歳暮マリア。.... 佐久間學

(13/11/19-13/12/7)

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12月7日

Mariya's Songbook
Various Artists
MOON/WPCL-11618/9


1978年に「アイドル」としてデビューした竹内まりやは、今年がデビュー35周年。その記念に、他の「歌手」のために作った曲のコンピレーション・アルバムがリリースされました。収録されているのは、そのオリジナル・バージョン、したがって、まりや自身が歌っているものはボーナス・トラックの仮歌バージョン以外には一切ありません。
ブックレットに掲載されているリストによると、まりやの作品は歌詞だけのものも含めて全部で89曲もあるというのですから、すごいものです。いや、作るだけなら誰にでもできますが、この場合は全てしっかりレコードなりCDになって、「商品」として店頭に並んだものばかりなのですから、驚きです。何しろ、あの世界最大のヒットメーカーである「ザ・ビートルズ」でさえ、そのような「商品」は200曲ちょっとしかないのですからね。
そんな中から選ばれた30曲が、ここでは2枚のCDに収まっています。Disc1は赤、Disc2は緑のスコッチ・チェックの盤面にはアルバム・タイトルの「Mariya's Songbook」の文字が見えますが、よくよく見るとDisc2の方は「Mania's Songbook」となっていますよ。言われなければ分かりませんね。つまり、2枚目はちょっとマニアックなものが集められている、という、「おやぢギャグ」だったのですね。彼女も還暦に向かって、そんな「おやぢ」へまっしぐら、なのでしょうか。でも、今回のアルバムの中でも「MajiKoiする5秒前」とか「色・ホワイトブレンド」とか、かなり高度な「言葉遊び」(それを「おやじギャグ」というのです)が満載の曲がありますから、すでにそんな素養はあったのでしょう。作品にしても、この「マニアズ」の1曲目の、なんとKINYAが歌っているという「涙のデイト」という曲などは、もう完全にウケねらい、抱腹絶倒の仕上がりになっていますから、うれしくなってしまいます。
普通にヒットした曲は、後にまりやがセルフカバーしているものが多いので、当然その「歌手」との比較が楽しめます。なんと言っても、その落差が際立っているのが、中森明菜が歌った「駅」でしょうね。実は、このバージョンを聴くのはこれが初めてのことでした。それは、今までにいろいろなところで様々な「噂」(たとえば、まりやだか達郎だかが、この歌を聴いて思いきり失望した、だとか)を聞いてきましたが、それがもしかしたら本当のことだったのかもしれない、と思うには十分なものでした。なんせ、そこからはまりやバージョンの持っていたあのドラマティックな世界がまったく消え去って、なんとも後ろ向きで、聴いていて辛くなるような歌しか聴こえてはこなかったのです。まりや自身のライナーでは「明菜ちゃんとの出会いでこんな素晴らしい曲が書けた」などと持ち上げているのが「大人の事情」に思えてなりません。
逆に、これはまりや以上ではないかと思えるほどの確かな歌を聴かせてくれているのが、「みつき」という、リリースされた2008年当時は16歳だった「歌手」です。変なクセのないとても伸びやかで表現力が豊かな声によって歌われる「夏のモンタージュ」という曲は、今の同じ年代のアイドルたちのとことんだらしない歌に慣らされているものにとっては、衝撃以外のなにものでもありません。まりやがセルフカバーを行っていないのは、もはやこの歌には付け加えるべきものは何もないと判断してのことだったのでは、などと思えるほどの完成度を誇っています。この人は、高畑充希という、ミュージカル界ではその名を知られた人で、いまは朝ドラで主人公の義妹役を演じてますね。ドラマの中では「焼き氷の歌」を披露してましたっけ。「本職」では、「スウィーニー・トッド」でジョアンナ役を演じていたのだそうですね。
朝ドラと言えば、「けんかをやめて。私のために争わないで」というセリフも登場していましたね。これなどは、いかにまりやの作品が普遍性を持っているかの証(あかし)屋さんま

CD Artwork © Warner Music Japan Inc.

12月5日

BRITTEN
War Requiem
Peter Pears(Ten), Heather Harper(Sop)
Dietrich Fischer-Dieskau(Bar)
Meredith Davies, Benjamin Britten/
Coventry Festival Choir, Boys Choir
City of Birmingham SO, Melos Ensemble
TESTAMENT/SBT 1490


ブリテン・イヤーの最後を飾るにふさわしい、とんでもない音源がCD化されました。このところ何度も新譜を取り上げてきた「戦争レクイエム」の初演時のライブ音源です。ま、いちおう「Previously unpublished」というクレジットはありますが、試しに「Shazam」に聴かせてみたらこんなジャケットがヒットしましたから、それは蛇の道は蛇、何らかの形でのリリースはあったのじゃね。

