ナノテク研究プロジェクト
ナノ医療

安間 武(化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2010年2月25日
更新日:2011年10月11日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/project/nano_medicine.html


はじめに
 本稿では、まず、人間強化と医療の違い及び日本のナノ医療の取り組みを概観し、次にドラッグデリバリーシステム(DDS)を中心にナノ医療の概念を紹介し、併せて関連するデバイスやイメージングについても触れます。また診断と治療をひとつにまとめるセラノスティック手法についても紹介します。最後にナノ医療の安全性の問題と倫理的問題について考察します。

1.人間強化と医療
1.1 NBIC収斂技術
 近年、ナノ技術、バイオ技術、情報技術、認知科学の進歩は目覚しいものがあります。この4つの主要な科学技術の領域 NBIC(Nano, Bio, Info, Cogno)を統合した収斂技術(convergent technologies)という考え方が、2002年6月にアメリカで発表された報告書『人間能力改善のための収斂技術』の中で示されました[1]。人間能力の改善又は人間強化は、人間の身体的機能と知的能力を人間という生物種が持つ限界を越えて向上させることを目指しており、医療とは異なると考えられます。これについては本研究プロジェクトの中で「ナノ人間強化」として取り上げたので、そちらをごらんください。

1.2 医療の定義
 本稿における医療の定義は、米国立科学基金(NSF)の委託により2009年8月に発表された人間強化に関する報告書[2]の中でひとつの定義として示される「医療は健康を危うくする、又は機能のレベルを典型的な種のレベル又は統計的に正常なレベルより下げる病理に向けられた治療に関することである(Eric Juengst, 1997)」とします。

2.日本のナノ医療への取り組み
2.1 ナノバイオテクノロジー連携施策群
 内閣府に設置されている総合科学技術会議の分野別推進総合PTの中にナノテクノロジー・材料PTがあります。2010年2月24日現在、同会議のウェブ[3]によれば、2006年12月12日の第1回会合から2009年5月8日の第11回会合まで、11回のナノテクノロジー・材料分野PT会合が開催されています。
 第11回会合の資料3-1 取りまとめ本文(案)1 「連携施策群ナノバイオテクノロジー」取りまとめ案[4]によれば、ナノバイオテクノロジー連携施策群の目標は下記のように述べられています。
  • 先端的ナノバイオ医療技術により超早期診断と低侵襲医療の実現と一体化を目指す
  • 革新的ナノテクノロジー・材料技術により生活の安全・安心を支える
2.2 連携施策群における補完的課題の位置づけ
 また資料3-1 取りまとめ本文(案)2 に「ナノバイオテクノロジー連携施策群における補完的課題の位置づけ」を示す図があります[5]。
出典: 基本政策推進専門調査会 分野別推進戦略総合PT
ナノテクノロジー・材料分野PT(第11回会合(2009/5/8))
資料3-1 取りまとめ本文(案)2
http://www8.cao.go.jp/cstp/project/bunyabetu2006/nano/11kai/siryo3-1-2.pdf

2.3 ナノ医療の定義
 取りまとめ本文(案)2 [5]によれば、”ナノバイオテクノロジー連携施策群の対象施策の精査を行い、20(当時)の対象施策を67の研究テーマに細分化し、分子イメージング、ナノバイオデバイス、ナノドラッグデリバリー・システムへの分類を行った”とあります。
 連携施策群が目的とするというナノバイオ医療についの明確な定義は示されていませんが、本稿ではこの図が示すナノバイオテクノロジーの連携により実現を目指している技術を用いた医療をナノ医療と定義することにします。

3.ドラッグデリバリーシステム
3.1 ドラッグ・デリバリー・システムの概念
 治験ナビ:治験医学用語集[6]は、ドラッグデリバリーシステム(DDS)を次のように説明しています。
  • 目標とする患部(臓器や組織、細胞、病原体など)に、薬物を効果的かつ集中的に送る。
  • 薬剤を膜などで包み、途中で吸収・分解されることなく患部に到達させ、患部で薬剤を放出して治療効果を高める。
 Nanowerk Spotlight 2007年6月19日の記事「ナノテクノロジーの”魔法の弾丸”」[7]は、オーストラリのウーロンゴン大学タムシン・ヒルダーによって書かれたもので、ナノテクノロジーを利用したドラッグデリバリーシステム(DDS)の概念を分かりやすく説明しています。同記事によれば、DDSは20世紀の初めにポール・エーリック(Paul Ehrlich)によって最初に提案され、”魔法の弾丸”とニックネームがつけられました。ナノテクノロジーの急速な進歩により、すでにリポソーム技術の利用を通じてDDSに適用されており、現在はナノ粒子とナノチューブがDDSの有望な代替として現れてきていると述べています。

