PCM検査。 佐久間學

(20/12/11-21/1/1)

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1月1日

Jurassic Award 2020
あけましておめでとうございます。本来ならきのうアップしていたはずのエントリーです。2012年から始まったこの「ジュラシック・アウォード」では、まずその年にアップしたアイテムの部門別のランキングを公開していました。これまでは、第1位から第3位までは、常に「合唱」、「オーケストラ」、「フルート」がこの順序で占めていました。今年は、初めてその1位と2位が逆転しています。それもかなりの大差、やはりこれは、「コロナ」によって合唱活動そのものが制限されてしまっていることの影響なのでしょうか。
とは言っても、今年リリースされたものはほとんど「コロナ以前」に録音されたものですので、来年どうなるかが鍵となるのでしょう。
「現代音楽」、「室内楽」、「書籍」は、去年のランク外からのランキング入りです。
第1位:オーケストラ(今年43/昨年37)↑
第2位:合唱(33/43)↓
第3位:フルート(17/28)→
第4位:現代音楽(14/5)↑
第5位:オペラ(9/7)↑
第6位:室内楽(7/3)↑
第6位:書籍(7/2)↑

■オーケストラ部門
今年はサラウンドによるショスタコーヴィチにハマってしまいましたが、それを押しのけて年末ギリギリに滑り込んだルッツの「第9」が最高位となりました。こんなインパクト満載の「第9」は初めてです。
■合唱部門
かなり昔にリリースされていた旧譜ですが、リリンクがサラウンドで録音したブリテンの「戦争レクイエム」です。このような、サラウンド感満載の録音が最近のものでは少なくなっているのが、残念です。最近では名前を知らない作曲家の録音にはあまり飛びつかないようにしているのも、ランクが下がった原因でしょう。
■フルート部門
正直本当に素晴らしいと思えるものには出会えませんでした。一応最高位は、資料的な価値ということで、ついに完成を見たドップラー全集にしてみました。こんなことはもう二度と出来ないのでしょうから、もっとちゃんとした演奏家で聴きたかったものです。
■現代音楽部門
ペンデレツキだけで4件、その中でも初サラウンドの「ルカ受難曲」が圧倒的に印象に残りました。やはり、ペンデレツキはこの時期の作品にこそ価値があることが、はっきりと分かります。この曲の持つエネルギーが、サラウンドによってさらに強調されています。これが今年の「大賞」です。
■オペラ部門
なんと言ってもサラウンドCDで復刻されたコルンゴルトの「死の都」です。このように、音場まできちんとコントロールしてスタジオで録音するノウハウが、現在ではもはや死に絶えているのかもしれません。
■室内楽部門
ヴァイオリンとサクソフォン四重奏による、バーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」です。この管楽器に対する偏見が消えたとは思いませんが、聴くに値するものがあることだけは分かりました。
■書籍部門
ここでは、楽譜も含みます。フルートの曲集で興味深いものがあったのですが、最高位は磯山さんの遺作、「ヨハネ受難曲」にしておきましょう。


12月29日

BEETHOVEN
Sonata, Serenade, Trio, etc.
Emmanuel Pahud(Fl), Daniel Barenboim(Pf)
樫本大進(Vn), Amihai Grosz(Va)
Silvia Careddu(Fl), Sophie Dervaux(Fg)
WARNER/9029513974