でも今回はBBCが録音したテープをデジタル・リマスタリングした、と言いますから、「公式」なものとしてはやはり世界初となるのでしょうね。実は、このCDのライナーノーツでは、「もちろん、ブリテンはこのCDのリリースを決して認めることはなかっただろう」(日本語の訳も添付されていますが、あまりにもひどい訳文なので原文から訳しました)という記述があります。作曲家にとってはかなり不本意な初演であったことがうかがえますね。とは言っても、もはや50年以上も経ってしまえば、それは一つの「歴史」となるわけで、「演奏」ではなく「記録」として聴くことに価値があることになるのでしょう。著作隣接権だって消滅しているはずですから、もはやリリースは誰にも阻止することはできません。
1962年5月30日の初演の時の模様は、いくつかの資料によって知ることが出来ます。まずは指揮者の選定。現在では、ほとんど一人の指揮者によって演奏されることが多くなっていますが、初演に際してはオーケストラとアンサンブルのためにそれぞれ指揮者が必要とされていました。ブリテン自身はアンサンブルの指揮にまわることになっていたので、メインのオーケストラの指揮を誰に依頼するかという問題があったのです。最終的に決まったのは、当時は全く無名、というか、現在でも(すでに2005年に亡くなっていますが)知る人はほとんどいないメレディス・デイヴィスという人です。
そして、ソリストの問題。ブリテンは第二次世界大戦で交戦国同士だったイギリス、ドイツ、そしてソ連(当時)の歌手を想定していましたが、ソ連代表のヴィシネフスカヤが、当時の国際的な状況では確実に参加できるという保証は何もなかったので、主催者は代役としてかなり早い段階でヘザー・ハーパーを用意していたのです。その不安は的中、当初のソプラノ歌手の出国が認められなかったため、初演は「プランB」のメンバーによって行われました。
ものすごいヒスノイズとともに、演奏が始まります。もちろん当時の放送音源ですからモノラルです。しかし、「記録」として演奏を味わうのには何の障害にもなりません。ただ、聴こえてきたオーケストラと合唱は、何か地に足がついていないような薄っぺらな演奏に終始しているように感じられます。特に合唱は、大聖堂での実演に耐えられるだけのリハーサルが行えなかったのではないか、というほどの、ほとんど手探り状態であることがはっきりわかってしまいます。ポリフォニーの部分などは、いつ崩壊してもおかしくない状態です。
しかし、ソリストたちはとても立派でした。中でも、ヘザー・ハーパーは代役のハンディキャップを全く感じさせない堂々たる歌い方です。
ところが、このCDのトラック17、「Libera me」が始まったあたりで、突然音が今までとガラッと変わってしまいます。それは、今まで使っていたマイクのうちの何本かが急に使えなくなってしまって、1本のマイクで録ったのではないかと思えるほどの、もやもやとした音、明らかに何かの「事故」が起こったとしか考えられないような事態です。
さらにもう1点、先ほどのライナーの中で紹介されている、「心臓が止まってしまうような恐ろしい瞬間」という「事故」が、このCDではそんな痕跡が全く分からないほどに修正されているのです。このようなマスタリングの段階での改竄は、この貴重な「記録」に対しては決して許されることではありません。

CD Artwork © Testament

12月3日

Enjoy the Silence
Eric Whitacre/
Eric Whitacre Singers
DECCA/481 0530(10" Vinyl)


エリック・ウィテカーが、自ら結成した合唱団「エリック・ウィテカー・シンガーズ」を率いて録音した最新のアルバムです。それがなんと「EP」でリリースされました。ということは、「アルバム」ではなく「シングル」?
EP」というのは、1949年にRCAビクターによって開発されたレコードの規格です。それは、その前年1948年にアメリカ・コロムビアが開発し、「Long Playing Record」という名前で商品化した、その名の通り「長時間レコード」いわゆる「LP」に対抗して出されたもので「Extended Playing Record」の略称です。いずれもそれまでの「レコード」であった「Standard Playing Record」、いわゆる「SP」よりも長時間の再生が可能になっています。SPは材質がシェラックで、回転数は78rpm、せいぜい片面に5、6分しか入っていませんでしたが、LPEPでは音溝が思い切り細くなり、収録時間が長くなるとともに、音質もはるかに向上されていました。それは、素材として、シェラックよりも精密な成型が可能な塩化ビニールと酢酸ビニールの共重合体が使われているのが、大きな要因です。「ビニール」というのは「vinyl」の日本語表記ですが、ネイティヴな発音では「ヴァイナル」となりますから、そのような素材で作られたLPEPのことも、通は「ヴァイナル」と呼んでいます。LPは回転数が33 1/3rpm、サイズ(直径)は、SPと同じ、10インチと12インチ、EP45rpm/7インチというのが標準の規格です(ジュークボックスなどでの自動演奏のために、真ん中の穴は大きくなっています)。EPはサイズが小さい分回転数を上げて、LP並の音質をキープしているのですね。ほどなく、LP=アルバム、EP=シングルという構図が出来上がります。
最近はそんな「ヴァイナル」の方がCDよりもはるかに良い音であることが分かってきたために、いろいろなところでヴァイナルの新規リリースを目にします。そんな中での、このウィテカーの「EP」です。収録曲は2曲だけ、タイトル曲はデペッシュ・モードの1990年のヒット曲のカバー、そして「B面」には、自作の「This Marriage」のライブ・バージョンが収録されているという、まさに「シングル」なのです。
ところが、サイズが「10インチ」だというのが引っかかります。これは、厳密には「EP」の規格には当てはまりません。ただ、最近では単に「片面に1曲しか入っていないヴァイナル」のことを「EP」と呼ぶような習慣も出来かかっています。これもそんなノリで使われているのかもしれません。そうなってくると、問題は回転数ですね。「EP」と言うからには、当然45rpmだと思うのも、最近では早計なようで(そうけい?)、33 1/3rpmでも堂々と「EP」と言っている場合がなくはないのですよ。
そこで、それを確かめるべく、渋谷にある日本、いや世界最大のクラシックレコードショップに行ってみました。しかし、そこではこのEPの現物はおろか、そもそもヴァイナルなどは1枚も置いてはいなかったのです。CDがこの先次第に音楽再生のツールとしては衰退していくことは間違いありません。そんな中でのこのショップの対応は、あまりに楽天的過ぎるように感じられます。
通販で買おうとすると日本のAMAZONでは2190円、しかも海外発注で届くまでには3週間もかかってしまいます。しかし、これはネットでも配信されていて、なんとハイレゾ音源(24bit/96kHz600円という、ほとんどかつての「シングル」と同じ値段で手に入ってしまいました。結局、「物」としてのヴァイナルは入手できませんでしたが、それと同等の「音」だけは楽しめます。しかし、おそらくヴァイナルのジャケットの裏側には印刷されていたであろう録音データなどは、目にすることはできません。
肝心の音楽は、オリジナルからビートを完全に取り去って、ハーモニーだけで再創造したという潔いアレンジ、かつて「ロック小僧」だったウィテカーには、デペッシュ・モードはこのように聴こえていたのでしょうか。

