倦怠期フライドチキン。 佐久間學

(20/8/15-20/9/5)

Blog Version

9月5日

WAGNER
Götterdämmerung
Corby Welch(Siegfried), Richard Šveda(Gunther)
Sami Luttinen(Hagen) ,Jochen Schmeckenbecher(Alberich)
Linda Watson(Brünhilde, Anke Krabbe(Gutrune)
Axel Kober/
Chor und Extrachor der Deutschen Oper am Rhein(by Gerhard Michalski)
Duisburger Philharmoniker
AVI/CAvi8553507


アクセル・コーバーとライン・ドイツ・オペラによる2019年の「指環」ツィクルスは、すでに4曲すべてがリリースされていますが、その中で、フィジカルなメディア、つまりCDでの流通は最初の「ラインの黄金」だけでした。「ワルキューレ」以降はサブスクのストリーミングか、ダウンロードによるリリースという形になっていましたね。まさに、最近のCDの凋落ぶりを象徴するような出来事です。
さらに、サブスクにしても、いつも利用しているNMLでは、「ジークフリート」をすっ飛ばして、この「神々の黄昏」の方が先に配信が開始されています。ダウンロードだときちんと全部提供されるものが、サブスクではあまり面倒を見てくれないのでしょうか。ちょっと寂しくなりますね。
「指環」のツィクルス上演の場合、普通のオペラハウスでは1年に1作ずつ4年間かけて、というスケジュールが一般的ですね。日本の新国立劇場などはそんなやり方でした。
そうなると、途中でキャストが別の人になる、などということも起こります。まあそれはそれで、同じ役を別の人で味わえるという楽しみも生まれますからいいのかもしれません。
しかし、本家のバイロイトを真似したかのように、このライン・ドイツ・オペラでは同じシーズンにまとめて4曲を上演してしまいました。それを、このカンパニーが管理しているデュッセルドルフとデュースブルクの2つのオペラハウスで上演したあと、今度は別のコンサートホールを使ってコンサート形式、つまりオーケストラはピットではなくステージの上に居て、その前で歌手が歌うというスタイルで上演しています。録音されたのはこちらのバージョンですから、オペラハウスのライブ録音よりもオーケストラがきっちり聴こえてくるようになっていましたね。
そのような、同じ時期に録音されたものですから、当然メインのキャストは、曲が変わっても同じ人が歌っているというごく当たり前のことが実行されています。今回の「神々の黄昏」では、「ジークフリート」で初めて登場したジークフリートの役を、両方ともコービー・ウェルチというアメリカ生まれのテノールが歌っています。「ジークフリート」での演奏はまだ聴いていないのですが、今回彼の声を聴いた時には、また一人素晴らしいワーグナー歌手を見つけることが出来たような気がしました。
このウェルチという方は、1973年の生まれですから、「まだ」47歳ですが、すでに2003年頃からこのライン・ドイツ・オペラでモーツァルトのテノールのロール、ベルモンテ、ドン・オッターヴィオ、タミーノなどを歌うようになっていました。この頃はワーグナーでは軽い声のロール、「オランダ人」のかじ取りや「トリスタン」の若い船乗り、さらには「ラインの黄金」のフロー、ローゲあたりがレパートリーだったようです。かつてはペーター・シュライアーがよく歌っていたロールですね。それが、最近ではタンホイザーやローエングリン、そしてジークムントやジークフリートといった「ヘルデン・テノール」も歌えるようになっていました。
もちろん、彼の声はここで初めて聴いたのですが、間違いなく「ヘルデン」ではあっても、ただ力ずくで押し切るだけではなく、その中には表情豊かなリリシズムも感じられるという、なかなか素敵なテノールでした。今回は同じ役でも前作の「ジークフリート」とは微妙にそのキャラクターが変化しています。おそらくそのあたりの機微がきちんと表現されているような気がするのですが、肝心のその「ジークフリート」がまだ聴けないので比較が出来ないのが残念です。
まだあまり知られていないせいでしょうか、NMLではアメリカ人なのにドイツ語読みで「ヴェルヒ」と表記されているのが、かわいそう。
同じようにブリュンヒルデを、こちらは「ワルキューレ」から続けてリンダ・ワトソンが歌っています。こちらには、失望を禁じえません。

