酋長体格。.... 佐久間學

(11/12/16-12/1/3)

Blog Version


1月3日

GEORGE HARRISON
Living in the Material World
Martin Scorsese(Dir)
KADOKAWA PICTURES/DAXA-4113(BD)


2001年に他界したジョージ・ハリスンという、ドツキ漫才が好きそうな(それは、ジョージ・ハリセン)ミュージシャンの没後10年を記念して、今年、マーティン・スコセッシ監督によって彼の生涯がたどられたドキュメンタリー映画が公開されました。これはそれに前後してリリースになったBDです。
本編は間に休憩が入って正味3時間半、長いです。このドキュメンタリーの進め方というのが、ジョージに関連した記録映像を流したり、ジョージと交流のあった人たちのインタビューを紹介する、というものなのですが、作り方が結構不親切。インタビューされている人はとりあえず名前だけは出ますが、その「肩書き」すらも加えられてはいないのですね。まあ、長年のジョージのファンですから個人的には何の不自由も感じませんが、そんな「マニア」ではない普通のファンにとっては、ちょっと気配りが足らないような気がしてしまいます。いや、「マニア」にとってさえも、このダラダラとした流れは途中で睡魔を招き入れるには十分なものでしたから、なおさらです。こんなにマニアックに気取らずに、もっと見る人を大切にする作り方をしてジョージのファンを増やしてほしかったな、と思ってしまいます。
インタビューの中心になっているのは、やはり長年同じバンドで一緒に活動していた2人のビートル、ポール・マッカートニーとリンゴ・スター(リチャード・スターキー)でした。もちろん、当人にしか知りえない裏話を聞くのは楽しいものですが、それよりも、この二人のジョージに対するスタンスが全く異なっていることがまざまざと見えてくる方が、より一層興味をひかれるものでした。ポールは、いつまで経っても「上から目線」なのですね。そこへ行くと、リンゴのコメントはとても暖かく、まさに「親友」という感じです。
そして、もう一人重要な位置にいた「親友」が、エリック・クラプトンなのでしょう。彼の場合は、音楽的な仲間であると同時に、ジョージの妻だったパティ・ボイドを、「譲り受けて」しまっているのですからね。彼がそのことを語る時の、とても純粋なまなざしは印象的です。確かに、その頃の映像に登場するパティは、それに値するだけの魅力を持っていました。
そのパティ本人が、やはりインタビューに登場していたのには、本当に驚いてしまいました。昔の面影をしのばせるものは完璧に失ってしまったそのただの「おばさん」は、同じように醜い顔とだらしない胸の谷間をさらしていたヨーコ・オノとともに、時の流れの残酷さを示すものでしかありませんでした。
その点、ジョージは年を重ねるごとに顔つきが精悍になって行くように感じられます。晩年などはほとんど「哲人」の風貌です。それは、彼なりの確固たる信念を持ち続けたおかげなのかもしれません。ポールのたるんだ皮膚からは、そのような境地はまるで感じられません。
ボーナス・トラックに、息子のダーニ、ジョージ・マーティン、そしてその息子のジャイルズ・マーティンの3人が、「Here Comes the Sun」のマスターテープを聴いているシーンがあります。これはまさに世代交代を果たしたアーティストとプロデューサーという図式、ぜひ本編に入れてほしかったものです。そうすれば、本編の中では不親切な編集のせいで良く分からなかった、ジョージ・ハリスンとインド音楽のリズムとの関係が、より明確になったことでしょう。どういうことかというと、この曲を始め、ジョージの曲の中で頻繁に出てくる「3+3+3+3+4」というシンコペーションは、ただ聴くときっかりエイトビートの2小節に収まっているので何の違和感もないのですが、実は最後に7拍子が出てくるインド音楽特有の「変拍子」なのですね。本編では、ジョージ・マーティンはそれを口で歌っていただけで、全く伝わってきませんでしたが、ここで実際の音を聴けば、それはすぐに理解できることなのです。

BD Artwork © Grove Street Productions Limited

1月1日

El canto quiere ser luz
Cuban Choral Music
Digna Guerra/
Coro Nacional de Cuba
Chamber Choir Entrevoces
MDG/602 1704-2