 同記事はさらに、”ナノ粒子がドラッグ・デリバリーに使用されており、ナノチューブが潜在的なドラッグ・デリバリーのキャリアー(輸送体)として注目を浴びるようになったのは最近のことである。それらの正確な標的特性と環境保護的特性のために、これらナノスケールのドラッグ・キャリアーは、抗がん剤デリバリーの現在の手法がもたらす有害な副作用を低減するかも知れない。さらに、ナノカプセルは、感染症、代謝障害、自己免疫疾患、痛み治療、遺伝子治療など、がん治療以外の多くの分野におけるドラッグ・デリバリー手法を改善するかもしれない”と述べています。


Nanowerk Spotlight, June 19, 2007 Nanotechnology's "magic bullet"
Image: Tamsyn Hilder, University of Wollongong
 同記事はDDSの概念を左の図で次のように説明しています。
(a)ナノチューブ表面は化学受容体で機能化され有毒な薬剤がカプセル化される。
(b)開口端がキャップされる。
(c)ナノスケール・キャリアーが機能化された表面により標的地点を突き止める。
(d)細胞は、例えば受容体修飾エンドサイトーシス(細胞外の物質を取り込むプロセス )によってナノカプセルを取り込む。
(e)キャップは細胞内で除去または生物分解される。
(f)有毒な薬剤が放出され標的細胞を破壊する。

3.2 ナノワームで腫瘍を標的にする
 カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)2008年5月6日ニュースリリース[8]は、同校、サンタバーバラ校、及びマサチューセッツ工科大学(MIT)の科学者らが、体の免疫防御システムからの有意な干渉なしに、小さな抗がんミサイルのように、血流中を移動することが出来るナノメートルサイズの”ナノワーム(ナノ虫)”を開発し、『Advanced Materials』誌に発表したと報じました。ナノワームを用いれば、従来の方法で検出するには小さすぎる成長中の腫瘍上の特徴を標的にしてその位置を見つけ、抗がん剤を運び、体の他組織に有害な影響を及ぼさずに高濃度でこれらの腫瘍に有毒な抗がん剤を効果的に運ぶことが出来ると述べています。


分節構造の”ナノワーム”は磁性酸化鉄とポリマーのコーティングからなり腫瘍を見つけ、取り付くことできる。Image Credit: Ji-Ho Park, UCSD
 同発表によれば、従来のナノ粒子によるドラッグデリバリーシステム(DDS)では、ほとんどのナノ粒子は体の免疫システムによって異物として認識されて数分以内に血流から除去されるが、これらのナノワームはこれらの免疫システムを回避出来るよう表面を生体高分子デキストラン由来のポリマーでコーティングしているので実験に使用したマウスの体内を数時間循環することが出来たとしています。

 このナノワームは長さが約30ナノメートルの粘着質の虫状の構造で、ミミズのセグメント(分節)のように典型的には8個の球形ナノ粒子を数珠繋ぎにしており、それらのナノ粒子は超常磁性の特性を持つ酸化鉄から出来ています。したがってこの超磁性酸化鉄成分のおかげで、腫瘍を探すために使われる診断装置、特にMRI(magnetic resonance imaging/磁気共鳴イメージング)でナノワームをはっきり見ることが出来るとしています。

 さらにポリマー・コーティングに加えて、腫瘍に特化したF3と呼ばれるペプチドでコーティングしたが、このペプチドが腫瘍を標的としてナノワームを送り込むことが出来るとしています。

 研究者らは現在、ナノワームに薬剤を添加する方法の開発、及びナノワームを体内の特定の腫瘍、器官、その他の場所に運ぶことができる特定の化学的な”郵便番号”でナノワームの外部を処理する方法の開発に取り組んでいると述べています。

