ケプラーの生涯

  • 1571年 南西ドイツのワイルに生まれる。

  • 1577年 彗星を見る。

  • 家は貧しかったが、給費生として学校に通った(父は1588年に死亡)

  • 1588年 プロテスタントの牧師になることを目指して、チュービンゲン大学(神学部)に給費生として入学。

  • この大学で、天文学教授メストリンと出会い、コペルニクスの太陽中心説を教えられ、天文学者になることを決意。

  • 1594年 大学卒業後、グラーツの高等中学校で数学教師となる。バイトの予言暦が当たり、評判になる。

  • 1596年 『宇宙の神秘』を出版。惑星の数と配列が、5種の正多面体との関係で説明できると主張。

  • グラーツでプロテスタントに対する迫害がひどくなり、町にいづらくなる。

  • 1600年 プラハにいた、デンマークの天文学者ティコ・ブラーエの助手となり、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ二世の保護下に火星の観測を行う。

  • 1601年 ティコ死ぬ。彼の観測データをゆずりうける。

  • 1609年 ティコのデータをもとにした『新天文学』出版(ケプラーの第一法則、第二法則)。
    1611年 『屈折光学』出版。
    1612年 リンツに移る。測量監督となる。

  • 1619年 『世界の調和』出版(ケプラーの第三法則)

  • 1620年 母を魔女裁判より弁護。
    1626年 リンツが30年戦争の戦場となり、プロテスタント迫害により、ウルムに移る。

  • 1630年 債給請願のための旅の途中、レーゲンンスブルグで客死。
    1634年 息子の手で『夢』出版。