古典禿。.... 佐久間學

(12/4/15-12/5/3)

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5月3日

PENDERECKI
Music for Strings
Artur Pachlewski(Cl)
jean-Louis Capezzali(Ob)
Antoni Wit/
Warsaw Philharmonic Chamber Orchestra
NAXOS/8.572212


手元には、NAXOSの最新のカタログがあります。ただし、これは日本の代理店が毎年出していた日本語版ではありません。前はショップに山積みになっていたのに最近は見かけないな、と思っていたら、もはやこのような「紙」のカタログは制作しないことになったようですね。これからは何でもかんでも電子化の時代、と言わんばかりに、早々と「紙」には見切りをつけて、すでにWeb版カタログに完全移行してしまっていたのですよ。ですから、これはインターナショナル版のカタログの「2011年版」なのですが、おそらく時代の流れでこれが最後の「紙」カタログになってしまうのではないでしょうか。ある意味、貴重品ですね。

このレーベルからリリースされてきたアントニ・ヴィットが指揮をしたペンデレツキの一連の録音も、もちろんこのカタログには載っています。しかし、そこで「最新リリース」とされているのは、2010年にリリースされた「クレド」なのですから、もちろん今回のアルバムが載っているはずはありません。これはもはや「紙」カタログには決して印刷されることがないアイテムだと思うと、なんだか切なくなってはきませんか?
このカタログでも、そしてWebのカタログでも、演奏者の名前は書いてありますが、録音スタッフまではわかりません。Webの場合はなにやらストリーミング・サイトにリンクされていて、有料会員になればブックレットを読ませてやるという高飛車な態度で待ち構えていますが、そんなあくどい商売に騙される人はいませんから、それは現物のCDを手にして初めてわかることです。それによると、このレーベルのペンデレツキ・シリーズは、実際はポーランドの「CD Accord」が制作しているようですね。どうりで、熱の入れ具合がハンパではないわけです。
今回はペンデレツキの弦楽合奏のための作品を集めたアルバムです。彼の「出世作」である「ヒロシマ」がやはり弦楽合奏だったにもかかわらず、このジャンルの作品の影が薄いと感じられるのは、なぜでしょう。いつものように、絶妙な曲目の選択によって、ほとんど初めて聴く作品の中から、この作曲家のまた別の姿が発見できるのですから、このシリーズは外すわけにはいきません。
なんと言っても、一番笑えるのは、彼が「前衛」作曲家だった時代、1963年に作られた「古い様式による3つの小品」でしょう。もともとは映画のサントラとして作られた曲なのだそうですが、これはもろバロック、3曲目あたりはまさにモーツァルト然としたロココ趣味の、とてもよくできたパロディになっています。あのペンデレツキがこんなものを、と思うと、これは、何か微笑ましい感じのする体験です。でも、例えば日本の作曲家でも、湯浅譲二は「前衛作曲家」であると同時に、本田路津子のヒット曲「耳をすましてごらん」や「♪インディアンが通る アッホイアッホイアッホイホイ」みたいな童謡も作っていましたし、同様に武満徹だって、「フォークソング」の名曲「死んだ男の残したものは」の作曲者なのですから、こんな「二足のわらじ」はこの時代の作曲家にとっては当たり前の姿だったに違いありません。
ただ、こんなものを聴かされた後に、「前衛時代」の作とされる「24の弦楽器のためのインテルメッツォ」や、「オーボエと弦楽オーケストラのためのカプリッチョ」を聴いても、いとも当たり前の曲に感じられてしまうのは困ったものです。それよりも困る、というか嬉しいのは、この中では最も新しい、いずれもオリジナルは室内楽だったものを弦楽合奏のために作り直した2つの「シンフォニエッタ」が、見事にさっきの「3つの小品」とリンクしてしまうことです。これらの書法の、なんと自信に満ちていることでしょう。
もしかしたら、ペンデレツキは彼の生涯で「前衛作曲家」だったことなんて、一度もなかったのではないでしょうか。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.

5月1日

MAHLER/Sinfonie Nr.1
WEBERN/Im Sommerwind
François-Xavier Roth/
SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg
HÄNSSLER/CD 93.294


