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南京大虐殺の裁判

731・南京・無差別爆撃李秀英さん名誉毀損本多勝一さん名誉毀損夏淑琴さん名誉毀損夏淑琴さん名誉回復
秀英さん名誉毀損訴訟

 

原告と請求内容

李秀英さん(南京大虐殺の被害者) 慰謝料1200万円と謝罪広告

提訴

1999年9月17日 東京地裁

東京地裁判決

2002年5月10日 勝訴

東京高裁判決

2003年4月10日 勝訴

最高裁決定

2005年1月21日 勝訴

支援団体

南京への道・史実を守る会

南京虐殺の否定を許さず、李秀英名誉毀損裁判を支援する会(略称「李秀英さんを支援する会」)

李秀英さん名誉毀損訴訟とは?

 李秀英さんは、南京大虐殺事件の被害者です。1995年8月、日本国を被告として損害賠償の訴えを起こしました。1999年9月22日、東京地裁は、請求は棄却したものの、李秀英さんの被害事実と南京虐殺の事実は認める判決を言い渡しました。ところが、『「南京虐殺」への大疑問』(展転社刊・松村俊夫著)という本で、「李秀英は実際に被害を受けた者ではない別人である」とか「仕立て上げられたニセモノ」と記述されたのです。李秀英さんは、南京で受けた被害に続き、今回の不当な記述によって二重の被害を受け、怒り悲しみました。そして自己の名誉を守るため、1999年9月、松村俊夫や展転社等に対する、名誉毀損に基づく損害賠償請求の訴えを東京地方裁判所に起こしました。

 この名誉毀損事件は、李秀英さんが別人かどうか、別人と信じるに足る資料を著者が有しているかという点が争点になりました。通常の名誉毀損事件と同様に法的判断がなされるのであれば、必ず勝利判決を得ることができる事件です。しかし、南京虐殺事件を否定する勢力は、この裁判を南京虐殺事件を否定する裁判として大きく位置づけました。「自由主義史観」グループの代表的存在である藤岡信勝氏は、この裁判について、99年11月8日付産経新聞の「正論」で、「この裁判は法廷の場で南京虐殺の存否を初めて本格的に争う絶好の機会となるであろう」と述べました。このような情勢の中で、本裁判は日本軍の残虐行為の代表的事例である南京大虐殺をめぐる、いわば「第二の教科書裁判」として国際的に注目を受けました。

東京地裁での闘い

 2000年から2001年にかけて、合計10回の審理が開かれ、原告からの訴えの根拠、被告(松村ら)の意見陳述、などが続きました。

 東京地裁は、2002年5月10日に「松村の本の記述は名誉毀損にあたる」として、松村らに150万円(慰謝料120万円と弁護士費用30万円)を支払え」との判決を下しました。

東京高裁での闘い

 松村らはずいぶん迷ったようですが、地裁判決後、控訴期限ギリギリになって、東京高裁に控訴しました。この判決に不服だったようです。李秀英さんの側 も「対抗」して控訴しました。慰謝料の請求は1200万円を要求していましたし、謝罪広告は認められなかったので、この部分についての控訴をしました。

 東京高裁では、2回の審理で判決になりました。これはあまりにも事実が明白で、あらたな争点もないことから、当然のことです。2003年4月の判決は当然ながら「一審通り」ということになりました。再び勝訴となりました。かたちの上では「双方の控訴を棄却」ですが、一審で名誉毀損にあたると認定し、慰謝料の支払いを命じ た部分を維持しています。

 判決文は、A4版16ページにわたるものです。この種の事案としては、長い判決文で、高裁もていねいに審理していたことがわかります。ていねいにみても「新たな争点」はないので、地裁判決を引用しながら、再び松村らの主張をしりぞけるものとなっています。

●判決の分析

 少し丁寧に見ましょう。李秀英さんの側は「謝罪広告を新聞に載せろ」という主張をしました。この点は一審でもしりぞけられていますが「産経新聞に松村本が紹介されたり、藤岡信勝の記事が載ったが、そんなに影響はない」という判断でした。また、「『月曜評論』などで裁判開始後も李さんに対する誹謗をくりかえしたのは李さんのいう通り問題ではあるが、松村本は1300部ほどしか売れていないし、普通の読者にはこんなことはでたらめだとわかるから慰謝料がひくすぎるということはない」という判断になりました。この「普通の読者」という部分を判決文は「本件書籍中の推理あるいは推測に充分な合理性がないことは、資料を批判的に検討し、かつ合理的に判断できる読者の多くにおいては容易に理解できる」と書かれています。

