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エリザのセイロン史









1893年6月、スリランカのヌワラエリヤでエリザベス・ホワイトは冊子を手にした。英国キリスト教伝道協会がコロンボで発行した'History of Ceylon'(セイロンの歴史)だ。115ページのコンパクトなハンドブック。そこにスリランカの歴史が丁寧にまとめられている。ナイトン、プライダム、ターナー、テンネント、ファーガソンという、当時のスリランカ研究第一人者たちの著作から歴史に関わる部分を集めている。言ってみればこのハンドブックはスリランカの歴史と文化の「まとめサイト」。




スリランカの歴史1 ラーマ王の物語
ラーマ―ヤナの伝説

   

ラーマーヤナ/アバヤシンハ著/表紙
Ramayanaya/G.M.P.Abhayasinha
M.D.Gunasena発行 2000
シンハラ語のラーマーヤナ。6章「戦争の巻」
が「ランカーの巻」と題されている。


 スリランカの歴史は古代に始まる。インド亜大陸から海路やってきたシンハラという人々が先住の諸民族を淘汰し.また懐柔して共存し、彼らは世界でも稀有な高度に発達した多民族の古代都市国家を造った。
 国の誕生物語が語られるのはスリランカ建国の時から数百年を過ぎてからのことだから、その物語に記された彼らの王族の逸話が信じるに足るものかどうか、疑わしい。
 インドの寓話はこう語っている。猿や熊が王子のお供をしてインドの海を渡ってランカー島に進軍して行った。王子は猿や熊の助けを借りて、ランカー島の鬼王ラーワナと戦い勝利した、と。

 ラーワナ王が治める都市国家をランカプーラと言った。インドの古代叙事詩「ラーマーヤナ」が語る。古代スリランカは黄金の城壁で囲まれた秀麗な国だった、と。その黄金にかがやく国がランカプーラだ。

ラーマ王の物語



 ラーマはアヨーダヤAyodhayaと呼ばれた国(現在Oudh)の王子だ。シータ姫という美しい妃と暮らしていた。「ラーマーヤナ」はラーマ王が気高いウィシュヌ神の化身であることを伏線におきながら、彼の放浪、戦争、そして、祖国へ帰郷するまでの一代記を語っている。
 物語の第2巻に、ラーマ王子が王位継承の争いに翻弄されて国を出る場面がある。シータ姫と弟のラクシュマナを伴ってインド諸国をさまよった末にダンダカの森-dakshina
/「南」が語源・現在のデカンのこと-へたどり着く。王子らはインド南部のダンダカの森でひっそりと平穏に暮らした。
 だが、そこへ美貌のシータ姫の噂を聞いたラーワナ王が現れた。鬼と呼ばれるランカー島の悪王である。鬼王はシータ姫を誘拐して、ラーワナの王都ランカプーラへ連れ去ってしまう。
 ラーマ王子はインド南部の部族の力を借りて姫を取り戻しにランカー島へ行く。12年間ラーワナと戦った。その末にランカプーラを陥落し、シータ姫を助けだした。このラーマ王子とラーワナ王の長い戦争は叙事詩「ラーマーヤナ」の核心だ。

 キリスト教現地教育協会がコロンボで発行した『セイロンの歴史』には、「インドの無垢な人々は今でもセイロンに住むのは鬼とサルだと思っている」とある。この部分は、西洋化しないアジア人を、言い換えれば、キリスト教に改宗しない人々、英国王に忠誠を誓わない人々をサルと見下す鼻持ちのならない記述だ。
 「ラーマーヤナ」の作者は物語を面白おかしく描いて、ラーワナ王を巨大な鬼に仕立て上げ、彼の軍隊を猿と熊で編成されていると脚色したに過ぎないのだろうに、それが語り継がれると、セイロンに住むのは鬼とサルと熊になってしまう。おそろしいものだ。

 「ラーマーヤナ」は、しかし、面白い。話が面白いのでアジア中に広まった。インドネシアのバリに伝わる話では、ラーワナの王都がアレンカAlenkaと呼ばれている。これは「美しい」という意味だ。

  注/ シンハラ語に「アランカーワ」という単語がある。「美しいこと」を意味する。アヌラーダプラ近郊にその名を持つ森がある。アランカーラヤという。仏教修行の瞑想の山となっている。森の小道を行くと所々に小ぢんまりとした瞑想の空間がある。簡易な庵(クッティヤ)がある。古代にこの森に王宮があった。大きな沐浴場やレンガ積みの城壁の跡が残っていて発掘が進んでいる。スリランカには同様の古代遺跡が各地の森の中に今も数多く残されている。歴史の中に放置され忘れ去られたスリランカの森の中には聖者たちの桃源郷があり、シンハラ王族の住まいがあった。