ベートーヴェン・イヤーの最後を飾るパユの最新録音は、フルートの入った室内楽を集めたアルバムでした。今年の場合、「ベートーヴェン・イヤー=コロナ・イヤー」ということで、せっかくのベートーヴェンを「生」で楽しむことは困難でしたが、このように数多くの録音が行われていたのは幸いでした。
と思っていたのですが、このアルバムのブックレットを見ると、録音のセッションの様子の他に、こんな写真が目に入りました。
もちろん、どちらも同じ会場、ベルリンのピエール・ブーレーズ・ザールなのですが、なにしろメンバーがパユの他にバレンボイムや樫本大進といった売れっ子たちですから、まずはこんなコンサートを行って、その前後にその場所で録音セッションを設けた、ということなのでしょうね。この録音と無関係な写真がブックレットにあるわけはありませんし。そして、その録音日が「2020年6月10-12日」というのですから、そんな「あぶない」時期に、こんなたくさんのお客さんが誰一人としてマスクを着けないで集まったコンサートが開かれていた、ということなのでしょうか。とても気になります。
まあ、それはそれとして、同じブックレットにはこんな写真もありました。
「バレンボイム」ピアノ、ですね。これは、話には聞いたことがありましたが現物を見たのは初めて、あのバレンボイムがスタインウェイに作らせた「平行弦ピアノ」ですね。普通のピアノは、高音の弦と低音の弦が上下に交差して張られているものですが、そもそもこの楽器がクリストフォリによって発明されたときには平行弦だったのですよね。ですから、バレンボイムは本来の形に戻した、ということなのでしょう。そうなると、当然交差した弦同士の共鳴がなくなりますから、かなり音は変わるのでしょうね。
このCDの最初のトラックは、ベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ第3番」を、パユ自身がフルートとピアノのために編曲したものです。ここで、バレンボイムによる「平行弦」のピアノと、パユのフルートとの一騎打ちを聴くことができます。
確かに、そのピアノからは、これまで持っていたバレンボイムのイメージとはちょっと異なる音が聴こえてくるような気がしました。というか、ここでのバレンボイムは、とても繊細な音色で、完全にパユのサポートに徹しているのですね。ピアノでテーマを奏でる時も、極力目立たないように努めているようでした。トリルのパッセージが交代で出てくるところなどは、見事にそのテイストを合わせていましたね。
そして、個人的にはメイン曲、フルート、ヴァイオリン、ヴィオラのための「セレナーデ」です。メンバーは全てベルリン・フィルの首席奏者という豪華なトリオです。それはもう、極上のアンサンブルが実現しているさまを体験することができます。そんな中でパユのフルートは、相手を思いやってのことなのか、なにか一歩下がったところでの控えめな表情に徹しているのが、ちょっと気になります。というより、この人のいつものスタイルである、なにか遠回しにメッセージを伝えるという姿勢が、はっきり言ってかなり「いやらしく」感じられるのですね。こういう曲なので、もっとストレートに演奏してくれればな、と思うのですが、それは無理な注文なのでしょう。
そんなスタンスがさらに誇張されているのが、最後に演奏されている「鍵盤楽器、フルート、ファゴットのためのトリオ・コンチェルタンテ」です。ベートーヴェンの10代のころの作品で、WoO.37という形で死後に出版されています。例えば、最後の楽章の変奏曲のテーマを、モーツァルトの「フルート協奏曲第2番」の第3楽章とか、「魔笛」のパパゲーノのアリアなどから引用しているようないわば「習作」なのですが、パユたちはその第1楽章を、まるでベートーヴェンの晩年の作品のように、とても重苦しく演奏しているのでした。これでは全然面白くありません。

CD Artwork © Parlophone Records Limited


12月26日

BEETHOVEN
9.Sinfonie
Julia Doyle(Sop), Claude Eichenberger(Alt)
Bernhard Berchtold(Ten), Wolf Matthias Friedrich(Bas)
Rudolf Lutz/
Chor & Orchester der J. S. Bach-Stiftung
J. S. Bach-Stiftung/B904


ルドルフ・ルッツがスイスのさる財界人とともに創設したザンクトガレン・バッハ財団は、その名前の通り、バッハのカンタータの全曲演奏を目指して活動を行っています。そして、その成果として、かなりの数のカンタータと、「ヨハネ受難曲」、「マタイ受難曲」、「ロ短調ミサ」、「クリスマス・オラトリオ」などの大作の録音をリリースしてきました。ですから、そのレーベルのカタログはほぼ100%がバッハの作品で占められています。確か、1曲だけヘンデルのオラトリオがあったぐらいでしょうか。
しかし、そんなところに突然ベートーヴェンの「第9」が登場しました。もちろん、これは今年が「ベートーヴェン・イヤー」であることと無関係ではないはずです。しかし、リリースされたのは確かに今年ですが、その音源であるコンサートは、7年前の2013年に行われていたものでした。
その年には、ルッツたちはちょっとした挑戦として、啓蒙主義の時代に生きていても、そのような潮流には背を向けていたはずのバッハの作品の中にも、啓蒙主義的な指向は見られるという立場から、「啓蒙主義の時代」というタイトルを掲げて、ベートーヴェンの「第9」をスイスの9つの都市で演奏するというツアーを敢行していました。それは、8月から10月までの間に、ジュネーヴのヴィクトリア・ホール、ルツェルンのカルチャー・コングレスセンター、そしてチューリヒのトーンハレなど、その都市の代表的なホールを使って12回ほどのコンサートを開催するというものでした。
その中で、10月1日にチューリヒで行われたコンサートの模様が、ここでは聴くことができます。
いつもバッハの作品をピリオド楽器で演奏している人たちですから、ベートーヴェンでも当然ピリオド楽器が使われています。このレーベルでは、バッハの場合は必ず合唱団やオーケストラのメンバーもきっちりクレジットされているのですが、今回はソリストのプロフィールだけで、それ以外のデータは全くありません。一応、音を聴いた限りでは、「第9」ということでことさら大人数にしたということはなく、弦楽器などはバッハよりはほんの少し多め、ぐらいのようでした。ですから、その弦楽器はかなり生々しくガット弦の音が聴こえてきます。そして、相対的に木管楽器がくっきり聴こえてくるようなバランスになっています。さらに、金管はまさにバッハの場合と同じような派手なアクセントを遺憾なく発揮、という役割を果たしています。
ルッツがとったテンポは、かなりの速さ、少し前に聴いたこちらのエラス=カサド盤よりも速い、といえば、その速さは伝わるでしょう。ただ、こちらはそんなテンポの中でも、バッハで培ったポリフォニーの動きがとても小気味よく聴こえてきますから、あちらのように無表情に陥ることは全くありません。いや、第3楽章など、そんな速さのなかで、きっちり歌いきっているばかりか、もしかしたらヴァイオリンが余裕で装飾を入れていたかもしれませんよ。
そして、圧倒的な終楽章。最初の低弦のレシタティーヴォにはまさにエヴァンゲリストが歌っているようなリアルさがありました。オーケストラはハイテンションの極み、マーチなどは、テノール・ソロがついていけないほどの速さです。合唱もエキサイティング。まるで応援歌のように盛り上がります。そんな中で、普段はカンタータを歌っているソリストたちはマイペース、ソプラノのジュリア・ドイルは、いつもの可憐さで迫ります。
楽譜は、しっかりベーレンライター版が使われているようですね。その上で、マーチの前のフェルマータでは、なんとシンバルの一撃が。ここでそんなことをしている演奏なんて、いまだかつて聴いたことがありません。でも、それが全く違和感なく決まっているのですから、すごいですね。これだったら、誰も「死んでるオーケストラ」なんて言いません。

