 あのフランス語の授業がもうないのだと思うと少しさびしいです。

 一年間は意外と速くて、もう二年生になることに少しびっくりしていますが、これからも頑張っていきたいと思います。
 先生もお体に気をつけて頑張ってください。
 ありがとうございました!!

 「授業を受けたあとは元気になれました」というのは意外でした。
 わたしはもともと陰鬱 (morne) な人格で、わけあたえることができるほどの元気はもちあわせておらず、逆にもらう方だと思っているからです。
 とくに1学期は、学会の業務で解決困難な問題をかかえていたりして、授業中に泣きごとさえ言いました (教員失格ですね)。

 しかしそもそも、「元気」というものは、与えあうものではなく、ひきだしあうもの、あるいはひきだすきっかけになりあえるものなのかもしれません。
 「元気になれた」とおっしゃるのは、自分のなかから元気をひきだしたにちがいありません。
 そうしたようすをみているわたしも、精神的回復をたすけられたことはまちがいないと思います。

 もっとも、そういうことはあくまでも結果的な効用であって、授業のなかでは、語学教員に徹しておりましたが。

 べつのメールから引用。

 1年間ありがとうございました。
 三つあるフランス語の中で
 僕にとっては一番面白い授業でした。
 時々お話にのぼる他言語との比較とか、
 チュニジアのお話など...
 (あの後、チュニジアの地球の歩き方を買ってしまいました)
 たぶん来年度は専門科目との関係で
 フランス語を取れないと思いますが
 すこしでもフランス語が出来たことは
 よかったと思っています。

 記憶のたすけになればと思い、スペイン語やイタリア語との比較を、連想がおよぶままにお話ししたのですが、そこに興味をもつとは、学的な素質があるということでしょう。
(前任校に担当していたことのある教養課程のフランス語の授業では、そんな話をするとたちまちつっぷして寝てしまう学生が多かったような気がします。
 そうとわかっているならそんな話をするなといわれそうですが、ことし担当していたクラスでは、この話をしてもいいかな、と直感してお話ししたのです)

 いっぽう、チュニジアへの出張のあと、チュニジアのことを話題にしたときには、どこの授業でも興味をもってくれるひとが多かったので、おどろきました。
 わたし自身、学生のころから計算すると20年ものあいだ、「フランス語といえばフランス」という自明性にひたってきた身で、チュニジアの話題にたいする学生からの反響の多さにおどろくこと自体、まだ旧套を蝉脱しきれていない証拠かもしれません。
 ひろいフランス語圏の多様性に目をむけることの意義は、むしろ専門性にはまりこんでいない若いひとのほうが、柔軟につかみとっているのではないかと思います。

 メールとちがって転載がめんどうなので、いちいち書きませんが、「批判大歓迎」とことわって最後に教室で書いてもらったコメントにも、好意的なものがこれまでになく多くありました。
 それはひとえにあのクラスの理想的な学びの雰囲気のおかげで、そして、わたしがうまく話せなかったことさえもよく理解してくれる、すぐれた学生があつまっていたおかげだと思います。
 学生に依存することでかろうじて授業をしているわけで、好評に安心することはまったくできません。
 しかし、あらためて考えてみれば、学生に依存することなくして授業をすることなどできるのでしょうか。
 「この授業の成否は、ひとえにみなさんの日ごろの取りくみにかかっています」という教員の常套句は、学生に奮起をうながすためのことばとして受けとめられますが、じっさいには、文字どおりの意味での真実ではないかと思います。

 がらにもなく職業的なことを書いてしまいました。おはずかしい。

2007年2月25日
円環

 晴れ。朝はとても寒く、ひさしぶりに水たまりが凍っていた。

 日曜だが入試業務のためつくばに出勤。きょうは前期日程の2次試験。
 おもいおこせば、いまからちょうど20年まえの1987年、わたしはおなじ筑波大学のおなじ2次試験を受験したのだった。
 おなじ人文学類の、当時と同形式の試験 (120分×3科目、というざっくりとした試験。とくに地歴公民は、400字×4問の論述のみという、いかにも国立大学の2次らしい試験) の場に、こんどは実施がわとして居あわせることになるとは、円環がとじたような、ふしぎな感じがする。

 今春はもうひとつ、円環がとじたように感じることがある。
 それは、4月から人文学類1年4クラスの担任をつとめることになったことだ (担任といっても、前任校におけるごとく、学生の履修申請の書類の窓口になったりはしないが (苦笑))。
 20年まえにわたしが入学して属したのも、おなじ4クラスだった。
 こうなると、受験生や入学生のなかに、わたしのひそかな分身がいるのではないかとさえおもえてくる。
 いや、わたしだけでなく、19歳のころをいっしょにすごした、わかさにまかせて活溌だったすべての同級生の分身が。

 おもわず、コルネイユの≪Marquise≫の一節をくちずさみたくなる:

 Le mesme cours des planètes
 Règle nos jours et nos nuits
  (惑星は同じまわりかたをして
  (われわれの昼と夜を律する
 On m'a vu ce que vous estes
 Vous serez ce que je suis
  (わたしもあなたのようだった
  (あなたもわたしのようになる