Nanowerk 2007年5月7日
ナノ医療の可能性と落とし穴
キャシー・ガーバー

情報源:Nanowerk News, May 7, 2007
The potential and the pitfalls of nanomedicine
By Cathy Garber
http://www.nanowerk.com/spotlight/spotid=1891.php

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/index.html
掲載日:2010年2月24日


 数世紀の間、人間は病気や怪我によって引き起こされる被害をなくすために奇跡の治療法を探してきた。多くの研究者らはナノテクノロジーがその目標に向けての人類の最初の”偉大な足跡”となるかもしれないと信じている。  これらの確信が事実に基づいていようと希望であろうと、多くの企業や政府はナノテクノロジーが医療応用−新規に出現しているナノ医療−の分野に用いられると何が起きるのかを見つけるために巨額の金を投資することをいとわない。
 数十億ドルとは言わないが数億ドル(数百億円)が政府、米・国立がん研究所のような研究機関、ナノ医療研究における民間部門、ナノテク関連生命科学ベンチャーなどによって投資されている。
 2008年の米国ナノテクノロジー・イニシアティブ(NNI)の予算は2億ドル(約200億円)以上を国立健康研究所(NIH)に提供している。欧州連合の特にドイツとイギリス、及び日本もまたこの分野に多額の金を注ぎ込んでいる。
 初期にがんを治療し、AIDSやその他の流行性疾病の拡大を防止することを約束するテクノロジーに欠陥を見つけることは難しい。世界中の科学者らが、ヒト健康を改善するためにナノ粒子を利用する方法を探している。しかし、ナノ医療には毒性学的懸念と倫理的な問題があり、便益とともに、この問題にも目を向けなくてはならない。

 ナノテクノロジーを通じて可能となるかもしれない医学的進歩は、診断から治療まで、そしてその間の全てのことがその範囲にある。

診断
 過去数世紀の間に、イメージングは疾病の診断に重要なツールとなった。磁気共鳴やコンピュータ断層写真の分野での進歩には著しいものがあるが、ナノテクノロジーは、今日の先端科学による装置をはるかに超えて、インビトロ(生体外)及びインビボ(生体内)診断のための高感度で極めて高精度のツールを約束する。診断におけるどのような進歩であろうとも、究極の目標は医師が可能な限り早く疾病を特定出来るようにすることである。ナノテクノロジーは、細胞レベルやサブ細胞レベルにおいてすら診断を可能にすることが期待されている。

 特にクオンタム・ドットは、イメージングにおける単なる実証実験から実際の応用の段階に来ている。近年、科学者らは、これらのナノクリスタルが単一分子のレベルで細胞プロセスを研究することを可能にすることを発見した。このことは、がんの診断と治療を著しく改善するかも知れない。蛍光性半導体クオンタム・ドットは、高解像度細胞イメージングのような医療応用にとって極めて有用であることを証明しつつある。クオンタム・ドットは医療に革命を起こすかも知れないが、残念ながらそのほとんどは有毒である(訳注1)。しかし、カリフォルニア大学バークレー校で実施された最近の研究は、クオンタム・ドットのための保護的コーティングは毒性を除去するかもしれないことを示した。

治療
 治療という点では、ナノ医療の最も著しい効果はドラッグデリバリーと再生医療の分野で実現されることが期待されている。ナノ粒子は医師が疾病の根源を標的として薬剤を打ち込むことを可能にするが、これは効率を上げ副作用を最小にする。ナノテクノロジーはまた、治療物質の放出を制御する新たな可能性を提供する。ナノ粒子はまた、体の生来の再生メカニズムを刺激するためにも用いられる。この研究の主要な焦点は、成人の幹細胞(stem cells)の人工的な活性化とその制御である。

 脊髄損傷を治療するために細胞の成長を支えるペプチド両親媒質物質(Anphiphiles);脳腫瘍を標的とする磁性ナノ粒子と酵素高感度ナノ粒子コーティング;細胞内ドラッグデリバリーと遺伝子発現イメージングのための知的ナノ粒子プローブ(探針);及びヒト乳がんバイオマーカーを検出し定量化するクオンタム・ドット等は研究者らが既に成し遂げた進歩のほんの一部である。