Vinyl Artwork © Decca, a division of Universal Music Operations Limited

12月1日

SUPPÉ
Requiem
Marie Fajtová(Sop), Franziska Gottwald(Alt)
Tomislav Muzek(Ten), Albert Pesendorfer(Bas)
Gerd Schaller/
Philharmonischer Chor München(by Andreas Herrmann)
Philharmonie Festiva
PROFIL/PH12061


あのスッペがレクイエムを作っていたのは知っていましたし、以前その録音を聴いたこともありました。なかなかキャッチーな曲だとは思ったのですが、こうして新しい録音が出るほどのポピュラリティまでは持ってはいないと思っていたので、ちょっと意外でした。しかも、この新盤の演奏家は、全く聞いたことのない人たちですし、それがライブ録音だというのですから、演奏も録音もそんなに大したものではないだろうという気はしていました。なにしろ、イタリアあたりのレーベルで、珍しいレクイエムだと思って聴いてみたら、ほとんど素人のような演奏を、アマチュアが録音したのではないか、というような代物に何度も出遭ってきましたから、期待して裏切られることだけはいやだな、と思っていますからね。
でも、とりあえずこの指揮者や演奏団体を調べてみたら、指揮者は同じレーベルでブルックナーの珍しい版による録音をかなり手掛けているような人ですし、オーケストラはその人がミュンヘンにある立派なオーケストラ(たくさんありますね。バイエルン放送交響楽団、ミュンヘン・フィル、バイエルン州立歌劇場管弦楽団・・・)のメンバーを集めて作ったスペシャル・オケだというのですから、実はかなりのポテンシャルを持った人たちだったのでした。ちょっと期待して聴いてみることにすっぺ
確かに、ここで演奏している人たちは、自分の出している音にしっかりと責任を持っているな、ということがひしひしと感じられました。ライブなので傷もなくはないのですが、メンバーそれぞれがしっかり「音楽」していることが、はっきり伝わってくるのです。合唱はミュンヘン・フィルの付属の合唱団。こちらも実力は折り紙つきです。
さらに、録音がとても良いのにもうれしくなります。確かに、これはバイエルン放送のスタッフによるものですから、かなりの水準は保っているなかで、「音」を聴く喜びを与えてくれるものでした。
スッペのレクイエムは、全曲演奏すると1時間を優に超える大曲です。前に聴いた時に、この作品はモーツァルトの同名曲との類似点がいくつもあることに気が付いたのですが、今回もその印象は変わらず、時折ほほえましく感じながら聴き続ける、という体験は繰り返されます。そして、これは決して「真似」ということではなく、当時の一つの「様式」として、モーツァルトの「型」が定着していたことをうかがわせるものだということにも気づかされます。「Requiem」、「Kyrie」、「Dies irae」、「Tuba murum」と、なにかホッと安心できるような、「お約束」の世界が広がります。ただ、どの曲もとても魅力的なハーモニーとメロディを持っているのに、なぜか「Lacrimosa」だけはいま一つピンとこないのですね。これなどは、逆にモーツァルトのこの曲が「壁」になっているのではないか、などと思えてしまいます。
もちろん、これは間違いなくスッペ独自のアイディアなのだろうと思える部分もあります。、「Domine Jesu」の最初のテーマなどは、D音1音だけが延々と続く中で、まわりのハーモニーがどんどん変わっていく、というとてもユニークなものでした。
しかし、本当の彼の持ち味はそんな「小技」ではなく、とことん明るいキャラクターなのではないでしょうか。「Sanctus」あたりがそれを端的にあらわした、もしかしたら「死者を悼む」という趣旨からは完全に逸脱している「明るさ」を全開にした部分でしょう。後半の「Hosanna」などはもろお祭り騒ぎ、もうこうなったらだれにも止められません。
続く「Benedictus」は、無伴奏で4人のソリストによる敬虔なハーモニーが体験される・・・と思っていると、突如乱入してきたオーケストラに導かれるのはさっきの「Hosanna」、こんな見事なシーンの転換はありません。残されたものにこそ、悲しみではなく喜びを、そんなレクイエムが一つぐらいあったっていいのではないでしょうか。