 また、松村らの主張はことごとく退けており、一審判決を維持すべきという結論になっています。松村らは「李さんは私人ではなく、公人だ」と主張しましたが、そんなことよりは著しくひどいことを書いているのだから、これは当たらない、と判断しました。また、松村らは事もあろうに「本には『李さんはニセモ ノ』とは書いていない。疑問を呈しただけだ」と主張しました。これに対して、判決文では「『もう一人の李秀英』という見出しは一般の読者が読めば、別の人物がいるということになる」と判断しました。

 そして、松村らは「表現の自由」を主張しています。これこそちゃんちゃらおかしいというほかはありません。この間、私たちの運動に攻撃をかけ、おどしをかけてきた右翼の人たちにむけてこそいうべきものです。高裁判決文は、このように書いています。実に重要な部分です。「表現の自由が憲法上保障された重要権利であることはいうまでもないが、個人の尊厳と名誉の保護も同様に重要な権利保障制度のひとつであって、表現の自由にも自ら一定の限界があり、個人が自己の名誉を毀損された部分について損害賠償を求めることが、表現の自由の保障の趣旨に反するものとはいえない」と書かれています。

●李秀英さんからのメッセージ

 勝訴ときいて本当に感激しています。非常に嬉しいです。私の勝訴は日本の右翼に対する大きな反撃になったのではないでしょうか。南京虐殺の被害者にも慰めになったと思います。私は真実は偽りにはなりえないと信じています。日本の右翼がいくら否定しても無駄です。日本の弁護士の先生方に心から感謝します。

●侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館・館長朱成山さんからのメッセージ

 南京大虐殺の被害者李秀英の名誉毀損訴訟が東京高等裁判所でも勝訴したとききました。2002年5月、東京地裁判決の勝訴に続き、また李秀英さんが勝利をおさめました。侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館並びに侵華日軍南京大屠殺研究会を代表し、謹んで先生方に祝福の言葉をささげます。おめでとうございます。これまでの先生方のご尽力に感謝申し上げます。

 李秀英名誉毀損訴訟の本質は、南京大虐殺の歴史は法によって正確に判断・評価され、捏造された歴史観が裁かれたところにあります。正しい歴史観は日中友好の基礎となります。李秀英名誉毀損訴訟は李秀英の松村に対する個人の戦いではなく、南京大虐殺があったかなかったかを決定する裁判だったのです。歴史は抹消できません。李秀英さんら歴史の証人が侮辱されることなどあってはならないのです。私は固く信じています。李秀英はかならず勝ちます。正義は必ず勝ちます。世界が平和でありますように!! 日中友好が発展していきますように!! 

最高裁での闘い

 最高裁(第一小法廷)は、2005年1月20日付の通知で、「被告の上告を棄却する」旨の通知をしました。高裁の判決が確定し、李秀英さんの勝訴が確定したのです。勝訴確定を李秀英さんの存命中にお知らせできなかったことだけが残念でした。

●弁護団からのメッセージ

 今年(2005年)1月21日、最高裁判所第1小法廷から李秀英名誉毀損裁判弁護団のもとに、「本件上告を棄却する。本件を上告審として受理しない。上告費用及び申立費用は上告人兼申立人らの負担とする。」との決定が届きました。

 この事件は、李秀英さんが松村俊夫、展転杜らに対し、その著書『南京虐殺」への大疑問』(展転杜出版)の中で、李秀英さんがあたかも南京虐殺事件の被害者として仕立てられた偽物であるかのように記述して、李秀英さんの名誉を著しく侵害したとして訴えた事件です。李秀英さんは、未だ南京虐殺事件の損害を日本国から償われていないにもかかわらず、この著書によって、さらに本人の人生そのものを否定されるという筆舌に尽くしがたい被害に遭ったのです。1審、2審判決で、松村俊夫氏らによる名誉毀損の事実が認められていましたが、最高裁判所において松村らの上告が棄却され、受理しないとされたのです。これにより、松村らの名誉毀損を認める勝利判決が確定しました。

 李秀英さんは、1937年12月19日、南京市の国際安全区内の小学校の地下室に隠れていた際、日本軍人によって強姦未遂にあい、抵抗したために瀕死の重傷を負わされる被害を受けました。

