KhasyaReport ひなたやまカフェ 034  ひなたやまカフェIndex

大晦日のマリガトーニィ・スープ


もう待ちきれなくなってシアトルのアマゾンにハインツ社のマリガトーニィを注文した。
胡椒の効き方も、シリアルの米の姿も、懐かしい。市場に流通するマリガトーニィではこれが一番。日本上陸が待ち遠しい。


 いつになく寒い師走の入りだった。大晦日には「Dinner for one(お一人様のディナー・パーティ)」が今年もEUのいくつもの国のテレビに流れる。フレディ・フリントン演じる初老の呑み助執事ジェームスとメイ・ワーデン演じる90歳の英国上流婦人ソフィアのショート・コメディ。もう古典のような作品だ。

 ソフィア婦人が古くからの友人を大晦日に招いて晩餐を振舞う。この日は彼女の誕生日なのだ。大英帝国華やかなりし頃の上流階級のパーティ。ユーチューブでは「Dinner for one(お一人様のディナー・パーティ)」をいつでも観ることができるけど、やはり、二人が演じる大人の笑いは年末に楽しむことにしよう。晩餐会のソフィア婦人が客人たちと酌み交わすようにシェリー、ポート、ワインとはしごして。

「毎年の大晦日のように今年も変わらず同じに、ネ」

 ソフィア婦人はジェームス執事にパーティの段取りをそう指示する。今年も災いはなかった。来年もそうだといい。そう、90歳を過ぎても同じように、変わらずに。
「南の島のカレーライス・オリジナル」でお話したけど、このディナー・パーティの最初にテーブルに供されるのがマリガトーニィ・スープ。

 ソフィア婦人が晩餐の始まりを促してジェームスに言う。

ソフィア婦人よろしいわ。ジェームス、そろそろスープを支度して。
ジェームス スープ、かしこまりました。ソフィア婦人、かしこまりました。皆さんお待ちです。マリガトーニィ・スープを少々、ですね。
ソフィア婦人 私、マリガトーニィ・スープがたいそうお気に入りですの、ジェームス。
ジェームス はい。よく承知しております。
ソフィア婦人 マリガトーニィ・スープにはシェリー酒がお似合いですのよ。
↑↓台詞原文


Dinner for One
 ソフィア婦人の誕生日を祝う大晦日の晩餐はマリガトーニィ・スープで始まる。英国調の発音ではっきりとマリガトーニィと言ってるけど、どこかたどたどしい口ぶり。
 マリガトーニィ・スープにはシェリー酒が合うとソフィア婦人。「お一人様のディナー」に真っ先に登場するマリガトーニィ・スープ。
 これ、飲んでみたくなった。



 

シアトルからロンドンへ


 マリガトーニィ・スープを求めて私がスリランカへ行った話は「南の島のカレーライス」に書いた。「オリジナル版」にはその後日談を記した。
 このスープ、実はカレーの原型なのだ。日本式の汁沢山カレーのルーツと言っていい。これが明治期に簡単にカレーと訳されて料理書に載ったものだから汁沢山のマリガトーニィは日本でカレーとして定着した。
 大英帝国全盛時の栄光を語るマリガトーニィ。南インドがその発祥の地。それって、いったいどんなスープ?  カレーの原型というけどカレーからは程遠い味と香りのスープじゃないの?
 昔、村上信夫大先生が「世界のスープ」を紹介したとき「鶏肉のマリガトーニ」としてこのスープを英国代表に取り上げた。これが日本でのマリガトーニィの初出だろう。カレー味のスープなので、料理の玄人たちは誰も見向きもしなかった。
 それが 数年前のこと、ハインツ社がマリガトーニィ・スープをクラシック・シリーズの中に組み入れて発売した。さすが庶民の嗜好をよく飲み込んでいらっしゃる食品産業の老舗。こだわりも商売っ気も他を一歩リードしている。
 そうだ、これを買い求めよう。大晦日にシェリー酒と共に飲んで、「お一人様のディナー」の空席に加わろう。ソフィア婦人の名台詞をなぞって、
いつもの年と同じようにね、ジェームス。Same procedure as every year, James
. と嘯いてさ。