3.3 機械化されたナノカプセルとナノバルブ
 多くの抗がん剤は高い毒性があるので、健康な組織を損傷し好ましくない副作用を引き起こすことがないよう特定の腫瘍に送り込む必要があります。英国王立化学会 2009年9月2日の記事『機械化されたナノカプセル ターゲット・ドラッグデリバリー』[9]によれば、米イリノイ州ノースウェスタン大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の研究者らは、搬送物を特定のph条件でのみ放出するナノサイズのドラッグ・デリバリー・システムを開発し、がん治療のターゲット・デリバリーに特に有用であることが証明されたとして、次のように紹介しています。

 ”システムの中心は、薬剤を運び細胞によって容易に吸収される約200nmのサイズのメソポーラシリカのナノ粒子である。しかし薬剤は、”ナノバルブ”なしにはメソポーラスシリカ粒子の孔を通じて漏れる。そこで、研究者らは生物学的条件によって開閉する”ナノバルブ”を開発した”。

 ナノバルブはナノディバイスの一種であると考えられます。この研究で考案されたナノバルブは、シクロデキストリン 又はキューカービチュリルのような環状の化合物のリングを運ぶ”茎”がメソポーラス粒子の芯からの搬送物の放出を制御するとして、概略次のように説明しています。


機械化されたナノ粒子は特定のph条件に反応し、搬送物を放出するか、分子の流出又は流入を防ぐために閉じる。Image Credit: J. Am. Chem. Soc.
 ”この研究では、細胞イメージングにしばしば使用される染料プロピジウム・イオダイドが機械化されたナノ粒子中にカプセル化され、その放出を分光計で調べた。phが5.4以下になると茎上のリングは”開口部”に位置して分子を流出又は流入させる。酸性度が低くなるとリングは移動して”閉”の位置になり、分子がカプセルから流出するのを止める。溶液がph10に調整されると、リングは茎から脱落して搬送物全体を放出する。”

4.ナノ診断と治療
4.1 プラズモニック・ナノバブルによるセラノスティック手法
 アメリカとベラルーシの共同研究チームは『Nanotechnology 2010年1月25日号』に発表した論文[10]で、プラズモニック・ナノバブルによるセラノスティックスの原理の最初の実験室段階の証明を示したと報告しています。セラノスティックス(Theranostics)とは Therapy と Diagnostics からの造語で、診断、治療、誘導(ガイダンス)などの一連の医療行為をひとつに統合し、治療時間を短縮し、より安全で効果的なものにすると言われています。

 この論文のアブストラクトによれば、金ナノ粒子にレーザー光線を照射して、プラズモニック・ナノバブル(PNBs)と呼ばれるナノサイズの”泡”を瞬間的に生成する技術に基づく新規な手法を開発したとして、その原理を次のように要約しています。

 ”目標とする細胞へ金ナノ粒子(NP)を送り込み、金ナノ粒子をクラスター化した後、細胞内でプラズモニック・ナノバブル(PNBs)が光学的に生成され、レーザー効果を通じて制御される。PNB作用は、個々の生体細胞の中で、非侵襲的(痛みや危険を伴わない)で高感度のイメージングから、細胞膜の破壊まで制御される。我々は、PNBsを用いて光学的散乱振幅の50倍の非侵襲的増幅(NPsの振幅に対して相対的に)、より大きなPNBsを用いて特定の細胞に対する選択的機械的及び高速なダメージ、及びダメージ特有のバブル信号を通じてのダメージの光学的誘導(ガイダンス)を達成した。PNBs は細胞レベルで診断、治療、医療ガイダンスを支援するひとつのプロセスとして制御可能なセラノスティック作用因子として働いた”。

 Nanowerk 2010年2月1日の記事[11]によれば、プラズモニック・ナノバブル(PNBs)の光学的及び機械的特性はその径に依存し、それは50nmから50μmの範囲で調整可能であり、レーザーパルスは10nsから10μsの範囲で調整可能であるとして、次のように解説しています。

 ”レーザーパルスにより活性化されると細胞内プラズモニック・ナノ粒子は熱源として作用し、媒体の周囲に瞬間的なプラズモニック・ナノバブル(PNBs)を生成する。ナノメートル・スケールのサイズとナノ秒スケールの時間間隔のプラズモニック・ナノバブル(PNBs) は、プローブ・レーザーからの散乱光によって診断プローブ(探針)として作用する。もっと大きなマイクロメートル・スケールのPNBsは、急速な膨張と崩壊により細胞膜を破壊するという機械的(非熱的な)効果を通じて標的細胞の局所的治療を実現する”。