かつての「現代音楽の雄」、南西ドイツ放送交響楽団は、今ではこんな長ったらしい名前に変わっていますが、ハンス・ロスバウトから最近のミヒャエル・ギーレン、シルヴァン・カンブルランまで綿々と続く「現代音楽に強い」首席指揮者のもとで、その名に恥じない活躍を続けています。
カンブルランの後を受けて、2011年から首席指揮者に就任したのは、なんとフランソワ=グザビエ・ロト、あの「レ・シエクル」を作った、「現代」よりは「過去」の音楽に強そうな指揮者でした。マグロも、赤身よりは脂身ですね(それは「トロ」)。このチームはすでに2月に日本でもコンサートを行っています。その時のプログラムにもあったウェーベルンの「夏風の中で」をカップリングにしたマーラーの「交響曲第1番」です。日本公演では、やはりマーラーの「交響曲第5番」が取り上げられていましたね。
その演奏を聴きに行ったわけではないのではっきりしたことはわかりませんが、ピリオド楽器の「レ・シエクル」とは異なり、モダン・オーケストラの場合は、例えば同じレーベルのノリントンのように不自然なノン・ビブラートを強要するようなことはしていないようです。音を聴く限り、弦楽器はちょっときつい響きではありますが、ビブラート自体はちゃんとかかっているようですね。それよりも、ノリントンでさえ「一人」で演奏させていた第3楽章(「花の章」が入っているノリントンの場合は第4楽章)冒頭のコントラバス・ソロを、最新の楽譜通りにトゥッティで弾かせている方が気になります。ただ、これはちょっと聴いただけでは「一人」に聴こえてしまうほどのピアニシモですから、全員ではないのかもしれませんね。
そんなマーラーは、なんとも思いっきりの良い演奏ぶりに、圧倒されます。録音もCDにしておくのはもったいないほどの、芯のある艶やかな響きが心地よく、オーケストラのサウンドを楽しむにはもってこいの仕上がりになっています。これで切れ味よくグイグイ迫って来られたら、実際のライブだったらさぞや盛り上がることでしょう。
そんな風に、にぎやかに「攻め」の姿勢で臨んでいるところはとことんかっこいいのですが、しばらく聴いていると、こんな威勢の良い音楽はなんだかマーラーらしくないような思いに駆られてしまいます。常々マーラーほど屈折した感情の持ち主はないことを様々な場所で体験していますから、一ひねりしてほしいフレーズを、何のためらいもなくいともストレートに扱われてしまうと、「ちょっと違う」と思ってしまうのですね。
ですから、ある意味「守り」とも言えるゆったりとした部分は、さらに味気なく聴こえてしまいます。例えば、第3楽章の真ん中にある「さすらう若人の歌」の第4曲目「Die zwei blauen Augen」の後半をそのまま移調した部分などは、きっちりと「安らぎ」を演出してほしいところなのですが、こんな、ほとんど感情を込めていないのではないかと思えるほど素っ気ない演奏をされてしまうと、この曲に本当に必要なものが何か抜けてしまっているようにしか思えなくなってしまいます。この部分の最後を締めくくるフルートを、これほど雑に切ってしまう神経が理解できません。
その点、ウェーベルンには作品番号すらも付けてもらえなかった、彼が「12音」に手を染める前に作られた「夏風の中で」は、曲に込められた情感がマーラーほどは屈折していない分、素直に楽しめます。
ほんと、これはなんとチャーミングな曲なのでしょう。まさに後期ロマン派の豊穣がたっぷり詰まった、オーケストラの魅力が存分に味わえる秀作です。こんな素直な感情の発露を音楽にしていた作曲家が、なぜあんなにもつまらない曲を書くようになってしまったのか、ロトは、そんなことを問いかけているのかもしれません。おそらく、この指揮者は、あまり面倒くさいことは好きではないのかも。

CD Artwork © SWR Media Services GmbH

4月29日

WHITACRE
Water Night
Hilla Plitmann(Sop)
Julian Lloyd Webber(Vc)
Eric Whitacre/
Eric Whitacre Singers
London Symohony Orchestra
DECCA/B0016636-02