CD Artwork © J. S. Bach-Stiftung, St. Gallen


12月24日

BACH
Weihnachtsoratorium
Lia Andres, Monika Mauch, Miriam Feuersinger, Marie Luise Werneburg,
Ruby Hughes(Sop), Elvira Bill, Margot Oitzinger, Terry Wey, Margot Oitzinger,
Alexandra Rawoh(Alt), Daniel Johannsen(Ten), Stephan MacLeod, Daniel Pérez,
Dominik Wörner, Tobias Wicky, Matthias Helm (Bas)
Rudolf Lutz/Chor und Orchester der J. S. Bach-Stiftung J.S.Bach-Stiftung/B901


クリスマス、ですね。クリスマスは24日か25日か、ということで盛り上がっていたのが、シャチョーとキキちゃんでした。あれって、「マイ・フェア・レディ」のフォーマットですよね。フレディが仲野太賀。
でも、バッハの「クリスマス・オラトリオ」の場合はそんな細かいことは言わないで、12月25日から1月6日までの間に6回も演奏されることになっています。つまり、クリスマスを「6回」楽しめるということになるのですね。正確には12月25日から3日間(ですから、24日は入ってません)に「第1部」から「第3部」、そして翌年の1日に「第4部」、最初の日曜日に「第5部」、そして顕現節の6日に「第6部」という6回です。バッハの曲は、そんな風にして1734年の年末から1735年の年始にかけて初演されました。
ただ、いきなりですが、このCDのブックレットでは「『第4部』は1734年の元日」とか「『第5部』は1735年1月1日(正しくは2日)」に初演が行われた、と書いてありますから、信用しないでください。まあ、そもそもBWVでさえも、この曲に関するデータでミスプリントがあるのですから、この程度の間違いは仕方がありませんけどね。
バッハのカンタータの全曲録音の合間に、「大曲」の「マタイ」や「ロ短調」を録音してきたルッツとバッハ財団合唱団・管弦楽団は、この「クリスマス・オラトリオ」の録音には4年間を費やしていました。準備に余念がなかったのですね。まず、2017年から2019年までのそれぞれの12月には、本来12月に演奏されるべき第1部から第3部、そして、2018年から2020年までの1月には、第4部から第6部までを順番に演奏して、その時にライブ録音を行ってきたのでした。
ですから、ここでは演奏者たちも、それぞれ微妙に変わっています。メインのキャストで6曲すべてに登場しているのは指揮者のルッツと、テノールのダニエル・ヨハンセンだけなのではないでしょうか。
そして、オーケストラの編成も、同じではありません。全曲通して入っている管楽器は、通奏低音としてのファゴットとオーボエ族だけです。フルートは第1部から第3部までしかありませんし、トランペットとティンパニのチームが加わるのは第1、第3、第6部だけです。ホルンなどは第4部にしか登場しません。それぞれのテキストに応じて、それにふさわしい楽器編成を与えていて、この6日に渡る全ての演奏に参加した人でも飽きが来ないような工夫を加えていたのでしょう。
そして、現代ではこの6曲を、コンサートという形で連続して演奏する機会が増えていますが、そんな時にでも、やはり曲ごとのキャラクターがきっちり変わっているので、聴衆は決して退屈することはなくなるのですよ。これがバッハの凄いところ、もしそこまで考えて作っていたとしたら、驚きですね。ただ、コンサートではメンバーの出入りが大変でしょうね。それとも、座りっぱなし?
2017年という最初の年に録音された第1部は、最初ということもあってかかなりハイテンションな仕上がりになっています。冒頭のティンパニとトランペットなどはイケイケですからね。そして、5曲目のコラール、「マタイ」でおなじみのメロディですが、このフレーズの間にオルガンの即興演奏を挟む、というのも、かなり尖がっている気がします。こういうことをやっているのはこの曲だけなんですよね。
次の年の第2部は、曲そのものが有名なパストラルで始まる穏やかなものですから、ガラリとテイストが変わります。ここでは、テノールのアリアにフルート(トラヴェルソ)のオブリガートが付きますが、それを吹いているのは日本人の鶴田陽子さんです。彼女のイントネーションは完璧、こんなに正確なピッチで吹けるなんて、驚異的です。テノールが装飾を入れるとすかさず同じ形で返す、などというスリリングなこともやってますし。ここでは2番フルートも日本人の向山朝子(むこうやま・ともこ)さんです。