 そして、PNBsが基礎生物医学研究、診断、及び治療のための普遍的なプラットフォームを提供することができるとし、その潜在的応用として下記をあげています。
 1) 高感度で非侵襲的(痛みや危険を伴わない)なイメージング
 2) 制御された放出、トランスフェクション(人工的な外来遺伝子の細胞内導入)、細胞内デリバリー
 3) 選択的及び誘導的に標的細胞及び組織にダメージを与える治療

4.2 心臓血管系疾病の治療及び監視
 ニューヨークタイムズ 2009年11月21日の記事[12]は、米・ノースウェスターン大学の研究者ら、及び米・マウント・サイナイ医科大学の研究者らがそれぞれ、善玉コレストロール((HDL)と同じ特性を備えた人工HDLを作り、血管壁に生じるプラーグを除去する治療、及び形成されるプラーグを監視するイメージングへの利用可能性を次のように報告しています。

 ノースウェスターン大学の研究者らは、”自然のHDL(善玉)分子中に見出される脂肪核(fatty core)を金ナノ粒子で置き換えた合成HDLを作り出し、これらの新たな粒子の表面は脂質とたんぱく質でコーティングされているので粘着性のコレストロールをしっかり結びつけることが出来ることを動物実験で示した。これらの合成HDLは、除去しなければ血管が破裂して脳卒中(脳梗塞)や心臓発作(心筋梗塞)を引き起こすプラーグを取り除き、血流を通じて肝臓に運搬することが出来る”−としています。

 マウント・サイナイ医科大学の研究者らは、”主にアテローム性動脈硬化における化生物学的プロセスのイメージングと診断の用途に意図されたHDL様ナノ粒子を開発した。この粒子は使用されるイメージングのタイプに依存して金又は他の金属の核を持っている。金ナノ粒子は、コンピュータ断層写真と呼ばれるイメージングのタイプのひとつでよく映え、酸化鉄ナノ粒子は磁気共鳴イメージング(MRI)でよい画像が得られると”−としています。

 しかし、他の大学の研究者らは、金そのものは有毒ではないが、あるサイズの粒子は体内に蓄積するので、そのことがヒト健康にどのような影響を及ぼすのか検証するためにもっと多くの研究が必要であることを指摘し、”これは、薬剤を長期間投与する慢性疾病の治療にとって問題である”としています。

5.ナノ医療におけるナノ物質の有害影響
 抗がん剤は当然のことながら生体細胞にとってほとんど全て有毒ですが、ナノ医療においてはドラッグデリバリーシステム(治療)やモニタリングシステム(監視)により、抗がん剤が標的細胞以外の正常組織に悪影響を及ぼさないようにしています。しかしこのドラッグデリバリーシステム(DDS)やモニタリングシステムを支えるナノ物質が生体に及ぼすかもしれない影響が問題となります。

5.1 DDS及び治療におけるナノ物質の有害影響
 前述の「3.2 ナノワームで腫瘍を標的にする」にある通り、ほとんどのナノ粒子は体の免疫システムによって異物として認識されて数分以内に血流から除去されると言われています。したがってDDSのキャリアーとして使用されるナノ粒子の表面は何らかの表面処理がなされるはずです。しかし、例えばDDSにおいて意図しない事象が起きたとき、例えばナノ粒子表面のコーティングに剥離が生じたとき、標的細胞に到達する前に何らかの事情でカプセル内の毒素(抗がん剤)が放出したとき、あるいは標的に到達してカプセルから毒素(抗がん剤)を放出した後のカプセル又はキャリアーの運命はどうなるのか等について、どこまで検証されているのか疑問です。

 また、前述「4.2 心臓血管系疾病の治療及び監視」で指摘されているように、HDL様金ナノ粒子が例えば肝臓に蓄積した場合にどのようなことが起きるのかについての研究が必要です。

 Nanowerk 2007年5月7日の記事「ナノ医療の可能性と落とし穴」[13]によれば、ナノ医療及びナノテクノロジーは一般に新しいので、非意図的な有害影響についての実験データはほとんど存在しないとしています。

5.2 診断におけるナノ物質の有害影響
 蛍光性半導体クオンタム(量子)ドットは、高解像度細胞イメージングのような医療応用にとって極めて有用であることが分かり、クオンタム・ドットは医療に革命を起こすかも知れないといわれていますが、一方で、クオンタム・ドットはほとんどが有毒なので保護的コーティングが必要かも知れないと言われています[13]。