前作Light & Goldが、今年のグラミー賞で「Best Choral Performance Award」を受賞したエリック・ウィテカーの、DECCAでの2枚目のアルバムです。今回もやはりイギリスの合唱団のピックアップ・メンバーからなる「エリック・ウィテカー・シンガーズ」が、曲に応じて28人編成と36人編成で控えていて、ほとんどが世界初録音となる新作を歌っています。それだけではなく、このアルバムではウィテカーの「合唱曲」以外のオーケストラのための作品も聴くことができます。確かに今となっては合唱曲作曲家としてのイメージが定着していますが、彼は吹奏楽の分野でもかなり知られている人なのですからね。
そんな、初めて聴くフル編成のオーケストラのための作品は「Equus」です。ラテン語で「馬」という意味のタイトルを持つこの曲は、そもそもは吹奏楽のために作られたものを、2011年にこの編成に書き直したものです。そんなタイトル通り、まるで疾走する馬のようなパルスに乗って音楽は進んでいきます。これは、まさにスティーヴ・ライヒの「ミニマル」そのものではありませんか。今ではライヒ自身はもう用いなくなったかなり昔のシンプルなスタイルを、まさか今の時代に聴けるとは。ただ、そんなパルスの中で登場するフレーズは、確かにライヒとは違ったエンタテインメントの要素を強く持っているものでした。そんな中で、いきなり渚ゆう子の「京都の恋」が聴こえてきたのにはびっくりしましたね。確かにこれは「ザ・ベンチャーズ」のメンバー、ドン・ウィルソンが作った曲ですから、言ってみれば「アメリカの作曲家へのオマージュ」なのかもしれませんね。金管は派手に鳴り響き、いとも爽快に仕上がった作品です。
もう一つのインスト物は、チェロのジュリアン・ロイド・ウェッバーをフィーチャーした、チェロと弦楽合奏のための「The River Cam」です。これはガラリとイメージが変わって、ほとんどアルヴォ・ペルトの世界をそのまま再現したような、まさに「癒し」にどっぷり浸たれるような音楽ですね。
そして、前作では歌詞だけを提供していたソプラノ歌手のウィテカー夫人、ヒラ・プリットマンのソロも聴くことができます。それは「Goodnight Moon」という、彼らが息子を寝かしつけるときに読んであげた絵本をテキストにした、とてもかわいらしい曲です。それを歌う、確かに胸のあたりがプリッとしているプリットマンは、とてもピュアな声で和ませてくれます。どことなくサラ・ブライトマンにも似たイノセントな声は、もしかしたら、サラのパートナーであったアンドリューと同じく、エリックの作曲のモチベーションとなっているのかもしれませんね。
超売れっ子のウィテカーですから、様々な団体からの委嘱はひきも切らないのでしょう。ここで初録音となったのはそんな新作のごく一部なのでしょうが、「Alleluja」にしても「Oculi Omnium」にしても「Sleep My Child」にしても、完璧な合唱団の演奏もあって全く期待を裏切られることのない、まさに円熟の極みを見せてくれています。包み込むようなハーモニーは自然に心の中に沁みてきますし、録音会場いっぱいに響き渡るフル・ヴォイスは、何よりの爽快感を与えてくれます。しかし、それらが何か予定調和に陥っているようなところが、少し気になってしまいます。初期の作品にはみられたはずの刺激的な要素が、少し希薄になっているのが心配です。
When David Heard」という、「前世紀」に作られた曲もここでは歌われています。それを、2005年に録音されたレイトンの演奏と比べてみたら、なんだかずいぶん「丸く」感じられてしまいました。もしかしたら、作曲家自身のスタンスが、年を経て微妙に変わってきているのかもしれません。
そういえば、このCDの録音は、耳あたりはいいのですが、ちょっと何かが欠けていて薄っぺらな感じがします。あ、タイトル曲は、合唱曲ではなく弦楽合奏バージョンです。念のため。

CD Artwork © Decca, a division of Universal Music Operations, Ltd.

4月27日

BACH
Johhannes-Passion
Jan Kobow(Ev), Stephan MacLeod(Jes)
Matthew White(Alt)
Alexander Weimann/
Les Voix Baroques
Arion Orchestre Baroque
ATMA/ACD2 2611


先日のハジェット盤でも歌っていたカナダの男声アルト、マシュー・ホワイトが中心になったソリストのアンサンブル「レ・ヴォワ・バロック」と、ケベック州唯一のピリオド楽器のオーケストラ「アリオン・オルケストル・バロック」の共演による「ヨハネ」です。オーケストラの弦楽器は複数、合唱は1パート3人という、今では「標準的」なサイズで演奏されています。アリアのソロも、合唱の中の人が交代で担当するというのも、「標準的」。
もちろん、新バッハ全集の楽譜を使うというのも至極「標準的」なアプローチなのでしょう。なぜかライナーの詳細なタイトルの後に「1724年4月7日ライプツィヒ」などと、初演の日と場所が書いてあったとしても、それをもってこの演奏が初演の時と同じ楽譜(つまり「第1稿」)で演奏されていると思ったりしてはいけません。そんな誤解を与えないように、紛らわしいことは書かないでほしいものです。というか、この曲に関してはそのような誤解を招いてしまうような表記があまりに多いものですから、こちらの一覧表を、そんなものも含めてリニューアルしてみましたよ。
指揮者でオルガンも弾いているヴァイマンがこの曲に目指したプランは、まるでガーディナー盤のような攻撃的なもののように、まず思えました。第1曲目はまるで追い立てられるようなテンポで、いかにもこれから恐ろしいことが行われるのだ、みたいな雰囲気を盛り上げています。そんな情景の立役者が、異常に大きな音で録音されているチェンバロと、いかにもソリストが集まったという、個人個人の主張がとても強烈な合唱でした。決してパートとしてまとまろうとはしていない、はっきり言って「汚い」合唱なのですが、そこから生まれるインパクトはすごいものがあります。コラールも、やはり表現重視の密度の高さ、というより、何か常にとげとげしさが感じられてしまうのがちょっときつく感じられてしまいます。
エヴァンゲリストのコボウも、かなりのハイテンション、突き抜けるような高音で、やはりドラマティックに迫ります。この人だけ合唱に加わっていないのも、これだけの「重労働」を担当しているのでは納得です。土の中から掘り出すのは、やはり大変?(それは「ゴボウ」)
ライナーには誰がどのアリアをうたっているのかきちんと書いてありますから、それぞれのソロを聴くと、同じパートの中でかなり異なったキャラクターがいることがよくわかります。これでは「合唱」としてまとまることはかなり難しいでしょうね。テノールでは、13番を歌っているジェレミー・バッドはかなり張りのある声ですが、20番を歌っているローレンス・ウィルフォードはもっと軽くてソフトな声といった具合、確かにそれぞれのアリアのキャラクターにはピッタリな声なのですがね。難しいところです。
アルトのホワイトは最初のアリア、7番を歌っていますが、発音がとってもユニーク、例えば「von」だったら「フォンヌ」みたいに単語の語尾をやたらと強調しているので、とっても不自然に聴こえます。もう一人、30番の方を歌っているのは女声のメグ・ブレイグルですが、このアリアを歌う人にありがちな深刻さがまるでなくサッパリしているのには好感が持てます。それでいて、表情が豊かなのですからね。
こんな個性的な集団が、後半になるにしたがって次第に声が溶け合って、「合唱」らしくなっていくのですからおもしろいものです。27番のレシタティーヴォの中に出てくるポリフォニックな合唱などは、全く隙のない完璧さでびっくりさせられてしまいました。
終わってみれば、とても引き締まった演奏に、息つく暇もなかったという印象が残ります。最初からそれを狙ったのだとすれば、ちょっとすごいことです。