CD Artwork © Avi-Service for music


9月3日

CHRISTMAS CAROLS
Marcus Creed/
SWR Vokalendsemble
SWR/19094CD


ついこの間、世界の国々をタイトルにした9枚の連作アルバムを完成させたマルクス(マーカス)・クリードとSWRヴォーカルアンサンブルが、まるで「スピンオフ」のような形でクリスマス・アルバムを作ってくれていました。このチームにとってこちらに続くクリスマスものですが、今回はあくまで「イギリス」に限定した曲でまとめて、シリーズとの関連を強調しています。
さらに、ブックレットの最後には、そのシリーズの一覧表が掲載されています。元は国名のアルファベット順にジャケットを並べたものなのですが、それをあえてリリース順に並べ替えてみました。
このシリーズは2014年の「アメリカ」から始まっていますが、録音は2012年から始まっています。この「アメリカ」と「ロシア」をまず同じ2014年にリリース、翌年の2015年にも「イタリア」と「イギリス」という2枚をリリースします。それ以後はきっちり1年ごとに、「ポーランド」、「フィンランド」、「フランス」、「日本」、「バルト三国」と、2020年までリリースが続きました。
こうして並べてみると、ジャケットのデザインが途中で変わっていることが分かります。まずは、レーベルのロゴが、イタリアとイギリスの間で変わっています。それは、この年にこのSWRというシュトゥットガルトにあるドイツの放送局のレーベルが、それまでは同じ街の出版社HÄNSSLERのレーベルの一部だったものが、世界最大のレコード会社NAXOSの傘下に入ったからです。
ですから、その時点でデザインを変えてもよかったのでしょうが、すぐには間に合わなかったので、次の年のポーランドでとりあえず国旗だけを入れてみて、翌年にやっと全面的なデザイン変更を行った、ということですね。
ただ、このラインナップを見てみると、なぜか彼らの国である「ドイツ」が抜けています(どいつのせいだ?)。本当はドイツだけではなく、他の国ももっと作りたかったのでしょうが、2020年には、指揮者のクリードが2003年から続けてきたこの合唱団の芸術監督という地位を去ってしまったので、それはかなわなかったのでしょう。
そのクリードという指揮者は、生まれたのはイギリスで、幼少期には有名なキングズ・カレッジ合唱団にも所属していました。しかし、1977年にドイツに渡り、ベルリン・ドイツオペラやRIAS室内合唱団などでのキャリアを積み重ね、今ではすっかりドイツの指揮者のようになっていましたね。
そんな彼の「置き土産」が、この、イギリスで作られた時代を超えた「クリスマス・キャロル」のアンソロジーでした。実際の録音は、「日本」と「バルト三国」の間に行われています。
それは、ウィリアム・バードあたりから始まってトマス・レイヴンスクロフトを経て、グスターヴ・ホルスト、ベンジャミン・ブリテン、さらにはジョン・タヴナーやトマス・アデスという現代作曲家まで網羅されています。その間には、古くから伝わる伝承歌を編曲したものも挟まれているという、バラエティ豊かな選曲になっています。どうでもいいことですが、ブックレットでは有名な「The Lamb」の作曲家の名前が「タヴナー」ではなく「タヴァナー」になってますね。どいつのせいだ。
もう、どの曲を聴いても磨き抜かれたハーモニーと絶妙の表情づけを楽しく味わうことができます。たまにメンバーがソロを取ることもあるのですが、それぞれにとても素晴らしい声であることが分かります。そんなソリスト級の人たちの集まりなんですね。トラック11のレイヴンクロフトの「The Holly And The Ivy」の4番では日本人のメンバー、中曽和歌子さんの声を聴くこともできます。
そんな洗練された曲たちの中で、男声だけで歌われる16世紀の伝承歌「Lully, Lulla, Thow Little Tyne Child」、いわゆる「コヴェントリー・キャロル」(Singers Unlimitedも歌ってました)が、リフレインの部分の拍子を変拍子にしてオリジナルの味をしっかり出しているのが面白かったですね。
それと、この中では最も新しいアデスの作品「The Fayrfax Carol」が、唯一「現代的」なテイストで光ってました。

CD Artwork © Naxos Deutschland Musik & Video Vertriebs-GmbH


9月1日

KORNGOLD
Die tote Stadt
René Kollo(Ten/Paul), Caro Neblett(Sop/Marie, Marietta)
Benjamin Luxton(Bar/Frank), Hermann Prey(Bar/Fritz)
Erich Leinsdorf/
Bavarian Radio Chorus, Tälzer Boys Choir
Munich Radio Orchestra
DUTTON/2CDX 7376(hybrid SACD)


エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは、そのミドルネームにふさわしく、「神童」として若くしてその才能を開花させました。18歳の時には最初のオペラを作りますが、23歳の時の1920年に父親とともに自ら台本を執筆して作った3つ目のオペラが、この「死の都」です。それはケルンとハンブルクのオペラハウスで同時に初演が行われました。ちなみに、日本の劇場で初演が行われたときも、2つの歌劇場でほぼ同じ時期に上演されています。それは、2014年3月8日の沼尻竜典によるびわ湖ホールと、同じ年の3月12日の、キズリング指揮の新国立劇場です。
そんな大ヒットを放った作曲家は、ナチスによって故国オーストリアを追われて、ハリウッドで映画音楽に携わることになり、そこでも大成功を収めるのですが、戦後ウィーンへ戻って再度「純音楽」を手掛けようとしても、すでに彼の音楽は古臭いものとされていて、結局忘れ去られてしまいます。
しかし、1970年代になって起こったのが「コルンゴルト・ルネサンス」です。これは、レコーディング・プロデューサーとして活躍していたコルンゴルトの次男のゲオルク(ジョージ)と、チャールズ・ゲルハルトの共同プロデュース、そしてゲルハルト自身の指揮によって、コルンゴルトなどの映画音楽のアルバムが作られたことによって始まりました。それが、これですね。そこでコルンゴルトのフル・オーケストラによる重厚なオーケストレーションが見直されることになり、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」のスコアにも影響を与えることになるのです。
このプロデューサー・チームは、1975年には「死の都」の録音も手がけました。ここで彼らは、それまでの上演で慣習的に行われていたカットを排除した「完全アンカット版」のスタジオ録音を、世界で初めて敢行したのです。糖分は控えめに(それは「餡カット」)。主役に最盛期のルネ・コロを迎え、ラインスドルフの指揮によって録音されたこのRCA盤は、現在でもこのオペラの最高の録音として高く評価されています。
それが、なんと「4チャンネル」で録音され、かつてはLPがリリースされていたのですよ。それのハイブリッドSACDによるサラウンド盤が、今回のアルバムです。これは、これまでの一連のDUTTONのサラウンドSACDの中でもとびぬけて価値のあるものに違いありません。
そんな期待をもって聴きはじめると、もう最初からまさに万華鏡のようにキラキラした音がリスニングルームいっぱいに降り注いできたのには、腰を抜かすほど驚きました。それは、これまでライブ映像などで味わっていたこのオペラの音楽とは全く次元の違う精緻なサウンドで迫ってきたのです。
ブックレットには録音時の写真が載っていますが、それではオーケストラは普通にステージの上で普通の並び方で演奏しているように見えます。ですから、これはRCAがそれまでに蓄積した「4チャンネル」のノウハウを駆使して、ミキシング上でサラウンドの音場を作っていたのでしょうね(ゲルハルトのライナーノーツによると、大きな合唱だけは客席で演奏していたようです)。
その効果は絶大なものがありました。まるでリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」の冒頭を思わせるようなオーケストレーションでは、金管楽器の咆哮の間に隠し味としてチェレスタやハープが加わっているのですが、そんな「小技」がものの見事に透き通って聴こえてきます。
第2幕では、オルガンと鐘の音を、別の場所で録音したものをオーバーダビングしています。それはしっかりリアに定位されていて、広大な空間が広がります。ソリストたちは、オーケストラの後ろに作られたステージの上で歌っていました。それも、適宜ミキシングによって定位が動かされているのを味わえます。
日本語の対訳を別なところから入手して、それを見ながら聴いたのですが、こんな錯綜した情感をこんな若さで音楽に出来るなんて、とても信じられません。

SACD Artwork © Vocalion Ltd


8月29日

VENABLES
Requiem
Jonathan Hope(Org)
Adrian Partington/
Gloucester Cathedral Choir
SOMM/SOMMCD 0618


古来より死者を悼むための典礼で使われてきた「レクイエム」には、これまでに多くの作曲家が手を染めています。なんでも「三大レクイエム」というものがあるのだそうで、それはモーツァルトとヴェルディとフォーレの作品なのだそうです。でも、このサイトではなんたって「モーツァルト、デュリュフレ、リゲティ」ですけどね。
もちろん、今この瞬間にも世界中では新しい「レクイエム」は作り続けられています。そんな中で、2018年に初演されて、その初演のメンバーによって2019年に録音されたという、まさに出来立ての「レクイエム」のCDがリリースされました。
これを作ったのは、ビートルズを生んだ街リバプールに1955年に生まれたイアン・ヴェナブルスという人です。ヴェナブルスは歌曲の作曲家として有名ですが、その他にも合唱曲や室内楽の作品があります。
この「レクイエム」は、オルガンと混声合唱というシンプルな編成です。時折ソリストも登場しますが、それはこの録音では合唱団のメンバーが担当しています。曲の構成は、先ほど挙げたフォーレやデュリュフレとよく似た形になっています。つまり、モーツァルトやヴェルディの作品には含まれている「Dies irae」で始まる長大な部分のテキストが「Pie Jesu」だけを残して割愛されています。
その代わり、普通の「レクイエム」にはない「Libera me」の部分が加わっているのも、フォーレたちと同じです。ただ、それらには最後に入っていた「In Paradisum」の代わりに、「Lux aeterna」で締めくくられています。
その結果、この、ヴェナブルスの「レクイエム」は、そんな、フォーレやデュリュフレ、中でもオルガンだけの伴奏のバージョンもあるデュリュフレの作品と非常によく似たテイストを持つことになりました。全体の演奏時間も同じくらいですし。
まずは、とても静かなオルガンの前奏に乗って、「Introit」が始まります。そのテーマは、ベースから始まってテナー→トレブルと重ねられていくのですが、なにか重苦しい感じがあります。それは、テーマそのものではなく、例えばベースあたりの、あまりにソリスティックな歌い方のせいなのかもしれません。
続く「Kyrie」では、かなり切羽詰まった悲哀感のあるテーマが登場します。それは、確かに心の奥底に響くメロディを持っていました。その後の「Offertorium」でも、非常にダイナミックなテーマが登場します。
ここまで聴いてくると、この作曲家が作り出すメロディのユニークさに気づかされます。それらは、とてもキャッチーで、ストレートに伝わってくるのですが、通常そのようなものが持っている「どこかで聴いたことがある」という感じが全くないのです。現実的には、世の中では次々に新しい「歌」が作られていて、そのメロディも統計的に考えるとそろそろ枯渇してもおかしくない状況です。実際、誰とは言いませんが作るものは全て他人のパクリという情けない「作曲家」もいますからね。そんな中にあって、このヴェナブルスという人はまだまだ自身のオリジナリティで勝負できるという、数少ない、本当の意味での「作曲家」なのではないでしょうか。それは、彼が歌曲を多く作ってきたことと無関係ではないはずです。
そんな感じで、この「レクイエム」には、最後の「Lux aeterna」まで、しっかりそのオリジナリティにあふれているにもかかわらず、とても親しみが感じられる音楽が詰まっていました。
残念なことに、世界初演も託されたここでの聖歌隊が、成人男性はそれぞれが立派な声なのに、それを合唱としてまとめることを怠っていますし、少年たちはいかにも稚拙な発声で、高い音などはとても苦しそうです。その結果、この曲の持つ繊細さがかなり損なわれてしまっています。
この「レクイエム」は、「三大レクイエム」になるのは無理だとしても、デュリュフレと同じくらいのポジションを獲得することは可能ですから、ぜひもっとまっとうな演奏で聴きたいものです。そんなCDが出る2ことを待っとります。