サブタイトルは「キューバの合唱音楽」です。まさか「吸盤合唱音楽」だと思った人はいないでしょうね。それはそれで、いったい、どんな音楽なのかは興味がありますが。
ここでは11人の作曲家による無伴奏の合唱曲が演奏されていますが、その中で聞いたことのある名前はレオ・ブローウェルとルネ・クローゼンだけでした。ブローウェルはキューバ人、しかし、クローゼンはアメリカ人です。その他の作曲家もほとんどはキューバ人ですが、アルゼンチンやヴェネズエラといった「大陸」の人もいます。
ですから、タイトルにはこだわらず、広く「キューバ周辺の合唱音楽」といった受け止め方をすれば、余計なつっこみを入れる必要はなくなります。その他にも、ポップス畑の人としてシルヴィオ・ロドリゲスなどの名前も見かけられますから、ポップ・チューンの合唱編曲版なども登場していることでしょうし。
歌っているのは、もちろんキューバの合唱団。この国の合唱事情など分かるはずもありませんが、なんせあのような国家体制ですから、なにか極端なものが出てくる予感はあります。それこそ、鼻歌に毛が生えたようなユルいものから、冷徹な指導体制のもと、西欧の合唱団にもひけをとらないような訓練の行き届いたものまで、なんでもありです。
そんな憶測をきれいに裏切って、聴こえてきたのはいとも爽やかでチャーミングな歌声でした。おそらく、メンバーはほとんどが若い人なのでしょう。とても素直な声はイノセントなハーモニーをいともたやすくものにしていますし、フレキシブルな感受性は、ここでのかなりヴァラエティに富んだ曲たちに、的確な個性を与えています。
このプログラムの多様性は、なかなかのものでした。なんと、最初に聴こえてきたロベルト・ヴァレーラの「Babalu en Habana Vieja」という曲のテーマは、日本の五音階そのものが使われたものだったのです。テキストはもちろんスペイン語ですが、それがなぜか日本語っぽく聞こえてしまうほどに、それは見事に「日本民謡」もしくは「わらべうた」のテイストを持っていました。同じテーマを延々と繰り返す中で、ちょっとしたパーカッション(歌いながら叩いているのでしょう)が入ってリズミカルな曲調になったとしても、相変わらず「日本民謡」が聴こえてくるという、なんともシュールな作品です。
そんなところで妙な親近感を持ってしまいさえすれば、それに続く曲はいとも素直に心に響いてきます。1曲だけ、なんとも場違いなきちんとしたラテン語による「ミサ」までありますが、それも聴いたとたんに好きになれるものでした。なにしろ、そのセザール・アレヤンドロ・カリッロというヴェネズエラの人が作った「Missa Sine Nomine」は、「Gloria」ときたらまるでプーランクそっくりの華やかなハーモニーに彩られたものですし、「Kyrie」などは冒頭で厳格な4声のフーガが始まったかと思うと、そのままメロディアスなホモフォニーに移行するというしゃれた味をもっているのですからね。
アルバムのメイン・タイトルは、この中では最年少の作曲家、1988年生まれで、まだ芸術大学で作曲を勉強中の女の子、ウィルマ・アルバ・カルが作った、ロルカの詩による「5 Canciones」という「無伴奏合唱組曲」の最後の曲からとられたものです。「歌は光でありたがっている」ぐらいの意味でしょうか。それこそ、日本の合唱団がコンサートで取り上げてもおかしくないような、そこそこ目新しい技法がちりばめられた聴き応えのある作品です。
どの曲にも、必ず感じられる「ラテン」のテイストですが、クローゼンの「Prayer」だけはそれが全く感じられなかったのは、テキストが英語だったからだけではないはずです。彼がこの前のアルバムで指揮をしていたローリゼンと良く似た雰囲気を持つ曲ですが、この合唱団のハーモニーは、その時のアメリカの合唱団をはるかに凌駕しています。

CD Artwork © Musikproduktion Dabringhaus und Grimm

12月30日

Io, Don Giovanni
ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い
Carlos Saura(Dir)
Lorenzo Balducci(da Ponte)
Lino Guanciale(Mozart)
KADOKAWA PICTURES/DABA-0753(DVD)