CD Artwork © ATMA Classique

4月25日

POULENC
Choeurs a capella
Stephen Layton/
Danish National Vocal Ensemble
OUR RECORDINGS/8.226906


イギリスの合唱指揮者スティーヴン・レイトンは、自身が作った「ポリフォニー」以外にも多くのイギリスの合唱団の指揮を手がけているのは当然の話ですが、オランダやデンマークの合唱団とまで深い仲になっているのですから、大したものです。デンマークでは1999年からデンマークの公共放送「DR」(NHKみたいなものなのでしょう)の合唱団、デンマーク国立合唱団の首席客演指揮者を務めていますし、その合唱団を母体として2007年に発足したデンマーク国立ヴォーカル・アンサンブルの指揮も、創設時から2011年まで行っていました。もう、地元の指揮者は出る幕がないですね。
そんな、新しい合唱団と2008年から2009年にかけて録音されたプーランクの曲集が、リリースされました。レーベルはデンマークの「OUR RECORDINGS」という、あまり聞いたことのないところ(実は、リコーダーのミカラ・ペトリの録音がたくさんあるそうです)ですが、実体はNAXOS傘下のDACAPOと同じみたいですね。実際、DACAPOで「アルス・ノヴァ・コペンハーゲン」を手掛けているエンジニアの名前が見られますから、録音に関しても期待できそうです。なかなかセンスの良いジャケットを作るところのようで、タイトルも本当は「Half Monk | Half Rascal」というちょっとしゃれたものです。プーランクの合唱曲には宗教曲と世俗曲の2つの側面がありますが、そんな意味を端的に込めたタイトルなのでしょう。写真も、ジャケットに映っているシトロエンのミニカーは、同じ写真の裏焼きが使われているブックレットでは消えてしまっていますし。
レイトンのプーランクと言えば、2007年に「ポリフォニー」と録音したものがありました。今回のCDには、その時の曲目とは決して重複しないものが選ばれているのが、見事というか、親切な配慮です。その結果、男声合唱による「アッシジの聖フランシスコの4つの小さな祈り」と、「パドヴァの聖アントニオの讃歌」が両方とも含まれることになったのは、うれしいことです。しかも、「酒飲みの歌」まで。
もしかしたら、この合唱団の聴きものは男声パートだから、男声合唱を多くしたのでは、と思ってしまうほど、これらは素晴らしい演奏でした。何よりも、プーランクだからと言ってこぎれいにまとめる、ということは一切行っていないのが、とてもすがすがしく感じられます。これはレイトンの持ち味なのでしょうが、宗教曲でここまでのハイテンションはないだろうというところまで「吠え」させているんですね。そこでの合唱は、もう崩壊する一歩手前、まさに「男声合唱」らしさを目いっぱいふるまってくれます。と、ある瞬間に、それがガラッととても繊細で柔らかい表情に変わってしまうのですよ。この落差はかなりショッキング、というか、そんな対比の中で生まれたこの柔らかさは、まさに「神々しさ」すらも秘めた格別の味となっているのです。
ですから、最後に入っている「酒飲み」も、いくらハメを外そうが安心して聴いていられます。そして、期待通り、最後にはとても澄み切ったニ短調の和音が響き渡るのですからね。
女声パートは、男声に比べると、ほんの少しですが、そのあたりのコントロールが苦手なのかもしれません。レイトンの煽りで、かなり粗野な表現(これが、「Rascal」なんでしょうね)が要求されている「7つの歌」や「8つのフランスの歌」では、今一つなりきれていないもどかしさが残ってしまいます。もちろん、水準以上の演奏には違いありませんが。その点、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」や、「ある雪の夕暮れ」などは、しっとりとした味が素敵です。
録音は、さすがDACAPOと思えるような素晴らしさでした。教会のたっぷりとした残響がとても美しく感じられます。DACAPOのようにSACDにしてくれなかったのが、唯一の不満点です。