CD Artwork © SOMM Recordings


8月27日

STRAVINSKY
The Firebird, The Rite of Spring
Pierre Boulez, Zubin Mehta/
New York Philharmonic
DUTTON/CDLX 7377(hybrid SACD)


アメリカCOLUMBIA(現SONY)は、かつてはニューヨーク・フィルとの録音を独占的に行っていました。その成果が、前回のバーンスタインが音楽監督だった時に制作された膨大な数のアルバムです。しかし、バーンスタインは1969年にはそのポストを退任してしまうので、「4チャンネル」時代のものはあまりありません。
しかし、バーンスタインの後任のブーレーズの時代は、まさに「4チャンネル」の真っ只中ですから、バルトークの「オケコン」のような名盤も作られたわけです。さらに、そのあとを継いだメータによる「4チャンネル」の録音も残っています。
今回のDUTTONのSACDには、その二人のアルバム2枚が丸ごと収まっています。ともにストラヴィンスキーの作品で、1975年にブーレーズと録音された「火の鳥」と、1977年にメータと録音された「春の祭典」です。
「火の鳥」では、オリジナルのバレエがかなり長めだったので、コンサート用の「組曲」が作られています。それも3種類も。バレエの初演は1910年だったのですが、その翌年に作られた「1911年版」の組曲は、おそらく今ではコンサートで演奏されることはないのではないでしょうか。ただ、ブーレーズ自身は1967年にBBC交響楽団とやはりCOLUMBIAに録音した時には、この1911年版を使っていましたね。それ以来、この版で録音したのは、1982年のサヴァリッシュ指揮のウィーン交響楽団(ORFEO、ただし、最後に「子守歌」と「フィナーレ」を追加)と、1994年のアシュケナージ指揮のサンクト・ペテルブルク・フィル(DECCA)ぐらいのものなのではないでしょうか。
このブーレーズの1911年版のLPが出た頃、1968年は、COLUMBIAの国内盤の販売元がそれまでの日本コロムビアから、新しく設立されたソニーとアメリカCOLUMBIAの合弁会社「CBSソニー」に移っていました。ですから、このアルバムの宣伝もずいぶん力が入っていたような記憶があります。多分、「これまで誰も聴いたことがなかった1911年版による演奏」みたいなコピーが飛び交っていたのではないでしょうか。
確かにそれはセンセーショナルなアルバムだったのですが、それからたった8年しか経っていないのに、「火の鳥」の別のバージョンを録音していたのですね。今回、そのサラウンドの音を聴いて思ったのは、もしかしたらブーレーズは、このような「新しい」録音技術の可能性を「オケコン」で身をもって知ったことで、「火の鳥」全曲版のもつスペクタクルな面をこのフォーマットで残したいと考えたのではないか、ということです。
実際、この曲で組曲を編むときにカットされた部分は、そのような音響的な効果がサラウンドで聴くには絶好の個所がたくさんあります。たとえば、「王女たちのロンド」の後にくる「夜明け」では、バンダのトランペットが様々な場所から鳴り響く、というスコアなのですが、それがここではしっかりリア左→フロント左→フロント右→リア右(オケの中)と移動させているのです。
それに続く「不思議な鐘の音」では、その「鐘=カリオン」の音が、「カリオン!」とくっきり聴こえてきます。確かに、このあたりのあざとさは、2チャンネルのステレオでは絶対に再現できませんからね。
ここでの楽器の定位は、「オケコン」とほぼ同じですから、このあたりでこのレーベルの「4チャンネル」のセッティングはほぼ固まっていたのではないでしょうか。そして、もしかしたら、もはや実際にそのように楽器を配置するのではなく、オケは普通の配置で、ミキシングによって同じような定位を実現させるようになっていたのではないか、という気がします。
基本的に版の違いはない「春の祭典」は、ブーレーズはすでに1969年にこのレーベルに録音していますから、サラウンドの録音は残せませんでした。その代わりに、ここではギリギリ、このフォーマットが終わる前にニューヨーク・フィルを指揮できるようになったメータの録音が使われています。これはこれで、ブーレーズとは違ったイケイケの疾走感が、サラウンド映えしています。