CD Artwork © J.S.Bach-Stiftung St.Gallen


12月22日

MOZART
Die Zauberflöte
Kiri Te Kanawa(Pamina/Sop), Peter Hofmann(Tamino/Ten)
Edita Gruberova(Königin der Nacht/Sop), Kurt Moll(Sarastro/Bas)
Kathleen Battle(Papagena/Sop), Philippe Huttenlocher(Papageno/Bar)
Alain Lombard/
Choeurs de l'Opera du Rhin(by Günter Wagner)
Orchestre Philharmonique Strasbourg
DECCA/485 5200


レーベルは「DECCA」となっていますが、これは1978年に録音されて、ジャズのレーベルとして知られているフランスの「BARCLAY」からリリースされたものです。バークレーは後にポリグラムに売却されるので、今回はDECCAからのリリースです。そんな出自だったせいでしょうか、これはLPで出た後はこれまでCD化されることはありませんでした。
とは言っても、今回の初CD化に際してDECCAというかUNIVERSALが用意したジャケットは、ずいぶん「手抜き」のような気がしませんか。オリジナルのBARCLAYの3枚組LPボックスのジャケットはこれですからね。
きちんと情報だけは詰め込んだので文句はないだろう、という姿勢がミエミエ、せめてパパゲーノの画像ぐらいははカラーにしてほしかったですね。せっかく、ブックレットでは英語とフランス語の対訳を掲載しているというのに。
一見して、このキャストはとても魅力的であることが分かります。なんせ、キリ・テ・カナワ、エディタ・グルベローヴァ、キャスリーン・バトルといったこの時期の大スターたちのそろい踏みですからね。
その他に個人的に注目したのが、タミーノ役のペーター・ホフマンです。ワーグナー歌手として、バイロイトにも出演し、パトリス・シェローの演出で話題になった1980年の「指環」で、素晴らしいジークムントを歌っていましたよね。マスクもカッコよくて、オペラをやめてロック歌手に転向したというのもユニークでした。もちろん、彼がモーツァルトを歌っているのは聴いたことがありませんが、あれだけの声ですから、間違いないのではないでしょうか。
この時代ですから、手軽なライブ録音ではなく、5月29日から6月7日までの間に8日間のセッション日を設けて時間をかけた録音を行っています。その録音スタッフを見てみると、エンジニアにピーター・ヴィルモースの名前がありました。名匠、ですよね。
ところが、このCDを聴きはじめると、ヴィルモースならではの緻密さが全く感じられないとても雑な音だったのにはがっかりさせられました。オーケストラには輝きが全くありませんし、ソリストたち、特に男声の声は完全に歪んでいます。これは明らかにマスターテープの経年劣化の結果です。これより前に録音されたものでも、何ら遜色なく聴くことができるものはいくらでもありますから、これはよっぽど保管状態が劣悪だったのでしょうね。
さらに、演奏面でも、特にオーケストラの水準があまり高くなかったように感じられてしまいます。アラン・ロンバールとストラスブール・フィルといったら、ERATOレーベルに数多くの名演を残したチームのはずなのに、ここではアンサンブルがガタガタです。なんせ、序曲の「3つの和音」のピッチが全然合っていないのですからね。あとは、第2幕の最後の方にあるパミーナ、タミーノ、ザラストロの三重奏のバックでも、オーケストラはとんでもないことになっています。セッション録音でこんないい加減なものしかできないなんて、信じられません。
ホフマンの歌も、かなり期待外れでした。ワーグナーの時の力強さが裏目に出てしまって、とても乱暴な歌い方になってしまっているのですね。ちょっと、この人にはモーツァルトは無理だったような気がします。
キリ・テ・カナワ、とグルベローヴァは素晴らしかったですね。それぞれの最高のコンディションで、良い仕事をしていたのではないでしょうか。
びっくりしたのは、パパゲーノ役のフッテンロッハーです。かつてヘルムート・リリンクが自らの合唱団とオーケストラを率いて初来日した時のソリストとして、バッハの受難曲に登場していたので、宗教曲が専門だと思っていたら、しっかりオペラでも活躍していたのですね。これは、とても端正で味わい深いパパゲーノでした。本来は「熱い」人なのかも(沸点ロッハー)。
もっとちゃんとした指揮者とオーケストラで聴いてみたかった「魔笛」でした。