CD Artwork © Naxos Global Logistics GmbH

4月23日

BEETHOVEN
Triple Concerto
David Oistrakh(Vn)
Mstislav Rostropovich(Vc)
Sviatoslav Richter(Pf)
Herbert von Karajan/
Berliner Philharmoniker
EMI/9 55978 2(hybrid SACD)
HI-Q/HIQLP006(LP)


1969年といえば、「ソ連」と「アメリカ」という東西2大国同士が冷戦状態にあって、世界中が緊張を強いられていた時代でした。そんな時に、「ソ連」の大物アーティスト3人が、「西側」のオーケストラと共演してレコードを作ったりしたのですから、これは大事件でした。そもそも、原盤からしてEMIと、ソ連のMELODIYAの共有物という扱いでしたから、国によってリリースされたレーベルが異なっていましたからね。日本の場合は、MELODIYAと提携していた「新世界」レーベルからLPがリリースされました(販売は日本ビクター)。なんでカラヤンがソ連のレーベルから?と不思議に思った記憶があります。ただ、実は同じ年の5月にカラヤンとベルリン・フィルはソ連に演奏旅行に訪れていて、その時のモスクワでのライブをMELODIYAが録音していたのですね(ショスタコーヴィチの「交響曲第10番」を、作曲者の前で演奏していたのだとか)。そんなつながりもあって、9月にベルリンのイエス・キリスト教会という、当時彼らがDGのための録音を行っていた会場でのセッションがもたれることになったのでしょう。録音はEMIのスタッフによって行われました。
CDの時代になってからは、EMIだけからのリリースとなります。今まで何度となく再発を繰り返す間にはマスタリングが変わったりして、それなりの音質の向上も図られていたはずです。それが、ついこの間、「日本国内だけ」ということで、なんとわざわざEMIのマスターテープにまでさかのぼってハイレゾのデジタルデータに変換されたものがSACDとして発売されました。全部で100タイトルにもなろうという膨大なシリーズの中の一つですが、それらのアイテムはまさに今までCDで聴いてきた音はなんだったのかと嘆かざるを得ないほどの、「いい音」だったのです。この「トリプル・コンチェルト」などはオリジナルのLP通り、入っているのはこれ1曲、たったの36分だけなのに価格は3000円というベラボーな設定だったのですが、これだけいい音なら、と納得させられるものでした(ブラボー!)。
ところが、ごく最近、「日本国内」だけだと思っていたSACDが、輸入盤で出てきたではありませんか。こちらはアイテムは多くはありませんが、日本盤と同じものが、「トリプル・コンチェルト」の場合は、もう1枚セルとオイストラフたちの競演による同じ頃のブラームスのヴァイオリン協奏曲と、ドッペル・コンチェルトが一緒になって1500円以下という実質1/4の安さ、それでいて、豪華ブックレットには、すべてのオリジナルLPのジャケット、ブックレット、さらにはレーベルの写真までカラーで掲載、もっと凄いのは、おおもとのマスターテープの現物の写真まで見られますよ。手書きの「○年にリマスター」などというメモまで写っているのですから、マニアにはたまらないものでしょう。もう少し待っていれば、他のアイテムもこの信じられないほどお買い得なシリーズで手に入れることが出来るようになるのでしょうか。もちろん、「音」は全く遜色ありません。いや、もしかしたら輸入盤の方がいいかもしれませんよ。ひどい話ですね。
つまり、その輸入盤のSACDを、前にも取り上げたHi-QレーベルのLPと比較してみたら、部分的には「勝って」いるところもあったので、これはちょっとすごいのではないか、と思ってしまったのですね。いや、もちろん、B面の最初に切ってある第2楽章の頭などは、さすがにLPの持つしなやかさが弦楽器の質感を存分に再現していて、一日の長があるものの(LPでは、転写によるプリエコーまで聴こえます)、もう少し内周になってくると、第3楽章のオイストラフのヴァイオリンの生々しさなどは、SACDの方がよりくっきりと伝わってくるのですからね。
SACDに対する、このEMI(本国)の姿勢が、親会社のユニバーサルの意向で変わってしまわなければいいのですが。

CD & LP Artwork © EMI Records Ltd.

4月21日

British Flute Concertos
Emily Beynon(Fl)
Bramwell Tovey/
BBC National Orchestra of Wales
CHANDOSS/CHAN 10718