SACD Artwork © Vocalion Ltd


8月25日

HAYDN
Symphonies Nos. 93, 94, 95
Leonard Bernstein/
New York Philharmonic
DUTTON/CDLX 7378(hybrid SACD)


DUTTONの復刻「4チャンネル」の最新リリースSACD、今回はCOLUMBIAの音源です。その頃のCOLUMBIAの看板アーティスト、バーンスタインとニューヨーク・フィルはCOLUMBIAに膨大な録音を行いましたが、その中にはハイドンの作品も多く含まれていました。それは交響曲だけではなく、ミサ曲やオラトリオなどの声楽曲も含まれています。オーケストラは違いますが、彼の「戦時のミサ」はこちらで聴いていました。涙を誘う演奏でしたね(それは「センチなミサ」)。I
交響曲に関しては、1958年から1975年にかけて、82番から104番まで(途中の89番から92番はなし)という、後期の作品を録音しています。
ハイドンの交響曲の全曲が録音されたのは1960年代、エルネスト・メルツェンドルファーというオーストリアの指揮者とウィーン室内管弦楽団による演奏です。もちろんLPでレーベルはMusical Heritage Societyというマイナーなところですから2018年までCD化されることはなく、それまではその存在自体が知られておらず、1968年から1972年にかけて録音されたアンタール・ドラティ指揮のフィルハーモニア・フンガリカの録音(DECCA)が最初の全曲録音だと思われていました。
最近では、もっぱらピリオド楽器による演奏が広く行われるようになり、特に初期の作品の新たな魅力がクローズアップされるようになっているのではないでしょうか。逆に大編成のモダンオーケストラがハイドンを演奏することは稀になっています。しかし、バーンスタインの時代には、後期の交響曲はオーケストラのレパートリーとして普通に演奏されていました。そして、その中に、「4チャンネル」時代のものもあったので、このようにして、新たなサラウンド・ソースとしての価値が加わったアイテムとして、再登場したのです。
ここでは、1971年に録音されて1973年にリリースされたLPから93番と94番「驚愕」、そして、ボーナストラックとして、1973年に録音されて1974年にリリースされた、やはり2曲収録されているLPから95番が収録されています。
まず、最初に録音された2曲は、録音会場がこのオーケストラのホームグラウンドであるフィルハーモニックホール(現在ではデイヴィッド・ゲフィン・ホールと改称)でした。おそらく、オーケストラはステージの上で演奏して、ホール全体の響きをサラウンドとして取り込んでいたのでしょう。それぞれの楽器の定位はそれほど明確ではありません。
それよりも、なんと言っても弦楽器あたりの音がとてもソフトで、刺激的なところが一切ないことに驚かされます。これも、幸いなことにマスターテープの劣化はそれほど進んではいなかったのではないか、というような、ナチュラルな音で楽しめます。
バーンスタインのハイドンへのアプローチは、あくまで大オーケストラを使ってたっぷり歌わせる、という、最近の流行とはかなり隔たりのあるものだったようです。ですから、「驚愕」のメヌエット楽章では、テーマの四分音符に付いた前打音を、ほとんど八分音符で演奏しているのは、かなりの違和感があります。この曲は、バーンスタインは1985年にもウィーン・フィルと録音しているのですが、そこでも同じような解釈でしたから、これは確固たる信念に基づいたものなのでしょうね。
最後の95番では、録音会場がホールからスタジオに変わります。そして、録音スタッフも丸ごと別のクルーに変わっています。それで、前の2曲とは全然別物の音になっていました。ホルンはリアの左、トランペットはリアの右にはっきり定位していますし、メヌエット楽章のトリオでのチェロのソロもやはりリアの右から聴こえてきます。おそらく、ここでのオーケストラは指揮者を取り囲むような配置になっていたのでしょう。ただ、弦楽器の音は全く潤いのないものだったのは、そんなマイクアレンジのせいなのか、テープの劣化のせいなのかは分かりません。
この時期の首席フルート奏者だったジュリアス・ベイカーのカチッとした音が聴けるのはありがたいことです。

SACD Artwork © Vocalion Ltd


8月22日

SCHNEIDER
Flute Stories
Łukasz Długosz, Agata Kielar-DŁgosz(Fl)
Mirosław Jacek BŁaszczyk/
Silesian Chamber Orchestra
Silesian Philharmonic Symphony Orchestra
WERGO/WER 5127 2