CD Artwork © Profil Medien GmbH

11月29日

VERDI/Requiem
WAGNER/Symphonic excerpts from "Ring"*
Nina Stemme*, Kristin Lewis(Sop)
Violeta Urmana(MS), Piotr Beczala(Ten)
Ildar Abdrazakov(Bas)
Philppe Jordan/
Orchestre et Choeur de l'Opéra national de Paris
ERATO/9341402 9, 9341422 7


同じ、WARNERが買収したレーベルでも、EMIの場合はロゴはもちろんのこと、どこを見ても「EMI」という文字は全く見当たらないというのに、ERATOでは、きちんと「Erato/Warner Classics」というセクションに収まっているのですから、なんか不公平ですね。でも、これはやはり今まではVIRGINだったもの。
そんなERATOから、フィリップ・ジョルダンが指揮をしたパリオペラ座管弦楽団のCDが立て続けに2枚リリースされました。オペラ座だけあって、それはヴェルディとワーグナー、もちろん、録音されたのはその両方に縁のある、今年2013年です。ところが、データを見てみると、ヴェルディは6月10日と11日のバスティーユ・オペラでのライブ録音、そしてワーグナーはその翌日の12日を初日とした3日におよぶ、こちらは「サル・リーバーマン」という、バスティーユでオーケストラのリハーサルに使われているホールでのセッション録音なのでした。なかなか充実したスケジュールですね。
いずれにしても、2009年からパリオペラ座の音楽監督を務めているジョルダンですから、このレパートリーはちょっと興味があります。まずはワーグナーの「リング・ハイライト」から。実は、ジョルダンは2010年から2013年までの間に「リング」のツィクルスを演奏したばかり、これは、ガルニエでは昔はやったことがあっても、バスティーユで上演されたのは初めてという演目だったのだそうです。そんな、まだ湯気が立っているような「リング」から、単独でオーケストラのコンサートでも演奏されるような部分を集め、最後だけはソプラノのニーナ・ステンメを呼んで「黄昏」のエンディング、という趣向です。
つまり、最後だけはオリジナルなので、最初も「ラインゴルト」の前奏曲から始まります。実は、この部分は、iPhoneの「Shazam」という、どんな曲でも、聴かせるだけで即座に演奏家まで教えてくれるアプリの性能を確かめるために、最近家中にある「リング」のCDで聴きまくったという個所なものですから、もう耳にタコが出来るほどになっていました(もちろん、Shazamくんは全部判別できました)。ところが、このジョルダンの演奏は、それらのものとは全く違っていたのです。まるで世界の始まりのように思える低音から始まるホルンのアルペジオの音形が、全然「荘厳」ではないんですね。それは、ゆったりと流れていってほしいものが、時折立ち止まって周りの音と寄り道をしているようにすら聴こえます。なんか、ジョルダンのワーグナーはとても不真面目で、ほとんど冗談にしか聴こえません。
一番の違和感は、「ワルキューレの騎行」などで出てくる「タンタタン」というリズムの扱いです。ジョルダンは、これを本気で跳ねているんですね。まるで踊りを踊っているように。ワルキューレたちが軽やかにダンスをしている光景が、この第3幕の前奏曲から見えてくるというのは、とても異様です。最悪なのは「ジークフリートの葬送行進曲」。これが、まるで運動会の「行進曲」のように聴こえてしまっては、おしまいです。
気を取り直して、ヴェルディの「レクイエム」を聴いてみましょうか。最初のうちは合唱のひどさにガッカリさせられます。やたらハイテンションでハーモニーなんて無いも同然、ひたすら叫びまくっている「Dies irae」などは、そもそもテンポが速すぎて弦楽器がついていけてません。しかし、しばらく聴いていると、そんな騒々しさが、なぜかヴェルディには似つかわしく思えてきます。最初はか細い声で、いったいどうなることかと思っていたソプラノのソリストも、「Libera me」では見違えるようなたくましさに変わっていましたよ。なんとも不思議な演奏ですが、こちらはワーグナーとは違って最後には楽しめるようになりました。

CD Artwork © Warner Music UK Ltd.

