2010年4月に行った9回目の全国公立小中学校施設の「耐震改修状況調査」の集計結果、耐震化率は全国平均で73.3%となり、この一年間の伸び率はこれまでで最大の6.3%(09年は4.7%増)に達し、耐震性のない建物(耐震診断未実施含む)は前年の41,206棟から約8,000棟減少し、33,134棟になりました。
耐震化全国一は、96.1%の神奈川県で、静岡県が94.3%と続き、宮城県93.5%、三重県92.1%、愛知県91.9%となり、90%台は5県となりました。耐震化80%台には山梨県、東京都、長野県、宮崎県、滋賀県の5都県。同じく70%台は、11府県ありましたが、全国平均を超えたのは、京都府、岐阜県、鹿児島県、兵庫県、沖縄県、和歌山県の6府県でした。
学校の統廃合等により、前年から738棟減少し、今回調査対象になったのは、12万4,238棟です。新耐震基準により建築された昭和57年以降に建てられた5万1,021棟と昭和56年以前建築の7万3,217棟の内、耐震性ありと判明したか耐震改修を終えた建物4万83棟の合計9万1,104棟で、耐震化率は73.3%となりました。この1年間に耐震補強工事が行われた学校施設は、7,000棟を上回ります。
昨年調査と内容を比較すると、高い耐震化率を達成している保有棟数の多い東京都、神奈川県、愛知県等の都県が引き続き耐震化のための取り組みを進めていることに加え、鹿児島県(15.7%)、長崎県(12.3%)、香川県(11.9%)、福岡県(11.1%)、熊本県(10.3%)、青森県(9.8%)、徳島県(9.6%)等の急速な取り組みを示した県の取り組みが、過去最大の6.3%という伸び率を生み出したことが明らかになります。
耐震化が必要な建物は、33,134棟ありますが、今後の耐震化の取り組みを考えると「未対策棟数」の大きな府県の取り組みが問題となります。大阪府2,649棟、北海道2313棟、福岡県1,606棟、千葉県1,718棟、兵庫県1,352棟、埼玉県1,386棟、茨城県1,310棟、新潟県1,047棟、広島県1,199棟と1.000棟を超える9道府県だけで1万4,580棟となっています。
2010年4月
学校施設の耐震化調査
○ クリーム色は、昭和57年以降の保有水平耐力を持った建物の棟数。
○ 緑色は、耐震補強工事を完了したか耐震診断の結果Is値0.6以上の建物棟数。
○ 茶色は、56年以前の建物で耐震診断未実施か耐震補強工事未対応の建物の棟数。
文部科学省「平成22年4月・耐震改修状況調査」より
全国平均下回る
さいたま市など8市
財政基盤の強い15の政令指定都市です耐震化の平均値は80.1%で全国平均よりも6.8%高くなりました。17,246 棟の内、耐震化工事を終えたものや耐震性が確認されたのは、13,822棟となりました。都道府県同様に、先進都市と遅れる都市の差はやはり大きくなっています。
静岡市が政令指定都市では初めて100%を達成しました。昨年トップの名古屋市は、微増にとどまる99.8%でした。
平均を上回る仙台市(99.6%)、川崎市(95.0%)、大阪市(94.4%)、横浜市(94.4%)、、京都市(88.1%)など上位7市と、出遅れている全国平均を大きく下回る北九州市の42.5%をはじめとする8市との格差があります。
2002年文部科学省が初めての全国調査を行い、児童生徒の安全に対して無責任とも言える状況が全国的に広がっていることが明らかになりましたが、今回の第9回調査では、過去最大の伸びがありました。耐震診断も簡易な「耐震化優先度調査」から一次診断、二次診断等が行われるようになり、震度6強または震度7の巨大地震で倒壊または崩壊する危険のあるIs値0.3以下の建物比率が高くなる傾向にあります。
全国で2次診断等を終えた21,826棟の建物の内、大地震で倒壊の危険があるとされるIs値0.3以下の建物は、5,116棟(23.4%)、Is値0.3~0.5の建物9,883棟(45.3%)、Is値0.5~0.6の建物4,019棟(18.4%)で、大地震でも人命に被害がないとされるIs値0.6以上の建物は、わずか2,808棟(12.9%)しかありませんでした。文部科学省は、一次診断と耐震化優先度調査で
鉄筋コンクリート構造で比較的壁の多い建物の耐震診断に
Is値とは、1981年以降の新耐震基準の設計法と異なる古い建物の耐震性を評価するために建物の強度、粘り、形状、経年状態等を評価して出される耐震指標です。
耐震診断でよく出てくる「Is値0.6」は、1968年の十勝沖地震と1978年の宮城県沖地震での建物被害と建物の耐震性評価を統計処理する作業の結果、定められました。
建物被害は、無被害(または軽微)から小・中・大破、倒壊と5分類します。建物の耐震性評価は、建物強度、粘り強さ、建物形状、経年状況などを総合的に判定して段階的に数値化し「耐震指標」とします。数字の小さいものから大きいものへ危険⇒安全となります。
その後、被害を受けた建物を「耐震指標」別に並べたものが、下のグラフです。中破以上の被害を受けた建物が、左下の山となります。全体の傾向を見ると耐震指標0.6以上(グラフの右側)では、中破以上の被害が無いことがハッキリと判ります。このような明確な傾向を示すポイントが閾値と言われ「Is値」となります。
1981年以前の建物に対して行われる現在広く行われている耐震化は、減災を目指すものです。
1981年施行の新耐震基準も、2段階の耐震性能を定めています。
1 中地震に対しては、構造的被害が軽微であること。例えば、鉄筋コンクリート造りの場合、1/200の変形に耐えて、構造耐力が維持されることを設計に当たり確認すること。
2 巨大地震に対しては、人命に被害がないように崩壊しないことを確認すること。
素人考えでは、新耐震基準ならどんな地震が来ても大丈夫と思いがちですが、100年に1回あるかどうかのために、そんなに費用をかける必要はないという話しです。
新耐震基準を策定する経過の裏話で、策定の最終段階で当時の建設省と大蔵省の官僚トップが協議して決めたということで、純粋な学問的裏付けにより最終判断されたのではないことは驚きです。
耐震改修促進法は、 1981年以前の建物の耐震改修を求め改修目標をIs値0.6として、2015年に耐震化率90%達成を目指しています。
十勝沖から宮城県沖にかけては、2つの地震以外にも三陸沖地震等マグニチュード8クラスの地震が繰り返し発生しています。1896年の明治三陸地震では、10mを超える津波が各地を襲い死者2万2千人、1万2千戸の建物等の巨大被害を被りました。
1968年3月の十勝沖地震では、北海道、青森県の被害が中心でしたがむつ市役所の倒壊や八戸工業専門学校を始めとする教育施設、公共施設の近代建築物の鉄筋コンクリート柱の剪断破壊が修復不能となる大きな被害をもたらし、1971年の「建築基準法施行令」と「鉄筋コンクリート構造計算規準」の改正となりました。
1978年6月の宮城県沖地震は、初めて人口60万の大都市(仙台市)を震度5の地震が襲ったもので、住民生活とその基盤が大きく破壊され都市ガスの供給ストップ、地盤の液状化と建物倒壊、停電による信号機不全と交通渋滞、都市型災害に対する防災の課題をあきらかにしました。なにより全半壊建物の被害の大きさを受け、建築基準法が1981年大改正されました。
Is値0.6は、震度5程度の中地震において、中破以上の被害がない程度の耐震化であり、「無被害」や「軽微な被害」を目標に置いたものではないことを理解する必要があります。