1950年生まれのドイツの作曲家、エンヨット・シュナイダーが、ごく最近フルートとオーケストラのために作った3つの作品が収められたアルバムです。「大漁歌い込み」は入っていません(それは「エンヤトット」)。
シュナイダーは、もっぱら映画音楽の作曲家として有名なようです。なにしろ、彼がかかわった映画は600本以上にも上るのだそうですからね。それによって、彼はエミー賞をはじめとした多くの賞を授与しています。
もちろん、「シリアル・ミュージック」もきちんと作っています。9曲のオペラを始めとして、多くのオーケストラ作品や室内楽作品、さらには宗教曲なども作っています。2017年に作られた「マルコ・ポール」というオペラは、中国政府からの委嘱で作られ、広州と北京のオペラハウスで上演されています。もちろん、中国語で歌われています。
今回のアルバムの最後に収録されているのも、中国がらみの作品です。それは2015年に作られた「楊貴妃の絵」というタイトルの曲なのですが、このジャケットにも使われている、江戸時代の日本の浮世絵師、鳥文斎(細田)栄之(えいし)が描いた絵からインスパイアされて作られたものです。
そこでは、楊貴妃が横笛を吹いています。彼女は歌や踊りの他に、フルートも上手だったのですね。玄宗皇帝も音楽が好きだったので、意気投合したのでしょう。でも、この絵にある楽器には龍の頭が飾られていて、すごいですね。
ということで、ここではソロ・フルートが大オーケストラの中で大活躍するフルート協奏曲に仕上がっています。シュナイダーは、映画音楽で身に着けた直接的に聴き手に情感を伝えるというノウハウを駆使して、とても分かりやすい音楽を届けてくれています。オーケストラがスペクタクルに活躍しますし、ウーカシュ・ドウゴシュのフルートはその中である時はしっとり、ある時は技巧的なパッセージを軽々と演奏して聴くものを驚かすという芸を披露しています。
この曲では、4つの楽章を使って、それぞれに楊貴妃の魅力や生涯を描くという手法がとられているようです。最後の楽章などは「反乱と死」という、重たいタイトルが付けられていて、まずはいかにもなどす黒い音楽で始まりますが、しばらくしたところで、最近なぜかあちこちで耳にするWhiteberryの「夏祭り」の冒頭の「君がいた夏は遠い夢の中」のメロディが現れて、驚かされます。まあ、このメロディは5音階で出来ていますから、たまたま中国をテーマにした音楽の中で類似点が晒されただけのことなのでしょう。
そして、それに関連付けるように、2019年には「Water - Element of Infinity」と、「Baumwelten - Worlds of Tree」というそれぞれ東洋思想に関係のある「水」と「木」をテーマとした2つの曲が作られました。もちろん、そこでの共通項は「フルート」、「水」ではフルート2本と大オーケストラ、「木」ではフルート・ソロと弦楽合奏+ハープという編成で、微妙にヴァリエーションが付けられています。
「水」では、やはり5音階をメインにした中国風のテイストがいたるところで感じられますが、オーケストレーションの煌めきには舌を巻きます。ここでのフルートはドウゴシュ夫妻。きっちり上手(ウーカシュ)と下手(アガタ)に定位した二人が、ほとんどエコーのような感じでデュエットを披露しています。
「木」になると、フルートと弦楽合奏という小さな編成ですので、音楽も内向的なものに傾いているような気がします。同じ5音階でも、ここではドビュッシーあたりの雰囲気が色濃く漂っています。とは言っても、3曲目の「クルミの木」などは、ちょっと恥ずかしくなってしまうほどのキャッチーなメロディなので、「やられた!」という感じです。
この3曲は、これが世界初録音となります。ソロ・パートはかなり難易度が高いようですが、それをたった4日間のセッションで録音してしまったのですから、ドウゴシュの実力は相当なものです。

CD Artwork © WERGO


8月20日

STRAUSS/Also Sprach Zarathustra
SAINT-SAËNS/The Grand Symphony No3
Virgil Fox(Org)
Eugene Ormandy/
The Philadelphia Orchestra
DUTTON/CDLX 7379(hybrid SACD)