いつまでも美しいフルーティスト、エミリー・バイノンは、オランダのオーケストラの首席奏者をやっていても、生まれたのはイギリスのウェールズ、そんな彼女がウェールズのオーケストラをバックにイギリスの作曲家のフルート協奏曲を録音してくれました。タイトルにはそんな意味の単語が並びますが、ここに収められている4曲のうちの1曲だけは、「イギリス」でも「協奏曲」でもない、「フランス」の作曲家フランシス・プーランクが作った「ソナタ」なんですけどね。とは言っても、これは、ここでちゃんとした協奏曲を提供しているイギリスの作曲家、レノックス・バークリーがオーケストレーションを行ったバージョンなのですから、許してあげましょう。
この「オケ版プーランク」は、「イギリス」とは言っても「北アイルランド」出身のフルーティスト、ジェームズ・ゴールウェイに頼まれて、1976年にバークリーが編曲したものです。同じ年にシャルル・デュトワ指揮のロイヤル・フィルをバックに録音、次の年に同じメンバーで初演されています。この録音はもちろんLPで出たもので、CD化もされているようですがCDの現物を見たことはありません。単にピアノ伴奏をオーケストラに移し替えただけではなく、もっと自由に新しいフレーズなどを加えたにぎやかな編曲に仕上がっています。ですから、まさに「協奏曲」と言っても構わないほどの雄弁なオーケストラと、フルートが対峙することになるのですね。ゴールウェイの演奏では、そんな丁丁発止のパフォーマンスがまず楽しめたものでしたが、今回のバイノンは律儀にソナタ版の表現を踏襲していて、ちょっと面白さには欠けてしまいます。いや、この場合はソリストよりもオーケストラの方に問題がありそう、何とも重苦しい演奏で、ゴールウェイの時のようなソリストに自由に遊んでもらえるような余裕が全くないのですからね。「ソナタ」として聴く分には、バイノンのフルートは陰影に富んでいてとても美しいのですがね。
そのバークリー自身のフルート協奏曲も、何とも鈍重なオーケストラのために正直この曲の魅力が全く感じられないような演奏になっていました。こんなはずはないと、ゴールウェイのLP(これは、CD化はされていないようですね)を引っ張り出して聴いてみると、オケもソリストもノリがぜ〜んぜん違います。こうなると、もう全く別の曲を聴いているみたいでしたよ。指揮者はトヴェイっていうんですか。いくらアメリカで学んだといっても(それは「渡米」)これではちょっと。
ウィリアム・オルウィンという、バークリーと同世代のフルーティスト/作曲家のフルート協奏曲は、もともとはソロ・フルートと8つの管楽器(2Ob, 2Cl, 2Fg, 2Hr)という編成だったものを、自身もフルート協奏曲を作っている(バイノンが録音していましたね)ジョン・マッケイブがオーケストラ用に編曲したものです。変拍子によるリズムのおもしろさや、しっとりとしたシーンなど、そこそこ変化には富んでいるものの、何か生真面目さが邪魔をしてあまり魅力は感じられない作品でした。
一番楽しめたのは、この中で唯一ご存命(いや、まだ50代)のジョナサン・ダヴの新作、これが初録音となる「The Magic Flute Dances」です。タイトル通り、モーツァルトの「魔笛」の中の曲を素材にしてコラージュのように構成された、とても楽しい曲です。もちろん、ただのメドレーのようなありきたりのものではなく、かなり手の込んだ「加工」が施されていますから、常に「確かに聴いたことのあるフレーズなのに、なんだったのか思い出せない」という感じが付きまとうちょっと意地悪な仕掛けが満載です。そんな残尿感を解消するためなのか、タミーノの「絵姿」アリアの大げさな登場には、思わず大爆笑。
そうそう、ブックレットには、バイノンの愛機、「Altus」の広告が掲載されていましたね。

CD Artwork © Chandos Records Ltd.

4月19日

BERLIOZ
Symphonie Fantastique
Robin Ticciati/
Scottish Chamber Orchestra
LINN/CKD 400(hybrid SACD)