以前、「モーツァルトの台本作家」という、ロレンツォ・ダ・ポンテに関する素晴らしい本を上梓した田之倉稔さんが、その本のあとがきの中で、「史実など誤りも多い愚作」と決めつけていた映画、「ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い」を、やっとテレビで見ることが出来ました。HD放送なので、劇場で見るのと遜色ない画質で楽しめたのですが、パッケージとしてはあいにくDVDしか出ていないので、ご了承を。
知る限りでは、おそらくダ・ポンテを主人公にした映画としては初めてのものになるのではないでしょうか。ただ、田之倉さんの指摘通り、「史実」などは完璧に無視されています。そういう意味で、これは、この映画でも相方として登場するモーツァルトやサリエリを扱ったあの「名作」、「アマデウス」と、非常によく似たものなのではないでしょうか。どちらも、決して「伝記映画」として見てはいけないという点で一致しています。
登場人物のキャラも、モーツァルトあたりは指揮をしたりチェンバロを弾いたりするしぐさがトム・ハルスとそっくりですね。
タイトルの通り、ここではダ・ポンテがモーツァルトとの共同作業で「ドン・ジョヴァンニ」を完成させる過程が、文字通り「ドラマティック」に描かれています。その中では、ダ・ポンテの女性遍歴が、オペラの主人公ドン・ジョヴァンニと重ね合わさって行きます。原題の「Io, Don Giovanni」というのは、ダ・ポンテの「私こそがドン・ジョヴァンニなんだ」というセリフからとられています。しかし、ダ・ポンテ自身はオペラの主人公とは違って、しっかり「悔い改め」、生涯を共にする女性と巡り合うというのが、ミソなのでしょう。その「最後の女性」アンネッタ(「史実」では「ナンシー」)を演じているエミリア・ヴェルジネッリという人は、本当に美しい青い瞳の女性です。ですから、これは、適度のエロティックなシーンを楽しみながら、純愛ストーリーとして見る分には、何の不都合もない楽しい作品です。「クラシック音楽」もたっぷり聴けますし(ビオンディ&エウローパ・ガランテの「四季」などは最高です)。
オープニングはヴェネツィア、そこでさっそくそのビオンディのヴィヴァルディがバックに聴こえるのは、この土地を象徴したものであると同時に、そのほとんどアヴァン・ギャルドと化したピリオド様式によって、これからここで使われる音楽が確かに時代的な裏付けを持ったものであることを予感させるものなのでしょう。と、ダ・ポンテとカサノヴァが乗ったゴンドラに向かって進んでくる船に積んどられたものは、その数日前までここで上演されていたガッツァニーガの「ドン・ジョヴァンニ」で使われていた巨大な騎士長の像です。これは、やがてウィーンに移ったダ・ポンテが、モーツァルトと共に「今まで作られた多くのドン・ジョヴァンニ」を凌駕するものを作ることになる伏線です。ところが、このシーンで、やおら立ち上がったカサノヴァが、その像に向かって「♪ドーン・ジョヴァーンニー」と、まだこの時点では音になっていないモーツァルトのメロディを歌い出すのは、かなりヤバいことです。いや、実はこのことによって、いきなり「これは全くのフィクションだよ」と示したかったのかもしれませんね。
そういえば、本当はプラハで初演されたはずのそのモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」がなぜかウィーンで初演されていたシーンでは、地獄落ちのステージのバックに溶岩が流れる映像が現れるというとんでもない演出が披露されます。こんなものを見せられてしまえば、もはやこれが「史実」だなどと思う人などいるはずがありません。ですから、この作品を「史実」に基づいていないからといって「愚作」と決めつけること自体が、そもそも「愚か」なことなのです。

DVD Artwork © Kadokawa Shoten Co., Ltd.

12月28日

LIGETI/Atmosphères
SCHOSTAKOWITSCH/Symphony No.10
David Afkham/
Gustav Mahler Jugendorchester
ORFEO/C 797 111B


あのグスターヴォ・ドゥダメルは1981年の生まれですから、すでに30代、もはや若さとは縁のない世代になってきましたが、そのあとを追いかける若い指揮者はいくらでもいます。ポップスのアーティストは、CDを出した時が「デビュー」となりますが、その様な慣習に従えばこのたび「デビュー」を果たしたダーヴィト・アフカムは1983年生まれでまだ20代、堂々たる「若手」です。
アフカムという、これからの季節にはおいしい飲物(それは「アツカン」)のような名前と、アジア系の風貌のジャケット写真でも分かるとおり、彼はインド人とドイツ人の間に、ドイツのフライブルクで生まれました。フライブルク国立音大でピアノと指揮を学び、後にワイマールのリスト音楽院で指揮を学びます。
卒業後は、ロンドン交響楽団の副指揮者に就任、2008年にドナテッラ・フリック指揮者コンクールに入賞すると、グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラの副指揮者と、ロサンジェルス・フィルのコンダクティング・フェローに就任、その後はヨーロッパやアメリカで、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団や、クリーヴランド管弦楽団といった数多くの名門オーケストラの指揮台に立つことになりました。
この、彼にとっての初CDは、2010年のザルツブルク音楽祭における、フェルゼンライトシューレでのオーケストラ・コンサートのライブ録音です。それこそ20代の若い演奏家が集まったオーケストラと、この若い指揮者とのフレッシュな顔合わせは、まさに「旬」の息吹を感じさせるものでした。
曲目は、ショスタコーヴィチの「交響曲第10番」がメインですが、それに先立って、なんとリゲティの「アトモスフェール」が演奏されたのは、ちょっとした驚きでした。しかし、考えてみれば、このオーケストラの音楽監督であるクラウディオ・アバドもこの曲をかつて録音していましたから、「弟子」格のアフカムに何らかのサジェスチョンを与えたことはあり得るかもしれません。いずれにしても、「有名」である割にはコンサートで演奏される機会は殆どないこの曲の最新のライブ演奏が聴けるのは非常に楽しみです。
「有名」というのは、この曲があの「2001年」で大々的に使われたことを指しています。ジョナサン・ノットがこの曲を録音した時のレビューでも述べていますが、正直この映画の中での使われ方は、この曲にとっては決して好ましいものではありませんでした。スタンリー・キューブリックがこの曲に求めたものは、壮大なシチュエーションを表現するとてつもない激しさだったのでしょう、原曲にさまざまの効果音を加えて、この曲のある一面だけを極端に強調するという扱いを施してしまったのです。あの幻覚のような煌めく映像とともに、この曲にそんなイメージが刷り込まれてしまった人は、数多いことでしょう。
しかし、ノットの演奏を聴けば、ここにはもっと繊細な情感が盛り込まれていることは誰しも気づくはずです。その流れを受けての今回のアフカムの演奏では、さらに透明感を増したこの曲の姿がはっきり見えてくることでしょう。もちろん、それは若くセンシティブなプレーヤーたちのとぎすまされた感覚にも助けられていたに違いありません。
そういうメンバーたちによって演奏されたショスタコーヴィチは、やはり胸のすくような鋭い切れ味を持っていました。終楽章の後半に出てくるアクロバティックなパッセージを、彼らは信じられないほどのテンポで、軽々とさばいていたのです。その分、例えば第1楽章の長大なフルート・ソロのように、あまりに即物的で魅力に乏しいところも出てきてしまいますが、それは若さゆえのことと温かく見守ることが、大人としての見識なのではないでしょうか。

