スリランカ料理トモカ掲載記事一覧  トモカの評判index

伊勢丹ファイナンス b(ベェ) 平成5年8月号



 バブルで元気な頃、伊勢丹ファイナンスがb(ベェー)という冊子を出版していた。流行文化の発信マガジンだが、現在は廃刊されている。
 b(ベェ)の1993年8月号にトモカのスリランカ料理が掲載された。トモカ料理のスタイルが辿り着く先に近づいたときのもの。
 掲載された写真は手元にあるのだが、記事の切抜きがどこに隠れたものやら探し出せない。この写真と共にどんな文章が添えられていたのやら。
 国立国会図書館のサーチを呼び出すと別館に伊勢丹ファイナンス[編]1990-1993が収蔵されていることが分かる。別館へ行って資料請求すれば合本になったb(ベェ)のこのページを読むことができる。

 1993年(平成5年)という年。2年前にバブルがはじけて日本経済がでこぼこな谷底へ向かって転がり落ちてゆく気配を漂わせる頃。
 伊勢丹は高級志向のフラッグ・シップなのに、なぜかトモカにまで触手を伸ばしていただいて、当店はありがたくb(ベェ)紙上に料理を紹介させていただいた。
 写真はトモカがテーブルの色と料理の皿のマッチングににこだわり始めて、炉に掛けた料理の鉢をそのままテーブルに運び始めた頃のもの。中央に素焼きの土鉢が置かれている。
 写真中央はポロス・ウェンジャナという料理。コス(ジャック・フルーツ)の若い実ポロスをシンハラ料理独特のあっさり味で仕上げたもの。スリランカでは高級に仕上げる料理には鰹節が隠し味で使われる。素朴極まりない若い熱帯の味と匂い。ポロスには思わず気持ちが和らぐ。

 ポロスを入れた素焼きの鉢は南の島のラテライト。島で開かれる朝市の何処ででも売っている調理の日用品だ。  赤い粘土の土器。やしの汁の白く甘い香り、青唐辛子のきりりとした風味、そこに隠し味の鰹節を潜ませて、柔らかに炊く。だから、うまくないはずがない。

 平成5年(1993)はバブルが弾けて価格破壊が始まる直前の年。価格破壊とは言うけれど、そこだけには留まらない。日本経済の大枠の仕組みが崩壊する前兆だった。
 おぼろげな記憶なので、私にはおとぎ話のようにしか思い出せないけど、ある朝の出来事がある。前夜、満漢全席という--今は忘れ去られれて誰もそんな料理の名前を口にしない--バブリー料理を民放TVが紹介していた。その翌朝、確か公共放送のモーニングショーだったか、リポーターが街路から新宿伊勢丹の地下街に降りて、腰ほどの高さの売り棚のあんぱんに向かった。
 前夜に満漢全席、今朝はあんぱん。夜と朝と、TVにあるまじき思いがけない落差。でも、バブルが弾けたことを私はそのあんぱんのリポートを映す朝に確実に思い知らされた。
 私はb(ベェ)にポロスを載せた3年後にトモカを閉めて東北山里にもぐって桑を振るうようになる。『南の島のカレーライス』を出したすぐ後で、私はスリランカにかかわる次の準備を始めていた。

 東北に暮らすスリランカの友人の子供たち二人が「ウオウオウオウオウ」「世界がうらやむ」と無邪気に歌う。モー娘のLOVEマシーンを雪山の温泉を訪ねた帰りに車の後部座席で歌っている。「満漢全席とあんぱん」などは知らず、「世界がうらやむ」も落ち込む日本への応援歌だと気づかず、日本の田舎はのんきだった。

 伊勢丹地下街のあんぱんを10数年過ぎた2008年、米大陸のリーマンショックは日本を襲う。子供たち--「世界がうらやむ」とモー娘のLOVEマシーンを歌った--を一気に奈落へ落としこんだ。

 ポロスを炊く素焼きの鉢は南の島のラテライト。
 平成5年のトモカはシンプルでスローな料理をこしらえていた。スリランカではドイツ人がその暮らしをすでに始めていて、そうした暮らしのためのスリランカ料理の調理法を教えるテキストAroma und Appetit(サイト内・解説)を作っていた。
 そうした流れは新宿伊勢丹の路線とは進む方向が真逆なはずなのだけど、あのときはまだ、弾けるバブルの鷹揚な時間が流れていて、気持ちの柔らかなライターと記者はトモカを受け入れてくれた。元気な伊勢丹のb(ベェ)の紙面には私が大いに自慢して吹聴するアジアの島の、スローな料理が載るだけのスペースが残っていた。


スリランカ料理トモカの評判雑誌記事一覧