 だが、ここに障壁が立ちはだかった。日本のハインツ支社はマリガトーニィ・スープを、まだ、扱っていない。「Dinner for one(お一人様のディナー・パーティ)」は、まだ、日本じゃ知られてないし、まして、大晦日の定番なんかじゃない。
 マリガトーニィの名前を知る人なんていない。だから、日本では売れっこない。スーパーへ行って探してみよう…なんて案じても目にすることさえできない。

 ハインツ社のクラシック・シリーズにマリガトーニィがあるのに、ネットで探しても、たとえば日本のアマゾンで手に入るのはこのシリーズの中の「鶏肉のクリーム煮」だけ。サイトの商品案内に「日本アマゾン独占販売」と謳っている。クリーム煮を英国から持ってくるのに、何でビクトリア朝時代を代表するマリガトーニィ・スープを扱わないの?、と恨み節の嘆き声になる。

 いや。待て、待て。
 アマゾンは世界物流の王者。王者だけど決しておごらない。恐竜の尻尾を大事にすることから始まった会社だから、きっと、もうじき、日本のアマゾンもマリガトーニィ・スープを扱うだろう。日本国の気高い輸入障壁に囲まれても、「恐竜の尻尾」のか弱いカレー愛好者たちの夢をかなえてくれると思う。

 でも、待てない。
 ロンドンの輸出代理業者を探してハインツ社のマリガトーニィ・スープを注文してしまった。そしたら、代理業者は「残念ですが、規制があって輸出できません」とメールを返してきた。
 そんなもん、あるもんか。アマゾンでマリガトーニィを探したらシアトルのサイトにマリガトーニィ・スープ6缶をまとめて販売する業者を見つけた。
 恐竜の尻尾を大切にするアマゾン。さっそく注文したら、到着までに1ヶ月半かかるというメールが届いた。ずいぶんと悠長な。まッ、いいか。大晦日には頂ける、と気長に構えて注文したら7日もしないでスープ缶が我が家に届いてしまった。それも、米国からじゃなくてUKのロンドンから。シアトルに商品を注文すると大海原をはさんだロンドンからすかさず配達される。これがアマゾンか。「尻尾」は大喜びした。
 

ハインツのマリガトーニィって、どんなの?


ハインツ・クラシック・シリーズのマリガトーニィ・スープ。
 金属缶のプルトップを引っ張ってゲル状に固まった中身を片手なべに移す。缶の内にこびりついたやつは水少々を注ぎ入れてスプーンでこそいで鍋に落とす。火を入れる。かきまわすと少々粘る。小麦粉のとろみだ。
 缶の外側に書かれた案内を読む。スープの材料がなんともマリガトーニィらしくない。マリガトーニィ・スープの基本からすればめちゃくちゃな記述。ハインツさん、大丈夫?、と片手なべをかき回していると、あれ、これってメリおばさんの作ったやつに近いんじゃないか、と温まったスープに対面した鼻がうれしそうに直感した。

 「南の島のカレーライス」でマリガトーニィを作ってくれたメリおばさん。彼女はカンディ近郊の山里の村に暮らしていた。その村は紅茶畑の下にある。訳知りのスリランカ通だとメリおばさんって英国起業家の血を分けた末裔だね、と推察してくれるかも。メリおばさんの姓はボーイBowie、アイリッシュ系のファミリー・ネームだから。
 スリランカでスコットランド人の血を引くシンハラ系のメリおばさんが作るマリガトーニィ…ってやたらややっこしい説明になったけど、メリおばさんの味、これがなんと日本産S&Bカレー粉で作った昔の日本式田舎カレーによく似ている。
 いや、違うところはある。マリガトーニィは辛味を胡椒に求める。その清涼感が際立っている。日本の昔の、S&B赤缶で作った田舎カレーと違いがあるとすれば、そこだけかもしれない。

 ハインツ社のマリガトーニィ・スープはトマトで甘みを加えてマイルドに設えてあって、そこがクラシックなのかどうかわからないけど、マリガトーニィは日本のカレーのように進化が激しくて、オリジンが何かわからなくなっている状態。そこで、ハインツ社の逸品だけど、ハインツ・マリガトーニィはどちらかと言うとシンプル系で、クラシックに近いぞ。少なくとも、ごった煮ではないし、ストックくさくもない。

 スープをスプーンでかき回す。獣肉、野菜、シリアル代わりのご飯など少々の具材がスプーンのくぼみに誘われて集まるから、これを引き上げる。この少々が肝心。ネットあたりでは日本のごっちゃ煮カレーのように具沢山マリガトーニィが目立つようになった。でも、スコッティシュのメリおばさんのスープには具なんて入っていない。