 「ラーマーヤナ」が語るランカー島の征服話はスリランカの側から見れば、ラーマ王子による悪王ラーワナ退治という勧善懲悪のテーマも一変する。平和で秀麗で裕福な都市国家ランカプーラが大陸から攻め寄せる軍事国家によって侵略される史話へと変容するからだ。

 「ラーマーヤナ」の第5章「スンダラ・カーンダ」(美の巻)で悪王ラーワナの都ランカプラはスンダラ(麗しいもの)と絶賛される。街を守って取り囲む防壁は黄金で作られ、山頂にはラーワナの黄金の宮殿が壮麗な輝きを見せている。宮殿を取り囲む白蓮の花。泉の辺りに流れる弦の調べ。松が枝を伸ばしナツメヤシの花が満開に咲き誇る。マンゴーの木は実をたわわにして茂る。その庭に黄金が敷かれ道を作る。徹底してランカプラは黄金の都として描かれる。パーニニが記したこの部分の描写は「白鳥とガチョウが遊ぶ幾多の池に囲まれて」と続いているので、ハンダ・カダ・パハナに浮き彫りにされる図柄を大いに誇張して歌に描いたかのようだ。
 ランカプラ攻略の前に、偵察にやって来たハヌマーンは都市の様子を賛美して報告した。ラーマ王子さえも、それは「戦争の巻」に描かれているのだが、ラーワナを倒した後に、「シータ姫、私たちはもっとも文明の高い国をみたのだ」と言っている。ただし、これはレグルス文庫に記された「ラーマーヤナ」の「シータの身のあかし」に出てくる言葉で、パーニニが残した歌には見当たらない。
 ラーマーヤナが語るこの戦争は文明度の低い武力国家が文明度の高い文化国家を軍事に任せて襲い掛かり、その国の財を根こそぎ奪い取ると言う、人間の歴史にありがちなパターンを描いている。
 日本の歴史にそうしたパターンを追えば例を挙げるに際限はない。源頼朝が義経追撃を口実に平泉の藤原一族を急襲し、東北の都市国家が蓄えた金銀の財宝をことごとく鎌倉に持ち帰った話。ヤマトタケルの軍が日本列島の先住民を平らげる英雄談もこの類のよう。西欧からアジアを開放するとのスローガンで日本が仕掛けて敗れた大戦も、人質のシータ姫を「植民地のアジア」に置き換えればラーマ王子の口実だ。
 アメリカがイスラムのならず者国家に対して仕掛けた戦争において、悪のテロリスト国家に囚われの身となったジェシカ・リンチを救い出したという美談がシータ姫奪還神話と瓜二つなのはなぜだろう。イスラム国家が抱え持つ石油はランカプーラの金銀にも勝る財宝だったからだろうか。

 古代スリランカはルビーとシナモンの財宝を有する島国としてその名を世界にとどろかせていた。シンハラ王朝が成立して後、度重なる南インドのタミル王国からの侵略に悩まされ続け、防備に防備を重ねた。国力が増大すると、逆に南インドのタミル王国を陵辱した。戦争に疲れれば時にタミル王国を懐柔した。シンハラ王国は南インドのタミル王朝の王女を迎えるという政略結婚を通して和平を保つ時期が続くのだが、タミル王国との危うい均衡の時代はアジアの富をあさる西欧列国の侵攻で消滅する。

 「セイロンの歴史」が語るスリランカは、そうした事件の全体像である。二千年を越えるスリランカの歴史の中で何が起こり、それらの事件はどう解決されたのか。
 「ラーマーヤナ」は叙事詩を歌うが、それは歴史ではない。そこには歴史の真実が埋め込まれているのだが、詩は人の心が生み出す合わせ鏡の寓話だ。

 スリランカは宝石と黄金の財宝に囲まれる島。豊かな自然を人々は楽しみ、自然は豊富な農産物を生み出し、それらを享受しながら、古代に高度な文明都市国家を生みだした。そして古代都市国家を巻き込む戦争が起こった。スリランカは戦争を仕掛けた国の属国となった。
 次にスリランカ草創期の様子を探ってみよう。シンハラ王朝の史書「マハーワンサ」の冒頭の部分にスリランカ建国の様子が描かれている。

→②ヤカーとナーガ、ウィジャヤの征服