③シンハラ動詞「見る」の活用1
かしゃぐら通信2005.11.11 / 2007-Dec-23 2013-06-10/2015-Feb-07/2016-02-12













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 シンハラ動詞は活用します。下の表はディサーナーヤカ先生が「動詞」の本の中で掲げるシンハラ動詞 බලනවා の活用(変化)一覧です。シンハラ動詞の「見るබලනවා balanawa」はこれだけ語形変化するというのです。


බලමි
balami
බලමු
balamu
බලන්නෙමි
balan'nemi
බලන්නෙමු
balan'nemu
බලයි
balayi
බලති
balathi
බලන්නේය
balan'neeya
බලන්නාහ
balan'naaha
බල්ද්දි
baladdhi
බලමින්
balamin
බලතත්
balathath
බලතොත්
balathoth
බලන
balana
බෑලු
baeelu
බලනවා
balanavaa
බැලුවා
baeluvaa
ක්‍රියා පදය / බසක මහිම :11 / ජේ.බී.දිසානායක /ගොඩගේ පොත් මැඳුර 2000 section4 p.13 アルファベット表記はKhasyaReportが追加しました


 最上段1列は文語での変化(屈折)です。動詞「バラナワ(見る)」は文語の場合、主語の人称と態の違いによって「バラミ」「バラム」「バランネミ」「バランネム]…と語形変化します。
 2列目以降が口語での変化(活用)です。「バラナワ」がどう変化しようとバラ බලが変わっていないことが分かります。ここには文語と口語が同時に並べられていて、文語でも口語でも「バラナワ」は変化しない語根部分のバラと変化する語尾の結合で成り立っていることが示されています。この現象はほとんどのシンハラ動詞に適用できるとディサーナーヤカ先生は言うのです。
 動詞語根を動詞のさまざまな活用形から切り出して、語根は変化しない、語尾が変化するとはっきり宣言したのはJ・B・ディサーナーヤカ先生が初めてでしょう。これ以前にも動詞を語根と語尾とに分けて他動詞と自動詞の別を指摘したり、能動態・受動態の別を見分けることはありましたが、動詞活用として語根と語尾の関係が指摘するされることはありませんでした。動詞は語尾が活用変化してさまざまな態を現すという指摘は、それが出来そうで出来なかったのです。

 日本ではシンハラ語が「屈折語で印欧語族」とされていますから、ここから演繹して膠着語としての日本語とは別物です、と機械的に決定されてしまうのですが、これってあんまり意味がないのです。クイズ番組に答えるような常識で実態をバイオスするのは止めといてみましょう。
 とにかく、熱帯スリランカの島でシンハラ語をシンハラ人と話せるようになるにはどうするか。かしゃぐら通信のシンハラ語が追及するテーマはここに尽きます。ああ、文法なんてしゃらくさい。話せりゃいいんだ。クイズ番組に答えるための知識なんて愚にもつかない、って、シンハラ文法が地上波TVのクイズのテーマになるはずがないのですけど。