11月27日

FOREVER
Unforgettable Songs from Vienna, Broadway and Hollywood
Diana Damrau(Sop)
David Charles Abell/
Royao Liverpool Philharmonic Orchestra
ERATO/6026662 0


ダムラウの最新のソロアルバムは、当然のことながらERATOレーベルからリリースされました。何しろ、VIRGIN時代と品番の付け方が同じですから、彼女には「移籍した」というような意識は全くないに違いありません。今までのアルバム同様、グレードの高いものが、また出来上がりました。
今回の彼女のレパートリーは、タイトルのコピー通りウィーン(オペレッタ)、ブロードウェイ(ミュージカル)、そしてハリウッド(映画音楽)という3つの街がテーマです。オペレッタはともかく、「映画音楽」がクラシックの歌手にとっては必ずしも相性の良いものでないことが、この前のデセイで露呈されてしまったばかりですから、ここでのダムラウにも少なからぬ不安の念がよぎります。
しかし、それは全くの杞憂でした。彼女はデセイのように曲に媚びて歌い方を変えるようなさもしいことはせずに、自身の武器であるベル・カントを前面に出して、果敢に曲に立ち向かっていたのです。
まずは、オペレッタのセクションです。カールマンやレハール、そしてヨハン・シュトラウス二世などのよく知られたナンバーを、ダムラウは時にユーモラスなしぐさを交えながら、堂々たる歌いぶりでこれらの「王道」を格調高く制覇します。それはまさに彼女にしてみれば余裕の世界でしょう。声はもちろん、なんたって、ドイツ語のディクションが違いますからね。1曲だけ、レハールの「メリー・ウィドー」からの有名な「Lippen schweigen」では相手役としてローランド・ヴィリャゾンが加わりますが、この人のとんでもないドイツ語に比べたら、なおさらです。
そして、「ミュージカル」が始まります。まずは、「マイ・フェア・レディ」から、「Would't It Be Lovely」はドイツ語で、「I Could Have Danced All Night」は英語で歌われます。ドイツ語で歌うと、まるでオペレッタのように聴こえますし、もちろん英語では微妙にそれからは離れたミュージカルっぽい感じが漂います。同じ作品から、そんな二通りの味わい、というよりは「可能性」を、ダムラウは見事に引き出してくれています。
続いては、ソンドハイムの「スウィニー・トッド」から、ジョアンナが歌う「Green Finch and Linnet Bird」を、これもドイツ語で歌います。ガーシュウィンの「Summertime」は英語でとてもドラマティックに、そして圧巻はロイド・ウェッバーの「Wishing You Were Somehow Here Again」。ご存知、「オペラ座の怪人」の中の、クリスティーヌのアリアですね。そう、ダムラウによって、それはまさに「ナンバー」あるいは「ショーストップ」というよりは、「アリア」と呼ぶにふさわしい、オペレッタ、いや文字通り「オペラ」として歌われるに値するだけの「芸術性」を持ったものであることがはっきりわかります。
そんな、ひょっとしたら作曲した人でさえ予想しなかったほどのとても含蓄の深い歌い方は、「映画音楽」のセクションに入っても満載でした。「オズの魔法使い」からの「Over the Rainbow」は、あまたのカバーを超えるものとして強烈に迫ってきます。そのエンディングでのsotto voceの繊細さにも、圧倒されるはずです。そして、「スノーマン」からの「Walking in the Air」こそは、最大の収穫でした。この曲からこんなダイナミックなドラマを引き出す可能性があったなんて、思ってもみませんでした。
アルバムの最初と最後を、「ヴォカリーズ」でくくるというのも卓越したアイディアです。ちなみに、エンディングのフレデリク・シャスランの、2008年に作られたオペラ「嵐が丘」からのヴォカリーズは、これが世界初録音だそうです。
ここで歌われているミュージカルや映画音楽は、よくある、クラシック歌手がほんの片手間に演奏してみました、みたいなものとは完全に別物です。クラシックと全く同じ、作曲家の思いを最高に表現するすべを小手先に頼らず真剣に追求した成果が、ここにはありました。それが感動を呼ばないわけがありません。

CD Artwork © Erato/Warner Classics, Warner Music UK Ltd.

11月25日

Entre elle et lui
Natalie Dessay(Vo)
Michel Legrand(Pf)
Pierre Boussaguet(Cb)
François Laizeau(Dr)
ERATO/9341482 1