CD Artwork © Orfeo International Music GmbH

12月26日

TELEMANN
Suite & Konzerte
James Galway(Fl, Dir)
Zagreber Solisten
DENON COCO-73242


ベルリン・フィルの首席フルート奏者という、いわばフルーティストにとっては最高のステータスを手中にしたジェームズ・ゴールウェイが、なぜ、あえてその地位を投げ打ってまでソリストとして独り立ちしたのかは、彼の自伝を読めば明らかになります。そこに述べられている客観的な時系列によれば、彼は1974年8月に、彼の職場に対して、そのシーズンの終了時を期日とする退団届けを提出、1975年7月に正式に退団した、とされています。さらに読み進めば、彼がRCAから「ソリスト」としてリリースされることになる2枚のアルバムを、まだ在籍中であった1975年の5月に録音していることも分かります。これは、彼の退団に激昂したカラヤンの嫌がらせで、ザルツブルク・イースター音楽祭には「出なくてもいいすたー」といわれたために空いた時間に録音セッションを持つことが出来た、というものです。
それからの彼のキャリアはまさに順風満帆、RCAの「専属」アーティストとして、数多くのアルバムを世に送り出すことになります。しかし、当初彼にとっては、このオーケストラを離れてソリストとしてやっていけるかどうかというのは、不安以外の何者でもありませんでした。なにしろ、彼以前に「フルートのソリスト」と呼べる人は、ジャン・ピエール・ランパル以外にはいなかったのですからね。
そこで、これは自伝では決して述べられることではないのですが、「辞表」を叩きつけた直後の1974年9月に、日本のCAMERATAというレーベルのオーナーである井坂紘さんの計らいで、なんとかソリストとしての足場を固めるためのいわば「就職活動」として、スイスのルツェルンでEURODISCレーベルにモーツァルトやヴィヴァルディの協奏曲を録音しました。このモーツァルトは、後にRCAで幾度となく録音されることになる同じ曲よりもはるかに伸び伸びとした演奏で、ある意味「定番」とも呼べる名演です。
その後、ゴールウェイは1978年にもEURODISCでテレマンのアルバムを録音します。これは、日本では1979年に日本コロムビアからLPがリリースされていましたが(当時は、日本でのディストリビューターが、日本コロムビア)、後にこのレーベルがBMGの傘下に入り、BMGの販売網で扱われるようになると、ゴールウェイのメイン・レーベルであるRCAと同じグループに属したことになり、この音源もコンピレーションという形を取ってRCAレーベル、そして後には買収先のSONYからCDとして発売されることになりました。しかし、その何度かのリリースの時には、このアルバムに収録されているイ短調の組曲と、ト長調、ハ長調の2曲の協奏曲のうち、なぜかハ長調の協奏曲だけは含まれることはありませんでした。
そのアルバムが、このたび日本コロムビアから「クレスト1000」シリーズのアイテムとして、オリジナルと同じジャケットデザインと収録曲によって、初めてCD化されました。どういう契約なのかは分かりませんが、日本コロムビアでも、まだこのレーベルを出す権利を持っていたのですね。そういえば、ザンデルリンクとシュターツカペレ・ドレスデンのSACDなども出ていましたね。いずれにしても、これはファンにとっては、LPが出てから30年以上も待たされてやっと手にしたCDということになります。
このテレマン、BMG-SONYのマスタリングでは、ちょっと高域が強調されていて、一見華やかですが全体的にソフトすぎる印象がありました。しかし、今回のマスタリングは、はるかに自然なバランスで、楽器の芯がくっきり出ている素晴らしい音になっています。ここで初めてCDで聴くことができるようになったハ長調の協奏曲は、教会ソナタの形式による4楽章の作品、オリジナルはリコーダーのための協奏曲ですが、それをゴールウェイは磨き上げられた高音を使って心ゆくまで楽しませてくれます。