 EHP 2006年2月号 「量子ドットの毒物学的レビュー」[14]は、クオンタム・ドットの応用、物理化学的特性、毒性などについて詳細に検討していますが、その中で、”量子ドット半金属複合物の中で最も広く使用されている2つの金属、カドミウムとセレンは脊椎動物に急性及び慢性毒性を及ぼすことが知られており、ヒトの健康と環境に対し少なからぬ懸念があるので、量子ドット物質によって及ぼされるヒトの健康と環境への潜在的なリスクは真剣に検討されるべきである”と述べています。

 Nanowerk 2007年5月7日の記事[13]の中で、ロチェスター大学ギュンター・オバドルスター教授は、”患者に対する明らかな潜在的リスク以外に、ナノ医療に関連する毒性学的リスクがある。それはナノ医療、医療デバイス及びナノ物質の製造に起因するナノ廃棄物の処分と環境汚染に関わる懸念であり、注意深く評価されるべき潜在的なリスクであるが、そのことはまだ何もなされていない”と述べています。

5.3 ナノ医薬品による環境汚染 (2011/10/11)
 C&EN 2011年9月12日の記事[15]によれば、医薬品を収納するカプセルをナノ粒子化したナノ医薬品(nanomedicines)は、現在市場に約20種出ており、110種以上について臨床又は臨床前の治験が行なわれているとのことです。同記事は、テキサスA&M 大学の研究者等が、ポリエチレングリコールのナノ粒子が、環境中に大量に存在する植物のセルロースに吸着・脱着することを発見したとしています。
 ナノ医薬品が人体を通過して排泄され、下水に流れ、環境中に入り込み、環境中の植物のセルロースに吸着することで微生物や動物に取り込まれ、食物連鎖中で濃縮されることにより、野生生物に脅威を及ぼすかもしれない懸念があると指摘しています。
 ポリエチレングリコールのナノ粒子は、米・食品医薬品局(FDA)が承認している数少ないポリマー・ナノ粒子のひとつであるため、ナノ医薬品中でよく使用されているとしています。

5.4 ナノ医療テスト手法の確立とナノ医療の承認
 ナノ医療に関する安全性のテスト基準やナノ医療を規制する法的根拠、さらには承認手続きなどは、どこの国でも確立されていません。

 欧州連合の新規及び新たに特定された健康リスクに関する科学委員会(EU/SCENIHR)の報告書[16]は次のような意見を述べています。
 ”どのような医療製品に関しても、ナノ粒子は十分に特性化されなくてはならず、それらの運命と毒性は確立されなくてはならず、テスト方法の適切性が実証されなくてはならない。新たなインビボ(体内)生物分析学的手法が開発される必要性があるかもしれないが、体内におけるナノ粒子の移動に関連するリスクは、既に確立された原理を用いて対応できる。市場にある製品のためのファーマコビジランス(薬剤監視)システムとリスク管理計画の準備が、有害事象の報告と患者及び環境の安全についての継続的監視を可能にする”。

 またNEDO海外レポート No.1009, 2007.10.17 欧州のナノテクノロジー倫理安全関連の動向(EU)−「科学・新技術における倫理グループEGE」の答申−[17]で、欧州委員会の”科学と新規技術の倫理に関するグループ(Group on Ethics in Science and New Technologies (EGE))の報告書[18]を紹介していますが、その中で、同グループは市場に出回る以前に、いかなるナノテク製品もリスク評価を通じて安全性を保証されることが重要としています。

 一方、Nanowerk 2007年5月7日の記事[13]の中で、 オバドルスター教授は、”ナノ医療の約束の周囲には多くの誇大宣伝がある。確かに多くのことは非常に将来性があるように見えるが、しかし現在まで、原理の証明を示しているのは動物実験だけである”。また、ナノ医療に関連する安全問題について懸念しているけれども”規制プロセスを信頼している”とし、”私はFDAがどのようなナノ医療応用をも承認する前に、適切な毒性テストを要求するであろうと確信している”と述べています。しかし、FDAがこのような要求をしたという発表は、現在までのところ聞いたとがありません。