サラウンド・ファン待望のDUTTONのクワドラフォニックの最新の復刻SACDが、まとめてリリースされました。その中で、RCAの録音によるオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団との、オルガンを含む2枚のアルバムの「2 on 1」アルバムです。1975年に録音されたシュトラウスの「ツァラ」と、1973年に録音されたサン=サーンスの「オルガン」が収録されています。
なによりも注目すべきは、このジャケットです。
このSACDのシリーズでは、2枚のオリジナルLPのジャケットを巧みに組み合わせてSACD用のジャケットにしているのですが、今回のメインはサン=サーンスの方です。もしかして、これは「サン=サーカス」だったのではないでしょうか。
シュトラウスの方は、ロゴだけ使われていますね。
なんと「The Greatest Sound on Earth!」ですって。まわりの丸の中に入っている数字もすごいですね。上の「105人の偉大なヴィルトゥオーソ」というのは、オーケストラのメンバーのことですよね。そして下の「4000ポンドのロジャースのツーリング・オルガン、144個のスピーカーと56のストップ」ですからね。4000ポンドだと1800s、確かにそのぐらいの重さはあるでしょうね。そして、このサーカスの芸人の胸にはサン=サーンス、持ち上げているカゴの中にはオルガニストのヴァージル・フォックスですからね。パンク・ロックならまだしも、クラシックのジャケットでこんなぶっ飛んだのはまずなかったのでは。
そう、この2曲ともオルガンが入っているのですが、この時にRCAが録音に使っていた「スコティッシュ・ライト・カテドラル」というところには、オルガンはありませんでした。「カテドラル」とは言っても、実際は「タウン・ホール」というただのだだっ広い部屋だったようです。
ですから、そこでオルガンを録音するときには「電気オルガン」を運び込んでいました。サン=サーンスの場合は、さっきの4800キログラムの楽器なのでしょう。それにしてもスピーカーが144個って。
シュトラウスの方では、別のオルガンが使われていました。それは「アレン」というメーカーの楽器ですが、こちらでは演奏している人のクレジットはありません。ところが、このSACDをスタートさせると最初に聴こえてくるのがその「ツァラ」の冒頭のオルガンなのですが、その「ド」のペダル音が、ものすごいレベルで聴こえてきたのですよ。まさに超低音で、我が家のシステムではサブウーファーを入れないとほとんど聴こえない音域です。試しにいろいろ他の演奏を聴いてみたのですが、この超低音がこれだけのレベルで入っているものは見当たりませんでした。このイントロの部分、その後に続くトランペットもとても艶のある音ですし、ティンパニもマッシヴでキレの良い響きでした。ただ、ちょっとチューニングに失敗したのか、本当は「ドソド、ソドソ」なのに「ドファド、フォドファ」と聴こえたのは惜しかったですね。
これだけでうれしくなってしまったのですが、その本当の力はそれ以後の弦楽器の響きによって誇示されることになりました。そのストリングスの何と潤いに満ちていたことでしょう。それは、ハイレゾの音と何ら変わりのないテイストでした。まさに、録音したてのアナログ録音の音だったのです。つまり、このマスターテープは、ほとんど劣化していない、という感じなのですね。ほんの少し、そうですね、10%ぐらいの劣化はあるかもしれない、という音でしたね。それはほとんど奇跡と言ってもいい状態なのではないでしょうか。それが、サラウンドで聴けるのですから、もう夢のようです。
それからたった2年前の録音なのに、サン=サーンスの方の弦楽器は、さっきの数字だと30%以上は劣化しているのではないか、という、この時代に録音されたCDを聴く時にいつも感じていた物足りなさでした。これが普通の状態なんでしょうね。でも、これは金管の華々しさがそれを補って「スペクタキュラー!」なサウンドを実現させています。

SACD Artwork © Vocalion Ltd


8月18日

WALCHIERS, KUHLAU
quatuors pour flûtes
Patrick Gallois(Fl)
Trio d'Argent
(François Daudin Clavaud, Xavier Saint-Bonnet, Michel Boizot)
URTEXT/JBCC273


Urtextというメキシコのレーベルに、なんとパトリック・ガロワが登場です。そこに、1984年に創設されたというフランスのフルート・トリオ「トリオ・ダルジャン」が加わってのアンサンブルが展開されています。
その名前にある「Argent(アルジャン)」とはフランス語で「銀」の事ですから、いつもは銀製の楽器を使っているのでしょう。でも、今回のガロワとの共演では、全員がガロワ御用達のアメリカのフルートメーカー、クリス・エイベルの木製の楽器を使っています(木管を吹くこともあるじゃん)。
ジャケットに使われているのが、そのエイベル・フルートの胴部管を足部管に差し込む側から見たところの写真です。木管とは言っても、ジョイントの部分は金属になるので、ここでは木の筒を金のチューブで挟んでいるような形になっていますね。外側のチューブは本当は必要ないのでしょうが、それはこの楽器の特徴的な外観をデザイン的に支えています。
全員が木管を使ったというのは、このアルバムでのレパートリーとも関係があります。ここでは、ウジェーヌ・ワルキエとフリードリヒ・クーラウという、ともに19世紀前半に活躍した作曲家のフルート四重奏曲が演奏されていますが、この時代にはまだ金属製のフルートは作られておらず、木管の、キー・システムも今の楽器とは異なるものでした。そこで、ガロワたちは木管で演奏することにしたのだそうです。
まずは、フランス領フランダース(現ベルギー)の作曲家ワルキエの「Grand Quatuor de Concert(協奏的大四重奏曲)Op.46」です。4つの楽章から出来ていて、30分以上かかる大曲です。「協奏的」というだけあって、それぞれのパートに技巧的なパッセージがてんこ盛りという、華麗な作品です。
その第1楽章では、ガロワが担当している1番フルートが、とっても甘〜いテーマをこれ以上ないほどに情感たっぷりに歌い出します。正直、この手のフルートだけのアンサンブルというのは演奏している人はそれなりに楽しいのですが、それが聴く人にはほとんど伝わらないという宿命を持っているのだと思っていたのですが、これは違います。ここでのガロワは、おそらくほとんどの人が聴いたことがないはずの曲から、世の中にはこんなに楽しい曲があるんだぞ、と言わんばかりのパッションをもって演奏しているのでしょう。
ここでの4人の並び方は、左から4番、1番、2番、3番になっているような気がします(あくまで「個人的な感想」ですが)。ガロワの隣で吹いている4番の人が、もうぴったりガロワのフレージングに寄せているんですね。それに対して2番と3番の人は、それとはちょっと違ったやり方で、やはり「楽しさ」を追及しているようでした。ですから、全体としてはとてもスリリングなバトルが展開されていますよ。
後半のクーラウの「Grand Quatuor(大四重奏曲=グランド・カルテット)Op.103」は、実際に個人的に直接他人の演奏を聴いたり、自分でも少し演奏したこともあったので馴染みのある曲でした。ところが、ガロワの演奏は、そんな先入観を完膚なきまでに破壊するという恐ろしいものでした。
第1楽章、いかにもクーラウという感じのフランス風序曲を思わせる付点音符を多用した導入部に続いて提示部のメイン・テーマが登場する場面で、まずそんなショッキングなことが起こります。そのテーマはアウフタクトで始まるキビキビしたものだと思っていたのですが、それをガロワはなんとも物悲しく、この先にはなんの希望もないような雰囲気で歌い始めたのです。確かに、それは短調の音楽でした。
逆に、長調に変わったサブ・テーマは、テンポをぐっと落としてとてもしっとりと歌われます。その落差の激しさはまさに生きている音楽、アマチュアが腕試しで挑戦して出来上がるような安直なものではありません。
それは、まさに現代に通用する音楽でした。ですから、別に木管で演奏することもなかったような気がします。

