『セイロンの歴史』が「現在はコロンボガムと呼ばれている」と書く場所はタミルネットに言わせると「植民地時代にコロンボガムと呼ばれたコズムプットゥライKozhumpuththu'rai」となる。TamilNet, Thursday, 05 July 2007
ここはローマ時代から知られていた港で、マンナルやプッタラムを通り過ぎてコロンボとを結ぶ航路が開かれていた。歴史の中でもここは重要視されるが、それはここがまさにインドから菩提樹が持ち込まれた港だったからだ。シンハラ人にとってもゆかりの深い土地ということになる。
1984年10月末、ジャフナで仏教の布教を外交で行っていた日本山妙法寺の僧侶横塚信行師がLTTEによって射殺された。今、この地で仏教の布教をすべきでないと説得したのだが聞き入れてもらえなかったと中村尚司から事件後に聞いたことがある。A・T・アリヤラトネのサルボダヤの事務所を出て団扇太鼓を鳴らしてジャフナの街を歩いたところを狙撃された。
ジャフナはタミルの居住地域だが、かつてはシンハラ仏教のかけがえのない聖地だった。シンハラとタミルの争いは宗教に根深い病根を持っている。
参考/ A.T.Ariyaratne / Presidential Commission on Lessons Learnt and Reconciliation / 2010 |