 J・B・ディサーナーヤカ先生は動詞の「活用語尾クリヤー・プラティヤ」が動詞の語形変化をもたらし態を作ると何度も繰り返して指摘します。「シンハラ動詞は活用する」ということを普通のシンハラ人に納得させるのは、日本人の一般教養がある語学通に「シンハラ語は屈折語かどうか怪しいところがある」と切り出すのと同じぐらいエネルギーが必要です。
 突っ込んで言えば、シンハラ人にとっては「バラの部分が変化しない」と説明されるのが嫌なのです。高貴なシンハラ語としては動詞丸ごと変化して、いえ、屈折して欲しいのです。
 ほとんど大多数の日本語で書かれたシンハラ語教本や、英語で書かれた教本などが動詞語根とか語尾とかの言葉を使わないでシンハラ語の「動詞変化」を説明していたのはそこに理由がありました。苦し紛れに「動詞の根」などと言ってシンハラ動詞の「変化しない部分」を説明するのはシンハラ文法で言う「ムラ・ダーツ」(根っこの・要素)が「語根」を意味するからです。
 以前のシンハラ語学習本はシンハラ動詞の語形変化を「変化する」と教えて、その変化を機械的に羅列します。だから、シンハラ語を学ぼうとすると動詞の勉強にはすっごい苦労を背負わされます。ばかに記憶力のいい人か、機械的に物事を処理することが大好きな人しかシンハラ語を覚えられなかったのです。
 ここまで読まれた方はこう思うでしょう。そうか、だからシンハラ人は頭がいいのか。彼らってすっごく記憶力がいい。
 でも、それは違います。シンハラ人にも頭のいい人はいる。それなりの人もいる。シンハラ人は生まれてからずうっとシンハラ語を聴いて話しているから自然にシンハラ語が身に着いてしまう。それって語学能力とはあまり関係がありません。日本語だって外国語として学ぶ人には動詞活用のコツをつかんでなければ動詞はひどく面妖なものになってしまいます。
 以前はシンハラ動詞の変化を語形丸ごと覚えさせられました。シンハラ・ネィティーブなら子供のときから習うより慣れろで動詞に接するから「丸ごと」でも無理はありません。でも幼児期に母語を組み込まれた大人が外国語としてシンハラ語を学ぶには「丸ごと」はちょっと無理。
 でも、ここでガマの油の登場です。J・B・ディサーナーヤカ先生の動詞活用論をひと塗りすれば動詞の扱いが楽になります。あっ、「シンハラ語の話し方・増補改訂」も日本版のガマの油です。「話し方」を火と読みすれば、シンハラ語の会話学習が楽になります。
 

 日本語の動詞のようにして覚えてしまう

 シンハラ動詞の活用を覚えるのは日本語の動詞活用を覚えるのと同じこと。
 JB先生が「動詞」の本に掲げた動詞活用、自動詞と他動詞、使役動詞の項目を選んで、それぞれを検討してみましょう。

 動詞活用

 「シンハラ語の話し方」ではシンハラ動詞の活用を日本語の動詞活用に当てはめてその活用規則を整理しました。JB先生の「動詞」ではどのようにシンハラ動詞の活用を整理しているのでしょう。
 「動詞」の本の5章の「シンハラ動詞活用表」に、旧来のシンハラ語文法に沿った動詞変化の規則が紹介されています。
 主語が一人称なら動詞語尾はミで終わり、二人称ならヒで終わる、といった類の文語的な動詞語形変化です。上の表の1列目が文語の語形変化です。シンハラ文語は人称の性と数の違いによって述語動詞の語尾や語形そのものを変化させます。シンハラ文語文法伝統の儀式がそこにあって、パーリ語やサンスクリットとシンハラ語を結びつけるときには格好の状況証拠です。シンハラ語を屈折語とするのも、いわゆるアーリア語族に組み込むのも、このシンハラ文語の動詞変化に根拠があります。でも、考えてみれば、シンハラ文化は仏教文化にその基盤があって仏教文化でシンハラ文化は輝いたのですから仏教をこの熱帯の島に運び込んだパーリ語が文語シンハラに多大な影響を与えた、いや、文語シンハラを作ったとしても変じゃない。日本語だって、漢文が詩歌文学と行政統治の唯一最大の武器だった時代が奈良から平安にかけて相当長くあって、それはいってみればシンハラ文化の中のパーリ語のようなもので、だから、今だって漢文崩れの文が品格あると評価されています。
 
 シンハラ文語文法の動詞変化一覧を載せた表は問題外、表の後ろに目をやると…ページで言うと15ページ、16ページをめくると…ここから日本語学校文法式の動詞活用が展開します。その一部は下の表の通りなのですが、右端の欄に並んでいるシンハラ文字が日本語的に捉えたシンハラ動詞活用の名称です。

 表の左端をご覧ください。『シンハラ語の話し方・増補改訂』の読者の皆さんならここに並んだシンハラ動詞の語形に見覚えがあるでしょう。 『話し方・増補改訂』でご紹介したシンハラ動詞「いる」「ある「食べる」の活用形と見比べてください。『話し方』でも、ここに並べられた動詞活用形と同じような整理をしています。

class="lh2"
ශුද්ධ ක්‍රියා පදය ක්‍රියා ප්‍රකෘතිය ක්‍රියා ප්‍රත්‍යය ප්‍රත්‍යයේ නාමය
බලන
balana
බල-
bala-
-න
-na
වර්තමාන කෘදන්ත ප්‍රත්‍යය
බලද්දී
balaDDii
බල-
bala-
-ද්දී
-DDii
ආවස්ථික ක්‍රියා ප්‍රත්‍යයා
බලමින්
බලන්ට