 日本において、ナノ医療を規制する法律は薬事法になるのでしょうか? ドラグデリバリーシステム(DDS)は、薬事法の下に”医療機器”として規制されるのでしょうか? 開発が先行し、法的規制が追いつかないという事態が既に起きているのではないでしょうか? 医療に関してヒトの健康と命を預かる厚生労働省にはナノ医療開発と法的規制に関してどのようにするのか説明責任があります。

6.ナノ医療の倫理的問題
 人間の身体的機能と知的能力を人間という生物種が持つ限界を越えて向上させることを目指す「ナノ人間強化」には大きな倫理的な問題がありますが、「健康を危うくする、又は機能のレベルを典型的な種のレベル又は統計的に正常なレベルより下げる病理に向けられた治療に関することである(Eric Juengst, 1997)」と本稿で仮に定義した医療においても、ナノテクノロジーを利用することで新たな倫理的問題が提起されます。

6.1 インフォームド・コンセント
 ウィキペディア(Wikipedia)によれば、インフォームド・コンセント(informed consent)は、”正しい情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念であるとし、特に、医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け理解した上で (informed) 、方針に合意する (consent) ことである。説明の内容としては、対象となる行為の名称・内容・期待されている結果のみではなく、代替治療、副作用や成功率、費用、予後までも含んだ正確な情報が与えられることが望まれている”と説明しています。

 NEDO海外レポート[17]は、EGEの報告書[18]の中の「情報と合意」に関し、”研究や治療における患者の合意は、倫理的観点から、もっとも重大な要素の一つであるが、ナノ医療の場合、知識の欠如と確実性に欠けることから、適切かつ理解可能な説明が難しく、患者に署名が求めるための条件項目を満たせない可能性がある。この問題に関してグループは、フレームワーク計画の優先テーマ「ナノテク」において、「倫理、法規、社会的影響」プログラムの設置を提案し、その枠内で、患者と治療者間の情報提供と合意取得の方法を改善することを提案している”と紹介しています。

6.2 ナノテクノロジーの医療と非医療の区別
 NEDO海外レポート[17]は、EGEの報告書[18]の説明を次のように解説しています。”ナノ医療の発達は一方で、治療目的の利用と強化改善目的の利用の境を曖昧にする。他方、治療分野で扱われる症状が医療外分野で扱われる例も出てくる。グループは、このような困難にもかかわらず、医療用と医療外の区別の維持が二つの理由から必要という。第一には、脳活動を神経的に刺激するような利用は、倫理的な観点から、治療や診断用のみに限定するため。第二には、研究開発助成において、医療用の研究を医療外の研究より優先するためである。このためにグループは、「倫理、法規、社会的影響」プログラムとナノテクの倫理的側面に関する欧州ネットワークにおけるこの問題の検討を提案している”。

 またNanowerk 2007年5月7日の記事[13]は、”身体の変更が医学的には必要がないときに、身体への意図的な変更をするためにナノテクノロジーが使われるべきかどうかという疑問は大きなトピックである”と指摘しています。


参照

[1] Converging Technologies for Improving Human
Performance NANOTECHNOLOGY, BIOTECHNOLOGY, INFORMATION TECHNOLOGY AND COGNITIVE SCIENCE NSF/DOC-sponsored report
http://www.wtec.org/ConvergingTechnologies/Report/NBIC_report.pdf

[2] Ethics of Human Enhancement: 25 Questions & Answers for US National Science Foundation Prepared August 31, 2009
http://www.humanenhance.com/NSF_report.pdf

[3] 総合科学技術会議/分野別推進戦略総合PT/ ナノテクノロジー・材料分野PT
http://www8.cao.go.jp/cstp/project/bunyabetu2006/nano/index.html

[4] 第11回会合 資料3-1 取りまとめ本文(案)1 連携施策群「ナノバイオテクノロジー」とりまとめ(案)
http://www8.cao.go.jp/cstp/project/bunyabetu2006/nano/11kai/siryo3-1-1.pdf

[5] 第11回会合資料3-1 取りまとめ本文(案)2
http://www8.cao.go.jp/cstp/project/bunyabetu2006/nano/11kai/siryo3-1-2.pdf

[6] 治験ナビ:治験医学用語集 ドラッグデリバリーシステム(DDS:Drug Delivery System)
http://www.chikennavi.net/word/dds.htm