CD Artwork © Decca Record France


12月19日

交響録 N響で出会った名指揮者たち
茂木大輔著
音楽之友社刊
ISBN978-4-276-21131-5


NHK交響楽団(N響)の名物男として、長く首席オーボエ奏者を務めていた茂木大輔さんは、昨年定年を迎えてオーケストラを退団したそうです。日本のオーケストラの定年は60歳のようですね。
とは言っても、定年を過ぎても「嘱託」のような形でオーケストラに残る人もいるようです。辞めてもみんなと一緒に食卓を囲むのでしょう。ただ、茂木さんの場合は他にやることもあったので、きっぱりここで退団することを決めたのだそうです。その「他にやること」というのは指揮者としての活動です。基本、指揮者には定年はありませんからね。
茂木さんのエッセイは、もう「パイパーズ」という音楽雑誌に連載されている時からずっと追っかけていて、それをまとめた1993年の単行本、「オーケストラは素敵だ」は愛読書となりました。その頃は、一人称が「オレ」という文体で、なんともスタイリッシュなところもとてもインパクトがありましたね。
今回、N響を退団したというタイミングで用意されたこの新しい本では、その一人称は「僕」というとてもかわいらしいものに変わっていましたが、その魅力的な筆致が変わることはありません。なんと言っても、茂木さんがN響に在籍していた29年の間に実際にオーケストラの中で対峙した多くの指揮者の素顔が、とても生き生きと、というか、生々しく描かれているのですから、たまりません。
例えば、リハーサルの時から不穏な関係になっていた指揮者に対して、オーケストラの団員が全員示し合わせて本来演奏するはずのリピートを本番で行わないで、指揮者を驚かす、などということをやっていたりしていたのだそうですね。しかも、このオーケストラは定期演奏会をテレビで生中継するということもやっていたのですが、同じ定期でもカメラが入っていない日にやったというのですから、陰湿です。
まあ、こんなのは極端な話で、大部分は本当に音楽的にも人間的にも尊敬に値する指揮者たちの賛辞で満ち溢れています。
ここにコラムとして登場する指揮者は全部で34人ですが、巻末にはそれ以外の、茂木さんの在任中に共演していたすべての指揮者の名前が、短いコメントと共にすべて挙げられています。それを合わせると全部で100人を軽く超えてしまいます。そんなにたくさんの指揮者と一緒に仕事をしているというのが、日本のトップオーケストラなのですね。
これだけのものすごい指揮者達から、茂木さんは直接、間接に指揮法を学んだことが、この本のあちこちで語られています。一度、彼の指揮で演奏したことがありますが、指揮棒の持ち方が独特で(普通は、腕の延長に棒の先が向いているのに、彼は直角)、動きだけでその意図がおのずと伝わってくる、というようなことはなかったのですが、曲のアナリーゼには脱帽した記憶があります。それと、オーケストラのメンバーの心をつかむのが上手で、とてもリラックスさせられたような気がしました。
この本の巻末には、N響の「タイトル指揮者」というものの一覧表が掲げられています。オーケストラにはいろいろな「タイトル」が付いた指揮者が居るもので、それが普通は「音楽監督」、「常任指揮者」、「首席指揮者」などと名付けられているのですが、N響の場合はそれが10種類もあるのですね。「正指揮者」、「常任指揮者」、「首席指揮者」、「桂冠指揮者」、「名誉指揮者」、「桂冠名誉指揮者」、「音楽監督」、「名誉音楽監督」、「首席客演指揮者」、「名誉客演指揮者」です。「桂冠名誉指揮者」とか「名誉音楽監督」というのは、なんだかユニークですね。
でも、普通のオーケストラではまずいるはずの「音楽監督」が、現在のN響にはいないのですね。過去にこの名前を授かったのはデュトワとアシュケナージだけ、現在その地位にあるのだと思っていたパーヴォ・ヤルヴィは「首席指揮者」なんですよ。ただ、このタイトルは彼以前には誰もいませんでしたから、もしかしたらこれが「音楽監督」と同義語なのか、とか考えてしまいます。

Book Artwork © Ongaku no Tomo Sha Corp.


12月17日

Christmas Eve
山下達郎
MOON/WPKL-10006(EP)


