©2010 Keiko Kawashima / Emi Higashiura
1694年 裕福なブルジョワの子供としてパリに生まれる(公証人の息子)。
名門ルイ・ル・グラン学院の優等生。
1726年 劇作家として有名になったが、貴族とケンカしてイギリスに亡命。
1728年 ロンドンでニュートンの国葬を見てビックリ。
1733年 帰国してデュ・シャトレ夫人と再会。恋人となる。
1734年 政府批判の『哲学書簡』の為、当局に追われデュ・シャトレ家の城シレーに避難。
1735〜1739年 シレー城を本拠として、デュ・シャトレ夫人といっしょに、ニュートン啓蒙の作品を多数手がける。
1735〜1739年 この間、様々な知識人がシレーを訪問。
1735〜1736年 友人モーペルテュイが率いる、北極圏探険の成功に大よろこび。
1740〜1742年 デュ・シャトレ夫人の『物理学教種』出版と、シャトレ=メラン論争で複雑な立場に。
1745〜1749年 デュ・シャトレ夫人のニュートン作『プリンキピア』仏訳を応援。
1749年 デュ・シャトレ夫人の死。シレー城を去り、プロイセンに。
1759年 デュ・シャトレ夫人訳『プリンキピア』出版にこぎつけ、序文を書く。
1758~1778年 彷徨の後、スイス国境近くのフェルネーに隱棲。ここから「筆」の力でヨーロッパの知識人社会に君臨し、「フェルネーの長老」と呼ばれる。
1762〜1765年 カラス事件で大活躍。宗教的寛容を訴えた。
1778年 パリに帰還。英雄として大歓迎。ただし宮廷とカトリック教会は敵視。パリで客死(1779)
1791年 フランス革命の最中、遺灰をパンテオンに移葬。