ピエール・キュリーのオタク人生

  • 1859年5月5日 パリに生まれる。

  • 1871年 市民革命のパリ・コミューンに父親が味方。

  • 集団生活に向かず、高校教育までは自宅教育。

  • 1875年 ソルボンヌ大学入学(16才)。 1878年 理学部の助手に(19才)。

  • 兄ジャックと共に、研究と発明・発見の日々。
    ピエゾ電気の発見と電気計の発明。

  • 1883年 パリの物理化学学校の実験主任に。結晶の対称性についての研究開始。

  • 1894年 春マリー・スクォドフスカとの出会い(35才)。翌年にプロポーズ。

  • 1895年 理学博士号取得。結婚してキュリー夫妻となる。物理化学学校の教授に。

  • 1897年 妻マリー、放射能研究を開始。

  • 1898年 ピエールも放射能研究に参加。ポロニウムとラジウムの存在を発表。

  • 1902年 ラジウムの塩化物0.1gを単離。原子量と原子番号を決定。

  • 1903年 ノーベル物理学賞受賞(43才)。

  • 1903~4年 ノーベル賞のあと、フランスはピエールに、レジオン・ドヌール勲章を受けるように申し入れるが、すべて辞退。

  • 1904年 ソルボンヌ大学教授に。マリーは実験主任となる。

  • 1905年 パリ科学アカデミー会員選挙、ギリギリで当選。

  • 1906年4月19日 馬車にひかれて死亡(45才)。

  • 1995年 キュリー夫妻の遺体を、パンテオンに移葬。