最近、アメリカではアナログ・レコードの売り上げがCDを超えたのだそうですね。実際は、もはやフィジカルなメディアではなく、インターネットでのダウンロードやストリーミングによって音楽を聴くことが日常化した結果なのでしょう。裸になったわけではありません(それは「ストリーキング」)。そうなれば、当然CDは売れなくなりますが、アナログ・レコードはある種の「文化」として生き延びていたのでしょう。
日本でも、やはりアナログ・レコードのファンは確実に増えています。実際、単なる懐古趣味ではなく、明らかにCDとは異なる音が聴こえることを実際に体験して、オーディオ的な興味からファンになる人は多いはずです。
ですから、最近はネットのCDショップを覗いてみると、昔のレコードを復刻したものだけではなく、最新の録音までもアナログ・レコードでリリースされています。ただ、それらは、12インチLPという形である場合がほとんどです。アナログ・レコードにはLP以外に、7インチサイズの「EP」、つまり「シングル盤」があるのですが、それまでが新しく作られたという話はほとんど聞いたことがありませんでした。
そんな折、毎年この時期には、1983年に作られた大ヒット曲「クリスマス・イブ」(同じ年のアルバム「メロディーズ」からのシングル・カット)を様々な趣向でリイシューしている山下達郎が、それをなんとCDではなく、その「シングル盤」で出してくれるというではありませんか。かつては確かにこの形でリリースしていたのですから、その復刻盤ということになるのでしょう。もちろん、そんなマニアックなものですから、数量限定、発売日近くには予約だけですべてが売り切れてしまったのだそうです。
実は、この曲はすでにこちらの2013年にリリースされたアナログ・レコードで聴いたことがありました。その時には、確かにアナログらしい素晴らしい音ではあったのですが、どうもカッティング以降の工程に問題があったように感じるところもありました。
今回はまず、その新しいシングル盤を聴いてみます。クラシックとは違って、こういう音楽はカッティングのレベルがかなり高くなっていますから、少しボリュームを下げ気味で聴き始めると、なんかイントロの音がしょぼすぎます。ですから、少しボリュームを上げてみました。試しに先ほどのLPを同じボリュームで聴いてみると、それでは大きすぎます。どうやら、このシングル盤のカッティングレベルはかなり低めになっていたようですね。確かに、厚さを測ってみるとLPは2mmぐらいありますが、シングル盤は1mmしかありませんから、溝を深く掘ることは出来ないので、必然的に低レベルになってしまうのでしょう。
ただ、そうやって聴く時のレベルを合わせてみると、シングル盤の方がLPより格段に良い音でした。特に、途中でパッヘルベルのカノンをア・カペラで引用している部分では、LPではもろにヴォーカルが歪んでいます。同じ個所が、このシングル盤では、明らかに多重録音のダビングによるほんのわずかの歪みは感じられますが、LPみたいなひどいことにはなっていません。このあたり、7年間に製造技術が向上してきたせいなのかもしれませんね。それと、もともと回転数の速いシングル盤は、LPよりもいい音のはずですし。
そして、それを2012年にリリースされたベストアルバム「オーパス」の中に収録されたリマスターバージョンのCDと比べてみると、その違いは歴然としていました。ヴォーカルとコーラスが、シングル盤ではまるでシャワーを浴びたような潤沢な瑞々しさが感じられるのに、CDの音はすっかり乾ききっていて味も素っ気もありません。まさにCDの限界を突き付けられた思いです。
ちょっとしたお遊びで、その45回転のシングル盤を、LPの規格の33 1/3回転で聴いてみました。それはそれで、とてもソウルフルなバリトンのソロと、どっしりとした、まるでロシアの聖歌隊のような男声合唱が楽しめますよ。聴いてみますか?

EP Artwork © Warner Music Japan Inc.


12月15日

BRITTEN
Sinfonia da Requiem (The British Project)
Mirga Gražinyté-Tyla/
City of Birmingham Symphony Orchestra
DG/00028948390724


最近は音楽をCDのような「物」ではなく、インターネットによって配信される「デジタル・コンテンツ」として入手することがメインとなりつつあります。
ということで、これまではネット配信は行いつつも、まずCDでのリリースは続けてきたはずのクラシック界の老舗レーベルであるDG(ドイツ・グラモフォン)までもが、このようにCDではリリースせずに、ダウンロードとストリーミングのみでのリリースという、古いユーザーにとってはまさに「背信行為」を行うようになりました。
ベンジャミン・ブリテンがこの曲を作ったのは1940年ですから、今年はそれから80年ということになりますし、ここで演奏しているバーミンガム市交響楽団が創設されたのは1920年ですから、こちらも創立100周年という記念の年にあたっていることから、この珍しい曲を録音することになったのでしょう。
1940年というのは、日本では「紀元2600年」という年にあたっていました。これは、神話上の人物である神武天皇が即位したのが西暦での紀元前660年だったということで、明治政府がでっち上げた年号です(もちろん、今では誰も使うことはありません)。ですから、この年は国を挙げてのお祭り騒ぎとなりました。
その一環として外国の高名な作曲家に作品を委嘱して、それをまとめて演奏するコンサートが企画されたので、その委嘱に応えてブリテンが作ったのが、この作品です。ただ、他のピッツェッティ、リヒャルト・シュトラウス、イベール、ヴェレシュの曲は演奏されたのに、この曲だけは演奏されませんでした。ですから、世界初演は翌1941年3月にニューヨークで行われました。録音も残っています。
現在でもこの曲は決して有名な曲とは言えませんが、バーミンガム市交響楽団は1984年に当時の音楽監督ラトルの元で録音を行っていました。ですから、これはそれから40年近く経っての同じオーケストラによる録音となります。その間に、音楽監督はラトルからオラモ、ネルソンス、そして2016年の2月からは今回のミルガ・グラジニーテ=ティーラ(若くて美人)に代わっています。
この曲は今でこそ「シンフォニア・ダ・レクイエム」と呼ばれていますが、かつては「鎮魂交響曲」と呼ばれていました。そうなると、いかにもこれ自体が死者を悼む曲のような印象を受けてしまいますが、実際のタイトルの意味は「『レクイエム』によるシンフォニア」ぐらいのはずです。つまり、ここでは3つの楽章が、それぞれ「レクイエム」の中に含まれる「Lacrimosa」、「Dies irae」、「Requiem aeternam」という表題を持っていて、普通の「レクイエム」の中でのそれらの曲が持っているキャラクターを表現した、というだけのことなのですね。
「Lacrimosa」では、ティンパニの連打に続いて悲しみにすすり泣くようなシーンが描かれます。というより、明らかにこのタイトルで有名なモーツァルトの「レクイエム」の中の曲からの引用と思われるような上向音階が途中で現れます。
「Dies irae」は本来は荒々しい曲ですが、ここではほとんどスケルツォ楽章のようなちょっと軽いテイストが感じられます。なんせ、基本のリズムがロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」の最後の行進曲ですからね。
そして「Requiem aeternam」では、心が澄みきるような美しいメロディで、安らかな情景が描かれます。ただ、和声的にはかなり複雑で、最後になると「無調」のフレーズが待っています。
「2600」年に実際に演奏された他の作曲家の作品のうち、手元にあったシュトラウスの「皇紀2600年奉祝音楽」とイベールの「祝典序曲」はそれぞれとても分かりやすい、素直に高揚感が与えられるような曲でした。そんな中で、このブリテンの曲は明らかに異質、当時のこのコンサートの主催者にとっては理解不能だったのでしょう。いろいろ言われていますが、おそらくそのあたりが、演奏されなかった本当の理由だったのではないでしょうか。
もちろん、今では、この曲は後の大作「戦争レクイエム」の萌芽として、しっかりその価値が認められています。