 興味深いことには、製薬会社の中で経済的価値に向けての大きなシフトがある。新たなナノ医療は、莫大な市場と利益の可能性を切り開き、化学療法剤のような年間数十億ドル(数千億円)の利益をもたらす既存の医薬品の全体を置き換えるであろう。

毒性学的懸念
 ナノ医療及びナノテクノロジーは一般に新しいので、非意図的で有害な影響についての実験データはほとんど存在しない。ナノ粒子がヒトの体への生物化学的経路及びプロセスにどのように影響を与えるのか叉は干渉するのかについての知識の欠如が特に厄介である。科学者らは主として、毒性、特性化、及び暴露経路に関心を持っている。

 『Medical Journal of Australia』に掲載された最近の記事は、ナノ治療の安全規制は、製品の新奇性と多様性、工業用ナノ粒子の高い移動性と反応性、そして”医薬品”と”医療機器”の診断学的及び治療学的分類のあいまいさがあるので、独自のリスク評価の課題を呈するかもしれないと述べている。

 これらの懸念があるにも関わらず、『NanoBiotech News』によれば、2005年以来、130のナノテクベース・ドラッグデリバリーシステム、125のデバイス叉は診断テストが、臨床前、臨床、叉は商業用に開発された。

 現在、アメリカではNIHがヒトの体内への粒子経路;ナノ粒子の体内残留時間の長さ;細胞及び組織の機能への影響;皮膚暴露を通じての全身循環;インビボ(生体内)における予期しない反応などを含んで、いくつかの安全問題を評価中である。国立がん研究所ナノテクノロジー特性化試験室は、臨床的試験を通じて分子サイズの抗がん剤の新たな分類を進めるための標準を開発している。

 安全の問題は世界の懸念である。ヨーロッパでは SCENIHR Report訳注2)及び2006年6月に国際リスクガバナンス協議会(IRGC)によって発表された白書 Nanotechnology Risk Governanceがこの問題に目を向けている。両方の報告書は、環境中に蓄積するナノ粒子のヒト健康と生態学的影響に関し、ナノ医療とナノテクノロジーに関連する潜在的なリスクに関するデータの欠如を強調している。

 ナノ毒性学における世界の指導的専門家の一人がロチェスター大学環境医学毒性学教授ギュンター・オバドルスターである。”ナノ医療の約束の周囲には多くの誇大宣伝がある。確かに多くのことは非常に将来性があるように見えるが、しかし現在まで、原理の証明を示しているのは動物実験だけである”とオバドルスターはNanowerkに述べた。

 彼はナノ医療に関連する安全問題について懸念しているが、オバドルスターは規制プロセスを信頼していると述べた。”私はFDAがどのようなナノ医療応用をも承認する前に、適切な毒性テストを要求するであろうと確信している”。

 しかし、彼はテストは包括的でなくてはならないと言う。彼は医療分野以外でのナノ粒子応用について、もっと懸念していると付け加えつつ、”もし、毒性テストが健康な器官にだけなされるなら(動物データ叉は管理された臨床研究)、もっと特定のテストを必要とする集団の敏感な部分に有害影響が起きるかも知れない”と彼は述べた。

 患者に対する明らかな潜在的リスク以外に、ナノ医療に関連する毒性学的リスクがある。ナノ医療、医療デバイス及びナノ物質の製造に起因するナノ廃棄物の処分と環境汚染に関わる懸念が正にある。”注意深く評価されるべき潜在的なリスクがある”とオバドルスターは述べた。”このことはまだなされていない”。

倫理的問題
 安全問題以外にも、ナノテクノロジーの用途についての社会的倫理の疑問がある。応用哲学と公共倫理センター(Centre for Applied Philosophy and Public Ethics)のジョン・ウェッカート教授によれば、ナノ医療の倫理的用途に関して提起される多数の疑問がある。

 インフォームド・コンセント、リスク評価、毒性、人間強化は、この激しい議論の中で叫ばれる倫理的な懸念のほんの一部である。最近、『NanoEthics:Ethics for Technologies that Converge at the Nanoscale』と呼ばれる新たなピアレビュード誌の編集長に任命されたウェッカートは、倫理とナノ医療の議論は世界中の社会に多くのもっと難しい疑問をもたらすと信じている。”例えば、遺伝子テストはもっと容易になり、もっと広く行われるようになるかもしれない”と彼は説明する。欠陥のある胎児を中絶することの問題はもっと多くの人々が直面せざるを得なくなる問題のひとつである”とウェッカートは言う。

