フランス革命と科学者 -ラヴワジエの場合-

  • 1743年8月26日 豊かなパリのブルジョワ家庭に生まれる。

  • 1764年 大学の法学士の資格を取り、区裁判所の弁護士に。

  • 同時期、王立植物園で、ルエルの化学講義を受ける。

  • 1767年 鉱物学者ゲタールと共に、フランス鉱物分布図作成の為に、アルザスロレーヌ地方を旅行する。

  • 1768年 3月 徴税請負人の仕事を始める。
    6月 科学アカデミーの補欠会員となる。

  • 1771年 徴税請負人の娘、マリー・ポールズと結婚。
    1772年 科学アカデミーの準会員となる。

  • 1776年 砲兵工廠に引っこし、ここに実験室をつくり、以後自宅で多くの化学実験をする。

  • 1778年 科学アカデミーの正会員となる。アカデミーの紀要に多数の論文を発表。

  • この間、ラヴワジエの邸宅には、夫人の主催するサロンに、内外の有名人が集まる。

  • 友人達と共に、『化学命名法』(1787)、『フロギストン論考』仏訳(1788)出版。

  • 1789年 『化学年報』第1号発刊。『化学原論』出版。
    7月14日 フランス革命勃発。

  • これより革命政府の下で、89年クラブ、度量衡委員会、公共教育委員会などの要職につく。

  • 1793年 科学アカデミーの廃止。徴税請負人の逮捕。

  • 1794年5月8日 徴税請負人の処刑。ラヴワジエもギロチンに(50才)。

  • 1795年 世界初の工学大学、エコール・ポリテクニーク開校。ラグランジュ、モンジュら教授に任命。