マリー・キュリーと放射能

  • ポーランド周辺

    1867年 ロシア領ポーランドのワルシャワに生まれる。ポーランド名はマリア・スクォドフスカ。

  • 聖書を蹴飛ばす

    1878年 母が結核で死亡。これを期にマリアは無神論者になる。

  • 金メダルを持つ

    1883年 最優秀の成績で高校を卒業(15才)。

  • 家庭教師として勉強を教える

    1886〜91年 姉ブローニャの学資のために、住み込みの家庭教師となる。

  • ソルボンヌ大学へやってきた

    1891年 パリに発つ。ソルボンヌ大学理学部入学(24才)。
    1893年 トップの成績で物理学の学士号取得。

  • ピエール・キュリーとの出会い

    1894年 ピエール・キュリーとの出会い。2番で数学の学士号取得。

  • ピエール・キュリーと結婚

    1895年 ピエールと結婚。マリー・キュリーとな る。この年、レントゲンがX線を発見(27才)。

  • 研究に勤しむマリー

    1896年 アンリ・ベクレル、ウランより出る放射線の発見。
    1897年 マリー、放射線研究開始。

  • ポロニウム単離に成功し喜ぶキュリー夫妻

    1898年 6月にキュリー夫妻はポロニウムの単離に成功。12月はラジウムの単離に成功。

  • ラジウムの原子量

    1902年 ラジウムの原子量をつきとめる(34才)。

  • ノーベル賞

    1903年 マリー博士号取得。キュリー夫妻、アンリ・ベクレルと共に「放射能の発見」でノーベル賞受賞(物理学)。

  • ピエールの死を悲しむマリーと子どもたち

    1906年 4月19日、ピエール馬車にひかれて死亡(36才)。

  • 教鞭をとるキュリー夫人

    1906年 11月、マリー、ピエールのあとをついで、ソルボンヌ大学の教員となる。フランス史上初の女性大学教員。

  • 1911年 ランジュバン事件で渦中の人に。「ラジウムの発見」により、ノーベル化学賞を単独受賞。

  • 1912年 ラジウム研究所所長就任。
    1914年 ラジウム研究所完成。この年、第1次世界大戦開始(~1918)。

  • 長女イレーヌの結婚

    1926年 長女イレーヌ、同僚科学者のフレデリック・ジョリオと結婚。

  • アメリカとフランスの国旗

    1929年 マリー、二度目のアメリカ訪問。(一度目は1921年)。フーバー大統領と会見。1gのラジウムをワルシャワの研究所の為にもらう。

  • キュリー夫妻の墓

    1934年 イレーヌとフレデリック、人工放射能の発見。(35年にノーベル化学賞)
    マリー、放射能のために白血病で死去(66才)。

キュリー夫人