 

日本ハインツのマリガトーニィ・レシピー

現代調のマリガトーニィの作り方をシンプルにやさしく優しく教えてくれる日本ハインツ社のレシピー。ハインツ・クラシックのマリガトーニィもこれで作れてしまいそう? 日本ハインツ社のサイト(マリガトーニ・カレー)から


 クラシック・シリーズはまだ日本上陸を果たしてないけど、日本ハインツ社はちゃんとマリガトーニィ・スープのレシピをサイトで公開しています。これ、注目です。プロ向けのレシピーですが、抑えるポイントが抑えてある。ブラック・ペパー、そう、黒胡椒が食材にちゃんと加わっています。
 サイトではスープじゃなくてカレーと表記しているけど、このレシピー、ハインツ社のマリガトーニィ・スープのレシピに違いないと思う。マリナラ・ソースをベースにしたり、ブラック・ペパーを使ったり、それに「白飯」を加えたり。胡椒にご飯の取り合わせは南インド発のマリガトーニィの流れです。
 マリガトーニィの風味、口の中に浮かんできましたか。英語圏の人はこのマリガトーニィの味とルーツはラサムにあるとしています。


マリガトーニィとラサム


 ラサムというスープから分かれてマリガトーニィが生まれたと言うあたりが定番の起源説のようです。
 タマリンド、あるいはトマトをベースにして酸味をつけて、ここに唐辛子や胡椒の辛味を加えるスープがラサムです。ベースにバリエーションを加えてレンティル豆を入れたり、ご飯を入れたり。ラサムをトッピングする食材にけじめはありません。確かにラサムはマリガトーニィと重なります。
 日本ハインツのマリガトーニィ・レシピもラサムの流れで、マリナラ・ソース、ビーフ・グレイビーをベースに胡椒とクミンなどの香料を加えています。缶詰に書かれた材料ではマリガトーニィ・スープは作れないはずですが、こちらのレシピーでならクラシック・バージョンのマリガトーニィが作れます。

カハ(ターメリック)の黄色がまばゆいムリグッタン。このときほかの料理と一緒に作ったのでムリグッタンにはご飯粒が沈んでいない。胡椒がぴりりとする他はどこまでも柔らかい味わいだった。

 マリガトーニィの起源はラサムである、なんて言われるのですが、メリおばさんのマリガトーニィはそことは一線を画しています。
 また、面倒くさい能書きを重ねてしまうのですが、スコットランドの父が持つ食文化とシンハラ・スリランカの母が持つ食文化が混ざり合って、メリおばさんの手がマリガトーニィを作ると、胡椒の辛味に椰子の乳(ココナツ・ミルク)の甘い香りが加わってスープのベースになるのです。言い換えればタミルとシンハラのハイブリッドな食文化。
 ここに少々のパラパラご飯を入れて食べる。いや、食べると言うより「飲む」食の作法でスープを胃に収めます。これ、ラサムじゃない。オス・パンというシンハラ人の「草がゆ」に通じてしまうのです。
 私は胃袋をこじらせてスリランカへ出かけることがあって、そんな時、南の島へ上陸したばかりの数日は「草がゆ」をすすります。「草がゆ」の代わりにムリグッタンを飲むこともありました。

 ムリグッタンはタミル語のミラグ・タンニがシンハラ語になまったもの。ミラグ・タンニは「胡椒ミラグ・水タンニ」のことで、これもラサムと同じくタミル料理のスープの名です。
 もうお気づきの方がおられるでしょう。英語のマリガトーニィmulligatonyという名はこのミラグタンニmilagutanniから派生しました。ラサムrasamではありません。ラサムとの違いは材料や味にあるのではなくて、ミラグタンニが民間の健康療法にまたがると言うこと。ソフィア婦人のマリガトーニィは英国上流階級の晩餐に現れるエスニックな前菜スープなのでラサムに比べてもいいのですが、メリおばさんのムリグッタンは胃腸の調子を整える薬膳スープです。
 大晦日はマリガトーニィとシェリー酒を炬燵の卓に並べて、村の寺の僧侶が打つ除夜の鐘を聞いて新年をシンプルに迎えましょう。 
  2017-Dec-02


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