Subscription Artwork © Deutsche Grammophon GmbH


12月13日

MARTYNOV
Utopia Symphony
Jun Hong Loh(Vn), Neville Creed(Speaker)
Vladimir Jurowski/
London Philharmonic Choir(by Neville Creed)
London Philharmonic Orchestra
LPO/LPO-0120


ロシアのヴラディーミル・マルチノフが作った「ユートピア交響曲」という作品の世界初録音です。
この作曲家は1946年にモスクワに生まれ、モスクワ音楽院でピアノと作曲を学びます。最初は12音など当時の最先端の作曲技法も身に着けた、アヴァン・ギャルドな作風だったようです。1970年代になると、今度は別の意味で最先端となったミニマル・ミュージックの洗礼を受けました。同時に彼は、ロシア正教会の聖歌やルネサンス音楽にも興味を示し、そのテイストをミニマル・ミュージックに取り込むという独自の作風を展開することになります。彼はロックバンドまで作っています。マルチな才能があったのですね。
今回の作品は、2005年9月にモスクワで初演された「シンガポール 地政学的ユートピア」という作品を大幅に改訂したものです。この作品は、2004年にシンガポール大使としてロシアに赴任したマイケル・テイという外交官の委嘱によって作られています。テイは、その年に聴いたマルチノフの合唱とオーケストラのための「ダンテの新生」という曲にいたく感動し、ぜひシンガポールを題材にした曲を作ってほしいと申し出たのです。ただ、マルチノフはまだシンガポールには行ったことがなかったので、テイは彼を1週間、奥さんのヴァイオリン奏者、タチアナ・グリンデンコとともにシンガポールに招待しました。
そして出来上がったのが、ロシア語のテキストによる作品です。ここでは、前半はソ連時代に編纂された百科事典からの引用、そして後半には老子の「道徳経」からのテキストが使われています。
初演の後、マルチノフはこの曲を大幅に改訂します。前半にあったソ連の百科事典からの引用をすべてカットし、ロシア以外でも演奏できるように全曲を「道徳経」の英訳のテキストにしました。そして2019年11月に、タイトルも「ユートピア交響曲」と変わったこの英語版の録音があの有名なロンドンのアビー・ロード・スタジオで行われたのです。
前半の「パート1」は、25分ぐらいかかりますが、終止スティーヴ・ライヒの模倣に徹しています。まずは、こんなリズムで手拍子だけのループが始まります。まさに「クラッピング・ミュージック」ですね。
テンポはBPM=76ぐらい、ユロフスキはヘッドフォンを着けて指揮をしていますから、おそらくこのパルスを聴いているのでしょう。これが延々と続く中で、まずは合唱がテキストをメロディのないハーモニーだけで歌います。それが5分以上続いた後に、初めての楽器マリンバが登場します。
それからは、次第に楽器が増えていきます。ストリングスやブラスが入って盛り上がったところで、今度はウッド・ブロックとバスドラムだけのリズムに乗って、合唱指揮者のネヴィル・クリードと合唱との間の「語り」によるコール・アンド・レスポンスが始まります。それが終わったところ、開始から17分経って初めてフルートの登場。マリンバと一緒に、ライヒ風のフレーズを吹き続けます。
最後のあたりは、金管はファンファーレのような明るいリズムの繰り返しで、大盛り上がりです。結局その頃になると、合唱の唱えるまさに「お経」のようなテキストが頭の中に渦巻くようになります。これはほとんど洗脳状態。ちょっとヤバいですね。
後半の「パート2」では、ガラリと様相が変わり、まずはア・カペラの合唱から始まって、やがてオーケストラが加わると、そこはベタベタの「ヒーリング・ミュージック」の世界に変わります。ヴァイオリン・ソロが甘〜く歌う中、一瞬ピアノのソロでシューマンの「こどもの情景」の一節が流れます。それは確か「見知らぬ国と人々について」というタイトルだったはず。これは、「シンガポール」のメタファーなのでしょうか。
いずれにしても、「ミニマル」と「ヒーリング」の二段構えで、東洋思想の世界観を伝えるという大胆な作品、とても分かりやすいだけに、ちょっと底が浅く感じられてしまいます。