CD Artwork © Ariola-Eurodisc GmbH

12月24日

High Flight
Choral Works by Whitacre, Lauridsen & Chilcott
The King's Singers
René Clausen/
The Concordia Choir
SIGNUM/SIGCD262


イギリスの6人組男声ヴォーカル・グループ「ザ・キングズ・シンガーズ」は、2008年に創立40周年を迎えたのだそうです。すごいですね。アマチュアの合唱団でしたら、もうすぐ70周年を迎える仙台放送合唱団とか、60周年を迎えたグリーンウッド・ハーモニーなど、別に珍しくはありませんが、人気商売のプロの合唱団となると、なかなか長続きさせるのは難しいものです。
もちろん、キングズ・シンガーズの場合は、同じ人が40年間も歌っていたわけではありません。ここでは、ある程度在籍したら、飽きられる前にもっと若い人に替わる、というやり方が徹底していたようで、しばらく目を離していたらすっかりメンバーが替わっていたのに、びっくりしたことがあります。
このレーベルに移ってからはマメにチェックしていたつもりなのですが、それでも今回のメンバーを見るといつの間にかカウンター・テナーのロビン・タイソンがいなくなってましたし、もっとすごいのは、同じアルバムの中でもベースのパートが別の人になっていましたね。ここでは、彼らのセッションは2010年と2011年の2回に分けて行われていて、2010年にはまだスティーヴン・コノリーがいたものが、翌年にはジョナサン・ハワードに替わっていたのです。カウンター・テナーのデヴィッド・ハーレイあたりは、来年はもういなくなってしまうかも知れませんね。
なんにしても、40周年といえば当然お祝いをしなければいけませんから、その際に彼らは人気合唱作曲家であるボブ・チルコットとエリック・ウィテカーに曲を委嘱しました。それは、彼らだけではなく、バックに大人数の混声合唱団を従えるという編成のものでした。このアルバムは、いわばその「新曲」のお披露目ということで、初演の時とは別のアメリカの「コンコルディア」という合唱団と共演したテイクが目玉になっていますが、さらに、この二人と並ぶ、やはり合唱界の「スーパースター」、モーテン・ローリゼンの曲も加えられています。
冒頭に、まるで「そろい踏み」といった感じで、その3人の似たようなテイストを持つラテン語のモテットが演奏されています。彼らの「先輩」であるチルコットは、「Oculi Omnium」という、まるでプレイン・チャントのようなフレーズに薄く和声づけした、というシンプルな曲。最年長であるローリゼンは、やはりシンプルさが光る「O Nata Lux」ですが、最年少のウィテカーだけはもっと個性を主張した「Lux Aurumque」が歌われます。
「お祝い」の曲は、まずアルバムタイトルにもなっている、チルコットの「High Flight」です。タバコではありません(それは「High Light」いや、「hi-lite」)。大きなコーラスがクラスター風の「ざわめき」を作っている中を、キングズ・シンガーズがソリスティックに歌い始める、というちょっと重たそうな出だしですが、途中からいきなりリズミカルな曲調に変わるというあたりが、いかにもチルコットです。というか、やはり彼はこのグループのキャラを誰よりも良く知っているのでしょうから、聴かせどころは外しません。
対するウィテカーの「The Stolen Child」は、すでにウィテカー自身の指揮で聴いていました。だから、ここでは「世界初録音」のクレジットはないのでしょうが、実は録音されたのはこちらの方が数ヶ月先でした。先にリリースした方の「勝ち」なのでしょうか。とてもキャッチーなのに、深く迫ってくるものがあるという、ウィテカーならではの素晴らしい曲だというのは、ウィテカー盤ですでに分かっていたことですが、こちらを先に聴いていたらそこまで思えたかどうか。
というのも、ここで共演している合唱団には、なにか一本筋の通っていないユルさがあるのですね。彼らだけで歌っているローリゼンの有名な「O Magnum Mysterium」などは、最後までハーモニーが決まらないために、「残尿感」だけが募ります。

CD Artwork © Signum Records Ltd.

12月22日

PÄRT
Piano Music
Ralph van Raat(Pf)
JoAnn Falletta/
Netherlands Radio Chamber Philharmonic
NAXOS/8.572525