[7] Nanowerk Spotlight, June 19, 2007 Nanotechnology's "magic bullet" By Tamsyn Hilder, Nanomechanics Group at the University of Wollongong, Australia
http://www.nanowerk.com/spotlight/spotid=2095.php
Nanowerk Spotlight 2007年6月19日 ナノテクノロジーの”魔法の弾丸”タムシン・ヒルダー、ウーロンゴン大学ナノメカニック・グループ
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/news/070619_magic_bullet.html

[8] UC SanDieg Neews Release May 6, 2008 News Release UC San Diego Researchers Target Tumors with Tiny 'Nanoworms' By Kim McDonald
http://ucsdnews.ucsd.edu/newsrel/science/05-08Nanoworms.asp
UCサンディエゴ2008年5月6日ニュースリリース UCサンディエゴの研究者ら 腫瘍を小さな”ナノワーム(ナノ虫)”で標的にする
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/news/UC_SanDiego_080506_Nanoworms.html

[9] Royal Society of Chemistry 02 September 2009 Mechanised nanocapsules target drug delivery By Matt Wilkinson
http://www.rsc.org/chemistryworld/News/2009/September/02090903.asp
英国王立化学会 2009年9月2日 機械化されたナノカプセル ターゲット・ドラッグ・デリバリー マット・ウイルキンソン
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/RSC/090902_drug_delivery.html

[10] Tunable plasmonic nanobubbles for cell theranostics
E Y Lukianova-Hleb et al 2010 Nanotechnology 21 085102 (10pp) doi: 10.1088/0957-4484/21/8/085102
http://www.iop.org/EJ/abstract/0957-4484/21/8/085102/

[11] Nanowerk News, February 1, 2010 Plasmonic nanobubbles combine diagnosis and treatment in one theranostic method By Michael Berger
http://www.nanowerk.com/spotlight/spotid=14603.php
Nanowerk 2010年2月1日 プラズモニック・ナノバブル 診断と治療をひとつにまとめるセラノスティック手法 マイケル・バーガー
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/news/100201_Plasmonic_nanobubbles.html

[12] The New York Times, November 21, 2009 From the Lab, a New Weapon Against Cholesterol
http://www.nytimes.com/2009/11/22/business/22novel.html?_r=1
ニューヨークタイムズ 2009年11月21日報道の紹介 研究室からコレストロールに向けた新兵器
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/news/091121_NYT_Cholesterol.html

[13] Nanowerk News, May 7, 2007 The potential and the pitfalls of nanomedicine By Cathy Garber
http://www.nanowerk.com/spotlight/spotid=1891.php

Nanowerk 2007年5月7日の記事「ナノ医療の可能性と落とし穴」
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/news/070507_pitfalls_nanomedicine.html

[14]Environmental Health Perspectives Volume 114, Number 2, February 2006 / Review A Toxicologic Review of Quantum Dots: Toxicity Depends on Physicochemical and Environmental Factors
http://ehp.niehs.nih.gov/members/2005/8284/8284.html
EHP 2006年2月号 量子ドットの毒物学的レビュー 毒性は物理化学的及び環境的要因に依存する
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/ehp/ehp_nano_06_Feb_QDs.html

[15] Chemical & Engineering News, September 12, 2011 / Nanomedicines Stick To Cellulose by Leigh Krietsch Boerner
http://pubs.acs.org/cen/news/89/i38/8938scene.html
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/C&EN/110912_C&EN_Nanomedicines_Stick_To_Cellulose.html

[16] The Synthesis Report on the public consultation of the SCENIHR (SCENIHR Report)
http://ec.europa.eu/health/ph_risk/documents/synth_report.pdf

[17] NEDO海外レポート NO.1009, 2007.10.17 欧州のナノテクノロジー倫理安全関連の動向(EU)−「科学・新技術における倫理グループEGE」の答申−
http://www.nedo.go.jp/kankobutsu/report/1009/1009-04.pdf

[18] Secretaria of the EGE / European Group on Ethics in Science and New Technologies to the European Commission - March 2006 -
http://ec.europa.eu/european_group_ethics/activities/docs/roundt_nano_21march2006_final_en.pdf
PRESS RELEASE 24 January 2007 The European Group on Ethics in Science and New Technologies adopted on 17 January 2007 Opinion No 21 on the ethical aspects of nanomedicine and presented it today to President Barroso.
http://ec.europa.eu/european_group_ethics/activities/docs/press_release_op_nano_en.pdf



化学物質問題市民研究会
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