このERATOというレーベルは、もともとは1953年に創設され、この間のヴェルナーの一連の録音なども手掛けた、フランスの由緒あるレコード会社でした。しかし、1992年にWARNERの傘下に入ってからは、なにか「飼殺し」のような状態が続き、ついに2002年には活動を停止させられてしまいます。
その後、2013年にすでにUNIVERSALに買収されていたEMIのうちのクラシック部門だけがWARNERによってさらに買収された時には、かつて、EMIが買収したVIRGINレーベルも一緒にWARNERのものになりました。そこでWARNERは、その受け皿としてこのERATOというレーベルを用意しました。つまり、今まで「VIRGIN」と呼ばれていたものは「ERATO」に(そして、「EMI」と呼ばれていたものは「WARNER」に)名前が変わってしまったのですよ。まあ、言ってみれば今まで「吉田」という苗字だった人が嫁に行って「福原」と呼び名が変わるようなものですね。
ということで、今まではVIRGINのアーティストだったナタリー・デセイは、これからはERATOのアーティストとなるのでしょう。その彼女が、もちろんERATOレーベルからソロアルバムを出しました。タイトルは「彼女と彼の間」という、意味深なもの、いったい彼女と彼の間に何があったというのでしょう。その「彼」というのは、ミシェル・ルグラン、映画音楽の作曲家やジャズピアニスト、さらにはクラシックの指揮者としても大活躍というものすごい人です。ラグラン袖のスウェットがお気に入りだとか(ウソですからね)。
ルグランが映画に付けた音楽の中には、ただのBGMではなく、殆どミュージカルと言ってもかまわないようなものがあります。それが、1964年に公開された「シェルブールの雨傘」と、1967年に公開された「ロシュフォールの恋人たち」です。このアルバムには、もちろんそれらの作品からのナンバーが含まれていて、まず「ロシュフォール」からの「デルフィーヌの歌」が最初に歌われています。ルグランの軽やかなピアノ・ソロに乗って聴こえてきたのは、まさに「シャンソン」そのものでした。とても奇麗なフランス語で(当たり前!)、囁くようなハスキーな歌い方は、「クラシック」とは全く無縁の、とびきりの魅力を持ったものでした。デセイって人は、こんな歌い方もできるんですね。
ただ、その次に出てきた同じ「ロシュフォール」のナンバー、「デルフィーヌとランシアン」では、ものすごい早口言葉が要求される歌詞に、ちょっと乗りきれないところがあって、まあそれもご愛嬌、みたいな感じです。ロッシーニの早口とはちょっと性質が違いますから、無理もないな、と。
そして、この映画の中で最も有名な「双子姉妹の歌」では、「双子」としてパトリシア・プティボンが加わります。ものすごいキャスティングですね。プティボンだってデセイと同じぐらいの芸達者ですから、期待したっていいでしょう。ところが、これがとことんつまらないんですね。まずはリズム感。二人とも、ルグランならではのシンコペーションがガタガタで、オリジナルの軽快さが全く感じられません。そして、もっとひどいのが音程です。おそらく、音域的に地声で歌うにはちょっと高すぎるのでしょう、そこで、いきおいベル・カントを混ぜようとした結果、音程が犠牲になってしまっているのですね。それを二人でやっているので、もう最悪です。
もっとひどいのが、「シェルブール」の中の最も有名なギィとジュヌヴィエーヴのデュオ(この曲にはタイトルがないんですね)です。コーラスごとに半音ずつ上がっていくという構成ですが、上がっていくたびにどんどんコントロールが出来なくなって行くんですね。1曲目で見せてくれた「シャンソン」は一体どこへ行ってしまったのかと、途方に暮れてしまいます。ルグランは、クラシックの歌手が歌うにはハードルが高すぎることだけを見せつけてくれたアルバムでした。

CD Artwork © Erato/Warner Classics UK Ltd.

11月23日

BACH
The Passions etc.
Soloists
Fritz Werner/
Heinrich-Schütz-Chor Heilbronn
Südwestdeutsches Kammerorchester Pforzheim
ERATO/2564 64735-1


何事にも始まりはあるもので、最初に買った「マタイ」のレコード(=ハジレコ、やっぱり最初は不安・・・それは恥レコ)は、フリッツ・ヴェルナー盤でした。ERATOの日本での最初の販売先、日本コロムビアから出ていたLPです。いかにも当時のERATOらしいシャリシャリとした音と、かなり誇張されたステレオ音場が強く印象に残っています。
そんな、ERATOの初期の録音などは、WARNERはさっぱりと忘れてしまっているのだと思っていたら、2004年にこのヴェルナーが録音した全てのバッハの宗教曲が10枚入りボックス3巻という、総勢30枚のCDになっていたのですね。それがごく最近、教会カンタータは20枚、その他の受難曲などは10枚入りの2つのボックスという形でリイシューされました。もちろん、価格もかなり安くなっています。
教会カンタータは「いまさら」という感じなので入手していませんが、データによると正味58曲の教会カンタータを録音していたようですね。リヒターの80曲超には及びませんが、当時としてはなかなか頑張っていたのでしょう。というか、そもそもヴェルナーが1957年にERATOに最初に録音を行ったのがカンタータの147番なのですね(まだモノラル)。それ1曲だけが、なぜかこちらの受難曲などのボックスに入ってました。それから1973年の最晩年まで、こつこつと録り続けた成果が、これらのものだったのです。そして、おそらくカンタータ全曲をカタログに入れたかったERATOは、ヴェルナーがやり残した仕事を、ヘルムート・リリンクに託します。本当ですよ。手元にある1975年のERATOのカタログには、しっかり全4巻、19枚のLPによる36曲のラインナップが載っています。