 実際に、ナノ医療は多くの社会的問を提起するであろう。欧州委員会の”科学と新規技術の倫理に関するグループ(Group on Ethics in Science and New Technologies (EGE))(訳注3)によれば、ナノ医療が関与せざるを得ないインフォームド・コンセントの疑問は複雑である。”同意を得ること自体はそれほど難しいことではないが、いつ知らせるべきなのか? そしていつfreeになるのか?”と2007年1月に発表された意見書でEGEは問う。

 ”インフォームド・コンセントは理解してもらうための情報が必要である。急激に開発されている研究領域における将来の研究の可能性についてどのように情報を与え、また多くの未知と複雑性を考慮して現実的なリスク評価をどのようにすることが可能であろうか?”

 EGEによれば、知識のギャップとことの複雑さのために、インフォームド・コンセントに必要な診断、予防、及び治療の提案に関する適切な情報を提供することは困難かも知れない。

 他の問題は、診断、治療及び予防の目的のためのナノテクノロジーの医療と非医療の用途の間に明確な線引きである。身体の変更が医学的には必要がないときに、身体への意図的な変更をするためにナノテクノロジーが使われるべきかという疑問は懸念のリストの中でもうひとつの熱いトピックである。

 よいニュースは、これらの疑問が提起されているが、まだなすべきことがたくさんあるということである。ウェッカートによれば、欧州連合は倫理とナノ医療の疑問を率先して提起している。”EUでは、潜在的な問題についてより懸念し、したがって技術が開発される前にもっと多くの議論がなされるように見える”とウェッカートは述べた。”ヨーロッパ人は一般にアメリカにおけるより予防原則に共感している”。

 ナノ医療の莫大な約束、そしてこの分野への巨額の投資にも関わらず、ナノ医療の倫理的、法的、及び社会的影響の研究は比較的少ない。ピーター・シンガーが2003年の彼の手引書『ギャップに注意せよ:ナノテクノロジーにける科学と倫理』に書いたように、”科学は前に向かって跳ぶが、倫理は遅れる”ナノテクノロジーに一般的に言えることであるが、もし倫理的、法的、及び社会的影響が科学的発展に追いつくことが出来なければ、ナノ医療が脱線する危険性がある。


訳注1:量子ドットの毒性 訳注2:The Synthesis Report on the public consultation of the SCENIHR (SCENIHR Report)
http://ec.europa.eu/health/ph_risk/documents/synth_report.pdf
2.2.5 Risk Assessment
2.2.5.2 Practical guidance
As for any medicinal product, nanoparticles will have to be fully characterised, their fate and toxicology will have to be established and the appropriateness of test methods will have to be demonstrated. Risks associated with the translocation of NPs in the body can be addressed using already established principles, although it is likely that new in-vivo bioanalytical methodologies may need to be developed. The pharmacovigilance system and the provisions for a risk management plan for marketed products, allows reporting of adverse events and continued monitoring of safety of patients and the environment.

 どのような医療製品に関しても、ナノ粒子は十分に特性化されなくてはならず、それらの運命と毒性は確立されなくてはならず、テスト方法の適切性が実証されなくてはならない。新たなインビボ(体内)生物分析学的手法が開発される必要性があるかもしれないが、体内におけるナノ粒子の移動に関連するリスクは、既に確立された原理を用いて対応できる。市場にある製品のためのファーマコビジランス(薬剤監視)システム(訳注)とリスク管理計画の準備が、有害事象の報告と患者及び環境の安全についての継続的監視を可能にする。

訳注:ファーマコビジランス(薬剤監視)とは
http://www.tmd.ac.jp/grad/phv/pharmacovigilance/

訳注3:NEDO海外レポート NO.1009, 2007.10.17 欧州のナノテクノロジー倫理安全関連の動向(EU)−「科学・新技術における倫理グループEGE」の答申−
http://www.nedo.go.jp/kankobutsu/report/1009/1009-04.pdf
(オリジナル)
http://ec.europa.eu/european_group_ethics/activities/docs/roundt_nano_21march2006_final_en.pdf


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