マリー・アンヌ・ラヴォアジェとふたつの革命

  • 1758年 大ブルジョワの娘としてモンブリゾンに生まれる。

  • 1761年 母の死。女子修道院で教育を受ける(当時の習慣)。

  • 1770年 大伯父による不条理な結婚話。父によるこの話の拒絶。

  • 1771年 科学者で、徴税請負人(父の同僚)のラヴワジェと結婚(28歳と13歳)。ラヴワジェ夫人となる。

  • 1776年 砲兵工廠に引っ越し、この館で夫の同僚から系統的な化学の講義を受ける。

  • ラヴワジェグループの実験記録をとるラヴワジェ夫人(化学革命)。

  • ラヴワジェグループの為に化学の本の翻訳をする。

  • 砲兵工廠の館では毎週サロンが開かれ、ラヴワジェ夫人は名ホステスとうたわれた。

  • 1789年 フランス革命起こる。

  • 1794年 ラヴワジェの処刑(5月)。

  • 1794年 7月24日、テルミドール9日。恐怖政治の終わり。

  • 1796年 没収された財産をとりかえし、サロンを再開する。

  • 1805年 夫たちの原稿をまとめ『化学論集』として出版。科学者ラムフォード伯と再婚。ラヴワジェ・ド・ラムフォード伯爵夫人となる。

  • 1809年 結婚後すぐにラムフォードと不和になるが、この年にやっと離婚が成立。

  • 離婚後は社交に生き、有名な18世紀風サロンの女主人となる。また旧友などをたずねてヨーロッパをあちこち旅行する。

  • 1836年 78歳で死去。