最近あちこちで大評判のイギリスの若い指揮者ロビン・ティチアーティのことは、実はすでにこちらで取り上げていたことを、バックナンバーを調べて知りました。5年も前に「これからも期待できそう」なんて書いていたのですが、まさかそれが的中するなんて。もう指揮者の名前すら忘れていたのですがね。「教授」なら覚えていましたが(それは「モリアーティ」)。
1983年生まれ、まだ「20代」のティチアーティは、指揮者としてデビューしたのはなんと19歳の時でした。2005年には史上最年少でミラノのスカラ座に登場、2006年にはザルツブルク音楽祭に、やはり音楽祭史上最年少でデビュー、さっきの「シピオーネの夢」を指揮したのですね。すでに数多くの世界的なオーケストラやオペラハウスとの共演を行ってきています。2009年には今回共演しているスコットランド室内管弦楽団の首席指揮者、2010年にはバンベルク交響楽団の首席客演指揮者のポストを獲得していますし、2014年には「グラインドボーン音楽祭」の音楽監督に就任することが決まっているのですから、まさに「期待」通りの活躍ぶりですね。
ここでは普通は大編成のオーケストラで演奏されることの多い「幻想交響曲」を、室内管弦楽団の編成で演奏するという、かなりの挑戦を行っています。具体的には弦楽器の人数が本当は60人必要なところを34人で頑張る、ということになりますね。もちろん、管楽器や打楽器は正規の人数を確保した上のことですから、バランスが悪くなって下手をしたらブラスバンドみたいな安っぽい音になってしまうかもしれません。
しかし、そんな心配は、この天才指揮者にとっては無用でした。彼は、人数の少なさを逆手にとって、大人数では難しい細かな表現を目いっぱい盛り込むことに成功していましたよ。
第1楽章の序奏などは、ほとんどビブラートをかけないで、フレージングだけで表情をつけるという、まるでピリオド楽器のような奏法を行っています。しかも、フレーズとフレーズの間にとてもたっぷりとした隙間をあけて、聴く人の心を一瞬解き放すような工夫を施しています。これで、これから始まる「幻想」が、人数に物を言わせて力で押し切るものでは決してないことを予感させているのでしょうか。
うれしいことに、そんな予感は的中、今まで聴いてきた「幻想」に、こんな場面があったのかと初めて気づくところは数知れず、そして、それはいとも自然に受け入れられるようなお膳立てが揃っていたのでした。例えば、第3楽章でフルートとヴァイオリンのユニゾンで歌われる部分では、双方のパートが、まさに水も漏らさないほどの緊密なアンサンブルで、全く同じ表情をつけています。室内オケならではのそんな配慮によって生まれる表現力は、とても密度の濃いものです。そこからは、まるですすり泣くような情感が、知らず知らずのうちに心の中にしみわたっているという、恐るべきことが起こっていたのです。
第4楽章と第5楽章では、同じように細やかな表現が、単なるバカ騒ぎからは決して生まれない確かな味わいを与えてくれます。「力」ではなく「技」によって確かな感動を与えるというクレバーさを、この指揮者はしっかり身に着けているのでしょう。
このレーベルならではの音の良さも、その「感動」に花を添えています。最近の録音は、SACDであってもなにか上っ面だけをとらえたものが多く、これだったら昔のLPの方がはるかに中身の濃い音がしているのでは、と感じられることが多いのですが、これは違います。弦楽器のふっくらとしたテクスチャーが見事に再現されているうえに、しっとりと潤いのある音色に包まれて、本当に無理なく幸せになれる音、それがノイズが全くないところに広がるという、まさにこれがデジタル録音の一つの到達点なのではと思わせられるような、ものすごい録音です。

SACD Artwork © Linn Records

4月17日

BEETHOVEN
7, 7.1
Lawrence Golan/
Lamont Symphony Orchestra
ALBANY/TROY 1300


7」と言っても、WindowsOSじゃないですよ。これは、ベートーヴェンの交響曲第「7」番のことなのですが、それだけではなく「7.1」番まであるというのが、謎ですね。
これはどうやら「セブン・ポイント・ワン」と読むようです。ローレンス・ゴランというヴァイオリニスト出身の指揮者は、最近は「ポイント・ワン・シリーズ」というプロジェクトに熱心に取り組んでいます。それは、今回はベートーヴェンの「7番」に対して、「セブン・ポイント・ワン」番というように、アプリケーションのバージョンのような番号を付けて「バージョン・アップ」を図ったものを作ろうという企画なのでしょう。「7」の前は「6」ということで、チャイコフスキーの「悲愴」をもとにした「6.1」を作ったのだそうです。もちろん、チャイコフスキーやベートーヴェンにそんなことをやらせるわけにはいきませんから、この「バージョン・アップ」の仕事はまだ生きている作曲家が行うことになります。今回はウィリアム・ヒルという作曲家が引き受けることになりました。
これは言ってみれば、ベートーヴェンの交響曲第7番の素材を使って、新たにより進んだバージョンの曲を作り上げるという作業なのでしょう。彼は2009年の秋から2010年の1月にかけてこの曲を作り上げ、その年の3月に「7」と「7.1」を合わせて演奏会を開き、それとは別に録音セッションを設けてこんなCDも作ってしまったのです。
オーケストラは、ゴランが音楽監督を務めている、アメリカのデンバーにある「ラモント音楽大学」の学生や卒業生などがメンバーの「ラモント交響楽団」です。まずは、しっかり原曲であるベートーヴェンの作品を味わってごらんと、「交響曲第7番」が全曲演奏されています。おそらく、この曲の中にあらわれるテーマや、その展開のされ方を頭に入れておいてもらった上で、「新曲」を聴いてもらおうという趣向なのでしょうね。
しかし、この演奏は何とも気の抜けた、緊迫感のかけらもないいい加減なものでした。いわば「大学オケ」ですから、実力はそれほど期待できないとしても、いやしくもCDとして全世界で販売するに値する水準とはとても言えません。なにしろ、弦楽器と管楽器が全く別の方向を向いているものですから、オケとしてのアンサンブルはもう最初からグジャグジャなうえに、指揮者が全体をドライブしようとする姿勢が全く見えてこないのですからね。第2楽章などはピリオド風を気取ってやたらと速いテンポになっていますが、それはただ何も考えずに流しているにすぎません。
そういう団体が取り組んだ「7.1」は、そんな無気力なベートーヴェンを恫喝するかのような勢いのよいサウンドで始まります。第1楽章のテーマである「タンタタン」というリズムが、執拗に繰り返され、そこにパニック映画にでも出てきそうな大げさな音楽が乗るという、「イケイケ」の趣味かと思っていると、「のだめ」のテーマである第1主題がなんと短調になって現れて、思わずのけぞってしまいますね。後半になると、第2主題も、前半だけが減和音の響きで、なにか追い込まれるような感じで出没しています。
7.1」は3楽章形式、第2楽章には最初と最後に「7」の第2楽章のモチーフが使われ、真ん中に第3楽章の要素が挟まっています。それもやはりスケルツォ−トリオ−スケルツォという形ですから、まあ、シンメトリックと言うべきなのでしょうね。
第3楽章は、もちろん「7」の第4楽章のテーマが元になっています。時折7拍子になってているのがミソでしょうか。
というように、これを聴かされて一体どのように反応していいのか困るような、なんとも中途半端な曲です。いったいどこまで真面目に取り組んだものなのか、あるいは、最初から笑いを取りに行っているのか、このプロジェクトの真意は謎に包まれています。