CD Artwork © UDC Media S.A.


8月15日

WILMS
Sonatas for Piano and Flute
Helen Dabringhaus(Fl)
Sebastian Berakdar(Pf)
MDG/903 2149-6(hybrid SACD)


ヨハン・ヴィルヘルム・ヴィルムスというのは、あのベートーヴェンが生まれた2年後の1772年に、ケルンとデュッセルドルフの中間あたりのライン川の東岸に位置する小さな村、ヴィッツヘルデンに生まれ、若いころにオランダに渡り、アムステルダムを中心に活躍していた音楽家です。しかし、今ではその名前を知る人はほとんどいません。
彼はピアノとフルートの演奏家、あるいは教師として活躍する傍ら作曲も行い、一応、7つの交響曲、何曲かの序曲、5つのピアノ協奏曲、フルート協奏曲、2つの合奏協奏曲、2つの弦楽四重奏曲、2つのピアノ四重奏曲、2つのピアノ三重奏曲、そして夥しい数のフルートやヴァイオリンとピアノのための作品や、ピアノの独奏曲、連弾曲などを作っています。なんでも、かつてのオランダ国歌も作曲していたのだそうです。
そのうちのいくつかは、きちんと校訂された楽譜も作られて、実際に録音もされています。しかし、この作曲家の全貌が明らかになるには、まだかなりの年月が必要なのではないでしょう。
今回のSACDで演奏されている作品15の3つのフルート・ソナタも、これが世界初録音となります。フルーティストは全く知らない、まだ若い方ですが、その名前がヘレン・ダブリングハウスというのが、ちょっと気になります。このラストネームはそれほどありふれたものではありませんが、彼女が録音したこのレーベルの主宰者がヴェルナー・ダブリングハウスという人なので、もしかしたら何か関係があるのかな、と思ってしまいます。もしかしたら、この一族の家では、みんなが常に何かをしゃべりあっているのかもしれません(それは「ダベリングハウス」)。
彼女をピアノで支えているのが、やはり若いピアニストでフライブルク生まれのセバスティアン・ベラクダルという人です。このレーベルで彼女と共演するのはこれが2回目となります。
ここで聴くことができるウィルムズの3つのソナタは、それぞれにキャラが立っていて、独自性がはっきり主張されています。第1番はとてもキャッチーなテーマが聴きどころですし、第2番ではまるでイタリアオペラのようなフレーズが聴こえてきたりします。この2つは3つの楽章で出来ていて、その真ん中の楽章がそれぞれに情緒たっぷりな音楽になっています。
そして最後の第3番では、楽章は2つしかなく、分散和音による決然とした第1楽章に続く第2楽章は、かわいらしいテーマによる変奏曲になっています。
いずれの曲も、印象的なのはピアノのパートの充実ぶりです。かなり高度なテクニックがなければ弾きこなせないだろうというパッセージを、ここでのベラクダルくんはいとも颯爽と弾ききっています。
もちろん、フルートもとても上手な方で、素晴らしいソノリテとテクニックの持ち主だと分かるのですが、これらの曲のフルート・パートが、彼女にとってはいささか役不足のような気がします。というのも、これらのソナタのタイトルは、日本の代理店が付けた表記では「フルートとピアノのためのソナタ」となっていますが、ジャケットに書かれているのは、「ピアノとフルートのためのソナタ」と、その楽器の順番が逆になっていることでも分かるように、あくまでメインはピアノで、フルートはもっぱら「添え物」といった作られ方になっているのですね。ですから、フルート・パートはピアノに比べればとてもやさしくなっています。
おそらく、フルートも吹いた作曲家は、当時のこの楽器の「限界」をも知り尽くしていたからこそ、このような作り方をしたのではないでしょうか。実際、フルート協奏曲などでは、本当に確かな技術を持ったフルーティストが吹くような難しいパッセージもたくさん作っていますが、このソナタのような、おそらくアマチュアのフルーティストあたりをターゲットにした作品では、しっかり身の丈に合った書き方をしたのではないでしょうか。

SACD Artwork © Musikproduktion Dabringhaus und Grimm


きのうのおやぢに会える、か。



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