先日、ジェフスキの「不屈の民」で颯爽たる演奏を聴かせてくれたオランダの俊英ファン・ラートが、ペルトのピアノ作品を集めたアルバムを作りました。収録されているのは「作品1」と銘打たれた1958年の作品から、今回が世界初録音となる2006年の新作まで。これを聴いて、彼の半世紀にわたる作曲生活の変遷をたどろうということなのでしょうか。
ソロのピアノ曲はこれが初めての体験ですが、この中にある最も長い作品、2002年に作られた「ラメンターテ」という、ピアノと室内オーケストラのための曲は以前リュビーモフの演奏で聴いたことがありました。これは別におながか空いた時の掛け声(それは、「ラーメン、食べてぇ!」)ではなく、ロンドンの「テート・モダン」という現代美術館に展示されている、巨大な伝声管のような形をしたオブジェにインスパイアされて作ったという、なにやら死生観に関わるような重たいコンセプトを持った作品でしたね。確かに、初演から間もない2004年に録音されたこのECM盤では、そんな重たさを一身に抱えたような、「音楽」と言うよりはあたかも「宗教」、もっと言えば「洗脳」に近い程の怪しいオーラが感じられたものでした。なにしろ、リュビーモフのピアノが、とてもピアノとは思えないような不思議な響きだったものですから。
しかし、今回のファン・ラートの演奏では、そんなおどろおどろしいものが迫ってくるようなことは全くありませんでした。そこにはただ「音楽」だけが、あるがままの姿で横たわっていただけです。「Solitudine」という部分では、ECM盤ではそれこそ蛇に魔法をかけるための笛のように聴こえたものは、今回はしっかりフルート奏者とピッコロ奏者の姿が現実味を帯びて感じられましたから。
その曲の40年以上前に作られた「2つのソナチネ」や「パルティータ」は、ペルトを語る時には常に「今の作風とは全く異なるもの」として片づけられてしまうもののようでした。「帯」によれば、このような様式に行き詰まったペルトは「『西洋音楽の根底』へ回帰」することになったのだそうですね。
実際に聴いてみると、確かにショスタコーヴィチやバルトークの影響がもろに感じられるものではありました。特にアップテンポの楽章で、まるでジャズのアドリブ・プレイのような早弾きを見せるようなところは、「癒し系」と言われている今の彼の姿からはほど遠いものかもしれません。しかし、こういう要素はさっきの「ラメンターテ」の中にだって見いだすことは可能です。さらに、真ん中の緩やかな楽章などには、明らかに今のスタイルを予感させるものも聴き取ることが出来ます。そもそも、この時期の音楽は「きちんと歌える」ものなのですから、根本的には今のスタイルとそれほど変わったものだとは思えないのですね。
確かに外見は多少は変わってしまったかもしれませんが、彼自身はそんなに変わってはいないのでは、という思いに強く駆られてしまいます。おそらく、その様に感じられるのは、ペンデレツキでとてつもない「変節」を体験してしまったせいなのでしょう。彼はかつては、「絶対に歌えない」音楽を作っていたのですからね。それに比べれば、ペルトの変化などかわいいものです。
ですから、最新作の「アンナ・マリアのために」が、まるで1979年に大ヒットしたフランク・ミルズの「愛のオルゴール」そっくりの、それこそ「明快さ」(「帯」より)を持っていたとしても、なにも大騒ぎする必要はありません。これも、ペルトの振れ幅の範囲内のことなのでしょうからね。
我々はそう思ったとしても、彼自身は、やはり当事者ですからある程度の弁明は行っているようですね。自身の変化を率直に認め、それを公にする人は好感を持たれるものです。始末に負えないのは、明らかに変わってしまっているのに、それを認めようとしない人です。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.

12月20日

HOLST
The Planets(tr. by Peter Sykes)
Hansjörg Albrecht(Org)
OEHMS/OC 683(hybrid SACD)


アルブレヒトのオルガン・ソロのアルバムも、もうこれが何枚目なのか分からないほど、順調にリリースされてきました。オーケストラのための作品を編曲したものと、バッハの作品とを交互に制作するというやり方で、ファンを飽きさせないような配慮も抜かりはありません。
編曲ものの場合は、常にキールにある聖ニコライ教会のオルガンが使われています。この由緒ある教会の大聖堂には、2つのオルガンが備えられているのが特徴です。祭壇に向かって右側にカヴァイエ・コルによる2つの手鍵盤と、1オクターブちょっとの足鍵盤という小さなクワイア・オルガン、そして、真後ろのバルコニーには3つの手鍵盤と4オクターブの足鍵盤という大オルガンが設置されています。さらに、この2つのオルガンは、電気アクションによって同時に演奏することも出来るようになっています。ブックレットに6段鍵盤のコンソールの前に座っているアルブレヒトの写真がありますが、これがおそらく2つのオルガンを「同時に」演奏するための「装置」なのでしょう。それにしても、このキーボードは壮観ですね。上に行くにしたがって少し前の方に傾いているあたりは、まるでロックのコンサートでの、シンセをラックに重ねたセッティングみたい。なんか新鮮です。