 1995年、尾山宏弁護士を団長とする中国人戦争被害調査団と出会い、日本国を相手方として自らの被害の賠償請求の訴えをなすことを決意し、翌1995年8月、731部隊被害者遺族、永安無差別爆撃被害者とともに日本国を相手として損害賠償を求める訴えを提起しました。

 この裁判は、1999年9月22日、第1審判決があり、判決では、被害事実について認定され、国は謝罪すべきとの判示がなされたものの、賠償請求権については認められませんでした。その後、李秀英さんはすぐに控訴し、本年(2004年)7月29日に控訴審も結審し、現在判決日は追って指定とされています。

 一方、李秀英さんは、1995年以降、数度来日し、全国各地の証言集会に参加し、戦争を知らない若い世代の日本人に、日本の加害の実態と中国人の被害の事実を語り続けました。李秀英さんの優しい人柄と、強い信念に多くの日本人が感銘を受けてきました。李秀英さんの日本での証言活動は、日中両国民の今後の友好関係に必ずやよい影響を与えたことと確信いたします。

 李秀英さんは、国に対する損害賠償請求事件、名誉段損事件の両事件の闘い半ばにして、この世を去りました。李秀英さんの無念はいかばかりのものかとお察しするとともに、ご存命中にこの最高裁の勝訴判決を李秀英さんにお届けできなかったことを深くお詫び申し上げます。

 そして、何らの救済も行わないまま60年もの長き間、李秀英さんを始めとする被害者らを放置し続けた日本国に対して、強く抗議するとともに、一日も早い解決を要求します。この度の最高裁勝利判決は、南京虐殺を否定する人々にとって大きな痛打となったと思います。現在、本多勝一さんを被告としていわゆる「百人斬り裁判」が行われていますが、この裁判に'とつても大きな影響があると思います。(弁護士南典男)

●支援団体からのメッセージ

 南京大虐殺を生きのびた李秀英さんを「ニセモノ」よぱわりした松村俊、展転杜らを李さんは名誉毀損で訴えていました。。一審・二審でともに勝訴判決をかちとってきましたが、2005年1月20日、最高裁は松村ら被告の上告を棄却し、二審の判決を確定する通達を出しました。これで「南京虐殺はなかった」という松村や展転杜の言い分は通らなかったということになります。南京虐殺をなかったことにしようという策動は崩されたわけです。

 私たちは李秀英さんが彼女の生涯をかけて、南京大虐殺の真実を多くの人に広め、日本が再び侵略の戦争をおこさないようにと生きてきたという名誉を確保できたことを第一に喜ぱしいことと思います。そして、日本の司法機関が、南京大虐殺の事実を認めたという点でも、この判決の効果は大変大きなものということが できます。「南京虐殺はなかった」という右翼が今全国で暗躍し、歴史の教科書からこの事実をもみけそうとしいう策動を進めている時に、日本の裁判所が李秀英さんの被害事実を認定したわけです。(大谷猛夫)

●張連紅(南京師範大学教授、南京大虐殺研究センター長)氏からのメッセージ

 李秀英さんは高齢で身体も丈夫ではない身でしたが、自らの尊厳を守るために日本の弁護士・歴史学者の皆さんの支援の下、南京大虐殺の事実を否定する日本の右翼とのたゆまない戦いを続け、ついに決定的な勝利をかちとりました。松村俊夫が李秀英さんのことを偽りの証人だと中傷した最終的な目的は、南京大虐殺の歴史的事実を全面的に否定することでした。こうした意味では、李秀英さんの裁半は、日本の国内が虐殺の事実を認めるかそれとも否定するかという戦いであったことになります。裁判は6年にも及びましたが、中国・日本双方の国民の大きな注日を集めましたので、李秀英さんの勝利は日本の右翼勢力の増長に対して一定の打撃を与えることになりました。またこの勝利が日本の右翼による虐殺否定の言説の悪影響を一掃し、日本の国民の皆さんに虐殺の事実と、真相を理解せしめたという点で非常に重要な役割を果たしたのです。

 また最後になりましたが、この度の裁判の弁護団の先生方と裁判に関係して下さった学者の先生方に対して祝賀の意を申し上げたいと思います。中日両国の友好と平和のためにみなさんがこの裁判のために長期にわたって労力を惜しまず差し出して下さったことに、深く敬服いたします。

1月25日張連紅(南京師範大学教授、南京大虐殺研究センター長)

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