これらは1970年から1973年にかけて録音されたものです。その後もERATOはこのプロジェクトを継続し(1983年のカタログには第12巻まで載ってます)、リリンクは1984年にはついに世界初の教会カンタータ全曲録音という偉業を成し遂げます。しかし、その全集はなぜかERATOではなくHÄNSSLERからリリースされました。
こちらのボックスに戻りましょう。ここでは、さっきのBWV147はもちろん、翌1958年の1月に録音されたロ短調ミサもまだモノラルです。エンジニアはダニエル・マドレーヌですが、なんともレンジの狭い録音で、合唱などはとてもヘタに聴こえてしまいます。ところが、同じ年の10月に録音された「マタイ」では、すでにステレオになっていました。その時のエンジニアが、あのアンドレ・シャルランです。改めて聴いてみると、かつてのLPの記憶が完全が覆されてしまうような、とても素晴らしい録音だったことに驚かされます。音場設定も、エヴァンゲリストは右チャンネル、イエスは左チャンネルという分かりやすい形で「対話」を強調していますし、アリアでは第2コーラスでもしっかり中央にソリストが定位しています。その際に、ヴァイオリンを右、低音を左と逆の配置にしていることで、「第2」ということをわからせる配慮もあります。かなり大人数のオーケストラと合唱の響きはあくまでも豊穣で、体いっぱいに輝くばかりの音響が降り注ぎます。さらに、このシリーズではERATOならではのフランスのアーティストが大挙して参加していますが、「マタイ」ではフルートがランパルとラリューというびっくりするようなキャスティングですよ。49番のソプラノのアリアでは、そのランパルの朗々としたフルートを、ピエール・ピエルロとジャック・シャンボンのコール・アングレが支えるという超豪華版です。
しかし、シャルランの録音はこれだけ、1960年に録音された「ヨハネ」は、さっきのマドレーヌの仕事でした。こちらはごくオーソドックスな音しか聴こえません。
これには1968年に録音されたモテットも収録されていますが、その頃にはエンジニアはピーター・ヴィルモースになっていました。これはまさにERATOならではのクリアな音、そんな、エンジニアの個性までも味わえる、貴重なボックスです。

CD Artwork © Warner Music UK Ltd.

11月21日

PROKOFIEV/Piano Concerto No.3
BARTOK/Piano Concerto No.2
Lang Lang(Pf)
Simon Rattle/
Berliner Philharmoniker
SONY/88883773809(BD)


ラトル/BPOとランランという組み合わせによる新し目のピアノ協奏曲の新録音です。同じデザインのCDも出ていますが、こちらはBD。ちょっとややこしいのですが、そのCDBDの違いについて、まず。
このコンビが演奏しているのはプロコフィエフの3番とバルトークの2番という2曲のピアノ協奏曲です。それは、最近では珍しくなったセッション・レコーディングによって作られたもので、CDにはその成果の音源が入っています。もちろん、普通のCDですから、16bit/44.1kHzという、標準的なスペックのPCMです。それに対して、BDでは、その同じ音源が24bit/96kHzのハイレゾPCMで収録されています。このレーベルとしては初めての「ブルーレイ・オーディオ」ですね。
ただ、ジャケットの表側では、それに関しては全く触れられておらず、あくまで「映像」としてのBDのコンテンツの紹介にとどまっています。それは、「The Highest Level」というタイトルの、このレコーディングのメイキングと、プロコフィエフを全曲通した時のランスルーの映像です。ですから、それだけを見ると、ここにはバルトークは入っていないのだ、と誤解を招きかねない表記ですね。もちろん、裏側を見ればそれはきちんと書かれているのですが、それもかなり不親切な書き方です。
いかにも映像作品の方がメインで、ハイレゾの音声データは「おまけ」みたいな扱い、ただCDよりもいい音のハイレゾを聴きたかっただけなのですから、そんな映像はどうでもいいのですが、それも値段のうちなので一応見てみることにしましょう。
メイキングの方は、型通り関係者へのインタビューやフィルハーモニーでの録音風景などが組み合わされた構成です。あいにく日本語字幕はありませんが、英語字幕を出しておけばほぼ理解はできます。そこで最も興味深かったのは、ランランの余裕たっぷりの振る舞いなどではなく、録音のプレイバックを聴きながら演奏家とスタッフがディスカッションしてそれをさらに現場にフィードバックする、という光景でした。これこそがセッション・レコーディングの醍醐味ですから、そこを重点的に紹介してくれたのにはうれしくなりました。
そこで、現場を仕切っていたプロデューサーが、クリストフ・フランケという人です。ベルリン・フィルでは、2009年ごろから「デジタル・コンサートホール」というライブ映像のネット配信事業を始めていますが、彼はそのプロデューサーなのですね。そして、エンジニアが、なんとTELDEX STUDIOSのルネ・メラーではありませんか。すごい人が参加していたんですね。映像でも、メラーはフランケの後ろに立っていました。実は、この二人は、2010年に録音され、もちろんEMIからリリースされたマーラーの2番のCDでも、すでにスタッフとしてクレジットされていました。その前のほぼ10年間は、EMI Classicsの副社長のスティーヴン・ジョーンズがずっとラトル盤のプロデュースをしていたのですから、もうその時点で制作はEMIの手を離れていたのですね。この映像でのラトルとフランケの親密な様子を見るにつけ、EMIの凋落ぶりを思い知らされます。ラトルのクレジットで、いまさら「appears courtesy of EMI Classics」とあるのが、なんとも白々しいですね。もうそんな名前の会社はどこにもないというのに。
映像を一通り見終わって、メニューからブルーレイ・オーディオを選択したら、モニターの画面が消えてしまいました。これは初めての経験、普通はきちんとガイドの画面が出るというのに、「おまけ」扱いもここまで来ると腹も立ちません。もちろん、その音は到底CDや、それまで聴いていた映像の圧縮された音声チャンネルとは別格の瑞々しさを持っていました。それは、プロコフィエフの冒頭のクラリネットの存在感が全く違っていることで実感できますし、ランランの爛々ときらめく変幻自在なタッチもより生々しく伝えるものでした。