CD Artwork © Albany Records

4月15日

OCKEGHEM, SØRENSEN
Requiem
Paul Hillier/
Ars Nova Copenhagen
DACAPO/6.220571(hybrid SACD)


北欧のミュージシャンの日本語表記にはいつも悩まされます。15世紀フランドルの作曲家ヨハネス・オケヘムが、いわゆる「オケゲム」と同一人物なことぐらいはすぐ分かりますが、20世紀生まれのデンマークの作曲家ベント・セーアンセンをこのスペルから読み取るのは至難の業です。日本の代理店のサイトではかろうじて「セアンセン」になっていますが、通販サイトあたりでは「セレンセン」とか「ソレンセン」とか、まるでカニ漁にでも行くみたい(それは「ソ連船」)。
そういう二人の作曲家の作品をマッシュ・アップして、一つの「レクイエム」として演奏したのが、ポール・ヒリアーが指揮する「アルス・ノヴァ・コペンハーゲン」です。現存する世界最古のポリフォニーによる「レクイエム」として知られるオケヘムの作品(本当は、ギョーム・ド・マショーのものの方がもっと古いのだそうですが、あいにく楽譜が見つかっていません)は、今普通にみられる「レクイエム」の全曲は揃っていなくて、テキストも少し違っているのだそうですが、そんな足らない部分+アルファを、セーアンセンの作品で埋めようというコンセプトなのでしょう。よくある形では、ヒリアー自身が1984年に「ヒリアード・アンサンブル」の一員として録音したEMI盤のように、そこにプレイン・チャントを挿入して補うということも行われていました。このヒリヤード盤は、その先輩格のPCA1973年にARCHIVに録音したもの(これは、オケヘムのオリジナルだけが収録されています)よりも、演奏も含めてはるかに柔軟性にあふれたものとして受け止められていたのではないでしょうか。
そうは言っても、この、20世紀に男声だけの6人で歌われたオケヘムは、21世紀になって女声も交えてその倍ほどの人数によって歌われた今回のオケヘムに比べれば、同じ指揮者による演奏とは思えないほどストイックに感じられてしまいます。それはもちろん、合唱団のキャラクターの違いにもよるはずです。このデンマークのハイテク集団のソノリテは、なんと艶っぽいことでしょう。
あるいは、そんなアプローチも一つの要因なのでしょう、ここでオケヘムとセーアンセンという5世紀ものスパンに隔てられている作品は、何の違和感もなく融合しているかのように見えてしまいます。というか、そのスパンの真ん中あたりで確立された「西洋音楽」の理論に基づいたいわゆる「クラシック音楽」の「ビフォー」と「アフター」が共に同じテイストを備えていると感じられてしまう体験によって認識すべきことは、まさに文化の歴史における「再現性」なのではないでしょうか。音楽が一つの方向に「進化」すると考えられていたのは遠い昔、今の歴史観は、古いものが形を変えて後の世にも表れることを明らかにしているのです。オケヘムとセーアンセンのそれぞれの作品の中から見えてくる「機能和声」からはちょっと距離を置いた響き、それらはともに、音楽を作るにあたってはいかなる束縛にもとらわれまいとする作曲家たちの強い意志のようにも思えてきます。
録音の方も、まさか「5世紀」とはいきませんが、それほど長くはない録音技術の歴史の中では充分に「大昔」と言える、50年以上も前のテクノロジーがそのまま使われているというのも、「文化」の一つの形なのかもしれません。このアルバムでは、今までこのレーベルでは紹介されることのなかった録音機材がブックレットに掲載されています。たまたまこの「レクイエム」の中の「Sanctus」や「Benedictus」では、セーアンセンの指定で演奏家が聴衆を取り囲むように配置されるために、それをサラウンドで録音した時のマイクアレンジが明らかにされているのですが、メインは3本のマイクを三角形にセットしたという、あの1956年にDECCAによって開発された「デッカ・ツリー」そのものなのですからね(EXTONあたりでも、この方式を採用しているようです)。

SACD Artwork © Dacapo Records

おとといのおやぢに会える、か。


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