CD Artwork © London Philharmonic Orchestra


12月11日

DOPPLER
The Complete Flute Music Vol.11/12
Claudi Arimany, János Bálint, Aleksandra Miletic(Fl)
Sara Blanch(Sop), Cristian Chivu(Vn), Vicenç Prunés(Harm)
Zsolt Balog, Éva Madarász, Katia Michel, Albert Moraleda (Pf)
CAPRICCIO/C5421


2007年から始まった、クラウディ・アリマニーのドップラー兄弟の作品の全曲録音という偉業は、2020年に完了しました。足掛け14年、いや、正確にはこちらで1997年の録音分が入っていますから、「24年」になるのかもしれません。
共演しているフルーティストは全部で22人、その中にはアリマニーの師、ランパルとともに、同世代のマクサンス・ラリューといった大御所まで含まれます。よくぞこれだけ集めたものだと思ってしまいます。ただ、オーケストラがスペインの全く名前が知られていない団体ばかり、というのは、仕方がないことなのでしょう。その指揮者も、全く知らない人ばかり。
それは全部で12枚のCDに収められ、すでにその最終巻のリリースも決まっています。今回はその最後から2つ目の第11巻です。というか、第12巻は他の作曲家がドップラーたちへのトリビュートとして作ったものが収録されているようですから、実質的にはこれが最終巻ということになるのでしょう。
ということで、世界初録音のレア・アイテムのオンパレードです。そんな中で、唯一これまでにも他の録音があったのが、最初の「『ハンガリーの羊飼いの歌』幻想曲」という、2本のフルートとピアノのための作品です。本来は、ピアノではなくオーケストラの伴奏が付いていたらしいのですが、その楽譜や、ピアノのリダクションもすでに失われていたので、ソロのパートにあったガイドをもとに復元されているのだそうです。とは言っても、今までにその「他の録音」は聴いたことはなかったので、シンプルなピアノの前奏に続いて聴こえてきたフルートのフレーズが、聴きなれたものだったのには驚いてしまいました。それは、ドップラーの作品の中では最も有名な「ハンガリー田園幻想曲」の出だしの部分だったのです。あの印象的なコブシがそのままの形でまずはソロで現れ、その後に2番フルートが対旋律を入れてきます。なんせ、すっかり耳にこびりついているメロディですから、その2番フルートの斬新な合いの手には感心してしまいます。
ただ、作られたのはこちらの方が先なのだそうです。そして、その部分以降は全く別の音楽になっていました。
もう一つ、聴きなれたものとしては、本来はホルン4本とフルート・ソロのための曲だった「森の小鳥」を、ハルモニウムとフルートで演奏しているバージョンです。ハルモニウムというのは一円玉ではなく(それは「アルミニウム」)足踏み式のオルガンですね。「リードオルガン」とも呼ばれます。ご家庭でホルン奏者を4人集めるのは大変ですから、もっとこの曲を簡単に演奏できるようにと作られたものなのでしょう。この録音で使われている楽器は、19世紀の末に作られたもので、アリマニーの作曲の先生が持っていたものなのだそうです。もちろん、このバージョンは世界初録音、ホルンとは違うちょっとプリミティブな響きが和みます。
そして、この巻の白眉は、カール・ドップラーがヴァイオリンまたはフルートとピアノのために編曲したハンガリー民謡のアンソロジーでしょう。全3巻、60曲から成る曲集から、ここでは28曲が演奏されています。この中には、リストが「ハンガリー狂詩曲」の素材として使っていたものもあります。たとえば、トラック14の「Magassan repül a daru szépen szól」は「14番」、そしてトラック29の「Lajos bácsi dalaiból」は「6番」のテーマですね。さらに、リストのこの2曲はフランツ・ドップラーがオーケストラに編曲して、それぞれ「1番」と「3番」と呼ばれています。
特に、この曲集のようなシンプルなメロディの時に、アリマニーの独特のサウンドが際立って聴こえます。それは、威圧するようなエネルギー感の全くないソフトな音です。そこに、完璧なピッチとテクニックが加わるので、安心して身を委ねられることでしょう。ただ、ビブラートがまるでタンギングのように強烈に感じられるのは、ちょっと辛いかも。

CD Artwork © Capriccio


さきおとといのおやぢに会える、か。



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