KhasyaReport ひなたやまカフェ 040 / 21-Sep. 2026
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| 9月中旬、ペイズリ―のインド・スパイス料理研究家・香取薫さんからパトーラが届けられた。パトーラって、長~い瓜のことで「蛇瓜」と呼ばれる。皿の真ん中に、塩もみして、茹でて、身をこそげ取って型抜きしたパトーラを置いた。これでちょうど一本分。皿の周りにご飯を丸く堤にして置いて、まろやかに仕上げたカレー・ソースを中に敷く。これでソースは皿からこぼれださない。カレー・ソースにカシューナッツを散らしている。スリランカ名物”カジュ”(カシューナッツのことです)を炒って香りを出すとパトーラによく合う。 調理/KhasyaReport |
幕末に日本へやって来て江戸幕府と通商条約を結んだタウンゼント・ハリスは大のカレー好き。わざわざカレー料理の上手な中国人コックさんを選んで香港で雇い、下田に連れて来ました。下田にはバザールがあるのですがカレー粉は置いていないようなので、ハリスは友人のいるカルカッタへ手紙を書いてカレー粉を送って、と頼んでいます。これも日本へアメリカ領事として赴任するときの話。
なぜか日本の幕末研究者はハリスのカレー好きに触れないのですが中国人研究者Timothy Yun Hui Tsuが「ハリスの料理番は中国人」という論文で幕末の西洋料理に触れています。でも、残念ながらハリスの為にカレーライスを作ったとは書いていません。ハリスの「カレー好き」に触れているのはカール・クロウというノンフィクション作家。下田へ行ってもカレーが食べられようににカレーの得意な中国人コックをハリスは雇ったとカールさんが「日本のドアを開けたのは彼だ」に記しています。あの頃、1860年代、カレーは東洋エキゾチックの”王様”でインドを制した英国ではもちろん、ハリスの出身地ニューヨーク・マンハッタンでも超高級フランス料理店ベルモニコスが伝説のシェフ、シャルル・ランフォーファを招いて「インド風カレーライス」を提供したのですから大流行、ベルモニコスの黄金時代が始まりました。
ハリスは絶対、ベルモニコスでカレーを食べていた
ハリスのカレーを調べていて、g-aiさんと話していたら、
「ハリスは絶対、ベルモニコスでカレーを食べていた。日本へ来る前も、6年後に日本からマンハッタンへ帰った後も」と言うものですから、
「えっ、ほんと?」って聞いたら、
「日本へ行く前はニューヨーク市の教育委員会会長だったから、打ち合わせが多いし、その時はベルモニコスの二階の別室で食事をしながら会議をしていたはず。日本から帰った後は国政から離れて暇だし、エピスコパル教会の食堂やユニオン・クラブの味に飽きたらベルモニコスへ歩いて通った」と物怖じせず堂々と捲し立てます。
ま、aiさんの言うことは眉唾があるから裏取らなきゃいけないけど、まずその線で行くか。ハリスはベジタリアン、だから「ベジのカレーをハリス公使におごった」と幕末、江戸に滞在したプロシア公使オイレンブルク卿が故郷へ送った手紙に書いています。それでこんな筋道を➡ベジで、19世紀で、マンハッタンの高級フランス料理店のカレーで➡とカレーを再現する条件を組み立てていたら、キッチンスタジオ・ペイズリーの香取薫さんからパトーラ(蛇瓜)が今年も私の手元に届けられました。これは最高のタイミング。パトーラで19世紀フレンチ・インディアン・スタイルの料理作ってみたらいかが?、というインド・スパイス料理研究家・香取さんからのサジェスチョンと受け取りました。
ならば挑戦してみましょう。パトーラを主食材にして19世紀、英米仏で流行したスタイルで「インド風カレーライス」ベジ版を再現。たしか、ベルモニコスの昔のメニューにはフランス語-英語チャンポンでCurry of Lamb à l'Indienneとかなんとか書いてあったはずです。インド料理がフランス語と英語で---それとなくお上品なんだと思う---表記されていました。なんだか、19世紀のカレー気分、一気に漂うなぁ。
ベルモニコスの料理書「ザ・テーブル」
ベルモニコスには19世紀当時、分厚い料理書があって、「ザ・テーブル」という書名ですが、ここに「インド風カレーライス」が載っています。『ビートン夫人の家政読本』、仮名書露文の『西洋料理通』に載っているカレー調理法と同じ路線でカレーの作り方が載っているのです。レシピの最後にテーブルに供するときの盛り付けを「皿の周りにライスを丸く置いて、その中に肉を置き、カレーソースを流し込みます」とまとめてあります。これもビートン夫人、戯作者魯文と同じ盛り付け方法。ビクトリア時代の優雅な大英帝国の暮らしを細かに教えてくれるビートン夫人。江戸末期から明治初期まで何でも書いてやると言う仮名書さん。そこにカレー好きのタウンゼント・ハリスが香りにつられて紛れ込む。それぞれ違う国のレシピなのにカレーの料理法は同じ。19世紀後半の一時期、カレーが一瞬にして英米日をチャンクしました。
カレーの盛り付けに注意しましょう。ベルモニコスのフランス流カレーライスは「ライスを皿の周りに丸くドーナッツのように並べメインとなる肉・魚・エビを皿の中央に置きカレー・ソースをかけた盛り付け」です。ビートン夫人も仮名書さんも同じ様に盛り付けると言っています。
この盛り付けを胸にしっかり刻み込んで、さらさらとしたパトーラのカレーを作りました。パトーラの下ごしらえは少し特別。瓜の扱いでいいのですが、パトーラの皮を厚く剥いて皮の下の硬い繊維をよけて、半割にして中の種をスプーンでこそげ落とします。塩を振って15分ばかり置いてしんなりしたら軽く絞って熱い湯に通します。2、3分もすれば瓜特有の半透明でやわらかな姿に茹で上がります。とろとろになった身をスプーンでこそげ落としてセルクルリングに詰めて皿に盛り付け、別に拵えたカレー・ソースと合わせれば「パトーラのカレーライス・19世紀のベルモニコス風」ができあがります。※あくまでも19世紀のベルモニコスです。現在のベルモニコスはかつて禁酒法時代に店を閉じてから経営権やらなにやら変わってしまいました。店の重厚さは変わらないし格も更に上がったけど、経営者も違うし、カレーライスという「多国籍料理」はとっくにメニューから外して高級ステーキ屋さんになってしまいました。19世紀は遠い昔なんです。
あのころ、ニューヨーク・マンハッタンには「レストラン」と呼べる本格的な料理店がなかった。19世紀中頃、マンハッタンの南の外れ、自由の女神のたいまつを持って人々を迎え入れる島の目の前のマンハッタンの先端の細い道路にスイス人のデルモニコ兄弟(だからデルモニコス)がカフェと酒を扱う店をオープンしました。食堂も併設して、メニューにない料理も”トゥ・オーダー”で提供するというサービス。マンハッタンのビジネス職相手に奮闘しました。ここが後にアメリカで初めての本格的フランス料理店デルモニコスとして名を馳せることになる…。フレンチ・インディアンはその時の料理メニューです。「焼き肉」に特化した今はミシュラン・ガイドに載りませんが、シャルル料理長がいたころの多国籍フランス料理・デルモニコスだったら満点の星だったと思います。(丹在 環)
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