今回アルブレヒトが演奏しているホルストの「惑星」は、アメリカのチェンバリスト/オルガニストのピーター・サイクスが、オルガンのために編曲したバージョンです(日本語の「帯」に「ピーター・シークス」とあるのは、冗談でしょう)。1995年に、サイクス自身が録音したCDも出ていますが、その時にはもう一人のオルガニストが加わって「2人」で演奏していました。アルブレヒトは、この2台のオルガンを「1人」で演奏しているのでしょうか。それとも、第1作の「リング」がそうであったように、「オーバーダビング」を行っているのでしょうか。いずれにしても、音をたくさん使った厚ぼったい編曲であることは確かです。
その様な編曲ですから、オリジナルのオーケストラ版を聴き慣れた耳には、この演奏はかなり重厚な印象が与えられます。いや、「重厚」というよりは「鈍重」といった方がより的確でしょうか。なにしろ、「火星」の冒頭の5拍子のリズムは、言いようのない重苦しさをたたえていますし、ファンファーレ風のパッセージも生気の失せたどんくさいリズムでしかありません。この楽章のサブタイトルは「The Bringer of War」、本来リズミカルであるべきものを、「鈍重」なオルガンの響きによって一変させてしまったサイクスとアルブレヒトの意図は明白です。同じように複雑なリズムを持った「水星」や「天王星」のような曲が、ことごとく重苦しい響きで塗り固められるのを聴くのは、辛すぎます。
有名な「木星」の中間部のテーマは、この編曲で聴くとなんとも素っ気ないものに感じられてしまいます。それは、この曲もやはり「鈍重」というコンセプトでまとめられているからなのでしょう。その「聖歌」が、属和音の3音が半音高くなったテンション・コードで終わるようになっているなんて、ディミヌエンドがきかない「鈍重」なオルガンでなければ、まず気づくことなどなかったはずです。
対照的に、「金星」、「土星」、そして「海王星」のような静かな曲では、オーケストラでは味わえないようなハーモニーの妙味に浸ることが出来ます。そこからは、ホルストがこの作品に込めたであろう「神秘性」が、よりはっきりした形で伝わってきます。こちらの側面の方が、オルガンで演奏することの真のメリットだったのではないでしょうか。ここでは、おそらく小さなクワイア・オルガンが多用されているのでしょう、とても鄙びたパイプの音色には和む思いです。

SACD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH

12月18日

BACH
Johannespassion Fassung IV(1749)
Konrad Junghänel/
Cantus Cölln
ACCENT/ACC 24251


コンラート・ユングヘーネルという、ちょっと臭いので近くに寄りたくないような名前(それは「ゆるく、屁〜出る」)のリュート奏者によって1987年に結成された「カントゥス・ケルン」は、ソリスト級のメンバーが集まったヴォーカル・アンサンブルです。公式サイトでは一応5人のメンバーのクレジットがありますが、レパートリーによって適宜メンバーを増減させるという、フレキシブルな体制を取っているのでしょうね。2003年に録音された「ロ短調」では10人でしたが、今回、2011年の5月に録音された「ヨハネ」では8人と、必要な声部にそれぞれ2人ずつをあてがうという編成になっています。もちろん、合唱の部分だけではなく、アリアやレシタティーヴォも、それらのメンバーによって歌われます。いわゆる「OVPP」という、頑なに1パート1人に限ったものではなく、もう少し暖かな質感が得られる編成です。
オーケストラが加わる時も、特に別の名前を名乗ることはなく、「カントゥス・ケルン」という団体の一部として扱われています。バッハの作品の場合は、弦楽器はきっちりパートで一人という最小限の編成を取っているようです。
今回の「ヨハネ」の録音にあたってユングヘーネルは、この作品の数多くの異稿の中から、1749年に演奏されたとされる「第4稿」を選びました。おそらく、録音としては1998年の鈴木盤と、2007年のビラー盤に次ぐ3番目のものとなるのでしょう。一般に演奏されることの多い新全集は、実際にその楽譜の通りに演奏されたものではなく、後世の人が未完のスコアを元に作り上げたものですから、「オーセンティック」という立場を取ればこのような確実に「ある時期」に音になっていたはずのものを演奏するのは好ましいことです。そこには上演にあたって楽譜に加えられた各方面からの圧力の痕跡まで、一つのドキュメンタリーとして反映されることになるわけですからね。
歌手の顔ぶれを「ロ短調」の時と比べてみると、ここではソプラノのメンバーが全て別の人になっています。そのうちの一人が、お気に入りのアマリリス・ディールティエンスだったのは、幸せなことでした。コラールなどでは彼女の音色に合唱全体が支配されることになった結果、「ロ短調」よりワンランク上の暖かみが生まれることになりました。彼女は9番のアリア「Ich folge dir gleichfalls」でソロを取っていますが、その歌はどこにも隙のない素晴らしいものです。彼女のソロを初めて聴いた2010年のフェルトホーフェン盤での「マタイ」の時より、さらに洗練された味が出ているのですから、嬉しくなってしまいます。
エヴァンゲリストのハンス・イェルク・マンメルは、「カントゥス・ケルン」のコア・メンバーですが、とても伸びやかでソフトな声で、レシタティーヴォをリードしています。もう一人のテノール、ゲオルク・ポプルツも、非常によく似た声で、合唱では見事に溶け合っています。やはりコア・メンバーのバス、ヴォルフ・マティアス・フリードリヒの、暖かいアリアも光ります。
ただ、やはりコア・メンバーであるアルトのエリザベス・ポピエンが、肝心の低音があまりに軽すぎて、アリアでは物足りません。とは言っても、ユングヘーネルのアプローチはそれほどドラマティックなものではありませんから、全体の中ではそれほどのマイナスとは感じられないはずです。
古くはドイツ・ハルモニア・ムンディ、最近はフランスのハルモニア・ムンディ、そして今回初めてアクサンと、レーベルの変遷もある「カントゥス・ケルン」ですが、録音はフランス・ハルモニア・ムンディ時代の「ロ短調」と同じ「トリトヌス」が担当しています。それは教会の残響が絶妙にブレンドされた芳醇な響き、ひたすら滑らかな音楽作りと相まって、極上の時間が過ぎていきます。その中から聴こえてきたものは「ロ短調」同様、アンサンブルの喜びでした。