BD Artwork © Sony Music Entertainment

11月19日

Melodies
山下達郎
MOON/WPJL-10009/10(LP)

山下達郎のオリジナル・ソロアルバムとしては7枚目となる「メロディーズ」は、1983年6月8日にリリースされていますから、今年は「30周年」ということになります。このアルバムでは、最後に収録されている「クリスマス・イブ」がだいぶ有名ですね。そんなアルバムが、今回は30年前にリリースされた時と同じ形、「LP」として再発されました。
この時代に新譜でLPとは、とお思いになるかもしれませんが、今ではLPの方がCDよりも良い音がすることはもはや常識となっていますから、真にオーディオファイルたるものはもはやLPを避けて通ることはできないというのが、正しい「時代」の認識なのです。達郎自身も、今までにファンクラブのメンバー向けにずっとCDのほかにLPも作ってきた、という実績もありますし。
ただ、今回は、最初は特定のサイトでの通販のみという予定だったものが、いつの間にかごく普通のファンのために、普通の販売ルートで入手できるようになっていました。
当初の予定と変わってしまったのは、販売経路だけではありませんでした。当初は、オリジナルと同じ1枚のLPだったのですが、しばらくして「2枚組になった」という告知がありました。その件については、達郎自身がラジオの番組で釈明していましたが、そこで述べられていたのは恐るべき事実でした。以前と同じような工程でLPを作ってみたところ、昔と同じ品質は再現できなかった、というのですね。特に、内周近くにカッティングされている曲は、CD程度のクオリティさえも維持できていないんですって。その理由として、カッティング・レースなどの機械が古くなったり、修理しようとしても部品が入手できなくて、もはや所期の性能は出せなくなっていることが挙げられていました。仕方なく、出来るだけ外周を使ってカッティングが出来るように、2枚組にした、ということなのです。そうすれば、「CD以上」の音で楽しめる、と。
クレジットを見てみると、カッティングを担当したのはほとんど「名匠」と崇められているJVCのマスタリング・エンジニア、小鐵徹さんではありませんか。さすが、達郎の選ぶスタッフは超一流です。実は、まだJVCのマスタリング・センターが横浜にあったころに、別のエンジニアのマスタリングの立会いに行ったことがあるのですが、小鐵さんのスタジオの前には、多くのミュージシャンからの感謝の言葉が並んでいましたっけ。その時に、「LPのカッティングを、今でもやっている」と、ほかの人から聞いたのですよ。
そんな小鐵さんの技をもってしても、もはや現状はそんなお粗末な対応しかできないようになっているなんて、とてもショッキングです。せっかくLPの良さが再評価されているというのに、しばらく本格的な使われ方をしていなかったために、機械そのものやその周りの技術がすっかり廃れてしまったのだとしたら、これほど憂うべきことはありません。
そんな、いわば「苦し紛れ」の製品ですが、その音にはやはりLPならではのすばらしさがありました。CDと比較したのは、最近のベストアルバムに入っている「悲しみのJODY」、「高気圧ガール」、そして「クリスマス・イブ」の3曲ですが、いずれも特にヴォーカルとコーラスに丸みが出ているのと同時に、バックに隠されない存在感がありました。それと、アナログならではの音の密度の高さ。「悲しみのJODY」でFOに入るあたりからのファルセットの「H」が、CDでは倍音が乖離して聴こえますが、LPではそんなことはありません。
とても残念なことに、「クリスマス・イブ」のコーラスだけになるあたり(01:45付近)で、5周ぐらいにわたってスクラッチ・ノイズが聴こえます。これは盤面を見ても何の異常もないので、おそらくスタンパー以前のトラブルか、もしかしたらプレスの際の素材のムラに起因するもののような気がします。これが、「廃れてしまった周りの技術」の表れなのでしょう。

LP Artwork © Warner Music Japan Inc.

おとといのおやぢに会える、か。


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