balamin
balanta
බල-
bala-
-මින්
-න්ට

-min
-nta
මිශ්‍ර ක්‍රියා ප්‍රතිය
ලක්ෂ්‍ය ක්‍රියා ප්‍රත්‍යය
බලතොත්
බලතත්

balathoth
balathath
බල-
bala-
-තොත්
-තත්

--thath
-thoth
ශුද්ධ සාධනීය අසම්භාව්‍ය ක්‍රියා ප්‍රත්‍යය
ශුද්ධ නිෂේධනීය අසම්භාව්‍ය ක්‍රියා ප්‍රත්‍යය
බලා
බලනු

balaa
balanu
බල-
bala-
-ආ
-නු

-min
-nta
පූරුව ක්‍රියා ප්‍රත්‍යය
භාවරූප ක්‍රියා ප්‍රත්‍යය
බැලිය
බලත්ම

baeliya
balathma
බල-
bala -
-ඉය
-ත්ම

-iya
-thma
ප්‍රයෝශ්‍ය ක්‍රියා ප්‍රත්‍යය
අනන්තර ක්‍රියා ප්‍රත්‍යය
ක්‍රියා පදය / බසක මහිම :11 / ජේ.බී.දිසානායක /ගොඩගේ පොත් මැඳුර 2000 section5 p.16
අනවසාත ශුද්ධ ක්‍රියා ප්‍රත්‍ය
アルファベット表記はKhasyaReportが追加しました。

 語根と活用語だけアルファベットでも表記しましたが、これでは分かりにくい。このシンハラ語の表をカタカナで表して右一列を日本語の直訳してしまうと次のようになります。

動詞語形 動詞語根 動詞語尾 語尾の名
 バラナ
 balana
バラ
bala

na
現在形、連体修飾の動詞語尾
 バラッディー
 baladdii
バラ
bala
ッディー
ddii
並行進行の動詞語尾
 バラミン
 balamin
 バランタ
 balanTa
バラ
bala
ミン
min
ンタ
nTa
混合の動詞語尾(他の動詞と混用するという意味で連用修飾の語尾)
限定の動詞語尾
 バラトッ
 balathoth
 バラタッ
 balathath
バラ
bala
トッ
thoth
タッ
thath
仮定(肯定~すると)の動詞語尾
仮定(否定~しても)の動詞語尾
 バラヌ
 balanu
バラ
bala

nu
状態を提示する(~することは)動詞語尾
 バェリヤ
 baeliya
 バラトマ
 balathma
バラ
bala
イヤ
iya
トマ
thma
使役の動詞語尾
行為の遮り(~していると)を表す動詞語尾

 動詞語根を「バラ」で揃えると、これに付く動詞語尾が上の表のように現れます。
 きれいに語根が揃っています。でも、ちょっと怪しい、か?
 怪しいと嗅ぎまわったのは動詞語尾とされている部分の接辞が「ディー-ද්දී」や「トッත් 」のニパータだったり、「ミンමින් 」や「ンタන්ට 」のように語根の切れ端とニパータがくっついて見えたりするからです。
 そうした塩梅加減のしっくりいかないところはあるけど、語根を固定させたことでシンハラ動詞の仕組みがすっきりと分かりやすくなりました。これ、シンハラ文法史上、初めて試みられた動詞の解釈。シンハラ語文法のコペルニクス的展開そのものなのです。だから、シンハラ人には分かりにくいし、分かりたくないこともあるようです。パーリ語そのままのシンハラ文語文法を鵜呑みにしているシンハラ語学徒にはJB先生のこの話、聞きたくなくて仕方がないようだけど、シンハラ語の重鎮のJB先生がそう言うものだから表立って反論はできないし、ああ、こまったものだ、新しい言語学説に惑わされてこんなこと言いだした、無視しちゃお、という状態が続いています。
 それはさておき、さてさて、シンハラ語が私たちの日本語にとって奇妙に面白いつながりを見せてしまうのはここからなんです。


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