CD Artwork © Accent

12月16日

MENDELSSOHN
Symphonies No.4, No.5
John Eliot Gardiner/
Wiener Philharmoiker
DG/UCCG-50017


先日ホリガーの演奏でメンデルスゾーンの交響曲第4番の「第2稿」を初めて聴いた時には、本当にびっくりしてしまいました。この作曲家については、それほど詳しい知識があるわけではなく、何となく、いかにも「神童」風に、書き上げたものはもうそれで完成品、それをさらに直すようなことはないのでは、といいうイメージを持っていました。まるで元祖「神童」のモーツァルトのように。しかし、現実は、こんな風に一度演奏したものでも、気に入らないものはとことん手を入れるという性癖を持っていたのですね。それこそブルックナーのように。いやあ、メンデルスゾーンとモーツァルトなら許せますが、あのどんくさいブルックナーと同じだなんて、イメージがガタくずれです。
いや、実際のところ、メンデルスゾーンに関してはモーツァルトやバッハほどには研究は進んでいないのが現状のようですね。それこそ、「アマデウス」でモーツァルトのイメージがガラリと変わってしまったようなことが、メンデルスゾーンでもこれから起こるのでしょうか。
この「4番」でも、作曲、改訂、そして出版については、正確なことは実はまだ良く分かっていないのではないか、という風に思えてなりません。というのも、ホリガーのSACDでのライナーには、「出版されたのは、1833年に作られた第1稿で、ここでは1834年に改訂された第2楽章から第4楽章が演奏されている」とはっきり書いてあるのに、今回、その「1834年の改訂稿」を1998年に世界初録音したガーディナーのCDが新たに国内盤SHM-CDとして再発されたので入手してみたら、そのライナーには「改訂ヴァージョンは1851年に出版されたが、当CDでは、改訂前のヴァージョンが演奏されている」と、全く正反対のことが書かれているのですからね。もちろん、前者の「1834年に改訂された第2楽章から第4楽章」と、後者の「改訂前のヴァージョン」は、耳で聴く限り全く同じものです。
要するに、1834年の「第2稿」の後に、さらに改訂された「第3稿」が作られ、それが出版されたものだ、とするのが、ガーディナー盤の主張なのでしょう。ちなみに、かなり古い資料ですが、全音版のスコアの解説を執筆した人は「第2稿の後さらに改作を経たとみられる、いわゆる第3稿は、彼の死後遺稿として発見され、これにもとづいてブライトコップフ社が1851年に<遺作第19号「交響曲第4番」op.90>として公版することとなった」とかいていますから、これは昔からの定説だったのでしょうね。ホリガー盤のような見解がそれを踏まえた上でのものだったとしたら(これが、最も新しい文献ですから)最近はこちらの方が主流なのでしょうか。
ただ、ホリガーの時の「おやぢの部屋」では「出版譜の方が完成度が高い」みたいな意見を述べていました。どう聴いても、「第2稿」に手を加えたものが「出版譜」のように思えてしまうのですね。その根拠を、音源を交えて2点ばかり。
  1. 第2楽章の冒頭のテーマは、「出版譜」(→音源)では後半に装飾音が付いていますが、「第2稿」(→音源)にはありません。ふつう改訂を行う時には、なにもないところに「飾り」を付けたくなるものなのではないでしょうか。

  2. 第3楽章のトリオのテーマのあとに、ヴァイオリン→フルートの順でオブリガートが演奏されますが、「出版譜」(→音源)では最初の音の前に十六分休符が入って、「跳ねて」いるのに、「第2稿」(→音源)では均等な八分音符の連続になっています。これも、より変化に富んだ形に変わるのが、「改訂」の常なのではないでしょうか。さらに、「第2稿」ではトリオの後半も同じ形ですが、「出版譜」では順番がフルート→ヴァイオリンと逆になっていますし、フルートの最後の音はトリルで飾られています。
ホリガー盤では、これらの現象について全く逆の意味づけがなされていました。真実が明らかになる日は来るのでしょうか。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH

おとといのおやぢに会える、か。


accesses to "oyaji" since 03/4/25
accesses to "jurassic page" since 98/7/17